〈1-1〉
車輪を包む無限軌道の下で、ざりざり、ざりざりと鉄屑が踏み締められる。
打ち捨てられた鉄屑が積もるこの地に、人が自由に街から街へ行き来出来ないのは昨日今日に始まった事ではない。遠い昔に赤い月がジアーズの大地を照らしだした頃から、一帯は鋼と立ち込める霧に覆い埋め尽くされているのだ。故に、今となっては〈工場の木〉に物資を運ぶ移動船だけが、唯一街と街を繋ぐ移動手段である。
否、歩けない事はない。ただ不安定に積み重なった、鋭利な刃物のような鉄屑の上を歩いて行く事が、至極困難なだけだ。
巨大な移動船の進む鉄屑砂丘の遥か眼下には、鉄の大地にて雲を貫く、大木の存在が見えてきた。その向こうからは、昇りっぱなしの赤い月の光が、雲の向こうから朧に街を照らしている。
その場所は、とある工場が群れを成して形作る生産の中心地だ。天を支える柱にも見間違う〈工場の木〉と呼ばれる建造物は、その全貌を見る事は叶わない。
〈工場の木〉の足元にはカラカスの街が広がり、まるで大木が枝葉を広げた影のようにも見えた。そのため、林冠が存在していなくとも、街のシルエットが大木のように見えるのだろう。
街には様々な用途のパイプが縦横無尽に走っているが、街の中を手入れする者なんて居る訳がなく、人の目が行き届いていないせいで劣化が進んでしまっている。その為だろう。一帯では溶接の甘いところから、常に蒸気が漏れ出て景色を霞ませている。
耳を澄ませば、鉄板を打ち抜く音や機械的に何かを叩きつける音が、今にもここまで聞こえて来そうだ。
整備していた移動船の蒸気機関の向こう側に視線を投げて、見えた景色に青年はほっと胸を撫で下ろした。
「やっと……お前が居た街に来たよ」
より遠くを見ようとして、藍鉄色の髪が乱れるのも構わずに、リーズヘック・スタインフェルドは顔の上半分を覆うゴーグルを押し上げた。
期待と高揚のせいだろうか。寒さとは別に身体の芯から震えが来た。無意識に、胸のポケットに入れた手帳の存在を確かめる。
蒸気機関から吐き出された、焦げた煙の臭いが流れてくる。妙に熱を持ったそれが目に染みた。
蒸気を含んだ空気はむっとするほどの湿気と、まとわりつくような生暖かさがある。だというのに、足元を吹き抜ける風は、今まで一度も熱を持ったことがないかのように鋭利で冷たい。
街は一帯から立ち込める煙のベールを纏っている。沈むことのない赤い月に照らされた巨木のような姿は、彼の目には挑むようにも見えてしまった。
逸る気持ちに痛みを感じ、気がつくと、誤魔化すように胸元をきつく握りしめた。錆鼠色に薄汚れた、防寒用のマントのすそが翻る。
「アルゼート。お前が言っていた場所の手掛かりは、ここにあるのか?」
刻一刻と大きくなっていく街の全貌を、少しでも長く目に焼き付けようと目を凝らす。記憶の彼方に問いかけると、瞼の裏に懐かしい顔を見た気がした。
『――――は、必ずある。根拠? あ? 何だよ、リズ。オレが信じられねえってか?』
まるで目の前にその姿があって、自分の問いかけに答えたようだと錯覚した。自然と口元も緩む。
「あれだけ得意気に話していたんだ。導いてくれよ――――――緑の元に」
祈るように、願うように、リズは朧月を見仰ぐ。囁きは、鉄屑を踏みにじる音にかき消された。
移動船の内部より、到着を間際に慌てたざわめきがここまで届く。彼のほかに誰もいないはずの機関部では、のんびりとした小さな足音が聞こえた気がした。