【1】 さまよえる庭4
忌み人、と呟いたのは誰だったか。
顔色を無くしたライヤを、薄く笑みを浮かべた男が見やる。
「俺の力は強大すぎたのだそうだ。俺の名を聞けば人は愁いに沈み、俺の名を呼べば憂いに捕まった、らしい。実際のところ、どれほどだったのかなどは知らぬが。――……俺の力を封じるために、先の女王は俺の名を禁じた。」
「……こいつの10の誕生日でした」
「ずいぶん昔の話だ……」
――それに、名を禁じた程度で俺を封じた気になってもらえるのなら、安いものさ。
最後の言葉は胸の内でのみ呟く。
ライヤはどう反応したら良いのか探りかねているようだ。
苦笑しつつ立ち去ろうとした男に、友人が戸惑いつつ問う。
「……お前は今、どこにいるんだ?」
「もともと森長には北大門近くの離宮が下賜されているんでな、そこにいる」
「そうか。近くあそ……」
「遊びに来るなどと言うなよ?お前は今、大賢者の覚えめでたい武人なのだろう?忌み人に好んで近寄ることはない。せっかくの経歴に傷がつく」
ダンカンの言葉を遮って釘をさす。純粋に友人を思っての言葉だったのだが、大反発にあった。
「馬鹿ぬかせ!友のところに遊びに行って何が悪い!何故周りの目を窺わねばならん!」
「そうですよ。さすがにちょっと驚きましたが、だからといって、……そうです、私も一緒にお邪魔すればいいでしょう?ダンカンは私が供として連れてきたことにすれば」
いつの間に浮上したのか、大賢者までがそんなことを言い放つ始末だ。ダンカンもここぞとばかりに賛同する。
「おお!良い考えですな。さすがはヴァイゼ!それならば誰も何も言えんはずです」
「良い茶葉が手に入りましたから、それをお土産にしましょう」
「む、ならば俺は秘蔵の酒を出しましょう!」
二人で勝手に盛り上がっている。このまま一緒に乗り込んで来そうな二人を男が諌めた。
「それこそ止めてもらいたい。忌み人のところへ大賢者がお茶に来るなど、前代未聞だ」
「お前!いつの間にそんな人の眼を気にするような小粒になった!?なさけ無いぞ!」
「全くです。人の噂など、気にする必要はないでしょう?」
「そうだとも!大体何だ!忌み人忌み人としつこい!お前がお前であること以外、後は俺には関係ない!」
「わからぬ奴らだな。俺が、迷惑だと言っているんだ」
あまりに冷たい言い方に二人が一瞬止まった。
これで諦めたものと踵を返した男だったが、それはどうやら早合点のようだった。
「それがどうした!お前の迷惑など関係ない!俺が、行きたいから行くだけだ!」
「大賢者は、どこで何をしても自由なのですからね。まあ、はっきり言ってあなたの許可があろうがなかろうが、知ったことではありません」
もはや訪問する立場を忘れたとしか思えない言い分だ。
いい加減うんざりした男は、二人を無視して帰ろうとする。
そこに追い討ちをかけるようにダンカンが言い放った。
「待て!一緒に行けば館の位置を調べる手間が省ける」
本当に今すぐ押しかけてきそうな鼻息だ。
とうとう、諦めの嘆息を吐いた男だった。
「……せめて、式典が終ってからにしろ…………」
「仕方ないがいいだろう」
「そうですね。妥協しましょう」
無理やりお茶会の予約を取り付けた二人は、大喜びに喜んだ。
お互いの健闘を讃えあっている。
一方、男はというと、面倒なことになったと、急に痛み出した頭に手をやっていた。
早くこの場から逃げようとそっと身体を引いたのだが、目ざとい二人がこれを見逃すはずがない。この場からの逃走は三度目も失敗に終った。
「待て。まだ話は終っとらんぞ!」
「……何だ」
「お前、まさかとは思うが式典が終り次第森へ帰る気ではないだろうな」
「それはいけませんね。約束はしっかり守らなくては」
「約束した覚えすらないのだが」
もちろん、この訴えは二人に黙殺される。
それにそもそも強引に取り付けられた約束なのだから、破っても問題はなさそうなものだが、どうにも男の分が悪い。
「お前のことだ。間違いなく素知らぬふりで帰る気だろうがそうはさせんぞ!」
「そうです。そのとおり。監視が必要ですね」
「おお!それは良い考えですな、ヴァイゼ!ですが、明日は俺も任務に就かねばなりません。こいつを見張ることができません」
「そんなもの、誰がいるか」
「だが!心配するな」
男の呟きを無視して、ダンカンはヴァイゼを仰ぎ見る。
「式典中は大賢者殿がしっかりお前を見張って下さる。そうですな?」
「ええ、もちろんで……す。ええ?」
勢いのまま思わず頷いてしまったライヤは、数拍の間自分の失敗に気付けなかった。
己の言葉を訂正する前に、ダンカンが勝利の雄叫びを上げる。
「聞きましたぞ!ヴァイゼ!!今、確かにあなたは式典に出るとおっしゃった!!」
「そ、そんなこと、言いましたか?」
「往生際の悪いことをおっしゃいますな。何事も諦めが肝心ですぞ!証人ならほら!ここに!!」
片手で顔を覆ってしまっている男を指し示す。
「聞いたな!?ヴァイゼは確かに出るとおっしゃっただろう?」
泣きそうな顔でこちらを見ているライヤが視界の端に映る。今ここでダンカンの言葉に頷いてしまったら、呪われそうだったが、それよりも男にはダンカンの熱さが嫌だった。
げんなりとした表情を隠す気力ももうない。どうとでもなれと首肯すると、ダンカンはまさに鬼の首を取ったかのようにふんぞり返った。
「さあ、ヴァイゼ!ゆめゆめお逃げなさいませんよう!当日は俺が迎えに参りますからな!しっかり支度なさっておくように!ああ、一刻も早くグローリア女王とベルナディス家の当主にお伝えせねば!!――親友!感謝するぞ!お前のおかげで七年ぶりにヴァイゼが式典に出て下さる!!お前の監視も、ヴァイゼはしっかり務めて下さるぞ!お前も茶会からは逃げられんからな!!感謝する!」
一人踊り上がって喜ぶダンカンを、二人がじと目で睨む。だがもちろん、今の彼は蚊に刺されたほども感じていないのだろう。
降って沸いた幸運に心躍らせながら、挨拶もそこそこに立ち去っていった。
男は疲れたように首を振り、大賢者を見やる。二三声をかけるが全く反応しない。
彼は真っ白になっていた。大柄なはずの身体が、ふたまわりほど小さく見える。
諦めて短い辞去の言葉を述べると、男もひっそりと消えていく。
後には硬直したままの大賢者が一人、いつまでも残っていた。