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アリーツワの森  作者: momo
忌み人の名と四冊の禁書
8/37

【2】グローリアの天宮殿 3

 


 地下書庫からにじみ出てきた影のように、男はひっそりと歩き出した。体重を感じさせない動きで、朝の光溢れる庭園の中を移動していく。

 王宮の敷地は広い。

 西門に近い書庫から、天宮殿の禁中へ行くとなると、だだっ広い庭園を延々と歩く必要がある。

 それにかかる時間をざっと目算し、うんざりと嘆息した。最短距離を突っ切ったとしても相当な時間がかかる。

 加えて、手続きをふまずに、つまり人目に触れずに天宮殿の主に会おうというのだ。

 行程を考えるとさらに溜息が零れ落ちる。

 とはいえ、当てがないわけでもなかった。


 男の知っている王女時代のエリザベト=グロリエは、毎朝の散歩を楽しみにしていた。

 彼女の私室にはテラスがあり、そこからいつも庭に出るのだ。そして裸足のまま庭を散策する。彼女だけの箱庭を。

 昔一度だけ入ったことのあるエリザベトの庭は、その当時は何の囲いもされていなかった。それだけでなく、他の庭園から隔離されているわけでもなかったのだ。もちろん、複雑に入り組み、非常に分かりにくい立地にはなっていたが。

 もし、彼女の箱庭が変わらずあるならば、上手くすれば、入り込めるはずだ。

 彼の知っている「エルゼ」ならば、塀などで囲うことは決してしなかったが、今はどうだろうか。

 今ではもう、彼女は天宮殿の主なのだから。

 女王が嫌がっても、周りの人間がそれを許さないかもしれない。

 そこまで考えて、男は失笑する。

 「そうであれば、女王を辞めると言いそうだな」

 それくらい、春の澄んだ早朝に庭に出ないなどということは、王女時代にはあり得ないことだったのだ。

 子供のときから続いている習慣が、女王になったからといってそう簡単に変わるとも思えない。

 さすがに一人で散策することはできなくなったかもしれないが、今でも朝の散歩は続いているのではないだろうか。

 ならば、彼女の箱庭にたどり着きさえすれば、あとは何とかなるだろう。


 まずは忍び込もう。

 そしてその後のことは後から考えよう。


 睡眠不足も手伝い、思考回路を単純にした男は、普段の彼からは考えられないほど早々に、あっさりと結論を出した。思考を放棄したともいえる。

 非常に悪いことに、男には残っているかどうかも定かではない女王の庭に忍び込む自信があった。

 さらに厄介なことに、男には忍び込むだけの能力が確かにあった。

 影のようにひっそりと、男は庭園の奥へ奥へとその身を滑らせて行く。

 花祭りはすでに始まっている。天宮殿もどこか熱に浮かされたようで、人の気配が絶えない。警備も強化されているのだろう、早朝であるにもかかわらず衛兵を多く見かけた。衛兵はきびきびと小気味よく動き、しっかりあたりに眼を光らせてはいる。

 だが、型どおりにしか動いていない。

 それらの眼を盗んで進むことは、男には容易なことだった。

 王宮も最深部に近い場所では、衛兵たちに油断も無いはずだが、男に気付く者はいなかった。たとえ気付いたとしても、悠然と歩く男を不審者とは思えなかったに違いない。

 実際は誰にも見咎められることはなかったわけだが。

 そして。

 ほどなくして、男はたどり着く。

 今ではもう、グローリアの女王になってしまった昔馴染みの庭に。



 塀はなかった。

 昔、一度だけ来たことのある箱庭の記憶のままに、それはあった。

 いや、以前よりも花の種類が増えた。あふれんばかりに春の花が咲き乱れている。名もない野の花も王宮でのみ咲かせられるような高価な花も、一緒くたに咲いているのが少しばかり不思議だが、この箱庭ではとても普通のことに思えた。

 萌えはじめた若葉を大切にしながら、庭の木々が静かに闖入者を見下ろしている。変わらないようでいてこの庭も変化している。男の記憶では、木々はもっと小さかった。

 男はひっそりと歩を進めながら、思い出と現在を重ねて見ていた。

 一本の樹木の下で立ち止まる。その木は幹は太いがあまり高くなく、横に広く枝を広げている。その枝枝には控え目な白い花がほころんでいた。

 ふわりとした香りが男を包む。

 微かに呟く。

「今もここに来ているのだろう?」

 答える声はもちろんない。

 ただ、梢がさやさやと揺れて頭上に白い花びらが散る。より強い芳香が上がった。

 男の問いに木がうなずいてでもいるようだ。事実、男は微笑してうなずく。

「そうだな。そう簡単に楽しみを諦めるエルゼではない」

 確信を得た男は、足取りも確かに庭を進んでいった。

 そして、目当ての人物を見出した。


 小柄な女性だった。

 前方、太く張り出した枝にかけられたブランコに腰掛けている。

 真っ白な寝巻きを風に戯れさせながら、軽やかにブランコをこいでいる。

 女性は、とても印象的な造形をしていた。

 まず眼を引くのはふわりと青い瞳だ。

 澄んだ秋空の色をしているのに、気だるげに見えるのは少し下がり気味の目じりのせいだろうか。それとも、左目の下に控え目に置いてある小さなほくろのせいだろうか。目元が何とも言えない色香に染まっている。

 同じことが口元にも言えた。ふっくらと形の良い唇から微かに見える真珠のような歯すら、蜜のように甘い。

 それなのに、すっと通った鼻梁はむしろ冷たい印象を受ける。ゆるやかにウェーブする金髪が縁取る頬も、滑らかではあるが柔らかくはない。

 官能的なまでの甘さと、厳しさすら窺わせる冷たい造形が、彼女の容姿の中では混在していた。

 その際立った美しさに潜むアンバランスさは、彼女の体形にも現れていた。

 小さな、長身の男からすれば子どものように小柄な女性である。

 一見ほっそりしているようだが、薄手の寝巻きははっとするほど身体のラインを隠さない。彼女の身体は出ているところはしっかり出ていて、締まるところはしっかり引き締まっているのがわかる。匂い立つような姿だ。

 大人の色香溢れる女性が、まるで幼子のように小さな花々に眼を奪われている。

 妙齢の女性なのに、まるで小娘のように夢見がちだ。背中に羽が生えたかのように、ふわりふわりと現実感がない。

 正面から近づいてきている男には、全く気付く気配がない。

 これにはさすがに苦笑した男である。

 せっかく楽しんでいるところなので悪い気もしたが、このままでは埒があかない。

 仕方なく声をかけようとすると、一拍早く女が呟いた。

「隼人、どこに行ってしまったの?わたくしに何も言わずに消えてしまうなんて……」




「隼人……?」

 それまで相づち程度しか声を発していなかったリアンが、驚きの声を上げる。

「どうした?」

「その方、お兄様が留守の間にお見えになられたわ」

「いつだ?」

 俄かに男の顔色が変わった。

「お兄様がお出かけになられてからすぐよ」

「入れ違いだったのか……!何か言っていたか?どのような様子だった?一人だったか?」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に戸惑いつつも、リアンは端的に情報を伝える。

「お兄様の留守をお伝えしたら、少し疲れたご様子で「アリーツワの森の長なら、オレがこれからどうすれば良いのかもわかるんだろうか」とだけおっしゃって行ってしまわれたわ。お一人でした」

「何か持っていたか?」

「立派な黒い表装の本を一冊。――……以前、森の奥館で拝見させていただいたあのご本とそっくりでしたわ。かなり凝った模様がいくつか浮き出ている表装の。森の書物はあかがね色の表装でしたけど、色以外は本当にそっくりで、驚いてしまいました。……ああ、でも飾り文字の題名だけは違っていましたわ。たしか……」

「よせ!」

 制止の声は少し遅かった。

 何かに憑かれたかのようにリアンはその名を音に出す。


「『ドゥンケルブーフ』」


 その瞬間、明るい室内にあってリアンは闇に包まれた。

 深く暗い井戸の底のようにじっとりとした暗闇が、言葉を発したリアンを取り囲んで包み込む。

 急激に視界が翳っていき、正面にいるはずの男の姿すら見定められなくなった。

 闇の密度が濃くなり、じわじわとリアンを締め付ける。

 指の先からつま先から、闇が侵食して暗く染め上げていく。

「あ……いやぁ!」

 わけもわからず、自分で自分を抱くようにうずくまってしまった。

 かたかたと震える妹の肩を、男は急いで抱きしめた。

 弾かれたようにリアンの身体が大きく跳ね、口から悲鳴が上がる。

 細い身体のどこにこれだけの力があるのか、物凄い力で暴れて男の手から離れようとする。完全に恐慌状態に陥ってしまった彼女は、自分の兄のことも認識できなくなってしまっているのだろう。

 だが魂消えるような悲痛な叫びに眉をひそめながらも、男は決してリアンを放さなかった。

 しっかりと抱きしめて、耳元で言の葉を紡ぐ。

 一音一音に力を込めて。

 彼女の名前を紡ぐ。

 

「リアン」


 闇が崩れた。


 キンッ!と、甲高い耳鳴りがした気がした。

 厚い雲の隙間から光明が差し込むかのように、リアンの視界がさっと開ける。

 真っ直ぐにリアンを見つめる夜空の瞳が飛び込んでくる。

「……お、お兄……さま」

「リアン。良かった」

 水から出たたばかりの人のように必死に酸素を肺に送り込みながら、兄にさらに強くしがみつく。

「お、お兄様……い、いま、わたくし……」

 思い出そうとするだけで涙が溢れてくる。

 震えの止まらない背中をそっとさすりながら、男はほっとしていた。

「無事でよかった。あの書物の名は、闇を呼び込む。――もう二度と口にするなよ」

 男はリアンが落ち着くまで、ずっとそうして抱いていた。

 そうしながらも、瞳を深く光らせて何ごとかを考えている。

 どのくらいそうしていたか。

「――落ち着いたか?」

「え、ええ。ごめんなさい」

 やっと男の胸から離れると、恥ずかしそうに謝る。それに穏やかに笑いかけて、最後の質問をした。

「俺の留守中、それ以外に誰か来たか?」

「あとは、お兄様が書庫にいらっしゃる旨のお手紙を図書頭様からいただいただけですわ」

「そうか」

 うなずいて、つと立ち上がる。

 座り込んだままのリアンに言葉少なに呟く。

「少し、出かけてくる。リアンは少し休んでいなさい」

「お兄様?休まれるべきはお兄様でしょう?……お兄様!」

 リアンの制止の声は、今の男には届かなかった。




どうもきちんと予約投稿できていなかったみたいです。申し訳ありません。

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