表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小姓で勘弁してください連載版・続編  作者: わんわんこ
第三章 学園大会編(16歳末)
40/133

閑話 チコ観察日記・後編

 昏倒から目を覚ましたエルがなんだか大騒ぎして逃げ出ていった次の次の日のこと。


 前回失敗しちゃった反省を生かしたボクは、今度こそグレンサマの生態を観察しようと、部屋の窓枠外から中を覗くことにした。

 これなら静かにしてればバレないし、すぐ逃げられるでしょ?

 大体、あの歩く騒音みたいな翼竜の赤ん坊やなーんにも考えてないリス兄妹がいて偵察が成功するわけないもんね。ボクの鼻なら危険だって分かったらすぐに逃げられるんだから、あえて邪魔ものを連れて来る必要はなかったんだって後から気づいた。



 そんなわけで、ボクが一人で部屋の中をのぞき込むと、ちょうどエルもグレンサマもいなくて、グレンサマの机だけ見えた。ボク、知ってる。あれ、執務机って言うんだ。おっきくて四角い机はいい匂いの硬めの木が使われているからつい齧りたくなっちゃうのをいつもぐっと堪えてる。


 グレンサマはどこだろう?


 鼻を澄ませると、執務室の隣、グレンサマがエルを訓練してる部屋(エルは苛められ部屋って呼んでる)から、グレンサマの汗の匂いと呼吸音がする。

ここかな?と覗きこんだら、予想通り、硬い木でできた長い武器を振って汗を流すグレンサマが見えた。

 これじゃあきっと、ボクじゃなくても、鼻がいい獣なら場所が分かるだろうなってくらい、上半身にすごい汗をかいてる。



 ボクが見ていると、部屋のドアが開いて、真っ黒い服の、年取ったオスのニンゲンがやってきた。

たまにグレンサマの部屋に出入りして、エルがいないときにグレンサマの服を用意したり部屋を掃除したりしているニンゲンだ。エルともう一人の偉そうなニンゲン(エルがデンカって言ってた)の次によくグレンサマの部屋に入るから、ボクもなんとなく匂いを覚えたけど、あまり口を開かないから、エル周りのニンゲン関係を把握できているこのボクですらよく分かってない。


 そのニンゲンがグレンサマに白い紙を渡すと、グレンサマが武器を置いて無言でそれを開いた。暫くそれを見ていたグレンサマは徐にボクの方に歩いてくる。


 も、もしかして、ボクのことばれちゃったのかな?


 窓枠から離れて窓の下のところに急いで隠れてしばらくしても、上から恐ろしい手が伸びてボクの首を捻ってこないから、ボクのことに気付いたわけじゃないみたいだ。とはいっても、このニンゲン(グレンサマ)の場合まだ安心はできないから隠れたままでいると、窓の近くで乱れた呼吸音がした。

 喉を痛めそうな咳の合間に辛うじて空呼吸を繰り返す空気の掠れる音が聞こえて、それからときどき風に微かな血の匂いがボクのこの鼻に届いてくる。

 この血の匂い、嗅ぎ覚えがある。グレンサマの血の匂いだ。


「グレン様。お休みになられてはいかがでしょう」

「病気じゃないんだから寝てて治るもんでもないってことくらい、お前だって知ってるんじゃなかった?」

「ですがご無理をされては後程たたられましょう。動けなくなられますよ」

「……後程、ね。たたるほど『後』はないと思うよ」

「そのようなことを。なんでしたら、アッシュリートン様をお呼びいたしましょうか」

「呼ぶな!」


 茶化すようなグレンサマの声が一変、鋭い恫喝の声に変わって、ボクの背中がぞわっと総毛だった。

 しーんと静まりかえった部屋から、荒い呼吸のままのグレンサマの恐ろしい声音と、もう一人のニンゲンの淡々とした低く小さな声が聞こえてくる。


「エルには、何も言うな」

「お言葉を返すようですが、アッシュリートン様に隠し通されるのは厳しいかと存じます」

「妙に鋭いあいつやフレディにばれないくらいの対処薬を僕が作ってないとでも?」

「それは一時凌ぎに過ぎません」

「だから?一時凌ぎだなんて、最初から分かってたことだ。今と何も変わらない――ただ、母上の命を食いつぶした後、頼るべきものが変わるだけ。その時(・・・)まで誤魔化せるくらいにはもつし、もたせる」


 あのニンゲンってこんな声してたんだ。こんなに長く話してるの、ボク、初めて聞いたなぁ。

 淡々としてる声のわりに、知らないニンゲンの汗の匂いが濃い。なんで?ニンゲンの汗って、興奮、怒り、緊張、恐れ、色々なときに出るから、よく分かんない。


「お嬢様が亡くなられた後、あなた様にかかる負担は今の比ではないとお嬢様より伺っております。今のうちにアッシュリートン様に事情を説明する方が賢明かと」

平民の(・・・)お前が侯爵家の(・・・)僕に物申すなんて、いつからそんなに思いあがったの?」

「僭越ながら、私は、筆頭世話係としてではなく――――として申し上げているつもりです」



 会話の途中で、きぃんと、金属が何かにぶつかる音がして、ボクの長い毛が無意識のうちに更に縮こまる。あぁ、直毛が自慢なのにぃ!それに大事なところが聞こえなかった!


「『グレン・アルコット』は、『アルコットの美貌を色濃く継ぐ、アルコット家伝統の魔術の才に特に秀でた、アルコット家唯一の実子(・・)』でしょ?それとも、『アルコット家侯爵令嬢が、下級の男爵家のドラ息子にたぶらかされて出来た、身の程知らずの半血の養子』の方がよかったかな?」

「――それはいずれも真実ではございません」

そういう設定(・・・・・・)の下にお前が生かされていることを覚えておかないと、誰かのように(・・・・・)文字通り首が飛ぶよ。僕の、クソ忌々しい、敬愛すべきお祖父様によってね」


 グレンサマは冷血なニンゲンだってエルが散々言ってるけど、今日こそそうだなって思ったことはないよ。ところどころ強調された言葉が、エルの毛布にくるまりたくなっちゃうくらい冷たいんだ。


「僕は母上の命でお前をここに置いてるだけってことを忘れるな。僕個人は、母上がお前にとって最も大事な二人の命を奪ったことに同情するつもりもなければ、お前と僕の繋がりを思い出すつもりもない。だから、お前も、僕に想い入れる必要なんてないんだ」


 聞いてるだけで身が凍えそうなほど冷たいグレンサマの声は、最後の方だけボクほどの耳がないと聞き取れないほどわずかに喉に引っかかって擦れてた。



####



 「分かったらさっさと退出しろ。僕が呼ぶまで来るな」という声が聞こえて、部屋からニンゲンが出ていく足音がした。

 ボクも長居は無用だ、と、こそっと移動しかけたときに、ちょうど窓を開けたらしい、グレンサマの声が聞こえた。


「世の中そんなに甘くないってことかな。僕の思う通りに運ばないことが多すぎる。あのくたばりぞこないのじじいのことも、忌々しいやつらも、母上のことも、僕の体も、それから掌握できそうで案外手に余る不遜なペットも」


空咳混じりの声の近さが二重の意味で怖くて窓枠の下の奥あたりでぶるぶる縮こまっていたんだけど、どうやらエルの話っぽい。

 気になって耳をピンと立ててちょっとだけ前に進んだ時、尻尾が急に引っ張られて、ボクはお日様の下に照らされた。うわ、お日様がまぶしい!


「そいつの、躾のなってないトモダチとやらもね」

「きゅうう!」


 地上三階の高さで宙ぶらりんって、怖いよぉぉぉ!


「さっきの話、聞いてたんでしょ、ネズミ」


 返事なんかできないよう!足がぁ、浮いてるぅ!ボクは羽がある生き物じゃないから足がつかないって苦手なんだぁ!


「しらばっくれるようならきっとショックで僕の手がつるりと滑っちゃうんじゃないかなぁ」

「きゅきゅきゅきゅっ!」


 肯定するために足をばたつかせると、自慢の尻尾を無造作に掴んだグレンサマの目の高さまでそのまま持ち上げられた。


「いかに危機意識の薄い獣でも、さっきあったことも話したことも、どれについても他言無用だって分かるよね?」

『ボク、獣じゃないしー。それに、ニンゲンと話せないから他言とか言われても困るんだもーん』

「おぉっと、手の力が抜けそうだなぁ」

「きゅいきゅいっ!!」


 他の種族の表情なんて細かく分からないのが普通なのに、観察に長けたボクだとすっかり分かっちゃうんだ、このニンゲンが今楽しくて仕方ないって顔をしてるってことに。


「ついでにお前に仕事を与えておく」


 ボクを宙づりにするグレンサマが、その言葉と同時に内心を表したすっごく嫌な笑顔を消した。


「今度僕の実家にあいつを連れて行く時に、エルのドレスの内側につけてあるポケットに忍び込んでおけ」


 む。ボクはグレンサマの命令なんか受ける立場にない。魔獣があの翼竜の幼獣みたいに簡単に動くと思ったら大間違いだ。


「毒の有無や周りの殺気については、あいつよりよっぽどお前の野生の勘の方が信用できるから言っておいてやったまでで、実際にやるかどうかはお前の自由だ。僕の目が届きにくいあそこで、素っ裸も同然になるあいつの鎧になるかは自分で決めるといいよ」


 「ジッカ」ってとこはそんなに危険な場所なのかな。なら行かないわけにはいかないんだよね。だってエルはボクの友達だから。

 それにしても、なんでこのニンゲン、ボクの考えが読めるのかなぁ。



「失礼いたします、グレ――あああ!何してるんです!」


 宙ぶらりんで逆さまのまま、グレンサマの顔を見て考え込んでいたボクの耳に部屋のノックの音が聞こえて、かちゃりと開いたドアからボクの大好きな友達の灰色の頭が見えた。

 と、同時にエルが叫んでこっちに駆けよってきた。


「えー。僕の防寒用の襟巻にならないかっていう説得中?」

「説得じゃなくて脅迫ですよそれ!チコを放してください!」

「いい条件の取引機会を奪うなんて酷い友人もいたもんだね」

「毛皮を剥がされる取引にいい条件もなにもあるもんですか」


 眉を怒らせて、ボクの尻尾を掴んだ腕をぐいぐい引っ張るエルとじゃれているグレンサマはほんとに楽しそう。グレンサマってエルを苛めているときに一番目がキラキラしてるもん。エルだったら「キラキラじゃなくて爛々だよ」って言いそうだけどね。

 あ、そんなに振り回されたら頭に血が上ってくらくらするー。尻尾ちぎれちゃうようー。


「あぁ!チコが目を回しちゃってるじゃないですか!」

「獣って目、回らないんじゃないの?」

「例えですよ。ふらふらしてるってことです。ほら、こんなに毛が力なく垂れ下がってる!チコ、僕が来たからにはもう大丈夫。この冷血漢から救ってあげるからね」

「僕の部屋に忍び込もうと思った罰だと思えば軽いほうでしょ」

「そんな、豆粒ほどの心の度量をわざわざお示しにならなくても――っていだだだ!僕の髪も襟巻にするおつもりですか!」

「いらないよ、そんなへにょへにょで何にもならないアホ毛なんて。それより、お前はなんでここに来たの?」

「ナタリア――じゃない、ハットレル嬢からグレン様宛にお届けものがございまして参りました」

「あぁ、あれか。ナタリア嬢はお前と違って仕事が早い」

 

 エルから小包を受け取る代わりに放り投げられたボクをエルが捕まえてくれた。

 あぁ、毛はぼさぼさになったし、目は回ったし、散々だ……。観察って、命懸けだなぁ……。


「ナタリア――嬢とグレン様ってそんなに交流ありましたっけ?お仕事って何か頼まれていたんですか?」

「うん。お前の女装を成功させるために必要不可欠なものを作ってもらってたんだ」

「女装は不本意ですが、これでも生物学上は女です。成功もなにも、ドレスを着れば辛うじて女性くらいには見えますよ」

「僕の婚約者が『辛うじて女性レベル』で足りるとでも?」

「では選手交代とか考えませんか?」

「選手っていい表現だね。争うって意味なら間違ってないから」

「大変不本意な出場ですが」

「こないだ試着姿をフレディに噴出された実績を持つお前をどうやって高度な戦いのレベルまで引き上げるか……僕の苦悩も分かってほしいな」

「失礼ながらあれは殿下に一方的非があるかと。それに、だからこそ選び直しましょう――って、これ、なんです!?」

「胸を大きく見せるためのパッドが入ったシュミーズ(肌着)

「な、な、なに頼んでくれてるんですか!セクハラですよ!」

「残念。僕のなかではこれは思いやりだよ。『より本物らしく見せるために感触と大きさと形に試行錯誤を重ねた、絶壁エル専用の究極の一品です。どうぞお納めください』だってさ」

「本物らしくも何もなく僕は女ですよ、ナタリア様ぁ……!」

「じゃあ早速究極の一品の程を確かめてみるか。服を脱げ」

「それはどんな見解を採ったとしてもセクハラです」

「女物のドレスを着たらまともな女に見えるようになってからなら、配慮してやるかほんの1ミリほど検討してやる」

「検討する気ゼロじゃないですか。本気で近づかないでください。確かめるくらい自分でやれますから!」

「遠慮はいらないよ?」

「遠慮なのか本気で嫌がっているのか悟れない男はモテませんよ?」

「だから努力してるんでしょ、これ以上呼び寄せないように」

「嫌がってるってご存知じゃないですか、って、ちょ。だから……近づくな――っ!」



 ボクを腕に抱えたエルが猛スピードで走りだした感じがする。


 あったかくて、柔らかくて、ほっとするエルの腕と魔力に包まれたままこの振動を感じると、なんだかとても安心するんだ。いつものエルとグレンサマだなぁって。

 ほっとしたら、なんだかボク、眠くなっちゃった。


 ボク、頑張ったよね?というわけで、おやすみなさい。



おしまい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ