〈7-1〉
店主の後ろからこちらを伺ったのは、艶やかな黒髪と褐色肌に合せたかのような、黒衣に身を包む女性だった。
月を思わせるような赤い瞳が、リズと目が合った途端に微かに細められる。その様子はまるで、獲物を見つけた獣のようだ。空気が途端に張り詰めた。
二人の間も露知らず、一仕事を終えた店主は黒衣の彼女を振り返った。
「連れのお嬢さんも一緒にご飯はいかがかな。と言っても、配給品に手をちょっと加えた程度の簡易なものだがね」
「お気遣い頂き有難うございます。ですが、申し訳ありません。すぐに出なくてはいけませんので、私は遠慮いたします。ああ、彼の分は包んで頂いてもよろしいでしょうか」
涼やかな声は丁寧な言葉を選んでいながらも、抑揚がないせいでいっそ淡々として聞こえる。
「そうか、残念だけど仕方ないね」
「お手数おかけします」
流れるような動作でされた一礼に店主は驚きながら、下に戻ろうとしてふと足を止める。「ああシェヘラ、冷めないうちに降りてきなさいね」
「あっ、うん。ありがとう」
シェヘラはまさか、自分が呼ばれると思っていなかったのだろう。シェヘラは肩を跳ねさせると、慌てて頷き店主の背中を見送った。
不貞腐れていた気持ちも、今はそれどころではない。
「さて……」 完全にその扉が閉められるのを待って、黒衣の女は口を開いた。
「私がここにいる意味を、解っていますね? スタインフェルド」
静かな声がどこか責めた様子で告げる。
リズは不快にぴくりと片眉を跳ね上げただけで、それ以外の反応を押し殺した。幸いなことに、つけたままのゴーグルのお蔭で、表情の変化は気が付かれていない。
「さあ? 俺は、あんたがどこの誰なのかすら知らないからな。何の話をしているのか解らないな」
「私の事は知って頂く必要もありません。ですがクロア様のご命令により、貴方には戻って来て頂きます」
「却下」 惚ける事を諦めてにべもなく告げ、リズは腕を組んだ。「約束は、守ってもらわないとな? それともお前の主人は約束の一つも守れないような無能か? お前らのところで果たすべき俺の仕事はもう、ここに着いた時点で終わっている。そこを退け」
「貴方がこちらに従うと言うのであれば喜んで。貴方が主人と何を約束したかなんて知りません。ですが、こちらに帰還せよと指示が出ている以上、貴方が成していないものがあるのでしょう?」
それとも、と。言葉を切った女は、わざとらしくちらりと隣に立つ姿に目を向けた。
「階下にある、逃走者の遺産を失えば気が済みますか? あるいはこの場所を公に暴きましょうか」
「っ……!」
その一言に身を固くしたのは他でもないシェヘラだ。ただの脅し文句だと解っていても、冷静を装いきれない。公に晒されるという事は、必然的にシェヘラの手からこの場所にあるものは取り上げられる事になる。
リズは強張った表情に一瞥をくれ、ぐるりと目を回して肩を竦めた。
「俺が行けば文句もないんだろ。余計な事してみろ。大好きなご主人の側に、この先いられなくしてやる」
低く告げられた言葉に、相手も簡単には乗ってこない。
「脅しなど私には無意味です」
「それは――――」 想定していた通りの答えに、リズも動いた。「どうだろうな?」
「くっ!」
リズが素早く腕を振った途端に、ぱしゅんと何かが打ち出されたようなくぐもった音が微かに聞こえた。何かが月光を受けて赤く輝く線を引き、女の耳に空を切る音を聞かせた。
それは壁に弾かれて、かつっと小さな音を立てて床に落ちた。鋲に見間違うような小さな金属片は、彼が袖の中に仕込んだ絡繰りによって打ち出されたのだと誰もが気が付く。
「あんたに大人しく従う。余計な事はしないでもらおうか」
どちらに主導があったのか、解ったものではない。
「……ええ。初めからそうしてください」
恨めしそうな眼差しを向けられながらも、リズは最早知った様子もなくそっぽを向いた。思い通りに行かなかった事が、彼女の中で悔しかったのだろうと容易に解る。
「私は下で待っています。早く来てください」
踵を返した背中は、一刻も早くこの場を離れたいと言わんばかりだ。重たい扉を乱雑にあけ、踵を叩きつけるように降りていく。




