「おまじない」
——前略。
お元気ですか? わたしは元気です。
美星ちゃんが【地球】に帰ってしまったのはちょっぴり寂しいですけど、連絡先も交換してあるので、これからはこんな感じでメールを交換できます。
だから寂しいと言ってもちょっぴりなんですよ。ほんとちょっぴりです。
上手くいってなかったらしいご両親とも打ち解けられて、きっとこれからは楽しい日々を送ってくれることと思います。
願わくば、美星ちゃんのこれからにたくさんの笑顔が待っていますように。
草々。
森井瞳——3023.8.11
***
最近になって、忙しくて忙しくて大変だった夏休み期間も、どこか日常になってきていました。
これが若さというものでしょうか。
「ありがとうございました♪」
「あひがとうございました〜」
満点の笑顔でお見送りをする従業員さん。
若干噛んでいるような気がしましたが、気のせいでしょうそうでしょう。
〈ヌヌ工房〉に来てくれたお客様も満足してくれたようで、買った商品を片手に笑顔で出て行きました。
「ふぅ、よ〜し! 商品の整理とかやっちゃいますね〜!」
鼻息荒く拳を固めたのは、ここ木工品取扱店〈ヌヌ工房〉で絶賛修行中の瞳です。
寝癖なのか癖っ毛なのか、花火のように跳ねた髪と、クリクリの大きな目は無邪気な子供のよう。でも本人はほんわかのほほんとしたマイペースな女の子です。
隣に立つ女性へやる気満々に瞳は声をかけたのですが、反応がありません。どうしたのでしょうか?
「セフィリアさん?」
瞳の先輩であり師匠のような存在で、淡い緑色の髪をゆるく編んだ、天使のような笑顔が標準装備された素敵な女性。それがセフィリアです。
「え? ええ、そうね。お願いするわ♪」
「あい、らじゃーです!」
いつもの優しい笑顔でセフィリアは返事をくれたので、瞳もビシッと敬礼してから商品の整理に取りかかりました。
減った商品を補充したり、整理整頓したり、値札の確認をしたり、はたきでホコリを落としたり。
いつもの業務をこなしながら、瞳の思考は別のところに飛んでいました。
「セフィリアさんどうしたんだろう……?」
特別おかしなところはありません。ほんの少しだけボーッとしていただけで、今は作業部屋に入っていつも通り少なくなっている商品を手ずから生産しています。
「ヌヌ店長、なにかご存知ないですか〜?」
両手で抱えるほどの大きさの、ずんぐりむっくりとしたフクロウに聞いてみますが、答えが返ってくるはずもなく。宇宙を宿した丸い瞳で見つめ返されるだけでした。
「わたしの気のせいかな。わたしだってボーッとするときたまにあるし〜」
『たまに』ではなくて『しょっちゅう』の間違いです。
その証拠にほら、はたきを動かす手が止まっています。
「おっとっと、いけないいけない〜」
気づいた瞳は再起動して、棚の隅から隅までパタパタとはたきでホコリを落としていきます。毎日やっているのでホコリをかぶっているとは思えないのですが、これも仕事なので文句は言えません。
「こんなかんじかな〜」
やることもやったので、お客さんが入ってくるまでは自由時間です。自由と言っても遊んでいいわけではありません。
「いつもなら練習するんだけど、セフィリアさんに何か飲み物でも持って行ってあげよっと」
尊敬する大先輩が汗水流して頑張っている姿を見せてくれているのです。労をねぎらうことも、弟子として時には必要なもの。
集中していたり手が離せなかったりするので、ホットだと緩くなって美味しくなくなってしまいますから、アイスティーに決めた瞳は準備を進めます。
「いくらユグードの森が避暑地とは言え、暑いときは暑いもんね〜」
【地球】では夏真っ盛りのこの時期、大きすぎる樹木がひさしとなって他のところと比べれば随分と涼しい地域。それがユグードの森です。
それでも木漏れ日のように、陽虫ではない、本物の太陽の光がもたらす暖かさはするりと滑り込んでくるのでした。
おまけに人口密度も増しているので、人々の熱気で平均気温も上昇中。
(……しつれいしま〜す)
アイスティーを持って、タイミングを見計らい、邪魔にならないよう小声で言って作業部屋に入ります。
真剣な表情で鑿と槌を操る姿には、天使のような全てを包み込む慈愛は鳴りを潜めていました。
ごくり、と。真剣さに感化されて瞳は唾を飲み込みました。
とても声をかけられる雰囲気ではないことを悟った瞳は、紙に一言『無理しないでくださいね』とメッセージを添えて、アイスティーと一緒に置いておきました。
そして退室します。
「ん〜、やっぱりいつもとなんか違うような……?」
こっくりと、首を傾げて唸ります。それを見たフクロウのヌヌ店長も、同じように首をグルリと傾げました。行きすぎてむしろ回転しています。さすがフクロウ、骨格がどうなっているのか気になる瞳でした。
ほんのわずかな静寂の時間。
お客さんの来店には、不思議な波があります。お昼時など時間帯の影響もありますが、来ないときはピタリと静かになり、誰か一人が入ってくると連鎖するようにもう一人、さらに一人と増えるのです。
イスに腰掛けて、両ひじをレジ台について両手をプニプニなほっぺたに。
「最近きちんと練習できてないな〜……」
というのがここのところの瞳の悩み。
夏休み期間が終われば客足はパタリと止まり、練習する時間も取れるでしょう。セフィリアだって生産から解放されますから、さらに時間が増えるはず。
きちんとした練習は、それまでの辛抱でした。
「とは言えなにもやらないのはもったいないし、こんなときのスケッチブックだよね〜」
緑色の厚紙に挟まれたB4サイズの、スケッチブックにしては小ぶりなそれを取り出して、同じく緑色の鉛筆を構えます。
「……あれ、もう最後のページだ。新しいの買わないと〜」
空白のページを探してめくっていくと、最後のページまで行ってしまいました。
それは同時に、これまでの瞳の頑張りが記されたものでもあります。
いままでいろいろなものを書いてきたなと感慨にふけりながら、記念すべき最後のページはどんな絵で埋めようかと考えます。
「これしかないよね」
たいして悩まず、瞳は鉛筆を走らせ始めました。
チラリ、チラリと、扉の小窓から作業部屋を覗き込んでは描き込みます。
そう。瞳が最後のページの被写体に選んだのは、師匠で、先輩で、大好きなセフィリア。
お客様のために真心を込めて商品を作る姿を絵に留めようと、そしてあわよくば版画にしてプレゼント。
初めてできたお友達の火華裡がとっても喜んでくれたので、セフィリアもきっと喜んでくれるはずです。
「人を彫るのは絶対難しいけど、チャレンジ精神は大切にしないとね〜」
デザインを考えるのと違って、目に見える光景を写すので瞳の手が止まることはありません。
同じように、セフィリアの手も淀みなく動き続けていますが、絵は動かないものなので、ちょっびり止まって欲しいな〜、なんて思いながらもスケッチブックに描き描き。
ただの趣味であったお絵かきも、いつの間にかすっかり上達していました。
「こんなかんじかな……? 難しい……」
動かない物や頭の中に記憶として映像が残っているものは描き起こしやすいのですが、やっぱり被写体が動いていると一苦労。
それでもなんとか形にはできたところで、かろかろかろん、と木製のドアベルが歌って来客を知らせてくれます。
「いらっしゃいませ〜ごゆっくりどうぞ〜」
スケッチブックを片付けて、頭を下げてお出迎え。
やって来たのは瞳よりいくつか下の、【地球】で言うところの中学生くらいの少女でした。髪が淡い桃色をしているので、【地球】からの旅行客ではなさそうです。
桃髪の少女は居心地悪そうにそわそわしながら店内を軽く一周。小さなお店ですので、それもあっという間。
見つからなかったのかもう一周しようとしていたので、瞳は声をかけることにしました。
「なにかお探しですか〜?」
「ひゃい?!」
ビックーン!! と声を裏返して跳ね上がる少女。驚かせるつもりはなかったのですが、えらい驚きようでした。
なんだか申し訳ない気持ちになる程です。
「わ、わ、わ、ごめんなさい〜」
瞳も少女の驚きように驚いて思わず謝ってしまいました。
「い、いえいえ! こちらこそ大きな声を出しちゃってごめんなさい!」
ズバッ! という音が聞こえて来そうな勢いで頭を下げられました。90度のところでビタッ! と止まって、ロボットみたいだなと思う瞳でした。
「探し物ならお手伝いしますよ〜」
「いや! あの、探し物っていうか、なんというか……」
「???」
少女の言いたいことがわからなくて瞳は首を傾げました。密かにヌヌ店長も首を傾げていました。
もじもじとしてから、少女は口を開けました。
「その……せ、セフィリアさん、は……?」
「セフィリアさん? あ〜」
合点がいったように手を打つ瞳。
この桃髪の少女は商品が目当てなのではなく、セフィリアが目当てで立ち寄ったようでした。
けれども、今はタイミングがあまりよろしくはありません。一生懸命商品を生産していますから、その手を止めてしまうのはなんだか気が引けます。
とはいえ相手はお客様ですから、無下にすることもできません。
「セフィリアさんはいまちょっと手が離せない状況で……」
「で、ですよね! さっきから奥の部屋からカンカン音してるし! 忙しいですよね! また今度にしますね!」
少女は胸の前で両手をブンブン振って全力で遠慮しました。
そんな少女を落ち着かせるように、瞳はにっこりと笑って言いました。
「少し待てば、そろそろ落ち着く頃だと思いますから、そこの休憩スペースで待っててください。お茶くらいは出しますよ〜。ほらほら」
レジから移動して桃髪の少女の腕をつかみ、休憩スペースへ引っ張っていきました。
そこへ座らせると、お茶を用意してきます。
「はいどうぞ〜」
「あ、どうも……」
ペコリと会釈して受け取って、喉を潤わせた少女はようやく落ち着きを取り戻したようでした。
「それで、セフィリアさんにはどのような要件で〜?」
「えっと、その……個人的なお願いをしまして……」
「個人的なお願い?」
桃髪の少女は小さく咳払いをして、瞳のことをさりげなく観察してから、喋っても大丈夫と判断して語り始めました。
「実はいま、学校では恋のおまじないが流行っているんです。それに必要なアイテムを作ってくれるって……」
「ほうほう恋とな?」
恋の話となると目の色を変えるのが女の子という生き物です。瞳も例外ではなく、前のめりに喰いつきました。
たどたどしく語るには、ハート形の何かに好きな人の名前を書いて筆箱に入れ、誰にも見つからずに一定期間が過ぎれば結ばれるというものでした。
「なつかし~な~。わたしの学校もそういうの流行ってたよ。好きな人の名前書いた紙をペンに入れるとか、好きな人の髪の毛を小指にくくって一日バレずに過ごすとか、ちょっと闇の深そうな古のやつまであったっけ〜」
瞳はなかなかに業の深そうな学生時代を過ごしたようです。あまり突っ込んだことを聞くのは控えたほうがよさそうでした。
「それも試してみます」
桃髪の少女が真に受けて真剣にメモメモ。のめりこみすぎて道を踏み外さなければいいのですが。恋は盲目と言いますので、割と真剣に願います。
そのとき、作業部屋から聞こえてきていたトンカントンカンが聞こえなくなりました。
「あら、もしかして待たせちゃったかしら?」
「あ、セフィリアさん〜」
作業部屋から出てきたセフィリアはいつもの天使のような笑顔を浮かべて休憩スペースでくつろいでいる二人に声をかけました。
作業は一段落した様子でした。
「このお客様がセフィリアさんに用があるらしくって」
恥ずかしそうに縮こまる桃髪の少女を見て、セフィリアは納得したように手を打ちました。
「ああ、恋のおまじないのアイテムね♪ 用意できてるから、ちょっと待っててね♪」
アイテムを取りに作業部屋へトンボ帰りして、戻ってきたセフィリアの手には木を削り出して作ったハートがありました。
少し大きめの消しゴムほどのサイズのそれは、なんと美しい模様まで彫られていました。
「かわいい……!」
セフィリアお手製のハートを受け取った桃髪の少女は目をキラキラとさせて魅入っています。ご丁寧に好きな相手の名前を書き入れるスペースまできっちりと作られています。
これはおまじないの効果が期待できそうでした。
「素敵な恋ができますようにって願いを込めておいたわ♪ 応援してるから、頑張ってね♪」
「は、はい! 頑張ります!」
ハートに込められた願いを受け取り、元気になった少女は満面の笑みを浮かべながら深々とお辞儀。あいかわらずロボットみたいな動きです。
「あの……お代を……」
お財布を取り出そうとする少女を制止して、セフィリアは言いました。
「私は恋する乙女の味方だから、それはサービス♪」
「え、いいんですか……?」
あのセフィリアが手ずから作った物をタダで。これ以上に高いものはないかもしれませんが、極上の笑顔で頷きました。
「ありがとうございました!」
オドオドしていた少女はどこへやら。すっかりやる気がみなぎった少女は元気に〈ヌヌ工房〉をあとにしていきました。
桃色の髪が揺れる後ろ姿を見送って。
「それにしてもセフィリアさん、いつのまに用意してたんですか〜?」
単純な疑問をぶつけていました。最近は毎日毎日作業部屋にこもって商品の量産に励んでいたはずなのに、気づけば少女と約束をして、繊細な細工が施されたハートを作っている。
実はセフィリアは二人いるんじゃないか、双子説を密かに唱える瞳でした。
「うふふ♪ ひ・み・つ♪」
唇に人差し指を当てて、片目を閉じて、瞳の疑問は華麗にかわされてしまいました。
セフィリアが特別すごい人というのもありますが、逆に瞳がポンコツということも合わさって、気づけなかっただけでした。
***
——前略。
今日はとある女の子がおまじないに必要なアイテムを取りに来ました。
恋に勉強に一生懸命で、なんだか懐かしいような気持ちになっちゃいました。あの子の恋がどうかうまくいきますように、願っています。
好きな人がいるって、どんな気持ちなんでしょうね? わたしにはよくわかりません。
セフィリアさんやヒカリちゃん、ヒーナちゃんや美星ちゃん。みんな大好きですけど、たぶんあの子が胸に抱いている好きとは違うんだろうな〜なんて思います。
単純に性別の問題なのかな……?
とっても内気そうな子だったんですけど、やっぱり大切にしたい何かがあるって、とっても大きな力になるんだなって感じました。だからこそ、ああして思い切って行動に移せたんじゃないかなって。
わたしには恋する気持ちはまだわからないけど、大切な何かが大きな行動力を生み出すことは知っています。
わたしがここにいる理由がそうだから。
大切な思い出が色褪せないように。あの時抱いた気持ちを忘れないために。
明日も、明後日も。
来週も、再来週も。
ずっとずっと、覚えておくために、わたしは頑張り続けるのです!
それでは、またメールしますね。
草々。
森井瞳——3023.8.15




