〈22-1〉
ずんっという音を伴って、微かに建物は揺れた。カタカタと、カウンターに置いたグラスが揺れる。
それに吊られたかのように、カウンターに突っ伏していた頭がのろのろと顔を上げた。編み上げられた緑青色の髪の蛇までも、億劫そうにだらりと落ちていく。
大の男二人はほっと胸をなで下ろして互いを見合わせた。店主の男は一つ頷く。
「少しは落ち着いたかい? リウミュ」
「今……」
気を使って温かいお茶を差し出したヤヌスは、小さな声に先を待つ。そのわずかに空いた沈黙に、二つ三つと遠くの方からずんという音が聞こえて来た。その度に、カタカタとお茶のカップや天井の明かりが揺れる。
そして、不意の事だった。りんっと小さなベルは鳴った。その音に、誰よりも早く、弾かれたようにリウミュは振り返ると、そこにあった姿に表情を崩した。
「アルヴィスさん……」
「やあ、邪魔する――――おっと」
期待した姿があった訳ではなかったが、それでもリウミュは思わず駆け寄ると、黒衣に身を包む胸に飛びついていた。アルヴィスはその小柄な姿を危なげなく抱き留めて、どうしたものかと辺りを見まわした。
「君がここに来るとは珍しね」
「てめえ、何しに来た」
少し驚いた様子のヤヌスと苦い表情のロドに、おおよそを把握して苦笑する。
「そう嫌な顔をしてくれるな、ロド。今日は愚弟の隠れ家をどうにかしようって来た訳じゃあない」
「じゃあ、何しに来たって言うんだ。あんたは〈工場の木〉を擁護する側の人間なんだろうが」
唸るように告げられて、アルヴィスは肩を竦めた。
「今は、違うとも。シェヘラの事だよ」
「っ……!」
その腕の中で、リウミュが傍目でも解るくらいに身体を強張らせた。恐る恐る顔を上げて伺ったリウミュを安心させるように、アルヴィスは背中を優しく叩いて微笑んだ。
「リウミュ、このままシェヘラを行かせてしまっていいのか?」
「いいも何も、だって……」
これ以上のお節介は望まれてない。再び俯いてしまいながら呟いた言葉に、畳みかけるようにアルヴィスはっきりと告げた。
「このままここで、うじうじしていたら、間違いなくリウミュ。君は後悔するんじゃないか? だって、口にしなくても、誰よりもシェヘラの夢を応援していたのは君だろう? シェヘラに勘違いさせたままでいいのかな?」
「だって!」 責めるような言葉に煽られて、リウミュは目の前の姿を突き飛ばして睨んだ。
「シェヘラは私の手を借りる事なんて望んでいないもの!」
「そんな事ないとも」
「あるわよ。シェヘラの事が心配? 当たり前じゃない! 誰よりも、他でもない私のたった一人の妹なのよ?」
アルヴィスは「それは」 と口を挟みかけて、大人しく閉ざした。涙に瞳をにじませたリウミュに、怯んだせいかもしれない。
「たった一人の大切な妹が見た夢を、一番に応援してあげたいに決まってるじゃない! 当たり前でしょ! ……でも!」
振り上げた腕のやり場を失って、緩やかに下しまたうつむく。
「私の手を借りる事も、守る事も、あの子は私には望んでくれなかった。だったら、見守るしかないじゃない! 見守っていたじゃない! 貴方がどこかにシェヘラを連れて行ってしまう度に、はらはらして、居なくなるかもしれなくて怖かった。だから気が付いたら、危ない事をしないで欲しいって、夢なんてバカみたいな妄想忘れて欲しかったのに! 全部、奪って行ったのは、貴方のせいじゃない!」
「そうだね」
静かに告げた声は、追い詰められた彼女を落ち着けようとしているかのようだ。そっと再びその腕に、まだ幼さを残す少女を囲った。心が上げた悲鳴のようになじる背中をあやしながら、アルヴィスはそっと続ける。
「でも、そうじゃない。賢い君なら解っているんだろう?」
「っ……そんなの!」
腕の中で、びくりと身体が強張った。悔しそうに睨みあげるリウミュには、それ以上の言葉もない。再びアルヴィスの胸を突き飛ばすと、扉を開け放って飛び出した。
振り返らなかった横顔は、決意に満ち溢れていた。その事に、アルヴィスだけが満足そうに微笑んだ。
その後ろを、ロドも静かについて行く。
「これだけは言わせてもらうぞ」
途中、足を止めてアルヴィスを睨む。
「あんたがどんなにシェヘラの為だ、リウミュの為だって抜かしても、傍観ばかり決め込んでいるあんたに、二人の事をどうにか出来るって思わない事だな」
「ああ。心の片隅にでよければ気に留めておくとも」
「ふん」
胡散臭いものを見るような眼を向けて、ロドは乱雑に扉を閉ざした。濁ったベルの音が、蓋を閉じるように鳴らされた。
外に出て驚く。採掘場から時折聞こえてくる爆発音が空から聞こえ、遠くの空が、かつて無いほどに明るかった。




