「約束」
空に漂う陽虫も、雨上がりにはしゃぎすぎて疲れてしまったのか、暗くなるのはあっという間でした。
ふと窓の外に視線を投げ出せば、美しい自然が闇に染まり始めています。
瞳、火華裡、セフィリアの三人での食事も終え、心地よく膨れたお腹を休ませるため、各々好きなようにのんびりとした時間を過ごしていました。
瞳は組み木、火華裡は読書。
セフィリアだけは、お店の方へと戻っていて姿はありません。
「あんたの【地球】ってさ――」
唐突に、水色の髪をいじりながら火華裡が口を開きます。目線は本の文章へと落とされたままでした。
「どういうところなの?」
「ん~? ん~……」
疑問の声を上げ、考えます。なんと言えばいいのか。拙い瞳の語彙でうまく伝えられるでしょうか。
癖で髪の毛をいじりながら考え込んでしまっている瞳に、火華裡は助け舟を出します。
「大きく捉えなくていいのよ。あんたが暮らしてたとこの周辺のこととかでも」
質問通り【地球】のことについて考えていたので、この助け舟は非常に助かりました。身の回りのことであれば、話しやすいです。
二ヶ月ほど前まで見ていた光景を思い出し、それを伝えます。なんとなく遠い出来事のように感じていましたが、まだたったの二ヶ月しか経ってないんだな~と密かに思いました。
「雲を突き抜けるくらいのビルがいっぱいだよ~」
「『びる』って人が暮らす建物のことよね? 学校で習ってはいたけど、ホントなんだ」
「人が暮らすのはマンションだけど……ま~一緒かな。どっちも同じような外見だし」
そこで少し興味が湧いてきたのか、火華裡は読んでいた本をパタリと閉じ、んっしょ、んっしょ、とイスを引きずってベッドの横につけました。
「そんなに高い建物じゃ登るの大変じゃない? 足腰だけ化け物になりそうなんだけど」
瞳も組み木の手を止めます。相変わらず進展はなく、バラバラのままでした。
下半身だけムッキムキになって全ての人類が三角形のような体型になっているのを想像してしまって、瞳は思わず困ったように苦笑い。
「エレベーターっていうのがあるんだよ」
「あっそうか、それも習ったわ! 上下に動く箱みたいな乗り物でしょ!」
「そうそう~」
上下に首を動かします。
キラキラと目を輝かせる火華裡なんて、非常に珍しいものを見ました。時間を確認したらたまたま今日の日付と同じ数字の並びだった、より珍しいです。
「確か紐で吊るしてるのよね?」
「それはかなり旧世代のやつだね~。まだどこかに残ってるとは思うけど、いまは反重量の技術が応用されてるから浮いてるんだよ~」
細かいことを言えば紐ではなくワイヤーでしたが、もはや廃れた技術なので訂正はしません。
聞く限りでは「習った」ようですが、結構いい加減のようです。もしくは火華裡の授業態度に問題があったのかもしれません。
「ああ、なんかあんたが賢そうに見えてきたわ……」
「【地球】では常識だから~」
軽く馬鹿にされているような発言でしたが、それには気づきませんでした。
「わたしの国は地震とか台風とかの災害がひどくてね、対策を研究してるうちに結構な先進国になったんだよ~」
「へぇー!」
興味津々といった様子で火華裡は頷きます。
瞳が【緑星】に降り立ったとき、見慣れている地面ですら新鮮に映ったように、【地球】の話は火華裡にとって全てが新鮮に聞こえるのでしょう。
自分が当たり前に感じていることすら、火華裡には驚きの対象になり得るようです。
で、あるならば。
話すことがだんだんと見えてきました。
「ほぼすべての建物が反重力装置で少し浮いてるから地震の影響は出ないし、大きな台風が来たら地下に格納されるの~」
すべての建造物に採用されている技術で、重力に反発するフィールドを生み出す装置が開発されてからというもの、人々の暮らしは一気に安全に、そして快適になりました。
ハァーン……。という悩ましいような納得の声を火華裡が上げます。
「あたしはユグードからほとんど出たことないから、外の世界ってそんなことになってるのね。知らなかったわ」
「行ってみたいとかは思わなかったの~? 今の時代、行くだけなら簡単でしょ~?」
「まぁね。でも興味はあるけど、行動に移すほどじゃあないわね。ここでやりたいことがあるし、ここじゃなきゃできないし」
「そっか~。そうだね~」
瞳はほわわんと微笑みます。そんな瞳も、火華裡と同じ考えなのでした。
木工は、ここでしかできないのです。だから遠い宇宙を渡ってやってきたのです。
「【地球】には自然ってほとんど残ってないんだよ~。【緑星】に来たときは感動しちゃった」
「まじ? 想像できないわ。教科書の写真で見たような気はするけど」
どうやら火華裡の授業態度の方に問題がある可能性が色濃くなってきました。
「だから動物もね、野生の動物は絶滅しちゃったの。街中には鳥も飛んでないんだよ。動物園とか水族館とか、そういう保護施設に行かないと見られないんだ~」
【地球】で普段からお目にかかれる動物は、犬や猫などの愛玩動物くらいのものでした。
瞳が【緑星】に降り立ち、待ち合わせをしているときに馬を見て大はしゃぎしたのも、フクロウを見て感激したのも、それが理由だったのです。
「で、動物園は家から遠かったんだけど、水族館は近くてね? だから時間があるときはよく通って、スケッチとかして遊んでた~」
火華裡の修行先でガラス細工を購入した際、白鳥は知らなかったのにイルカは知っていたのは、そういう理由からでした。
「……友達とかはいなかったわけ? それだけ聞くとぼっちなんだけど」
「む~……友達くらいはいたよ~」
友人たちと遊びの方向性が違うだけで、学校では仲良くしていた人もちゃんといます。動物の保護施設に興味がある学生なんて、瞳くらいのものだったのです。
完全にお得意様扱いされて、従業員には顔も名前も覚えられていたほどです。なんだったら瞳も従業員の顔と名前を把握しているくらいでした。
ちなみに、そのとき【地球】では反重力装置を使った球技が大流行していたので、遊びといえばそれでした。
「でも一緒に遊ぶとだいたいついていけなくって……というか足手まといで~……」
「誰がどう見てもマイペースだもんねぇあんたは。普段からボーッとしてるし」
「ぇへへ……よく言われる~……」
困ったように笑って、頬をかく瞳。散々言われ続けて、とっくに慣れてしまったような反応。それもそのはず、家族にすら言われていたのですから。
「けど、こっちに来てからは不思議と言われなくなったな~。ひさびさに言われたよ『マイペース』って」
「せかせか動いてる人があんたの周りに少ないからでしょ。あたしはそれが当たり前よ。グラスアートは手際の良さが重要なんだから。時間かけてられないのよ」
熱して柔らかくなっているうちに形を整える必要があるグラスアートは、整形しているうちに冷えてどんどん硬くなります。お皿などの薄く、表面積の広いものは冷えるのもそれだけ早まりますから、急がないと思ったような作品ができないのです。
じっくりと時間をかけて作る木工は味わい深さを。
手早く、手際よく作るグラスアートは、繊細さを。
まるで二人の特徴を表しているかのようでした。
【地球】の話からいつの間にか自分の作品の話になり、あーだこーだと意見を交わしていると、階段から足音が聞こえてきました。
わざとらしく足音を出しているので、火華裡もこれに気付きます。もう不意を突かれて固まるような、同じ轍は踏みません。
登ってきている人物――セフィリアが気遣ってくれたおかげですが。
「火華裡ちゃん、ちょっといい?」
「はい、なんですか?」
顔をのぞかせたセフィリアが、柔らかな笑みを浮かべながら問いました。
「今日はこのあとどうするのかなぁって思って。なんなら泊まっていかない? 芹香ちゃんには私から連絡しておくから」
「お泊まり会だってヒカリちゃん! やろ~よ! けほ」
テンションが一気に上がる瞳。
大好きなセフィリアからの嬉しすぎる提案に、火華裡は思いっきり頷こうとして――、やめました。
「ごめんなさい。明日は朝から修行するっていう条件で今日1日の時間をもらったんで……」
「あら、そうだったの……残念ね」
火華裡の師匠、芹香は厳しい人だと聞いています。一度交わした約束を違えることは、簡単ではないのでしょう。
「ヒカリちゃんとお泊まり会した~い」
「風邪が治ったらね。今日は諦めなさい」
駄々をこねるように言う瞳の頭をなでつけて、優しく言い聞かせました。
「絶対だよ? 絶対だからね?」
「はいはいわかったわよ。約束してあげるから」
瞳もセフィリアと同じように残念な気持ちになりましたが、それはそれ、これはこれです。火華裡にも事情というものがありますから、わがままは言えません。
すでに充分すぎるいたわりの気持ちをもらいましたし、たくさんわがままも聞いてもらいましたから、これ以上を望んではバチが当たるというものです。
だからいまはせめて、火華裡が帰ってしまうまでの残された時間を有意義に過ごそう。
そう思った、瞳なのでした。
***
――前略。
今日は朝からヒカリちゃんがそばにいてくれて、ちっとも寂しくない1日でした。自分が風邪を引いているということを忘れてしまうくらいです。
いろんなことをしたんですよ。
【地球】のことを話したり、逆に【緑星】のことを教えてもらったり。オススメのお店とか、近道とか、絶景ポイントとか。
木工とグラスアートの良し悪しについても語りました。自分の師匠がいかに素晴らしい人なのか、この話題が一番白熱したような気がします。
セフィリアさんとヒカリちゃんの手料理もいただきましたし、退屈しない楽しい時間がこのまま続いてくれればいいのにって思いました。たまには風邪を引くのも悪くないですね。
でもしばらくは遠慮したいな、なんて。身動き取れなくなるし、迷惑もかけちゃいますから。
たくさんわがままも聞いてもらいました。ちょっと恥ずかしかったけど、手の届かない背中を拭いてもらったり、あ~んってしてもらったり。
だから子供みたいって言われちゃうんですよね……わかってはいるんですけど。
あのね、それからお泊まり会の約束もしたんです。すぐにとはいきませんけど、近いうちにって火華裡ちゃんが約束してくれたんです。
すっごく楽しみです。
今回のお礼をできたらいいな。
それでは、またメールします。
草々。
森井瞳――3023.6.4




