〈11-1〉
「だから、ねえ、リーズヘック。僕に協力してくれるよね」
柔らかく尋ねられても、リズには答える事が出来なかった。
今の話はどこまでが本当なのか。街の事、月の事に緑の事。次から次へと疑問は浮かび、そして思考をかき乱すようにして混ざりゆく。
だが混ざる思考の断片は一つ一つが、水に垂らした複数の色の油絵具のように、決して溶け合う事はしなかった。まだら模様を描いて、目の前の視界を塗りつぶそうとしてくる。
仮にクロアが口にした言葉が全て真実なのだとすれば、今まで自分が『ある』と信じていたものは何だったのだろうか。存在すると確信を得た筈だったものは、自分だけの力ではどうしようもなく手に入らないものなのか。
ここまで来るのにずっと支えていたものの根幹が揺るがされたような気がして、何も言葉が出てこなかった。
思考が止まる。いきなり知らない場所に放り出されてしまったような途方もない感覚に、絡めとられて動けなくなりそうだった。
にわかに過った自分の考えまでもが信じられなくて、頭を振る。クロアの言葉を認める事は、自分や友人の信じて語った過去までも否定する様なものだった。故に。
「お断りだ。お前の言う事は信じられない」
きっぱりと拒絶を口にした途端、その場の空気は冷ややかなものに変わった。
梃子でも認めようとしない姿に、気の長い筈のクロアも業を煮やしていたのだろう。呆れ調子で深く溜息をついて、斜に構えた。
「まーったく、君は最初っから裏切られているっていうのに、よくもまあそこまで、君の心の友達の事を信じてあげられるね?」
いい加減にしてよね、と、聞かずとも声色が告げてくる。だが、聞き捨てならないのはリズとて同じだった。
「何だと?」
「だって、君が僕のところに大人しくのこのこやって来たのは、裏切り者のアルゼートが育てていた植物を見たからじゃないのかい?」
「なっ……! どういう意味だよ!」
売り言葉に買い言葉。カッとしたリズを眺めてかえって冷静になったらしいクロアは、「ああ、そうか」 と肩を竦めた。
「ここの街では割と浸透していたから忘れていたよ」
そうだったそうだった、と。何度も繰り返し呟いて顎に手を添える姿は、何かを思いついたのだろう。ニコッとまた、人好きする笑みを浮かべるが、笑いかけられたリズは当然、悪い予感しかない。
「良い事教えてあげるよ、リーズヘック。あいつが育てていた葉はさ、遺跡の採掘所ではわりとありふれた娯楽として売り歩かれているけど、その効果を知っているかい?」
尋ねられても、リズには知る筈がない。
沈黙しようが知った事ではないクロアは、お構いなしに続ける。
「あれはね、余計な思考を削ぎ落すものなんだよ。採掘に励めば心地よい紫煙を楽しめて、楽しむために稼ぎのいい採掘にまた励むってね。結局君が信じていた友達も、僕らの側に立つ人間なのさ」
予感は事実として突きつけられる。
「嘘だ」
呟いた言葉は弱々しく、クロアは笑みを深くした。
「嘘なものか。だってその為にだけに、僕が彼に、ナビエルバの種を与えたんだから。まさかその責務を放り出して、あいつが姿を眩ますとは思ってもみなかったけれどね。大切な娘を人質に取られたからってさ、何をするのかと思ったら、責務をもう一人の娘に残して、自分は逃げ出すなんて、とんでもない奴だよね」
「嘘だ! だって、あいつはそんな……」
「そんな奴じゃないって? 実際を良く見てみなよ。裏切り者はどこかに勝手に消えて、娘がせっせとそいつの跡を継いでいる。これでどうして、君が旧友に裏切られていないって言えるのだろう?」
違うかい?
問いかけられても、彼には答えが見いだせなかった。信じて追いかけていた筈のものが、急激に遠退いて行ってしまう恐ろしさに、また首を振る。気を抜いてしまうと、足元から崩れてしまいそうな気がした。
「大丈夫」
宥めるように、クロアは言った。
「言っただろう? 君が欲しいものは僕が用意してあげる、って」
じわりと広がる甘い毒の様に、一歩二歩と距離を詰めて来た笑顔が、怯えた子供を宥めるように囁きかける。
「緑の場所、だったっけ? そんなの簡単な事さ。ジアーズを出ればいい。その先の生活も保障しよう。一時、君の力を僕に貸してくれるならばね」
それで君は欲しいものが手に入るんだ。
一つも悪い話じゃないだろう?
すぐそばで笑った顔は、リズにとって、酷く現実味の無いものだった。
ただ単純に、思考回路がこれ以上考える事を放棄してしまっているだけなのかもしれない。突きつけられたいくつもの言葉が、まるで煙か何かのように、自分の中を味気なく通り過ぎていった気がしてならない。
そしてその中で不意に思い浮かぶのは、嬉しそうに語っていた少女の横顔だ。血は繋がっていなくとも父親を越えたいと、掴めなかったものを自分の手で作り出したいと、喜々として語っていた表情が目に浮かぶ。
「ッ――――――!」
それを思い出した途端に吐き気がこみ上げ、まともに立っていられそうになかった。
「これでもまだ、僕の提案が受け入れられないのかな? ね、リーズヘック」
「……来るな」
よろりと一歩身を引くと、クロアは不思議そうに首を傾げた。
「やっぱり君は、僕の言う事がみーんな嘘だって思ってる? 君にとって、よっぽどあの裏切り者は大きな存在なんだねえ」
どこまでも厄介な事をしてくれる、とぼやいた姿は、初めて憎々し気に眉を顰めて遠くを睨んでいた。
何があったのかなんてものは、聞くまでもない。自分や友人が掲げたものを徹底して壊そうとしてくる姿に、恐れすら感じた。




