〈18-1〉
明かりの消えた薄暗い路地に、足音はやけに響いて聞こえる。建物に遮られた赤い月の光は、いつもより弱々しく感じる程だ。
酒場から逃げるように、あるいは後に続く足音を撒くように、先を急いでいたリズは溜息を溢した。どれほど足を早めても、どれほど角を曲がってもついてくる姿に、いい加減辟易したせいだ。
足を止めると、向こうも止まる。まるでこの街に来た時の鬼ごっこのようだと思った。
「……なあ。お前、姉の言葉を聞いてたのか?」
うんざりして振り返ると、目を見開いて驚いた表情が、すぐに不機嫌なものに変わった。
「聞いてたけど? でも、私はリズに巻き込まれたなんて思った事ないよ」
「お前がいると邪魔になるから帰れ。って、言ってもか」
「勝手にでもついてくって、言ったよね?」
にやっと笑って見せたのは、前に置いて行った当て付けだろう。それにさ、と続けたシェヘラの言葉を大人しく聞く。
「この場所が地下で、作られた場所で、〈工場の木〉が中心で、父さんは〈工場の木〉の為に緑をつくってて、でもそこから逃げ出して。お姉ちゃんはリズのせいで私が危ない事しているって言うけど、リズが居なくたって、必ずいつかたどり着いたと思うんだ。どんな手を尽くしてでも、緑の場所を作るか、父さんみたいに探し出すって結論に、ね」
遠くを眺めて苦笑混じりになってしまうのは、間違いなく今の様に反対される事が、予測できたからだろう。それもすぐに、リズへと視線を戻して屈託なく笑った。
「リズが皆に緑を見せるんでしょ? だったらさ、結論から考えても、今一番、私が見たいものを見せてくれるのはリズの隣の筈だよね?」
でしょう? と、あざとく小首を傾げた姿に呆れてしまったのも仕方がない。リズは思わず宙を仰ぎ、ぐるりと目を回して溜息を溢した。
「ここから先は引き返せないぞ。街に……いや、〈工場の木〉に喧嘩売ろうっていうんだからな」
「解ってるよ。もちろん不安がない訳じゃないし、何をするのかよく解んないけど、でも、望むところだよ。もとより喧嘩売る用意をしていたものなんだもん。私はね、やれる事があるのに、先の事を想像だけして諦めてしまうよりも、やれる事を全部やって後悔したいんだ」
「……それもそうか」
唇をゆがめて苦笑していたのも束の間、リズは改まったように口元を引き締めた。
「俺は、何度投げ出したいと思ったか解らねえ。あんたの姉にはキツく返したけど、自信なんてないんだ、ホントは。でも宛もなく同じことを繰り返すよりも、たった一つ見つけた場所を俺は追いかける。俺の街を出る時に、そう決めた」
だから、と呟いてゴーグルを下ろし、至って真剣にシェヘラを見返す。
「シェヘラ。お前が来てくれるって言ってくれて嬉しかった。この街に来る時に、アルゼートから任されただけだって解っていても、同じものを求めている奴が他にもいるんだって知れた事が、何よりも。……あの色あせた場所に戻されるかもしれないって恐怖は、俺の中にいつもあった。でも、同じ景色を見てくれるかもしれないって奴が現れて……その、本当に不覚だけど、心強く思った」
「…………素直じゃないんだね、ホント」
対して、じとりと半眼されて気まずく思う。
ふっと肩を竦めたら、シェヘラも仕方がなさそうに苦笑した。それも一瞬の事で、遠くに耳を澄ませてリズの隣まで追いつくと、「それで?」 と歩き出しながら訪ねた。
「これからどうするの? 皆に緑を見せるって……ナビエルバの種でもばら蒔いてみる?」
あまり堅実的じゃないと思うけど、と軽口を叩く姿に、まさかこぼす。
「せっかくドラクロアが公言してくれたんだ、その通りに動いてやるしかないだろ?」
「……リズ。今すっごく悪い顏してるって自覚した方がいいんじゃない?」
せせら笑った様子は正に、誰が見ても悪だくみしている悪人の様にしか見えなかった。
「さ、行くぞ。出来るだけ人気のない道を教えてくれるか。どんな音が聞こえても、後ろは気にするな。街の連中の目を避けて、街の中を走ってくれればいい」
「うん? ……うん、解った」
有無を言わさない物言いにシェヘラは首を傾げつつも、言われた通りに頷いた。
耳鳴りのような、気のせいともとれる不快な音が、微かに響く。
街の騒ぎを避けるように、リズとシェヘラは人気の少ない裏道を駆け始めた。
人通りの少ない裏道は、当然のように薄暗く、赤い月の光だけが頼りだ。時折通り過ぎる、網目のような脇道はなお暗くて、二人が並んで歩ける程度に道幅も狭い。下手に脇道に飛び込んでしまうと行き止まりの可能性もあり、シェヘラの道選びは急いでいながらも慎重だ。




