〈17-2〉
「させないわ」
数回しか聞いていないその声が、今までで一番低く、きっぱりと告げる。
鍵までかけていた筈の扉が開いた事に、いの一番で気が付き驚いたヤヌスは、そこにあった姿を確認した途端、微かに眉を顰めた。
遅れて、皆が振り返ったそこには、移動船を迎えた踊り子の姿があった。二度目とあって、見間違えるはずはない。
「お姉ちゃんっ……どうしてここに……!」
シェヘラは思わず椅子を倒してしまう程勢いよく立ち上がると、リズと姉の間で慌てて首を振った。そんなシェヘラをリウミュは答えることなく一瞥した後、真っすぐに表情を消したリズを睨みつけた。不穏を感じたシェヘラが、ますます焦ったのは言うまでもない。
つかつかと詰め寄って来た姿を、同じようにリズも見返した。あからさまに敵意を向けるリウミュによって、空気が途端に張り詰めようが、彼は気にした様子すらない。
リウミュは口火を切った。
「あのね。貴方が何をして、どうなろうと貴方の自由よ」
淡々と、リズに告げる。
「でもね、貴方の勝手にシェヘラを巻き込まないで。迷惑よ」
挨拶でもなければ、事情を聴く訳でもない。確信をもって告げられた言葉は、まるで今しがたまで店内でしていた会話すべてを聞いた上での忠告の様だった。
じっと観察する視線だけを返していたリズも言い募られて、ついつい唇の端で笑ってしまった。
「別に、巻き込んでいるつもりは無いさ」
「巻き込んでるじゃない。貴方のしようとしている事は、ここで暮らす沢山の人たちの生活を脅かす行為に過ぎないわ」
それまである平穏を崩そうとする者から身を守ろうとするような言葉に、リズはひょいと首を竦めた。
「大袈裟だな。俺はただ、アルゼートと語った緑を見つけたいだけだよ」
「たったそれだけの目的の為に、今貴方が起こしている騒動の大きさを自覚するべきじゃないかしら? 貴方も父と同じなのね? 自分のエゴで、目的さえ達成出来れば周りの迷惑なんてお構いなしなんだわ」
「……迷惑と思うかどうかは千差万別だろう? 大体、〈工場の木〉に縛り付けられている事にすら気が付かずに、それが平穏だと思っている方がどうかしている。管理されている事に気が付いてもおかしくないきっかけが転がっていても、誰も動こうとしないなら、自分でやるしかないだろ」
「だから、やるなら一人で勝手にやって、それで父のように勝手に野垂れ死んで」
叱りつける調子から一転、明確な拒絶だとリズもはっきり理解した。言い合うつもりがなくとも、自然に沸いた疑問を尋ねずにはいられなかった。
「勝手は、それこそ勝手にさせてもらうさ。ただ解らないな。なんであんたが、今このタイミングでそこまで反対してくる? まるでそうしなければどうなるか、よく知っているみたいだ」
淡々と問いかけた疑問は、皮肉にも聞こえた。リウミュも同じように捉えたのだろう。カッと頬を赤くし、掴みかかる勢いでまくしたてた。
「何で? 当たり前じゃない! シェヘラは私が守るって、父が勝手に出ていったあの日、そう決めたからよ」
「アルゼートの代わりをしようって? しょうもない意地だな。あんたにもシェヘラにも、あいつが残していった、代わりに助けてくれる者や場所があるのに、なんでそこまで一人で負おうとするかね」
「あの人が残したものになんて、お世話になりたくないからに決まってるじゃない。所詮父だって、私達を利用していたに過ぎないんだから」
「それは違うよ、お姉ちゃん!」
あまりにも、聞いているだけではいられなかったシェヘラは口をはさんでいた。
「父さんは別に、私たちを利用しようなんて思ってないよ。だって、そうじゃなかったら、こうしてここで暮らす事も出来ない筈、でしょう? リズを手伝う事も、この場所を無くすかもしれない事も、私の不幸ではないよ」
「違わないわよ」
だが、再びきっぱりと跳ねのけられて、シェヘラまでも息をのんだ。睨み付けた視線は、涙を零すまいと潤んでいるが、それがいつものままならない想いからシェヘラを叱っている時のものとは様子が違う事に気が付いた。
「なんで、そのヒトの事を庇うの?」
泣きだしそうになりながら、それでも表情は真剣そのもので、シェヘラは当然、リズまでもが気圧されたように黙った。
ずっと飲み込んできたものが堰切ったのだろう。とめどなく投げかけられた言葉を、遮る者はいない。
「ねえ、シェヘラ。緑の場所がなんだっていうの? だって、シェヘラが手足をなくしたのだって、全部そのせいなのに……! 私がどれだけ今を大切にしようとしてるかも解ってくれないのに、どうしてみんなして、みんなして……! なんでみんな、幻の方ばかりを追いかけるのよ!」
悲鳴にも似た訴えに溜息をこぼしたのも、やはりリズだ。
「そんなの、『今』だけじゃ満足できないからに決まっているだろ」
リズに励まされるようにして、シェヘラも一瞬詰まった後に続く。
「あのね、お姉ちゃん。私は別に、『こうなった事』が不幸だなんて思った事ないよ。手足の事も、今も。それに、父さんが私達に本当の事を教えてくれずに去ったからって、騙したかった訳じゃないと思う。だって、そうじゃなかったら、どうでもいいって思っているんだったら、わざわざ生活の手段なんて残さない筈だよ。そうでしょう?」
「っ……」
眉を寄せて傷ついた様に目を見開いたリウミュは、やがて肩を落として目を伏せた。「そう……」 と呟いた様子は、小柄な彼女をより小さく見せてしまう。
「……解ってくれないなら、仕方ないわ」
再び顔を上げたリウミュは、悲しそうながらも決意に満ちた目でこちらを真っ直ぐに見た。
「貴方さえ来なければ、シェヘラがこんな事を言う事はなかった。……私は今を守りたいの。だから、出来ればこんな事したくなかったけれど、貴方を力づくにでもねじ伏せて〈工場の木〉に引き渡すわ」
「リウミュ!」
「止さないか、こんな……」
ロドは咎めるようにその名を呼び、ヤヌスは困った様子で宥めようとした。
「ごめんね、ヤヌスさん。お店のお掃除、あとで手伝うから。ロドさん、危ないからシェヘラを巻き込ませないで」
だが、申し訳なさそうに言われて彼らも口を閉ざしてしまう。
「く、ははっ!」
そんな彼らに、思わずだった。不意に声を上げて笑ったリズに、リウミュは怪訝な目を向けた。
「何がそんなに可笑しいっていうの?」
「さあ?」
再び引き上げたゴーグルに、リズは表情を隠す。唇の端だけが、こらえきれない笑みをこぼしていた。
「いいぜ、受けて立つ」
ゆるりと椅子から降りたリズは、皆が見守る中、リウミュと向き直る。彼を警戒したように、リウミゥは金輪を腕から引き抜き身構えた。
だが、そんな警戒もものともせずに、リズは横をすり抜ける。
「――――って言いたいとこだが、そこを退け。言われなくても出ていくさ」
リズの行動に呆気に取られたのはリウミゥも同じで、彼に戦う気がないと理解した途端に、目に見えてほっとしたようだった。その様子を、表情を消したリズが一瞥して戸を開く。
「リズ?!」
結局ここも、工場と同じだな。そう呟いた言葉は、リウミュだけが聞いていた。
だがそれも、続いて出ていった姿を追って驚愕する事になる。
「あ、おい!」
驚いきながらも、シェヘラは慌てて追いかけてた。咄嗟にシェヘラを引き留めようとしたロドの手は、空を掴んだだけだった。




