「ステップアップ」
——前略。
お元気ですか? わたしは元気です。
今日は前もってセフィリアさんから言われていたのですが、無事、半人前になったということで、一つステップアップを図ってみようという話になりました。
今度はいったいなにを教えてくれるんでしょうか?
思い返してみればずっと同じことの繰り返しだったので、そろそろ新しいなにかに挑戦してみたいなって気持ちはあったりして。
これまでやってきたことも充分楽しかったんですけど、やっぱり新しいことにチャレンジするドキドキは良いものですね。
体も心も喜んでいるかのような、フワフワとした高揚感が全身を包み込んでいます。
今日はいつも以上に気合を入れる必要がありそうですね!
よ〜し、頑張るぞ〜! お〜!!
それでは、またメールしますね!!!
草々!!!!
森井瞳——3023.10.1
***
なんだか暑苦しいメールの締めはさておいて、新しい月に入ったことですし、本日は新しいことに挑戦することになりました。
大きくクリクリな目に、寝癖なのか癖っ毛なのか、こげ茶の髪を花火のように爆発させた女の子、森井瞳は作業台の上に置かれているとある道具を穴が開くほどに見つめています。
その眼光は、目からレーザー光線が出そうなほど。
そんな瞳を天使のようなニコニコの笑顔で見つめているのは、薄緑の長髪をゆるく編んだ物腰柔らかな女性、セフィリアです。
〈ヌヌ工房〉において、彼女は瞳の先輩であり師匠でもあります。
「とうとうわたしもこれを握るときがやってきたんですね〜……!」
「ふふふ♪ 扱いには充分注意してね♪」
セフィリアはあえて触れませんでしたが、瞳はすでにこの道具をこっそり使ったことがありました。
そう、金槌です。
セフィリアのマネをして鑿と金槌を使って木彫りの練習をしていたことがありました。そのあとバッチリ見つかっていますが、特にお咎めはありませんでした。
「まずはなにをすればいいですか〜っ?!」
「落ち着いて瞳ちゃん。まずは金槌の扱いかたを覚えましょうか♪」
「あい〜!」
ひとまずセフィリアが金槌を握り、その視線の先にはすっかりお馴染みになった厚めの木の板と、細長く尖った金属がたくさん置いてあります。
「セフィリアさん、これはなんですか?」
「これは『釘』と呼ばれている物よ。これを木に打ち付けて木と木を固定するの。尖ってるから怪我をしないように気をつけてね」
「これが噂のクギですか〜……ほぉほぉ」
顎をスリスリしながら瞳は初めて見る釘をよく観察しました。
夏休み中、セフィリアが引き受けたミニチュアの宮大工のときに名前だけは聞いていましたが——。
銀色に鈍く光り輝いていて、片方の先端は尖っており、もう片方はキノコの傘のように開いています。
セフィリアはそれを一本手に取り、先端のほうを摘むようにして持つと、木の板に垂直になるように添えました。
そして金槌は短めに持ち、手首を軽く捻るようにして、とんとんとん、と優しく釘の頭を叩きます。
すると、釘の先端がわずかに板に打ち込まれて、自立しました。
「まずはこうして釘を板に少しだけ刺したら、左手は危ないから離して、釘に対して垂直に金槌を振り下ろすの。力は入れずに、まずは正確に〝当てる〟ことだけに集中して、丁寧にね♪」
教えながらも、とんとんとん、とリズミカルに金槌で釘の頭を打ち付けて、少しずつ木の板に沈み込んでいきます。やがて、釘は完全に姿を隠してしまいました。
「こんな感じかしら♪ やってみて?」
「あい!」
そして次は瞳のターン。
セフィリアから金槌を受け取って、そのズシリとした重みに「ぉぅ」と小さく変な声を漏らしてから、改めて気合を入れ直しました。
「あまりお尻のほうを持つと扱いが難しいから、もっと頭のほうを持てば安定するわ♪」
「あい……!」
先程セフィリアが見せてくれたお手本を思い出しながら、瞳は釘を一本持って構えます。金槌は柄の真ん中くらいを握りました。
先端を木の板に当てがい、力は入れずに優しく叩きます。
——とん、とん、ゴス。
「おうふ」
振り下ろした金槌が瞳の親指を直撃しました。
「瞳ちゃん?! 大丈夫?!」
「だ、大丈夫です〜! びっくりしちゃいましたけど、大丈夫です〜……!」
自分の手を攻撃してしまったことよりも、それに対するセフィリアの慌てっぷりに瞳は驚いてしまいました。
手袋をつけていたお陰かそれほど痛くはありませんでした。言われた通り力は入れずに振り下ろしたのもあるでしょう。
「よかった……たぶん、金槌が斜めになっていたのね。ヌヌ店長見てましたか?」
ずんぐりむっくりなフクロウのヌヌ店長に確認を取ると、もふっと頷きが返ってきました。どうやらセフィリアの言っていることは正しかったようです。
それは、首をかしげるように斜めになった釘も証明してくれていました。
「金槌は水平に、そして垂直に振り下ろす、を意識してみて?」
「あい!」
捻くれてしまった釘の根性を、横から真っ直ぐになるように叩き直して再チャレンジです。
「……水平に、垂直に振り下ろす、水平に、垂直に——————へいちょくに」
ブツブツと呪いの呪文のように教わったことを口に出して反芻しながら、ゆっくりと釘を打ち付けていきます。言い過ぎて間違えても瞳は気づきません。
とん、とん、とん。
今度は上手くいって、釘の先端が板に刺さり、自立しました。
「できました!」
上手にできたと、瞳は胸を張りました。その立ち姿は今しがた打ち付けた釘のように真っ直ぐで堂々としていました。
「うん、上出来よ瞳ちゃん♪ 次は左手を離して、同じように、ね♪」
「あい!」
左手を釘から離して、瞳は金槌を構えました。これでもう左手を攻撃してしまうようなことはありません。
「えいっ」
——ゴスン!
釘から1センチ離れた位置を叩いてしまいました。木の板には薄っすらと丸い凹みの跡が。
「あわわ……ご、ごめんなさい〜!」
「大丈夫よ瞳ちゃん、気にせず続けて♪」
凹んでしまった木の板と、叩きつけてしまった金槌に申し訳ない気持ちを抱きつつも、これは今後に大きく影響を及ぼす大切な修行だから、もっと真剣にやらねばと、意識をもっと深いところへと切り替えました。
瞳がこっそり使ったことのある鑿と比べて釘は的が小さく、適当に振っているだけではちゃんと当たらないことに気づきました。
「丁寧に——当てる」
とん。
「丁寧に——当てる」
とん、とん。
「そうそう、その調子よ♪」
瞳はゆっくりと金槌を振り下ろし、釘を〝打ち込む〟ことよりも釘に〝当てる〟ことを念頭において修行を続けました。
この日の〈ヌヌ工房〉からは、とんとんとん、と珍しく金槌の叩く音が響き続けました。
たまに〝ガツンッ〟という音も響かせて——。
***
——前略。
お元気ですか? わたしは元気です。
元気ではあるのですが、右手の握力がどこかに無くなってしまいました……。
というのも、今日から始まった修行は金槌を使うものでした。
釘という細長い金属を板に打ち付ける道具なんですけど、これが意外と重くて、何度も何度も振り続けたので右手がクタクタです……。
夕飯のときに、お箸も、スプーンすらちゃんと持てなくって大変でした。なんとか左手に頑張ってもらいましたよ。
握力が無くなるのは彫刻刀を初めて握ったときにもなったなぁって、なんだか懐かしくなっちゃいました。
思いっきり力を込めているはずなのに全然力が入らないって、なんか笑っちゃいますよね。わたしは笑っちゃいました。
しばらくはこの修行を続けるそうです。いつかはわたしもセフィリアさんの作品のような立派な木彫りのなにかを作れるようになりたいので、そのための第一歩と思えばこれくらいへっちゃらです! ど〜んとこいです!
……わたし、右手だけムキムキになっちゃったりしませんよね?
草々。
森井瞳——3023.10.1




