「カラオケ地獄」
ぱちぱちぱちぱち——。
音質の悪い伴奏の、心地よい余韻と拍手に浸り、満足したヒジリは一礼しました。
外でもカラオケができる便利アイテムを使って、カラオケ大会が始まっていました。
トップバッターを務めたヒジリのイケメン爽やかボイスは静かに響き渡って、その場にいる人たちだけでなく周りにいる人たちもうっとりとさせました。主に女性を。
「次は森井さんの番かな、頑張って」
「あい……!」
余裕綽々の態度でヒジリは瞳にマイクを手渡しましたが、それを受け取った瞳はガチガチに緊張していました。
お風呂などで気分がノってきたときは口ずさんだりしますが、人前で歌った経験はありません。なんだったらカラオケに行ったこともありません。
大好きなおばあちゃんから教えてもらったお気に入りの歌はありますが、きっと誰も知らないでしょう。
誰も知らない歌を歌ったところで、果たして楽しんでくれるでしょうか?
瞳は心配になりました。
「頑張りなさいよ、瞳!」
「瞳さんファイトッス!」
「が、頑張ってください……!」
「森井さん頑張れー!」
「瞳ちゃん、頑張って♪」
「やったれもふっ子!」
「……がんば」
緊張に固まる瞳を、火華裡が、ヒーナが、ハルが、ハルトが、セフィリアが、芹香が、セリーリが、応援してくれました。
その言葉を耳にするたびに、不思議と体の強張りが抜けていきました。だんだんと、いつものへにゃっとした表情が帰ってきました。
ちなみに芹香の「もふっ子」は髪の毛がもふっとしてるからという安直なネーミングでした。
いきなりそう呼ばれても誰のことを言っているのかよくわかる、特徴を捉えた呼び名でもありますが。
「森井瞳——歌いますっ」
マイクに取り付けてある端末を操作して、歌う曲を入力すると、スピーカーから古めかしい音楽が流れ始めます。
自然と体が動いてゆったりとしたリズムを刻んで、胸いっぱい、お腹いっぱいに空気を吸い込むと、覚悟を決めた瞳は歌い始めました。
わたしとあなたの距離は遠いけど
心はいつも寄り添ってる
気持ちを伝えることはできないけど
思いを届けることはできるから
風に踊る花びらと
見上げる青空をあなたともう一度
お世辞にも上手いとは言えないものでしたが、瞳は一生懸命歌いました。
おばあちゃんが教えてくれた大切な、思い出の歌ですから。
みんなは静かに聞いてくれました。特にセフィリアは目を閉じて、心に染み渡らせるようにじっくりと聞いてくれました。
歌い終わってから、大きな花びらと一緒に舞い落ちるわずかな沈黙がありました。
もしかしてわたしの歌、そんなにひどかった?
瞳がそんな風に思ってしまうくらい、深い沈黙の時間でした。
……ぱち、ぱち、ぱち。
ぱちぱちぱちぱちぱちぱち。
セフィリアの小さな拍手から始まり、夢から覚めたように拍手が連鎖して広がっていきます。
「とっても良かったわ、瞳ちゃん♪」
「ほ、ほんとですか〜……? へたっぴじゃなかったです〜?」
「ええ、素敵だったわよ♪ 鮮やかに情景が思い浮かんじゃうくらい♪」
身内贔屓の激しいセフィリアの評価ですが、おおよそ間違ってはいませんでした。
歌としての練度を評価するならば首を傾げてしまうところですが、歌に込められた内面の部分に関してはこれ以上ないくらいのものでした。
つまり、気持ちはものすごくこもっていました。
「じゃあ次はヒカリちゃんの番だね〜!」
「あんたの後だとなんかやりにくいわね……」
瞳の歌が、聞いていた人の心を必要以上に和ませてしまっていて、火華裡は緩んだ空気に苦笑いを浮かべました。
ですが、さすがはしっかり者の火華裡です。
緩んだ空気がキュッと引き締まるような、気合いの入った表情を浮かべています。
「次、火華裡——歌います!」
十八番の曲を入力して、伴奏の間に深呼吸。
尊敬している師匠が三人も見ている前で一曲歌う。これが火華裡にとってどれほどのプレッシャーになっているのか、それは本人にしかわかりません。
その後もヒーナの跳ねるような元気な歌、ハルとハジメの初々しいデュエットに、マイクのいらない芹香の大声、あまり喋らないのに異様に上手いセリーリと続き、最後にセフィリアの番が回ってきました。
ですがどうしたことでしょう。
ニコニコ笑顔を浮かべたまま、セフィリアは微動だにしません。寝てしまったのでしょうか?
と思ったら油が切れたロボットのようにギチギチとぎこちなく動き出しました。
「これで一巡したかしら♪ もう一回ヒジリくんからいく? それとも歌いたい人が歌う?」
なんということでしょう。あのセフィリアが自分の番を流そうとしていました。
「あれ? セフィリアさんは歌わないんですか〜?」
瞳がごくごく当然の質問をしました。
ピキッと、セフィリアの動きが固まります。
返事がないので、代わりに芹香が仕方なさそうに口を開きました。
「あー、セフィリアには歌わせないほうがいいぞ」
「へっ……?」
ぽかんと口を開けたのは瞳だけではありません。心からセフィリアの歌を楽しみにしていた火華裡は特に反応が顕著でした。
「ど、どうしてですか芹香さん!? セフィリアさんの歌が聴きたくて生きてるところあるのに!」
ちょっと顕著すぎたようです。人生について少しお説教しないとな、と芹香は思いました。
「セフィリアの歌は壊滅的なんだよ、意外なことにな」
芹香は首を振って呆れたように言いました。セフィリアの歌に関わる苦い思い出でもあるのかもしれません。
〈ヌヌ工房〉ではなんでもできる完璧超人みたいに思っていたのですが、そんな弱点があったなんて、瞳は本当に意外だと思いました。
「アンタらも聞いてみたらわかるぜ、この世の地獄を体験できるから」
「芹香ちゃん? そんなことないわよね♪」
セフィリアの天使のような微笑みの背後に〝ゴゴゴ……!!!〟という文字が見えたのは気のせいじゃないでしょう。
「セリーリちゃんマイク貸して? 次は私の番よね♪」
恐怖に怯える子供のようにガタガタと震えるセリーリからマイクを受け取り、セフィリアはみんなの前に出ました。
そして芹香とセリーリは耳を塞ぎました。実はずっといたヌヌ店長も、音もなくその場を離れました。
他の人たちは無防備にも耳を傾けてしまったことを後悔することになりました。
大きく息を吸ってセフィリアは歌い始めました。
それは——、
地獄の悪魔たちによる大合唱でした。
***
——前略。
お元気ですか? わたしは元気です。
周りが暗くなって、夜虹石の淡い光で楽しむ夜桜も幻想的でとっても素敵だったのですが、明日からはまたお仕事があるということで、お花見は少し早めにお開きとなりました。
みんなと一緒にレジャーシートに腰を落ち着けて、持ち寄ったお弁当や屋台の食べ物を共有したり、出店を歩き回ったり、カラオケ大会をやったり。
とっても楽しくて、充実したお花見になりました。
そしてそして! とってもとっても重大なお知らせがあります!
なんとわたくし森井瞳、本日をもって見習いを卒業し、半人前に昇格いたしました〜!
やることはあまり変わらないそうですが、お客さんからの扱いが変わってくるそうで、今からなんだかドキドキです。
これからは半人前ということを自覚して、それに見合う物を作っていかなくてはいけませんから、プレッシャーがすごいです……!
さて、明日からはまたお仕事が始まります。心地よい疲れが全身を包み込んでいるので、今日はぐっすりと眠れそうです。
また明日からも、営業に修行に、頑張るぞ〜! お〜!
草々。
森井瞳——3023.9.26




