「始まりました夏休み」
――前略。
お元気ですか? わたしは元気です。
と言いますか、この日のために体調管理にまで気を使ってきましたから、こんなところで体調を崩しているわけにはいきません。
そうです、とうとうこの日がやってきたのです!
【地球】の人々が、夏休みという長期休暇を利用した旅行で【緑星】にたくさんやってくる日が!
地域によっては夏休みに入るタイミングがズレているので、いきなり大量のお客さんがやってくるということはないと思いますけど、それでもいつもとは比較にならないほどの人でごった返すはず、とお友達が教えてくれました。
その表情は恐怖に震えているようにも、やる気で武者震いしているようにも見えました。
ここはひとつ、わたしも気合をマックス充填して挑まないといけませんね!
七夕の日にお願いした「素敵な出会いと思い出を」。
あれは書いてすぐに叶っちゃいましたけど、まだ有効ですよね? 一度叶ったらもうおしまいなんて話は聞いたことありませんし、大丈夫ですよね!
わたしだけではもったいないので。お客様にも素敵な出会いと思い出を。そうなったら嬉しいな、なんて。
いったいどんな夏休みが待っているのでしょう? なんだかドキドキしてきちゃいました。
きっとお客様も夏休みが楽しみでドキドキしているに違いありません!
距離は離れていても、気持ちはおんなじですもんね。
それでは、またメールしますね。
草々。
森井瞳――3023.7.24
***
――カロカロカロン。
「「ありがとうございました」」
木工品取扱店〈ヌヌ工房〉から、お客さんが満足げな表情を浮かべて帰って行きました。その背中に精一杯の感謝の気持ちを込めて、従業員の二人は頭を下げながら見送ります。
木製のドアベルも、暖かな音色でお見送りしました。
「ふぅぃ~……」
帰っていくお客さんが見えなくなるまで完全に見送ってから、わざとらしく額の汗を拭うようにして一息つく女の子。〈ヌヌ工房〉で見習い街道まっしぐらの森井瞳です。
くりくりな目には「やりきった!」とでも言いたげな気合の輝きが宿っています。ですが、花火のように跳ね回った髪はどこか疲れを感じさせるようにヘタれていました。
「ふふふ♪ ごくろうさま。今のうちに休憩にしちゃいましょうか」
そんな瞳とは裏腹に、疲れをこれっぽっちも感じさせない様子で笑うのは、瞳の師匠であるセフィリア。柔らかな物腰と優しい天使のような笑みが標準装備された凄い女性です。モデルさんのような体型に綺麗な薄緑の長髪をゆるく編んだ、まさに女神のような存在です。
実際そう呼んで慕っている人も少なくありませんでした。
客足が途切れたわずかな間のブレイクタイムがやってきました。
瞳は元気を絞り出して返事をして、店内に設置された小さな休憩スペースへ腰を下ろしました。いつもならここに座るときはお茶とデザートがセットになっているのですが、今の瞳にはそれらを用意する気力は残っていないようです。
「ごくろうさま。やっぱりこの時期は大変でしょう? 瞳ちゃんがいてくれて助かったわ」
目を閉じてゆっくりと深呼吸をしている瞳に、先輩は労いの言葉をかけました。そのまま疲れを感じさせない涼やかな顔で対面に座ります。
その仕草すらどこか優雅で、やはり女神のように見えてきます。
「おつかれさまです~……。話には聞いてましたけど、まさかこれほどとは……恐るべし夏休みです……!」
ひと月ほど前に知り合った金髪ショートのお人形さんみたいな少女、ヒーナは夏休み期間を「お祭り」と言っていましたが、初めてできたお友達である水色の髪を側頭部で輪っかに結った女の子、火華裡は夏休み期間のことを「地獄」と言っていました。
瞳の今の心境的には「地獄」に同感ですが、お店をオープンしてしばらくは、いつも少ないお客さんがたくさん来てくれてまさに「お祭り」状態に同感でした。
二人が言っていたことはこういうことだったのかと、今になってようやく理解します。
「でも皆さんが楽しそうな顔をしてくれるのはやっぱり嬉しいですね~」
〈ヌヌ工房〉へやってくるお客さんは家族連れや女性が中心でした。セフィリアが作った作品を手にとっては笑顔を浮かべて、あっちがスゴイとかこっちが可愛いとかを連呼していました。
そうでしょうそうでしょう、セフィリアさんは凄いんです~! と瞳は内心で踏ん反り返っていたことは秘密です。
鼻息の荒さにそれが現れていたことを、フクロウのヌヌ店長はしっかりとその宇宙のような眼で見ていましたけど。
いつの時代も、完成度の高い作品の前ではありきたりな感想しか浮かんでこないようです。そしてそれが、作り手にとって何よりも嬉しかったりするのですが。
後輩が頑張ってくれている姿を見て、セフィリアはいつものように「ふふふ♪」と微笑みました。
「お客さんの笑顔で嬉しく思えるなら、きっと瞳ちゃんは立派な一人前になれるわ」
「ほんとですか~?!」
「ええ、本当よ♪」
そんなやりとりを聞いて、ヌヌ店長は「また甘いことを」なんて思っていて、それはセフィリアには伝わってきましたが、華麗にスルーしました。彼女は本当にそう思ったからです。
先輩に褒められて、にへら~と瞳は笑います。段々と顔が溶けてきているようです。
「私が頑張れる原動力は、お客様の笑顔だもの。瞳ちゃんも同じなら、きっと大丈夫よ」
「お客様の笑顔ですか~。確かに笑顔を見てるとこっちも元気になりますもんね~」
「ふふふ。それはお客様もきっと一緒だから、瞳ちゃんも笑顔を忘れてはダメよ?」
「あい~! お任せください~!」
笑顔にはとっても自信があります。瞳は暗い表情なんて滅多にしません。ちょっとばかし寂しくなって泣いちゃったことはありますけど、笑顔率がダントツでトップです。
瞳は尊敬する大好きな先輩とのわずかなブレイクタイムですっかりと元気を取り戻しました。「立派な一人前になれる」と言われたのがよっぽど嬉しかったようです。
休憩スペースから腰を上げて、たくさんのお客さんの手に触れて乱れた商品を綺麗に整えつつ、お掃除なんかも張り切ります。
頬に手を当て、ニコニコと微笑みながらセフィリアは後輩を見守ります。
「先生もこんな気持ちだったのかしら……ねえ、ヌヌ店長?」
我関せずといった体を貫くヌヌ店長に、セフィリアは視線を向けることなく問いかけました。ですがヌヌ店長はピクリともせず、これといった反応は示しませんでした。
それに気を悪くするようなことはなく、セフィリアはまるで自分に言い聞かせるように、胸に手を当てて独りごちます。
「なんだか不思議な気持ち……ちょっと前までは私が瞳ちゃんの立場だったはずなんだけど……時間って振り返ってみると、随分と遠くに感じるのね」
〝なんだか時間がいたずらしてるみたいです~〟
いつだったか、瞳がそんなことを言っていました。それを思い出して、やはりセフィリアは女神のように微笑むのです。
「こんな時間が少しでも長く、ゆっくり進めばいいのにって思うけれど……たまには振り返ってみるのもいいかもしれないわね――だって遠くに感じる分だけ、進歩を実感できるんだもの」
ヌヌ店長もそう思うでしょう?
そんな視線をずんぐりむっくりとしたフクロウへ向けると、プイと。そっぽを向くように真後ろまで首を回しました。さすがフクロウ。そのまま首が一周しても驚きません。いえ、一周したらさすがに驚きますが。
「ふふふ♪」
セフィリアはヌヌ店長のわかりやすい態度に小さな笑みをこぼしました。
「セフィリアさん~? どうしたんですか~?」
「いいえ、なんでもないわ♪」
「そうですか~? ならいいんですけど」
そんな微笑みを後輩が目撃し、不思議そうに首をかしげながらも、今日も穏やかな時間が――
カロカロカロン。
「「いらっしゃいませ! ようこそヌヌ工房へ!」」
――流れていくのは、夏休みが終わってからになりそうでした。
***
――前略。
とうとうやってきた夏休みは、わたしが想像していた以上のものでした。
のんびりゆったりとした時間が流れる【緑星】なのに、お客さんがたくさん来てくださって、なんだか【地球】をちょっとだけ思い出しちゃいました。
たくさんのお客さんにヌヌ工房の素晴らしい作品を見てもらえて、それから買ってもらえて、とっても嬉しかったです。
わたしが作ったものが置いてあるコーナーのものはやっぱり誰も買ってくれませんでしたけど、まだまだこれからです。
夏休みはとっても長いんですから、チャンスは必ずあるはず!
すっとこどっこいなわたしですから、疲れでチャンスを見逃さないように、今日は早めに休みますね。おやすみなさい。
草々。
森井瞳――3023.7.24




