9 小姓のフラグはこうして回収されるのです
翌朝、僕はいつも通りグレン様の目覚ましにお部屋に向かった。
「はいはいご主人様、朝ですよ。起きてください」
「んー……眠い」
今日はいつも以上に寝起きが悪い。冷水で火を相殺させた後なのに僕に頭をもたれさせて二度寝してくる。
その寝顔のなんとも愛らしいこと!寝顔だけは本っ当に可愛いんだから嫌になる。
朝の目覚まし手順第四ステップまでいつも通りにこなした時点では切り替えができていたのに、昨日の妙なもやもやが戻って来そうだ!ダメだダメだ!
「起きろって何度言ったら分かるんですか馬鹿主!頭思いっきり叩きますよ!脳細胞を殺しますよ!人類の損失なんでしょう!?」
「寝かせておいてやってくれ。グレンが寝たのはつい一刻分ほど前だ」
「え、本当に僕のお仕置きが楽しみ過ぎて寝られなかったんじゃないですよね?」
「何の話だ?」
「で、殿下!?」
声に驚いて振り返ると、苦笑気味の殿下が立っておられた。半年前からまた伸ばされている黄金の髪は一つに軽くくくられ、寝癖一つついていない。
こちらはなんとまぁ朝早くから規則正しい生活をしておられることで。
「お早いお目覚めですね」
「徹夜だったからな」
全く規則正しい生活をしてなかった!
「さらっととんでもないこと仰いましたね。イアン様が怒られるのではないですか?」
殿下の体調管理について一番口うるさいのは、お目付け役苦労人騎士のイアン様だ。本来その仕事が割り振られるべき役職はグレン様だろうけど、この人はそういうことに頓着しないもんな。
本人自身の体調管理ですら僕任せなんだから。
「今はイアンも大会前の後輩指導に余念がないからな、目をかいくぐった。……まぁそろそろ朝稽古中から戻って来て寝ろと迫ってくる頃合いだろうな」
「お体ご自愛くださいませ。イアン様が苦労ハゲになどなったら目もあてられません」
「お前もえげつない想像をするな……私はメグとの結婚が近いことが支えになって活力が有り余っているくらいだから心配ない」
あ、そうですか。朝からのろけご馳走様です。
まぁ姉様の方も、大分王城生活に慣れて、今は殿下との婚姻を楽しみにする余裕も出ているらしいことは本人とナタリアの手紙から知ってるし、微笑ましいことではあるんだけどね。
「徹夜なさった理由は、ご政務がお忙しかったからですか?」
「あぁ。ちょうど昨日の報告に来たグレンに手伝ってもらって溜まっていたものを終わらせていたのだ」
「王族の方が睡眠をとれないほど忙しいだなんて……」
「信用できてなおかつ使える人材が学園にいないのが問題なのだ。城に行けばなんとかなるがな。そう言う意味でグレンには無理をさせていると反省している」
殿下は苦笑されながら、依然としてベッドに座って僕のお腹のあたりにもたれているトパーズ色の髪の主をご覧になる。
「あのー僕も一応、グレン様の小姓ですのでお手伝いなら――」
「エルー。お前、フレディの話を聞いてた?『使えるやつ』じゃないと意味がない」
「おはようございます。起きてらっしゃったんですか?」
「会話を理解できる程度には」
すぐ真下から声が聞こえたので、ぐいとその体を押し返してからレモン水を渡す。朝の水分摂取は大事なんです。
「僕だってお役に立てることはきっとありますよ!貴族関係図全部頭にたたき入れた最近ではグレン様宛のお手紙の整理だってするくらいになったわけですし――」
「会計監査、法案の不備確認や各種許可申請への署名とチェック、それから進めている案件の様々な調査報告書の確認。それから、こちらに不利になる貴族たちに不満を出させずに弱小化させる予算配分案や政策管理。こういう仕事にも使えると?いつの間にか随分と自信をつけたもんだね」
「……か、簡単な書類整理とか、あとお夜食運んだりとか、室温調整とか、そういう雑務なら――」
「そういうのはフレディについてる使用人がやってる」
反論できなくなったので、無言でグレン様の裸の肩にシャツをかける。このあたりは既に自動作業になりつつあるから羞恥も何もない。
二年間口が酸っぱくなるほど言い続けて、ようやく就寝時に下着だけは身に着けてくれるようになったから、僕の意見もすこーしは取り入れてくれているのだろうけど、こうもいらないもの扱いしなくていいじゃないか。
半眼のままだるそうにしているグレン様に向けて、ぶすっと頬を膨らませていじけていると、殿下がやれやれと言うような顔で僕の頭を撫でてくださった。
「メグの時といい、翼竜のことといい、大いに役に立っているからいじけるな。それにな、エル。グレンが今のように完全に相手を封じ込める時は大抵、真意を隠したいときだ。今回だって怪我をしていたお前に無理させられなかったと素直に言えばいいものを――」
「フレディ、余計な口たたくなら例えあんたでも次の訓練で容赦しないよ?」
「手加減されるよりはいいだろう。ここのところのお前の手の抜き方には目に余るものがあったからな」
そうかなぁ?僕は魔封じの道具を壊すような前代未聞の相手に本気を出されたくないけどなぁ。
グレン様は剣呑な目で自分の主を睨みつけた後、くすりと笑って僕に目を移した。
「エル。お前は、僕がお前に甘いとか思いあがってないよね?」
「全く。お気遣いいただけるのは本当に稀にグレン様の気が向かれた時だけです。昨日だってよくよく思い出せば僕が懇願するギリギリまでお助けくださいませんでしたし」
そうなのだ。あの時僕の肋骨はミシミシと悲鳴を上げていたし、意識だって薄れていたわけだから、僕は相当危なかったのだ。それなのにグレン様と来たら『僕へのお願い事は高くつく』とか言って……あれ?
「うんうん。その時にお前はなんて言った?」
「……記憶にございません」
その瞬間、にこにこ笑顔のご主人様に頭をがっしりとわし掴みにされた。
「そうかそうかー僕の小姓はご主人様に嘘までつくようになっちゃったんだね。『嘘ついたら針千本のーます』って小さい子供でも言うからさ、今回はそれをやってみようか。針なら直ぐに手に入るし――」
「記憶の底を掻きまわしたらようやく思い出せました!確かグレン様へのお願い事の対価は高かろうが安かろうがきちんと支払いますと申し上げました!」
「エル……そんなことをこいつに約束したのか……?それは悪魔に魂を売ったのと同じだぞ」
「既に悪魔に命を握られている状態で今更な忠告だと思います」
「その状態で更に自分の首を絞めたのかと感心したのだ」
だって殿下!そうしないと冗談抜きで死んじゃうとこだったんです!
殿下からの尊敬の目を見ないようにしつつ、覚醒して来たらしいグレン様に尋ねる。
「で、何を僕に要求されるんです?」
「お前から搾り取れるものなんてほとんどないと思ってたんだけどさ。お前にしかできないことが見つかったんだ」
「昨日の子蛇にかけられた術が何だったか調べるとかですか?」
「それは通常の小姓の仕事として命じる予定だったから、代価としては要求しない」
あ、今さりげなくお仕事増えた。でもあと数月で宮廷獣医師試験があるからちょうどよかったかも。そうだ、試験と言えば、ピギーの成長記録ならぬ幼獣育成論文も完成させないといけないんだよなぁ。
ちなみにピギーは今、親離れも兼ねてイアン様の隊の騎士様方と連動訓練のために王城にいる。
「僕の婚約者選抜の披露宴でお前を僕が推す婚約者候補の令嬢として連れて行く」
「そうですか。グレン様の婚約者候補としてですかへー……はいぃ!?」
頭の中で作っていたやることリストがボロボロと崩れ去っていく幻影が見えた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!!それはぼ、僕に……女装しろってことですか!?」
「女装じゃない。変装はしてもらうけど、『お前自身』が出ればいい」
そう言うグレン様はしごく真面目な顔をしているから冗談ではなさそうだ。
目の前に殿下いらっしゃること分かってますか!?そんなの無理です!バレる可能性高くなるじゃないですか!危険すぎます!
色々言いたいことが多すぎてまとまらず、口をぱくぱくと人形のように動かしていると、殿下が僕に向き直った。
「エル。私はお前が男でないことを知っているから、今のはグレンが口を滑らせたものではない」
頭を鈍器で強打されたような衝撃が僕を襲う。
「……え?…な、なぜ……い、いつ、お分かりになったの、ですか……?」
「そうだな、半年ほど前か。ちょうど翼竜の赤ん坊が産まれた日だ。私以外はまだ気づいていないから安心しろ」
「ぼぼぼぼぼ僕は……お咎めを受けるのでしょうか……そ、それは覚悟しておりますが……あ、姉や家族は!?僕のためにやったことです!お願いします姉や父には……兄にもお咎めは――」
「フレディが知っててここまで何も言わなかった時点でお咎めがないことくらい分かるでしょ?落ち着け」
殿下の方に見を乗り出して震え声でまくしたてると、グレン様が頭に手刀を落としてきた。(実際に)頭を殴られた衝撃で視界がチカチカする僕に、殿下が優しい声音で仰る。
「確かに前例はないが、別に小姓は男である必要はない。王家に性別を詐称したことについては――まぁ問題にならんとまでは言えんが、今のところ私や王家が、お前とお前の家族をどうこうするつもりはない。そもそも私が大事なメグを傷つけると思うか?」
「そ……それは、そうですが……きゅ、宮廷獣医師試験はっ!?」
「私は何も聞いていないことにする。エル。私はお前のグレンの小姓としての実力を認めている。これからもグレンの傍でグレンを支えてやってほしい」
なんだ。ばれていて、それでも僕を認めていてくださったのか、殿下は。
僕が頑張ってきたことは無駄ではなかった、ってこと、か。
一瞬で高まった緊張がするすると解けて、ほう、と息をついてからもう一度先ほどの話を思いだす。
いやいやこれで安心するのはまだ早かった!
「グレン様。僕の性別が殿下にばれていたとしてもですね、そんな危険なことはできません。お引き受けいたしかねます」
「お前に拒否権はない――と、言いたいところだけど、今回は確かにお前との約束を守れなくなる危険が高い上、僕の都合の面も大きいからチャンスをあげようと思っているよ」
「……チャンス、ですか?」
「一月後にある大会の予選を勝ち抜いて本戦まで出ろ。つまりベスト32に入れってことだけど。そこに入れたら免除してやる」
「たい……かい……?」
次々と押し寄せる情報に混乱する。
えーっと、まず、僕の男装は殿下にばれてました。でも殿下以外ご存知ありません。だからこれは大丈夫。けれど、グレン様から婚約者――つまり女として同伴しろと言われました。拒否しました。――それで、大会?
「って……まさか、魔術師志望と騎士課志望が本腰入れて訓練して対策している学園選抜大会のことを指しているのでは、ありませんよね?」
「僕の記憶が正しければ、それ以外なかったと思うけどな」
「グレン、あれはそんな生半可なモノじゃ……!」
「知ってる。出てもエルじゃあ勝てないだろうし?予め男爵には手紙を出して許可を取っておくつもりだよ」
「それならなおさらエルをあれに出させる意味はないだろう!?」
「フレディは黙ってて。これは僕とエルの話だから」
グレン様は、遮る殿下を止めると、片足をベッドから下ろしてわざわざ僕に向き直った。立てられたもう一方の膝の上に肘をつき、愛らしく首を傾げる。
「さぁ、エル、どうする?」
お祭りの前で興奮を抑えきれない子供のようにその紅玉の瞳を煌めかせて、呆然とする僕にそう尋ねた。
と、いうわけで、第三章は「学園大会編」です。ようやっと章名だせた。
ちなみに、このグレンの手紙が、前作完結お礼小話「その時が来るまで」のエル父への手紙につながります。




