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アリーツワの森  作者: momo
忌み人の名と四冊の禁書
3/37

【1】 さまよえる庭2

 老人はかわいそうにも、心臓の辺りを押さえている。

 よほど驚いたのだろう。大きく見開かれた薄水色の瞳が、まじまじと男を見つめている。

 その老人を、男は無表情に見つめ返していたが、腹の中では、(発作を起こして倒れられたら困るな)などと、失礼なことを考えていた。

 老人はしばらくの間必死で動悸を抑えていたようだが、やがてばらまいてしまった書類のことを思い出したのか、慌ててかき集めはじめた。それが終わるや否や、さらに大慌てで声をかけてくる。

「こんなところで、どうなさいました?具合でも悪いのですか?」

 具合が悪いのはそっちだろう、と思ったが口にはしない。無言でいると、気を利かせたのか、誰か人を呼ぼうか尋ねて来る。

 それは遠慮したいので微かに首を振る。

「そうですか。……花祭りにいらした方ですか?」

 少しかすれた、抑揚の少ない声が男の耳に優しく届く。

 男が小さくうなずいて見せると、老人は嬉しそうに笑った。老齢の男性に使う表現としてはどうかと思うが、陽だまりのような笑顔だ。

「天宮殿へようこそ。――あちらでお茶にしませんか?先約があったのですが、昨晩騒ぎすぎて二日酔いだと連絡が来ましてね……。ご一緒してくれる方を捜していたところです」

 老人は男が受けてくれると信じて疑わないようだ。

 にこにこと、男の承諾を待っている。

 しかし、男としては当然のことだが、名も知らない全くの初対面から突然お茶に誘われるとは思ってもみなかった。

 一体どんな性格をしているのかと相手を見やり、違和感を覚えた。

 この人物のどこかにひどく不自然なものを感じる。どこがとは、はっきりわからないのだが。

 せっかく消えかけた警戒心が再び頭をもたげる。

 だからほとんど躊躇うことなく、口を開いた。

「申し訳ないのだが」

 短い辞意の言葉に、老人はむしろ驚いたようだ。

「私に会いに来てくれたのでしょう?」

「何故、そうなる?」

 警戒の色がありありと出ている疑問だった。棘のあると言ってもいい。

 男の様子に老人はやっと自分が勘違いしていたことに気付いた。慌てて謝罪してきた。

「……違ったのですね?申し訳ありません。私の庭にいらした方だから、てっきりお客様かと……」

「ご老体の庭?それはおかしい。俺は王宮の庭園を歩いていたはずなのだが」

 言いながら、男は自分が抱いた疑問を思い出していた。


 見えなくなっていた王宮の庭園。そして迷い込んだというよりも、飲み込まれたかのような感覚。


 ここは確かに、天宮殿の庭園ではないのかもしれない。

 軽い動揺を覚える。

 老人も驚いたようだ。だが男のそれとは種類が違っていた。

「私に会いたいわけでもなく、ここに入る意思もなかったあなたが、この庭にいた?そんなことが……」

 男には何のことなのかわからない。しばらくは説明を待ってみたが、老人は目の前に人がいることを完璧に忘れているようだ。なにやらぶつぶつと呟いている。

 仕方なく、端的に訊ねることにした。

「ご老体。俺には全く話が見えぬのだが、ここは王宮の庭園では無いのだな?」

「あ、ええ……でも、それが本当なら。いや、でもまさか…………」

 半ば無意識のうちに答えが返される。そして老人はまた自分の思考に没頭してしまった。男は根気良く質問を続けた。

「では、ここはどこなのだ?」

「……ええ」

「ええではなく、俺が、どこに、迷い込んだのか、教えていただきたいのだが?」

 老人がやっと意識を外に向けた。慌てたようににっこり笑う。

「ここは『彷徨える庭』です」

「…………」

「あなたは恐らく、王宮の庭園を「彷徨っていた」この庭に、知らずに入り込んだのかと。それとも……受け入れられた…………?」

 男はひとつ大きなため息を吐いた。

「――馬鹿も休み休み言っていただきたい」

「なっ」

 さすがに気色ばんで反論しようとした老人に、男は無表情のまま、淡々と言葉を綴る。

「『彷徨える庭』というと、――明確な位置を特定できぬが、王都、特に王宮の庭園内を不定期に移動しているといわれ、入り口を見つけても次の瞬間には消えてしまうこともあり、またその入り口自体いつでも開いているわけでもないので捜すだけ無駄だという、あの『彷徨える庭』?」

「――……そ、そうです」

「『彷徨える庭』を見出し、かつ受け入れられることが大賢者であるための必須条件の一であり、そのため庭は当然の権利として大賢者が保持することとなり、輩出されない時代はほとんど忘れられてしまうほど滅多に人を受け入れず、かつ見つけられもせず、ゆえに大賢者が保持している時期もかの者の許可なくしては入ることはおろか庭を垣間見ることさえ難しい、その『彷徨える庭』?」

「――…………そのとおり、です。よ、よくご存知で」

 洪水のように溢れ出す言葉に、老人は引きつった笑顔を浮かべている。首頷することが精一杯の様子だ。

 男はしかし、悠然としたものだ。

「それはもう、書庫で定義文を読んだばかりなので」

「……は?」

 老人の疑問には答えずに先を続ける。

「その、『彷徨える庭』に、俺が受け入れられた?」

 ここで、男が微かに笑った、ように見えた。

 初めて表情が変わった男に、笑顔を向けられたはずなのに、なぜか悪寒が走る。

「あまり迂闊なことを口にされぬことだな」

「え?」

「その言い分では、俺にヴァイゼの称号を戴く権利があるとおっしゃっているようなもの。――違うかな、大賢者ヴァイゼ=ライヤ?」

「あ、あの、何故私を……?」

「『私の庭』、『私に会いたいわけでもないのに、庭に入った』……。ここまでお聞きして気付かないでいるのは至難の業ですよ」

 軽く言われて大賢者と呼ばれた老人が赤面する。

「そ、そうですね……。そのとおりです。……でも、あの、敬語はよして下さい」

 今度こそ、男は口元に柔らかな笑みを浮かべた。

「大賢者相手に、敬語を使うなとおっしゃる?」

「ええ。人がどう言おうと、大賢者などという立派な名称は私には過ぎたものです。私は、ただの年寄りなのですから」

「なるほど……年寄り?」

 せっかくの笑みが、突然冷たく変わった。男の印象的な眼がすっと細められ、墨を流したような瞳に光が宿る。老人の背後にあるものまで見るように、鋭く見つめる。

「ただの年寄り?」

「ええ」

 にこりと頷いた老人に、男は鼻を鳴らした。

「年寄りというには、ずいぶんお若いようだが」

 老人が眼を見張る。

「私が老人ではないと?自分で言うのもなんですが、これだけ長い白髭の老人はなかなかおりませんよ?」

「まあ確かに見事な髭だが、二十歳過ぎなら髭も伸ばそうと思えば伸ばせる。それに、あんたのそれは、白ではなく白銀だろう」

「…………似合いませんか?」

「似合わなくはないと思うが、違和感を覚えるな。板に付いていない」

 あまりにはっきり言い切られて、年若い年寄りはとうとう諦めた。がっくりと肩を落とす。

「私自身はそんなつもりもないのに人から大賢者などと讃えられますと、こう、面映いような、恥ずかしいような気持ちになるのですよ。先達の中には私よりずっと優れた方々が多くいらっしゃるのに、その方々を差し置いて私が大賢者などと……ねえ?だからせめて格好だけでも大賢者らしくしようかと……。似合いませんか?やっぱり駄目ですね。やめた方がいいのでしょうか」

 理由にならない理由に、男も苦笑するしかない。

「見かけを気にするより内面を磨く努力をしたほうがいいと俺は思うが、それは個人の自由だからな。好きにしたらいいだろう。どうにも違和感があったため訊いただけで、人の趣味をとやかく言うつもりはなかったのだ。気に障ったのなら謝ろうが」

「……いいえ。お気になさらず……」

 どうにもこうにも、謝罪を受けた気にならない大賢者であった。

 しかし男は全く気付かぬ様子だ。

「――そんなことよりも大賢者の知識を拝借したいのだが」

「……私などでよければ喜んで」

 自分の大事な髭を「そんなこと」扱いされて大いに傷ついたが、何とかそう答える。

 快諾を得たと、言葉を続けようとした男だったが、大賢者に届くことはなかった。

 割り込んできた大声にかき消されてしまったのだ。

「ヴァイゼ!やっと見つけましたぞ!!」


 

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