「だからこそ」
──前略。
お元気ですか? わたしは元気です。
あのね、先日の〈鍛冶屋〉さんを訪問したときに思ったのですが、わたしがこちらでの生活に慣れてきたな~っていう感覚は、もしかしたら間違いだったのかもしれません。
思い返してみれば、ずっと修行ばかりで基本的には〈ヌヌ工房〉から出ませんし、必要なときに必要なものを手に入れるくらいの目的でしか外を出歩いたことがないのです。
確かにお散歩はよく行っていますけど、それでも外から眺めるだけで中に入ったことはありません。
よそ生まれのわたしなんかが入っていいのかな~? と遠慮してしまうのです。頭ではそんな遠慮なんて無用なことはわかっているんですけど……。
なので今度、機会があったらどこかのお店に勇気を出して入ってみたいと思います!
草々。
森井瞳──3023.5.18
***
寝癖なのか癖っ毛なのかわからない、花火のように跳ねた髪の毛を揺らしながら、森井瞳はそのクリクリな眼差しを光り輝く彫刻刀の刃先へと集中させていました。
お手入れに出して戻ってきた彫刻刀を早速使っているのですが、驚きの切れ味に楽しくなってきて手が止まりません。
あれだけ抵抗を感じていたのに、そこまで力を込めなくても木を彫ることができる嬉しさに夢中になっていました。
「瞳ちゃん、ちょっといいかしら?」
そこへ、瞳と同じ若葉色の制服に身を包んだ、先輩のセフィリアが声をかけてきました。薄緑の長髪を緩く編んだいつものスタイルで、いつも以上の笑顔を浮かべています。
「あい、なんですか~?」
手を止めて彫刻刀をきちっとケースに戻しました。そのまま置いておくと危ないからです。教えをしっかりと守っています。
セフィリアを見やると、その手には出来立てホカホカの作品たちが箱に入って抱えられていました。中身は、木目の優しい柔らかさが際立つ、お箸やお皿やスプーンなどの食器がほとんどを占めています。
「瞳ちゃんって、絵がとっても上手だったわよね?」
「あう……そんなことはないですけど……」
「ふふふ。それでね? もしよかったら、食器に絵を描いてみない?」
「えっ、わたしがですか~?!」
「ええ。瞳ちゃんが、よ♪」
楽しそうに笑うセフィリアでしたが、お願いされた瞳は驚きを隠せませんでした。
なにしろセフィリアが手がけた作品はどれも〈ヌヌ工房〉の売り上げに大いに貢献する主戦力です。そんな大事な商品に素人である自分の手を加えてしまったら、せっかくの完成された品々を台無しにしてしまいかねません。
恐れ多いにもほどがありました。
「む、ムリですよ~! わたしなんかがそんな大役──」
慌てて手をバタつかせる少女に、セフィリアはゆるりと首を振るのです。
「いいえ、そんなことないわよ? 前に見せてもらったスケッチブック。とっても瞳ちゃんらしくて、私は好きだったわ」
思い出すように顎に指を当て、先輩は言いました。
版画に初めて挑戦したとき、スケッチブックを持ってきて「これをやってみたい」とヌヌ店長の絵を見せましたが、その際に他のページも見られていたようです。
嬉しさと気恥ずかしさが一緒くたになって、瞳は「えへへ……」と小さく笑みを浮かべると、頬を染めて俯いてしまいました。
どんな反応をすればいいのか、わからなかったのです。
そんな初々しい後輩に、セフィリアは優しく言い聞かせました。
「上手いとか下手とかじゃなくてね、私は瞳ちゃんの絵が好きなの」
他の誰でもない、瞳だからこそ。
頑張り屋さんで、笑顔を絶やさぬようひたむきに前を向いて努力をする、瞳だからこそ。
これは、瞳にしかできないことなのでした。
「私が丹精込めて作った作品に、私の好きな絵が描かれる……。これって、とっても素晴らしいことだと思わない?」
何よりも大切なのは出来栄えや見栄えではなく、それに込められた愛情や気持ち。作品に対する大きな想いがあれば、どんな心でも動かせる一つの感情となるのです。
良し悪しなど、見る人によって千差万別の違いがありますから、気にしていたらいつまで経っても始まりません。
セフィリアの想像する完成品は、例えそれが失敗作だったとしても、天使のような笑顔で胸を張り、誇るようにしてこう言うのでしょう。
〝私と瞳ちゃんの合作よ! とっても素敵でしょう?〟
と。誰に対しても自信満々で。
瞳は、そんな明るい先輩が大好きでした。
「わたしが……やってみても、いいんですか?」
「ええ、もちろんよ。お願いするわ♪」
一つの箱にまとめられた数々の作品を受け取り、改めてその腕前に惚れぼれとするのです。
柔らかく丸みを帯びたスプーンは口当たりがとても良さそうですし、お箸も長さや太さがそれぞれ違います。これは使う人の年齢などに合わせて作りを変えているのでしょう。
セフィリアらしい、実に行き届いた心遣いでした。
「でも……何をどうすればいいんでしょう~?」
絵を描いてくれと言われましても、漠然としていてどうすればいいのかわかりません。まさか鉛筆でガリガリと描くわけにはいかないでしょう。食器ですから。
「まずはデザインを考えましょうか。それができたら、あとは進めながら教えてあげるわ」
「む~るる……ん。デザインですか~……」
少女は謎のうめき声をあげながら頭を悩ませます。せっかくのご指名ですから、期待には応えたいです。
しかし瞳が今まで描いてきたのは被写体ありきの、いわば模写。オリジナルは描いたことがありませんでした。
「難しく考えなくっていいのよ。花を咲かせるとか、雪を散らせるとか、魚を泳がせるとか、模様でもいいわ」
デザインと聞いて堅苦しいイメージを持っていた瞳でしたが、セフィリアからのアドバイスを聞いて一気に肩の荷がおりました。
湧いてくる湧いてくる。描いてみたいものがどんどんと。
「ちょ、ちょっとスケッチブック取ってきます~!」
「ふふふ♪」
ドタドタと慌ただしく階段を駆け上っていく小さい背中を眺めながら、セフィリアは楽しげに息を漏らすのです。
戻ってきた瞳はさっそく思いついたデザインをどんどんスケッチブックに書き殴っていきます。セフィリアはそんな様子を隣に立って興味津々に覗き込んでいました。
「お箸は鯉の滝登りで~! ボウルは金魚鉢に見立てて金魚さんを泳がせて~! スプーンはうなぎさんです~!」
「うんうん、とっても可愛いわぁ!」
子供と母親のように、はしゃぐ瞳を褒めるセフィリア。
まずは魚類シリーズから始まり、ざっくりまとめて海の幸から山の幸まで、その他もろもろも含めて形からくるイメージを見事に作品に落とし込んでいました。
腕前はまだまだ未熟ですが、少女の頭の中にある完成形は、セフィリアですら目を見張るものがありました。
セフィリアが作った食器を手に取って見ては、思いついたものをすぐさまスケッチブックへ。そうして数ページを黒い線で埋め尽くして、ようやくアイデアの泉は枯れました。
「出来ました~! それで、これをどうすればいいんですか?」
「そうねぇ……瞳ちゃんが考えたデザインを反映させるにはいくつか手法があるから、教えてあげる。瞳ちゃんのやりやすいように……好きなようにやってみるといいわ」
「あい! よろしくお願いします~!」
「ええ♪ それじゃあまずは漆について教えてあげる。いわゆる樹液なんだけど──」
先輩と後輩の、仲睦まじき時間は続くのです。
ずっと専用の止まり木でそんな二人の様子を見ていた、ずんぐりむっくりとしたフクロウのヌヌ店長は、宇宙のような輝かしい眼にとある未来を見ました。
瞳は大きく成長し、きっとセフィリアと肩を並べるような素晴らしい職人になる、と。
人知れず、満足げに目を細めるヌヌ店長でした。
そして出来上がったセフィリアと瞳の合作食器は、〈ヌヌ工房〉の密かな売れ筋商品となっていくのです。
***
──前略。
今日はいつもと違った感じで楽しい一日でした。【地球】ではまず学べない色々なことを教えてもらっていますが、今日は特に際立っていたような気がします。
木製の食器を取り扱ったんですけど、それに塗る「漆」って知ってますか? わたしは聞いたことはあったんですけど、よくは知らなくって。
なんと樹液だったんです。びっくり。
木から取れるもので木をコーティングして、傷や湿気から守るわけですね。
それと同じように、人の強い部分で、弱いところを守ってあげられたら、いいですよね。
木って喋らないですけど、実は仲間思いなのかもしれません。
わたしも、そんな人になれたらいいな~。
草々。
森井瞳──3023.5.18




