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アリーツワの森  作者: momo
忌み人の名と四冊の禁書
23/37

【5】 花祭りの式典 3

 

 月光とその影のような二人は、ひどく目立っていた。

 彼らがが左に移動すれば衆目もそちらに動き、右に移動すればそちらが騒がしくなる。

 誰もが優雅に、しかし熱心に二人を窺う。ひそひそと出自を探り合う。そんな周囲を尻目に、二人はそ知らぬふりで花を愛で、春の麗らかさを楽しんでみせる。

 非常にくつろいだ様子の二人なのだが、近づき声をかける勇気ある者はなかなか現れなかった。彼らは、それだけ近寄りがたい高貴さをにじませていたのだ。

 女王による宣誓が済み、順調に式が進んで行っても、好奇の眼は増えるばかりで二人に直接話しかける者は皆無だった。


 しかし、やがてその人物は現れる。

 それは口元に穏やかな笑みを浮かべて、悠々と歩いてきた。

 白銀の長髪をきっちりとひとつに束ねて後ろに垂らし、胸までもある同色の髭は綺麗に梳られて、鉱物のような光沢を放っている。

 その人物が賢者の正装であるところの青いローブを纏っていることに気付いた人々から、驚きの声が上がる。

「――なんて神々しい……」

「どなたかご存知?」

「いや、あの出で立ちは賢者のものですが、……あのような方が元老院にいらしたか?」

 その人物を知る者もまた、いないようだった。


 男にも一瞬彼が誰かわからなかった。

 男の知る人物とは、何かが決定的に違っていたからだ。

 彼が月と影のような二人に近づいているとわかると、あたりからざわめきが起こる。今や庭園は三人の「異邦人」を中心に、興奮の渦が巻き起こっていた。

 さざなみのように広がったそれは、しかし三人が向かい合ったところで急に静かになる。

 しわぶきひとつ聞き漏らすまいと庭園自体が巨大な耳のようになっている。

 張り詰めた空気と視線はいっそ痛いほどだったが、その人物は穏やかな表情のままに、ゆるゆると腰を折った。

 その時には男はおもしろそうな笑みを浮かべていた。かるく首肯する。

「趣をずいぶん変えられたな。一瞬どなたかわからなかったぞ、大賢者ヴァイゼ=ライヤ殿。ずいぶんと、堂々とされておいでだ」

 その言葉が最後までライヤの耳に入ったかどうか。

 あたりからわき起こったどよめきにかき消された言葉を、しかしライヤは正確にくみ取って、微苦笑を浮かべる。

 そう、今ではたとえその豊かな髭があったとしても、決して老人には見えなかった。

 何一つ変わったわけではないのに、何もかもが全く違って見えた。風ひとつで吹き飛びそうな弱弱しさは、もうどこにもなかった。人のよさそうな表情はそのままなのに、すっきりと立つその姿には威厳すら感じられる。

 表情一つ、立ち姿一つで印象をがらりと変えたライヤを、面識の少ない男が一瞬わからなかったのも仕方のないことだった。

「偽ることをやめたんです。ハンスが言ってくれたように、もっと自由に生きようかと」

 そっとささやかれた言葉は、男以外の人物に届くことはなかった。庭園は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。もちろん、それは上流階級の人々のこと。あからさまに騒ぎ立てることはないものの、さざめくような言葉のやり取りと、そして何よりも異常な熱意を持ってこの人物たちを見つめている。

 そして、物見高い人々に、ライヤはさらにとんでもない爆弾を投げつける。

「それよりも、ご挨拶が遅れて失礼をしました、アリーツワの森の長殿」

 それはもう、どよめきなどという優しいものではなかった。むしろ悲鳴があちこちで上がる。


 大賢者と森長。


 王位に次ぐ重要な地位であり、そして有名人物である。しかも彼らは現女王の就任以来、本当に数えるほどしか人前に出てきていない。このような公式の場所に、しかも二人並んで立っていることなど、今まで有り得なかったことだ。恐ろしいことに。

 あたりがあまりのことに我を忘れるのも致し方ないことだろう。

 その騒ぎように、ライヤはひどく苦笑する。

「だから人前には出たくなかったんですよ。こんな珍獣扱いされてはまったく落ち着けません」

 男もまた苦い笑みを浮かべると、そして心もち声を張り上げた。そうしなければ相手にまで声が届かない。

「この騒ぎの半分は俺のせいだろうから、何とも言えぬが。――それにしても、こうも騒がれては確かに落ち着けぬな。もう少し静かなところに行かないか?」

 男の提案はもっともなものだった。とてもではないが落ち着いて話が出来る環境ではない。

「ああ、それがいいですね。――その前に、こちらのお嬢さんを紹介していただきたいのですが」

 リアンは顔を向けられて、軽く膝を折った。

「そうだったな。俺の妹のリアンだ。リアン、こちらは大賢者のヴァイゼ=ライヤ」

「リアン=ハーゲンと申します。どうぞお見知りおきを」

「はじめまして。ライヤ=ベルナディスです。ライヤと呼んでくださいね――……森長殿の妹君?」

 ライヤが何を言いたいのかわかってしまってリアンは微笑む。

「ええ、あまり似ておりませんが、実の兄妹です」

「ああ、いえそのようなことをお聞きするつもりでは……。礼を欠いたことを申しました。お許しいただけますか?あまりにもお美しいので、驚いてしまいまして」

 さらりと言ってにっこりと人好きのする笑顔を向ける。

「大賢者殿、人の妹を勝手に口説かれては困る」

「あ、いえ、そんなつもりはないんです。ほ、本当ですよ……?」

 大慌てに慌てた大賢者に、リアンは堪らず笑い出した。小さな鈴のように軽やかに、楽しげに笑う。

 ライヤもまた、恥ずかしそうに頭を掻いた。




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