【6】 忌み人の名 3
三人が対面してからそれなりの時間が過ぎていた。
ふと、ダンカンは周囲の異常さに気が付いた。
彼らに声をかける者はおろか、近づいてくる者さえいない。いくら外れとはいえ、式典の主会場になっている中央庭園の一角である。人の姿もそれなりにあるのに、奇妙なことである。だが、まだ若葉も萌えない木々が、三人の姿を上手く隠しているのだろうか。
常ならぬ様子にひっかかりを感じながらも、なぜか集中できずにいた。常ならぬといえば、大賢者の様子なのだ。あまりに平常と違う彼の様子が気になり、ほかのことにうまく集中できないのだ。
奇妙なほど静かな空間。ダンカンは大賢者を見つめる以外、何もできずにいた。
ふと、ライヤが遠い目をする。
何を思い出したのか、眉尻が下がっている。
「私の大賢者としての日々は、常に彷徨える庭とともにありました。人との交わりを最小限にとどめ、人目を避けるように彷徨える庭に籠る日々。穏やかで、緩やかに死に近づいていく様は、甘美的ですらありました」
「……不健康ね」
ぼそりと言われた言葉にさすがに苦笑をこぼす。
「そのとおりです。庭と心中するような、死を希うような生き方をしてきました。はたしてそんな不健康な生き方が、ハンスが命がけで伝えてくれた生き方に沿うのでしょうか……?――……彼は私に自由に生きろと言ってくれたのに」
それは彼女にとっての禁句だった。エリザベトの感情が爆発する。
「ハンスハンスと彼の名を気安く呼ばないで!!彼が命を懸けたのはあなたなんかのためじゃないわ!」
「そう、彼は、貴女との未来のために賭けに出たのです」
「………っ!」
女王の仮面が滑り落ちた。仮面の下に隠されていた女の顔が今にも泣きそうにゆがんでいく。
「先読みに優れた彼ならば、その未来を掴む可能性が限りなくゼロに近いことを知っていたはずです。それでも……」
「……い、や。聞きたくない」
ふらり、上半身が傾ぐ。ダンカンが支えなければ、エルゼはそのまま倒れたかもしれない。
その顔をしばらく見つめていた大賢者ライヤであったが、前ふりもなく深く腰を折った。
「……深く、深くお詫び申し上げます、エリザベト女王陛下」
震える身体をダンカンに預けたまま、女はぼんやりとその様子を見ていた。頭が理解を拒否するかのように働かない。
何の反応も返ってこないことよりも、己が内の呵責に耐えられなくなり、ライヤは堪らず崩れ落ちるように跪いた。今までの冷徹さは冷静さを保つための精一杯の虚勢だったのだろう。震える声を絞り出すように紡ぐ。
「私は確かに、陛下を拒絶したことは一度もありません。しかしながら、貴女をお招きすることもまた、できなかった。庵に近づいていただきたくなかった……。あそこは貴女の最愛の人が青の書に精神を食われた場所です。そんなところに貴女を入れたくなかった。――……けれども、ああ、陛下。彷徨える庭は、ヴァイゼの庵は、彼が、ハンスが最も愛した場所でもあるのです。そこに、今、彼の命を宿した書が眠っているのです。……私は、貴女をお招きしたくして仕方がなかった。――……彼の愛した庭をお見せしたくて、彼が倒れた場所をお見せしたくなくて。彼が渇望した書をお渡ししたくて、そして、彼を殺した書を……、どうしても……渡すことができなかった!!…………申し訳ありませんエリザベト様。私は、私は……、貴女の最愛の方を、お守りすることが、できなかった……!!」
女王の足元に跪き、絞り出すように陳謝する。すぐに押し殺した嗚咽が漏れ出した。とぎれとぎれに、謝罪の言葉も重なる。
そんな大賢者の様子を見下ろしながら、女はわなわなと震えていた。
「……けないで」
「……?」
「ふざけるな、と言ったのよ」
押し殺したような言葉に、ライヤはさらに低く頭を下げる。
「申し訳も、ございません……」
「…こ、の……馬鹿者!」
「は……」
「あなたが先に泣いて取り乱したら、わたくしが泣けないじゃない!」
「……え?」
ぽかんと顔を上げた大賢者を、女は下品にも鼻で笑った。先ほどまで眦ににじんでいた涙も、どこかに吹き飛ばす勢いだ。
「大のおとながピーピー泣くんじゃないわよ!見苦しい!わたくしと取引したいのであれば、あなたはわたくしの許しを請うてはならないのではなくて!?」
「も、申し訳…………」
「謝罪は受け付けないと言ったでしょう!そんなことより、いつまで這いつくばっているつもり?見苦しいわね。さっさとお立ちなさい」
「え……あっ、は、はい」
わたわたと立ち上がるライヤを、もう一度鼻で笑う。
「あなた、わたくしに謝る暇があるのなら、さっさと彷徨える庭に招待なさい!あなたのいいようにしてあげようから!」
「陛下。軽々しくそのように口にされては……」
「うるさいわね、ダンカン!あなたは少しお黙りなさい。今は時間がないのよ?どうせ飲むしかない条件なのですから、早く片付けたほうがいいでしょう!?駆け引きなんてしている暇はありません」
「例えそうだとしましても」
「それに!!昔はハンスが、今は貴方が一番ヴァイゼ=ライヤのことを分かっているのでしょう?わたくしはライヤを知りません。ですが、貴方のこともハンスのことも良く知っているつもりよ。どうしてわたくしが二人を疑えるというのよ。あなたたち二人とも、この男のことを悪く言ったことは無いのよ?」
自分が信用する二人に信を置かれている男を、どうして信用しないことがあるのかと言いたいらしい。
ダンカンの頬に朱が指す。なかなか素直に自身の感情を伝えない主君からの、全幅の信頼である。面映ゆさを感じる余裕もない。あきらめた。
全面降伏だった。
ダンカンは遠くを警邏する近衛を見とめ、大音声で呼び寄せる。
女王に少々疲れが見えること、大賢者が女王を彷徨える庭に招待していること、ちょうどいいので大賢者の庭で少し休むこと、それらを急いで書きとめると、式典の運営を司る式部省の責任者に渡すよう言いつける。
「行先は彷徨える庭になるのでどう探しても見つからなくなるだろうが、俺が陛下のおそばにいるので警護については心配するな。あまり遅くはならぬつもりだが、万一の時は上手くつじつまを合わせてほしい。そうお伝えしてくれ」
「はっ」
衛兵が立ち去るのを見届け、ダンカンは二人をじろりとにらむ。
「さっさと終わらせて、さっさと式典に戻りますぞ」
怒気を通り越して殺気をまとっている。
急に怒り出した近衛大将を一瞬いぶかしく思うも、すぐ原因に思いあたる。女王は額に手を当てた。
「……ダンカン、そういえばあなた、当代の式部卿とは犬猿の仲だったわね……」
「この俺が、自ら!わざわざ!奴に借りを作ったのです。――ヴァイゼ!!何をもさもさやっとるんですか!さっさと陛下を庭にお連れしなさい!」
大音声で怒鳴られ、大賢者がピッと直立不動となる。
「コ、コチラです」
先ほどまでの雰囲気はどこへやら、おたおたと動き出したのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
この作品を投稿しはじめ、1か月が過ぎました。完結まで途切れさせずに投稿していきたいと思います。これからも応援よろしくお願いします。




