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アリーツワの森  作者: momo
忌み人の名と四冊の禁書
22/37

【5】 花祭りの式典 2

 

 彷徨える庭で隼人と対峙した際、男は少年が背負っている重荷を正しく理解した。自我を保って冷静に話をしていられる状況は奇跡に近い。無理矢理抑え込んではいるが、顔色は優れない。このままでは近いうちに書を制御できなくなることは明確だった。

 少年の限界を正しく見定めた男は、大賢者を交えた話し合いに区切りがついたとき、ひとつ提案をした。

「少年、遊ばないか?」

「……何?」

「俺と手合わせをしないか、と言っている」

 少年が軽く眼を見開く。

 一瞬のためらいの後、瞳に悪戯気な色が宿った。

「怪我しても、知らないよ?」

「できるものなら、な。いくらでもどうぞ」

 揶揄する男に、少年は苛立ちをあらわにする。

 そして感情のまま男にまっすぐ突き進んできた。

 十代前半の子供とは思えないほどの速さと鋭さで、蹴りを入れる。それを男は一歩も動かず避けてみせた。

「・・・・・・へえ」

 隼人の瞳が煌めいたかと思うと、裾が不自然にたなびいた。

 風が右腕に纏わり始める。それだけではない。少年の足元にも、風が集まってきている。

「今度のも、避けられるかな?」

 口元に楽しげな笑みを浮かべたまま、先ほどとは段違いのスピードで男に肉薄する。

 轟と風が唸りを上げる。

 段違いの速さで、打撃が繰り出される。

 男はそれも、笑みを浮かべたまま、紙一重で避けてみせた。

 少年はそこに畳み掛けるように次々と攻撃を繰り出してくる。



 妹に語るためにその時の様子を振り返っていた男は、知らず笑みを刷いていた。

「――実際、隼人は思った以上に黒の書を扱えていた。単なる暴走ならそれはそれでやり方があったのだが、少年は実に上手く攻撃を仕掛けてきたからな。天賦の才があるのだろう。自身の業である風を実に上手く使い向かってくるものだから、つい、興に乗ってしまってな」



 そう、実際のところ、男は実に技の応酬を楽しんでいた。思った以上に手ごたえのある相手に、当初の目的すら忘れかけていた。誰のための手合わせなのかわかったものではない。

 初めこそ、軽くいなすつもりで。しかしだんだん白熱していき。

 あたりの空気が、男からいくばくか冷静さを失わせていった。それより何より、そうした技の応酬は、隼人を夢中にさせるには十分すぎた。いくら技を仕掛けてもかすりもしない男にかっとなり、隼人は突然風を飛ばしてきたのだ。

 それは文字通り空気の刃となって、四方八方に飛び出した。

 さすがの男も、刃が飛び出してくるとは思いもしなかった。そのため一瞬反応が遅れたが、おかげで風の刃のひとつが大賢者に向かっていることに気付くことができた。男は舌打ちする余裕もなく、瞬きの間に大賢者までの間合いを詰めると、そのままの勢いで彼を突き飛ばした。そしてその勢いを借りて自身も体勢を崩して刃を避けようとしたのだが、避けきれなった。風が男の腹部を薙ぐ。

 あたりに鮮血が飛んだ。

「――っ!」

 男の押し殺した呻き声と、少年の悲鳴が上がった。

 噴き出した血に、一瞬で頭が冷えたらしい。

 隼人は泡を食って傷の手当てをするよう叫んでいる。だが、男はそれを留め、静かに話しかけた。

「――これで、少しは黒の書も落ち着くだろう。体が少し楽なのではないか?」

「そ、そんなことより、手当を!」

「大丈夫だ。派手に血が飛んだだけだ、気にするな」

「で、でも……」

 食い下がる隼人に男はひたっと視線を合わせる。憂いを含んだ闇色の瞳に魅入られたように、少年は動きを止める。

「どうなんだ?楽になったか、否か」

「う、うん。体、ちょっと楽だ」

「よし。いいな。なりふり構うな。何としてもあと二日、式典まで、正気を保て。必要なら、また俺のところに来い。いつでも力をはき出させてやる」

「で、でも、その怪我じゃ……」

 男の口角が上がる。流れ続ける血など微塵も感じさせずに、大丈夫だと頷く。

「お前は正気を保つことだけ考えろ。――それ以降のことは、心配するな。俺に任せろ」

 すがるように見つめて来る少年に、男はゆっくりと頷いた。

「任せろ」



 話を聞いているうちに、血まみれで戻ってきた兄の姿を思い出したのだろう。顔色を失った妹を慮り、男はその背中をそっとさすってやる。そうしながらなぜか忍び笑いを漏らした。

「思った以上に大賢者は愚図だったので困った。一体何があったのかわからない顔のまま転がったかと思えば、そのまま気を失ってしまってな」

「そんなこと……」

「隼人もお前のような顔をしていたが……。そのあとは隼人を適当に言いくるめ、意識を失ったままの大賢者を押しつけて無理やり彷徨える庭を出た。――そこからは、お前も知っている通りだ」

「隼人さんは、大丈夫かしら……?」

「さて、な」

 ここで、二人の背後から控え目な声がかかる。式典の始まりを告げるものだった。

「時間か。行こうか」

 男が妹に向かって手を差し出す。

 その手に支えられ、リアンもすっと立ち上がった。

 今まで聞いていた話から頭を切り替えるように、一度しっかりと瞳を閉じる。そして次の瞬間にはくすりと笑っていた。

「お兄様から、衆目を集めるよう言われましたでしょう?ですからはじめはもっと奇抜で男性の眼を引くようなものを考えたの。そうすれば必然的に女性の目も集まりますから……もっと胸元の広いものとか、裾の短いものとか……」

 男がギョッとするようなことを言う。だが、リアンはにっこり笑ってくるりと回転した。

 ゆるやかに波打つ裳裾が、動きにあわせて涼やかな音を立てた。

「お色気路線は諦めましたの。どう頑張ったって女王陛下には敵いませんもの。そう思われません?」

 同意を求められたが、男は賢明にも黙っていた。

「ですから、当初の予定通りのドレスにしてみたのですけど……」

「よく似合っているよ」

 裏話を聞いてしまった後では、引きつらずに笑顔を作ることはなかなか難しかったが、男はきちんと成し遂げた。

 兄に太鼓判を押されて、リアンはとろけるように笑った。

「昨日は一日考えました。このドレスが無事だとしても、森では着る機会なんてありませんでしょう?今日でもしも汚れてしまっても、きっと諦められますわ。――ですから、楽しい式典にしましょうね」

 楽しい、に込められた意味を考えてしまって、男は軽く空を仰いだ。鮮やかな青が目に入り、眩しさに一瞬目を閉じる。

 そして目を開いた時には公的な、森の長としての表情が仮面のように貼りついていた。

「そうだな。……せいぜい、楽しませてみようか」

 そして二人は戦場に向かって歩き出した。



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