〈5-1〉
前を行く背中に追いつくと、まだ背後から聞こえて来る賑やかさにリズは振り返った。薄暗い通路とは対照的な明るい店で、先の髭の男は随分と一人で盛り上がっている様だ。
「あの人達大丈夫なのか? こんな他人を何の警戒もなしに奥に招いて」
詳しく聞かれなかった事に疑問を感じ、リズは聞かずにはいられなかった。薄暗い廊下をまっすぐに行くシェヘラは苦笑する。
「まあね。だって、元々父さんがここを貸していたからね。二人が警戒するときは、私が二人に助けて欲しいってサインを出した時くらいだよ」
「ああ、そうかい」
助けを求めるとは、自分が彼女に何かするとでも思ったのか。そんな苦い感情に眉を顰めても、シェヘラは気が付いた様子はない。たださっさと目的地に連れていこうと、いくつかの扉の前を通り抜けていった。
「そしてここが――――」
やがて突き当りの扉に手をかけ、シェヘラは押し開いた。
「父さんの部屋だよ」
「……アルゼートの」
招かれたのは、表の酒場よりも薄暗い部屋だった。部屋の真ん中にたった一つ置かれた大きなデスクの上で、裸電球がぼんやりと部屋を照らしている。妙に湿った匂いがして、嗅いだ事の無いその湿った匂いに戸惑う。
言い知れぬ緊張を感じて、リズはごくりと生唾を飲み下していた。恐る恐る、シェヘラに続いて中に踏み入っていく。
目立つ家具は、部屋の真ん中にたった一つ書類に埋もれたデスクくらいだ。あとは壁際のいくつかのラックくらいしかない。この部屋が狭く感じてしまうのは、そこらかしこに積み上げられた紙の山が、見通しを悪くしているせいだ。
ぐるりと見回して、ふと目に留まる。壁に張られた大きな地図に、手書きで書きこまれた目印は、この部屋の主が訪れた場所の足跡だろうか。
地図にはカラカスの街だけでなく、縦穴の開けられた遺跡の端から、周辺の鉄屑砂丘まで記されている。そして、これでもかと言うほどピンが刺され、邪魔にならないように地図の周りを同じ色のピンでメモが縫い止められていた。あまりにも異様な光景に見えて、言葉を失ってしまった。
そしてもう一つ、見慣れないものの存在に気が付く。
「これは……」
一体どこから持ち込んだというのだろうか。部屋の隅には、肥え溜めのような何かが山と積まれていた。それがこの地ではあまり見られない土なのだと、リズは一瞬気が付かなかった。先程の湿った匂いの元はこれかと納得する。
ジアーズでは、どこもかしこも鉄や人工物に溢れている。それが当たり前だ。
遺跡では稀に、来た滅多に見かける事の出来ない土が、地下から運ばれて来るくらいだろうか。それも大概が、〈工場の木〉に貴重な資源として回収されてしまう。
そんな土が当たり前のように打ち捨てられていたら、驚きも一入だ。
部屋の主が手抜きなのか、それとも長い事居ないせいなのか。部屋の隅や触れられる機会の少ない棚だけでなく、積み上げられた書類の上にまで、砂と埃が溜まっていた。そのせいだろう、書類の山の隣に立っただけで、くしゃみが止まらなくなってしまいそうだ。
目を白黒させて辺りをせわしなく伺うリズが状況を理解するまで、シェヘラはその横顔を眺めていた。
壁際のラックには、樹脂に塗り固められた植物標本が乱雑に並んでいる。中身が本物の植物なのかどうかは、リズには解らなかった。
街の中にある高級バルでは、樹脂に塗り込められた『植物』を持つことは、一つのステータスと言ってもいい。『かつての植物を閉じ込めたもの』を持つことで、バルそのものの価値を高めているのだ。
バルで飾られている植物は、どれもしっかりとガラスの覆いがされていて、軽々しく手を触れていいものではなかった。そんな貴重とも言える代物が、いくつも無造作に並んでいれば、この場所がどれほど異質なのかが解る。
有りえない場所に招き入れられてしまったような気がして、そう思った途端にリズはぞっとして腕をさすった。本当に彼女が預かっている旧友の情報を、受け取っていいものかと今更迷う。




