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「感謝の仕方」

 ――前略。


 お元気ですか? わたしは元気です!


 ようやくこの挨拶ができました。風邪、治りましたよ。


 送信履歴から確認したんですけど、風邪の引き始めが一日だったので、やっぱり治るのに一週間かかってしまいました。


 でももう大丈夫です。これからは雨が降っても必要以上に騒がないし、ヒカリちゃんが教えてくれた通り、傘とカッパと長靴のフル装備を忘れないようにしたいと思います。


 そんなわけで、今日から修行再開です。


 一週間も彫刻刀を握れなかったので、いまからウズウズしています。やっぱりヒカリちゃんと修行談義を交わしたからでしょうか? わたしの中で創作意欲が掻き立てられたのかもしれません。


 けど、それ以上に不思議とドキドキしています。胸が高鳴っています。


 夢から覚めたような、でもまだ夢心地のような、ふわふわとした感覚です。高揚感とでも言いましょうか、それとも幸福感と言ったほうが近いでしょうか。


 優しさや楽しさを受け取るばかりの一週間だったので、そういったものが溢れているのかもしれません。


 一雫ひとしずくも無駄にしないように、今日も一日、頑張ります!


 それでは、またメールしますね。


 草々。


 森井もりいひとみ――3023.6.8




   ***




 朝の柔らかな陽気が窓から差し込んで、きめ細やかな肌を優しく温めます。陽虫の光がポカポカとした気持ちの良さを運んできてくれました。


「…………よしっ」


 おめめパッチリ。


 目が覚めた瞬間からはっきりと開いた瞳孔が、森井瞳の寝覚めの良さを物語っています。


 焦げ茶の髪を寝癖なのか癖っ毛なのか、花火のように爆発させた、ほわわんとした印象の女の子です。


 生まれ持った寝相の悪さは相変わらずで、体の向きがベッドに対して90°回転。ベッドの両脇から手足を投げ出すようにして、ブリッジの体勢をしていました。さらにお腹に枕が乗っかり、その上にバラバラの組み木が綺麗に並べられているのです。


 悪魔に憑依でもされたのではないかと心配になってしまうやつです。祓魔師エクソシストも本気で斜に構えるでしょう。


 しかしなんの問題もありません。瞳にとってはこれでも日常茶飯事で、寝相の範疇なのでした。どんな寝相だよと思わずにはいられません。


「……ほいっと~」


 当たり前のようにゆっくりと枕を元の位置に戻し、ベッドから転がり落ちるようにして起き上がってから、若葉色の〈ヌヌ工房〉の制服に袖を通します。初めて着たときは〝制服に着られている〟という印象でしたが、今ではすっかり着こなしています。


 変な体勢で眠っていたのに寝違えている、というのは、やっぱりないようでした。


「ぅえへへ……」


 姿見の前でにんまりと笑みを浮かべて、営業スマイルの練習はバッチリです。


 準備完了――、のはずがありません。


「んむ~……今度から帽子でもかぶって寝ようかな~?」


 そうです。瞳の朝は、寝相によって育てられたボンバーヘッドをなだめなければ始まりません。


 例え帽子をかぶって寝たところで、瞳の悪魔的な寝相の前にはきっと意味を成さないでしょうが。


 鏡の前でしばらく格闘して、ようやく満足のいく仕上がりに。


「……ん」


 ほんの少し頷いて、口元には小さく笑みを浮かべます。


 その笑顔は、これから綺麗に咲き誇る、夢の詰まった蕾のようでした。朝露の滴る、キラキラときらめいた笑顔です。


 瞳には、風邪が治ったらまず最初にしようとしていたことがあります。セフィリアより早く起きて朝ごはんを用意して、「ご飯できてますよ~!」と明るく元気に言うことです。


 それがお世話になった先輩への、最初の恩返し。


 だから今日はとっても早起き。朝の手紙メールも速攻で送信です。マイペースな瞳も、これらだけは早いのです。イッツ習慣の賜物。


 ゆっくりと足音を立てないように螺旋階段を降りて、セフィリアの部屋を覗きます。


 いつもであれば、窓辺で読書をしながら「おはよう、瞳ちゃん」と優しく笑いかけてくれます。


 でも今日は、その笑顔はありません。規則正しく寝息を立てて眠っていました。布団から薄緑の柔らかそうな髪の毛が覗いています。


 いつも何時に起きているのかは未だにわかりませんが、さすがに陽虫が目覚め出したばかりの時間には起きていないようです。


 まだ園児のほうが上手くできるであろう、ヘタクソな抜き足差し足忍び足で、セフィリアの部屋である2階を通り過ぎ、キッチンのある1階へ。


 自前のエプロンを手際よく装備して、鼻息荒く気合を入れます。


「――きゃぷっ?!」


 握りこぶしを作って意気込んだとき、腰の辺りをツンツンされました。慌てて両手で口を押さえて、悲鳴を押さえ込みます。


 恐る恐る振り返ってみると、そこにはずんぐりむっくりとしたフクロウのヌヌ店長がいつの間にか佇んでいたのです。相変わらず気配を感じさせない隠密っぷりには驚かされてばかりです。


 何を隠そうこのフクロウこそ、瞳が修行しているここ〈ヌヌ工房〉の店長さんなのでした。


「……おはようございますヌヌ店長~。し~……ですよ?」


 指を立てて口元に当て、小さく息声でお願いしました。セフィリアには内緒なので、起こさないようにヌヌ店長にも協力を取り付けないといけません。


 ヌヌ店長はグリィ~ンと首を120°まで傾げて、宇宙のようなまたたきを宿した眼に疑問の色を浮かべるのです。


 さすがフクロウ。首が折れてしまっているかのような角度でした。


「セフィリアさんに朝食をご馳走したいんです。感謝を込めたドッキリです」


 片目を閉じてイタズラっぽく微笑みました。


 家事は交代制になっていますが、なんだかんだで朝食を作るときはいつも二人で、手を貸してもらったりもしました。完全に一人は今日が初めてです。


 ヌヌ店長はフクロウですが、人間以上の知能を持っている(らしい)ので、眼を細めるようにして笑顔を作ると、瞳を見守るように少し離れた位置にヨテヨテと移動してまん丸な視線を向け続けます。


 後輩の謝意を理解してくれたようです。


 ときおり首を伸ばすようにして手元を覗き込んでくるのでちょっぴり恥ずかしいですが、気にしてはいられません。セフィリアが起きてしまう前に準備を整えなければなりませんから。


 ご飯できてますよ~! が言えなくなってしまいます。


「……♪ ……♪」


 セフィリアの喜んでくれる姿を想像したらだんだんと楽しくなってきました。このときばかりは鳴らない口笛が役に立ちました。鳴っちゃったら先輩が起きてしまいます。


 最初は包丁とまな板が奏でる音も気にして慎重に切っていたのですが、マイペースとばかり言われる彼女にとって「慎重」とは言い換えれば「のろま」です。


 時間との戦いでもありましたから、やがて〝トントントン♪〟と自らの鳴らない口笛に合わせたリズムで演奏が始まります。体も右へ左へゆーらゆら。


 なんだったらヌヌ店長も右へ左へゆーらゆら。瞳が動くので、覗き込めないのです。


 諦めたヌヌ店長は、いつもの隠密っぷりを発揮して瞳に気付かれないままセフィリアの眠る2階へ向かいました。ちゃんと瞳のお願いを理解しているので、起こすためではなく様子を見るためです。


 背を向けるようにして寝ていたので、反対側へ回り込むと、なんとセフィリアはすでに起きていました。


「ふふふ。し~……♪」


 瞳と同じように、指を口元に当ててウインク。


 起きてることは内緒ね♪


 優しい笑顔が、そう言っていました。


 ヌヌ店長は見なかったことにして、やはり気付かれずに瞳の背後へと戻ったのでした。




   ***




 ――前略。


 感謝の気持ちを伝えるのは大切なこと。でも同じくらい、感謝の気持ちを伝えるのは難しいことです。


 どうして難しいのでしょう。


 きっとヌヌ店長のおめめの星くらい、伝え方があるからだと思います。


 人は、多すぎる選択肢の前では正しい判断をするのが難しくなるもの。わたしはそう考えています。


 だから感謝の気持ちを伝えるのは難しいんです。どれが正解で、喜んでくれるのか。もし違ったらと思うと、ちょっぴり怖かったりもして。


 でも、喜んでもらえました。


 風邪で迷惑をかけましたから、セフィリアさんに感謝の気持ちを込めて朝食を一人で作ってみたんですけど「ビックリしちゃったわ、ありがとう♪」と驚いて、喜んでくれました。


 なんだかわたしも嬉しかったです。


 わたしも、セフィリアさんも、幸せな気持ちになる。


 感謝って、いいですね。ありがとうって、いい言葉ですね。


 心にしっかりと刻んで、忘れずにいたいと思います。


 草々。


 森井瞳――3023.6.8

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