〈2-1〉
「配給の缶と水を頼む」
簡易的に設けたカウンターの向こうに端的に告げる。彼を迎えた制服姿の女性は、落ち着きのない様子で辺りに視線を走らせおずおずとこちらを伺った。
「あのっ、すみません。丁度新しいものを取りに行かせている所でして、少々お時間頂いてもよろしいですか?」
「ああ……」
申し訳なさそうにされて、声を荒げる青年でもない。これだけ沢山の人間が飲み食いしていたら致し方ないかと思い直していたら、背後で噴き出した声があった。
「そう言えば最近、移動船内でネズミが出るらしいなあ?」
卑下たようなにやにやとした笑いを浮かべていたのは、顔だけよく知る腹の出た男だ。本来であれば青年と共に技師の腕を振るうはずだったが、実際男が機関室で彼と肩を並べる事はなかった。
重荷を運ぶために集められた者の一人の同席者は、中身がこぼれるのも構わずに、握りしめていた酒瓶を荒々しくテーブルに叩きつける。
「はっはぁ! おい、リーズヘック! てめえの取り分、ネズミに食べられちまってよ! 残念だったなぁ!」
「おいおい、からかってやるな。こいつは人格者だから飢えた可哀想なやつを放っておけないのさ!」
「弱い生き物に譲ってやるなんて偉いんだなあ?」
笑い転げる声を背中に受けながら、物を切らしてしまった女性が困ってうろたえるばかりだ。
ネズミが缶を食べるのであれば、彼らこそ食料に困る事は有りえないだろう。街の外に腐るほど転がっている鉄屑でも食んでいればいいのだから。
リズが呆れて言葉にせずにいたら、それは自然に溜息となった。その溜息を、彼女は乱闘の前触れと感じたのだろう。
「あのぅ、直ぐにご用意できますから! どうか喧嘩は……!」 と、どうにか宥めようとする姿に、青年はわき目をくれた。
これしきで喧嘩になるならば、なんと安いものだろうか。苛立ちを飲み込むと、自然に口数も減る。
彼女への返答も失っていると、不意に辺りのカンテラから一斉に灯りが消えた。絡み酒に移行した男たちの声も、広場のざわめきすべても一瞬だけ断ち切れる。
直ぐ様蘇った辺りのどよめきが膨らみかけて、直ぐにこれから起こる事柄を察して静まる。たった一つだけ、広場の中央で灯った明かりに自然と視線が集まった。そこら一帯に座る男たちから上がるざわめきは、これから始まる宴を期待しているようだ。
幕は開ける。
誰も居ない、四足テーブルに灯ったカンテラに向かって、飾り紐をたなびかせた人影が跳んだ。しゃらりと涼やかな音と共に、緑青色の蛇が跳ねる。よく編み込まれたその髪は、空を自由に泳ぐようだ。
「はいはぁーい、注目!」
たんっと踵を打ち付けて軽い音を立てて降り立った少女は、まだ幼さを残す声で一人でも遠くの者に聞こえるように声を張った。
「ヘムセクルートから遙々カラカスにお越し頂き、ありがとうございまーす! みんなの心の楽園、リウミゥちゃんですよー! 楽しんでますかー?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる度に、手足に何本も通した金輪がまた涼やかな音を立てる。藤色のレースを幾重にも重ねた腰布を軽く引き、くるりと優雅に身を翻すと、後を追うようにその身に纏ったベールがふわりと舞っていた。
「今日は短い時間だけど、楽しんで行ってね! 舞い手は私リウミゥちゃんと、弾き手のエフォラがお送りしまーす!」
踊り子は半歩ほど身を躱すと、足元にてアコーディオンを抱えて控えていた男共々一礼する。不敵そうな表情が顔を上げて、会場を見渡しにっこりと笑っていた。
ほとんど明かりが届いてこない中、リズは何故か彼女と目が合ったような気がした。まるでこちらを見透かしたように笑われて、つい眉をひそめてしまう。
酔っぱらった男たちの相手も、まごつく女性の相手も、全てが面倒くさいと思っていた内心を知って笑われたような気がした。
何とも面白くない。あまりにも楽しそうに笑って足を踏み鳴らす姿が、余計に煩わしかった。
「あ、ちょっと……!」
背後から引き留めようとする彼女の声は聞き流した。彼と同じように配給を待っていたらしい、並んでいた背丈の低い姿を躱して、広場を出てしまおうとさっさと歩きだす。