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「半覚醒」

 ——前略。


 お元気ですか? わたしは元気です。


 昨日のお花見がとっても楽しくて、一夜明けた今でもまだ興奮が覚めません。

 どうしてか記憶が曖昧になっているところがあるんですけど、たぶん、寝ちゃってたんじゃないかな、と。

 セフィリアさんの歌、聞きたかったなぁ。セリカさんはセフィリアさんに歌わせちゃいけないって言ってましたけど、たぶん冗談ですよね。あとでヒカリちゃんあたりに感想聞いてみようかな。ヒカリちゃんならきっとちゃんと聞いてただろうし。


 よーし、いつも以上に気合を入れて頑張っちゃうぞ!

 だってわたしは、もう半人前ですからね!

 それでは、またメールしますね。


 草々。


 森井(もりい)(ひとみ)——3023.9.27




   ***




 木工品取扱店〈ヌヌ工房〉は本日も営業——します。


 瞳はそのために、いつもしている身支度をしていました。


「これでよし」


 鏡の前でいつもの爆発ヘアーを落ち着かせ、若葉色のエプロンドレス調の制服に着替えると、フンスと満足そうに鼻息を荒くしました。

 そして瞳は階段を降りていきます。


 階段を降りるとセフィリアの部屋に繋がっているのですが、すでに姿はありません。もう起きているようです。


 さらに階段を降りて一階へ行くと、トーストの香ばしい良い香りが目覚めの挨拶をしてきました。


「セフィリアさん、おはようございます〜」

「瞳ちゃん、おはよう♪」


 薄緑色の長髪をゆるく編んだ物腰柔らかな女性、セフィリアが(にこ)かな笑顔で挨拶をしてくれました。その両手にはきつね色にこんがり焼けたカリカリのトーストが湯気を立ち上らせています。


 いえ、よくよく見てみればそれはただのトーストではありませんでした。

 パンの淵に沿って凹みがあり、中央がふんわりと膨らんでいます。


「今日の朝食は昨日の残りでホットサンドよ♪」

「お〜、密かに憧れてた優雅な朝食〜!」


 瞳が想像する一番おしゃれな朝がそこにはありました。

 ホットサンドにはコーヒーが定番ですが、瞳は苦いのが苦手なので、飲みやすい紅茶が淹れられています。


 瞳とセフィリアは向かい合うように席に座り、両手と声を合わせました。


「「いただきます」」


 直接手掴みでかぶりつくのも良いですが、今日は優雅な朝食です。脇に置いてあるナイフで切り分け、フォークでプスリ。からのパクリ。

 その直前でした。


 セフィリアがとあることに気づき、待ったをかけました。


「瞳ちゃん、ちょっと待って」

「ふぇっ?」


 小さい口を大きく開けていたところで動きが固まって、変な声が出ました。


「手を出して?」

「こ、こうですか〜?」


 いったんナイフとフォークを置いて、両手を差し出しました。

 セフィリアは瞳の右手を取り、手袋をそっと丁寧に外したのです。


「瞳ちゃんはもう立派な半人前だから、手袋は片方。これが半人前の証よ♪」

「そ、そうでした、すっかり忘れてました〜……」


 両手に手袋は〝見習い〟。片方は〝半人前〟。そして素手が〝一人前〟が〈ヌヌ工房〉のルールです。

 以前、セフィリアに会いに来たというおばあちゃんから手袋の意味は教えてもらっていました。


 そういえばあのおばあちゃんはあれ以来一度も来店していませんが、いったい何者だったのでしょうか? 只者(ただもの)ではないことだけは、その雰囲気からなんとなくわかるのですが。

 知り合いみたいな様子だったので、機会があったら今度セフィリアに聞いてみようと瞳は思いました。


 改めて、右手だけ素手になった瞳はフォークを握り直し、切り分けたホットサンドを頬張りました。


 卵にお肉にお野菜に、サンドイッチの材料がギュッと凝縮されていました。焼いたか焼いてないかだけの違いなのに、これほどまでに味が変わるなんて、熱を加えることによって得られる変化も大事なんだなぁと学びました。


「ん〜! おいちい!」

「ふふふ♪ ありがとう♪」


 幼子のような反応に母性を感じさせる笑顔でセフィリアが答えました。この朝食の時間だけは、師匠と弟子ではなく、まるで親子のよう。

 大きすぎる子供に、若すぎる母親ではありますが。


 そしてそんな様子を目を細めて見つめるずんぐりむっくりとしたフクロウのヌヌ店長は、まるでおじいちゃんのようでした。




   ***




 瞳が半人前になって記念すべき最初の修行の時間。使い慣れた彫刻刀を片手に、感動していました。


「指先からの感覚がすごいです〜……!」


 いままでずっと両手に手袋をつけた状態で彫刻刀を扱っていましたが、今は利き手である右の手袋だけ外しています。


 彫刻刀の刃先から指先へ伝わってくる手応えの違い。より正確に、より緻密に、伝わってくる情報量がとても増えていたのです。


 目を瞑っていてもわかる木目の向き、木の状態、刃のコンディション、角度、力加減。

 全てにおいての感覚が研ぎ澄まされているのが手に取るようにわかるのです。


「左の手袋は安全面を考慮してまだつけててね♪」

「一人前になったら、ですよね〜?」

「ええ、そうよ♪」


 正直なところ、まだ左の手袋を外す気にはなれませんでした。


 まるで右手だけが覚醒したような状態とも言えるので、いつ暴走して左手を傷つけてしまうかわかりません。

 それに手袋をしている状態ではわからなかった〝手汗〟が、暴走の可能性を高めていました。


 それでも、この感動には代え難いものがありました。今の研ぎ澄まされた感覚なら、ヌヌ店長の羽毛の一本一本さえ彫刻で表現できそうな気がしてきます。


 あくまで気がするだけですが。


「とりあえず今日はそのまま思うように彫って、右手の感覚を慣らしてね♪」

「あい〜!」


 それが本日の修行のメニューということで、瞳は彫刻刀を握りしめて木の板と向き合います。


 木目に沿って彫ってみたり、斜めに彫ってみたり、深く彫ったり浅く彫ったり。


 こまめに手汗を拭き取りながら右手に感覚を染み込ませていきます。彫刻刀の調子はすこぶる良くて、それは爽やかイケメン──ヒジリの手入れが隅々まで行き届いている証拠です。


 瞳も、自分でお手入れはしっかりとしていますが、その出来の違いがよくわかります。手袋があった頃はわかりませんでした。

 とても丁寧な仕事をしてくれていたのだと、今更ながら気づかされました。


 瞳が一人で真剣にシュッシュと木を彫り続けている姿を、セフィリアはお店番をしながらヌヌ店長と一緒に見守っています。


「懐かしいですね、ヌヌ店長。私も半人前になりたてのときは嬉しくて楽しくて、ああして夢中で練習してましたね。ネリネ師匠も同じだったのかな……」


 独り言のようにセフィリアがつぶやくと、ヌヌ店長は宇宙を宿した眼を細めてウンウンと頷きました。まるでその頃を知っているかのような反応です。

 ヌヌ店長はいったいいつから〈ヌヌ工房〉にいるのでしょうか。


 セフィリアが知っている限りでは、セフィリアの師匠であるネリネという人物が幼かった頃からいたそうですが、詳しいことはわかりません。


 セフィリアとヌヌ店長は、そのまま黙って弟子(ひとみ)が活き活きと楽しそうに彫刻刀を振るう姿を見守り続けましたとさ。




   ***




 ——前略。


 お元気ですか? わたしは元気です。


 半人前になって初めて過ごす一日は、いつも通りでありながらも、新鮮な時間でした。

 うっかり手袋を両手につけたままにしちゃったりとか、素手で使う彫刻刀のダイレクトな反応とか、指先から伝わってくる素直な感触とか。


 今日は一日中、そんな素直さに正面から向き合い続けました。


 正面から向き合うと、木の板も楽しそうに反応してくれているような気がして、なんだかとっても楽しかったです。


 時間を忘れて彫ることに夢中になってしまって、セフィリアさんにストップをかけられるまで気づきませんでした。


 やっぱり、木工って楽しいですね! やっていることはいつもとおんなじことなのに、手袋を外しただけでこれだけ新鮮な気分が味わえるんですから。

 これからも、もっともっと修行を重ねて、ユグードの人たちに認められるような一人前の職人になれるように頑張りたいと思います!


 草々。


 森井瞳——3023.9.27

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