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アリーツワの森  作者: momo
忌み人の名と四冊の禁書
20/37

【4】 忌み人の思惑 6

 

 二人が思案顔で帰ったあとの居間には、少女に問い詰められる男の姿があった。


「お兄様、一体何を考えてらっしゃるの?お二人に失礼ですわ」

「何のことだ?」

「はぐらかさないで!傷はしっかり治っているのに、そんな包帯なんか巻いて」

「ああ、俺が怪我をしていると信じきっていたな」

「お兄様!」

 声のトーンが上がってきた妹に、男は冗談ともつかない口調で返す。

「お前は自分の力がどれだけ強いかわかっているのか?」

「対象とする方も知らないのに、どうやってわかれというのです。そんなことより……」

「そう、お前ですら自分以外に水の力を持つ者を知らないほど、水の素質を持つ者は珍しく、その力は貴重だ」

「わたくしは……」

「お前は自分の力がどれだけ強いのか、わかっていない」

 そう言いながら男は腹部に巻いた包帯をほどく。


 鍛え上げられ、よく引き締まったしなやかな腹筋が顔を出した。

 その腹部には、傷が、それもかなり深い傷があったはずだ。が、かすり傷ひとつ見当たらない。よくよく眼を凝らせば、辛うじてピンク色の線が引かれていることがわかったが、それだけだ。むしろ綺麗に割れた腹筋に目が行ってしまい、傷跡は目につかない。

 昨日の夕方には血が止めどなく流れていたとは思えない傷跡ともいえない傷跡を撫でて、男は呟く。

「そもそも傷を治すことができるだけの力を持った者など、今の世にはもう、数えるほどしかいない。まして、あれだけの傷をあっさり直してしまえる者となれば……。お前はずば抜けた力の持ち主なんだよ、リアン。お前だっていつ名を封じられてもおかしくはないのさ」

「…………」

「もちろん、計算高いエルゼがそんなもったいないことをするはずがないがな。衛府はいつでも水の力を持つ者を求めている。癒しは軍には必須の力だ。――ダンカンの部下になれば、毎日傷付いた武人を治療できるぞ?」

 首を振るリアンに男はさらにたたみかけた。

「それとも医者となるか?きっと繁盛するだろうよ」

「……わかったわ、お兄様。私を守ってくださったのね」


 男がうっすらと笑みを浮かべる。

「強すぎる力はいらぬ騒動を呼び込むからな。ただでさえ、これだけ煩雑なのだ。事態をさらに面倒にする必要はなかろうよ」

「そう、ですわね」

「リアンも、あたりが騒がしくなるのは嫌だろう?」

 今度はリアンが笑みを浮かべる番だった。しかもどこか悪戯っぽい表情だ。

「どうせここにいるのは式典までなのでしょう?ばれてしまっても森に逃げ帰れば、構いませんのに」

 思わぬ過激な言葉に男の眉が上がる。

「やっぱりお前は俺の妹だな。……がっかりしなくても、明後日の式典はめちゃくちゃだろうよ」

「式典中なのはもう、間違いのないことなの?」


「ああ、大賢者は旅に出るとのたまって人々の度肝を抜き、そこに隼人が乱入してきて大暴れに暴れるだろう」


 その口調は決められた予定を読み上げるものだった。

 リアンが首を傾げる。


「隼人さんが式典に乱入することは決定事項なのね?」

「エルゼたちには黙っていたがな」

「他に何を隠してらっしゃるの?」

 男は何も答えない。ただ笑みを深くする。

「……お兄様の傷、それは本当に隼人さんがやったことなの?」

「それは間違いない。……が、真実など、人それぞれだからな」

 意味深な口ぶりだった。

「お兄様は、どれだけの真実を隠してらっしゃるのかしら?」

「さあ、な。――だが、ことが起こるのは式典の間だ」

 確信に満ちた男の顔に、妹は何を見たのか。

 眉尻を下げ、哀しげに左手を頬に当ててみせる。

「それは困るわ」

「何故?」

「だって駄目よ。折角の下ろしたてのドレスが汚れてしまったら悲しいもの」

 心底悲しそうな様子に、男はたまらず吹き出した。

「そうだな、せっかくの晴れの場なのにな」

 喉の奥で笑い続けながら、やっとそれだけ答える。

 茶化すような男の様子に、リアンも嬉しそうに微笑む。久しぶりに楽しそうな兄の姿を見ることができてほっとしたのだ。

 笑いの発作がおさまるのを待って、ひっそりと問い掛けた。

「――……隼人さんを助けてあげられて?」

「…………」

 男は即答を避けて天井を見上げる。


 笑いをおさめて憂いの表情を浮かべると、それ以外の感情を浮かべたことが無いかのように、男の表情にしっくりと馴染む。先ほどまで笑っていたにもかかわらず、憂い以外の表情を思い出せないほどだ。男にあまりにも馴染んでいるそれは、声をも暗く、静かに沈める。


「あれがこれ以上、傷付かなければいい。力を使うたびに自分が傷付いている」


 あれ、が誰を指すのか容易に想像できたが、それはまた新たな疑問を投げかける。

「もしも、本当に隼人さんの名前を封じなければならないことになったら、お兄様はどうなさいますの?」

 酷なことを聞いている自覚はあった。それでも、リアンはどうしても知りたかった。

 今回の男の行動を不審に思っていたのは、ほかならぬリアンなのだ。

 名を封じられることの辛さを誰よりも知っている兄なのに、何故女王に理解を示すようなことをするのか。あまつさえ、隼人の名を封じるという女王の言に肯くことさえした。そのようなことは、男であれば決してしないことのはずなのに。

 リアンには兄の態度がどうにも解せなかった。

 だからどうしても理由を説明してもらいたかったのだが。


「まさか、先の長様のように、女王陛下に力を貸すなんてこと、ありませんわよね?」


 男は何も答えない。憂いに深く瞳を曇らせて、いつまでも黙っている。


「……お兄様は、本当は隼人さんの味方なのでしょう?」

「誰の味方でもないよ。皆が勝手に、俺を当てにしているだけだ」

「うそつき。周りがそう動くように誘導しているのはどなたかしら?」

「誘導とはひどいな」

 軽い非難にも、リアンはめげない。

 共犯者の笑顔で尋ねてくる。

「ね、お兄様の悪巧みにわたくしも一口乗りたいわ。式典でどう振舞えば、一番お兄様の都合に合うのかしら?」

 楽しい悪戯を見つけた少女の顔を、男は苦笑交じりに見つめた。

「お前、どこまでわかって言っている?」

「あら、わたくしは何も知りませんわよ、お兄様の予定なんて、何にも」

「…………」

「でもね、お兄様のことならわかっているつもりよ?明後日はきっと隼人さんを助けてくださるわ」

 瞳を瞬かせて男を覗き込んで来る妹に、男はとうとう降参した。

 苦笑しつつも声だけは重々しく告げる。

「部外者の耳目を集めてもらおうかな。部外者はできれば巻き込みたくない。」

「お兄様から遠ざければいいのね?」

「ああ」

「では気合を入れて装うことにいたしますわ。――任せてね。お兄様がちょっとくらいドンパチやっていても気付かないくらいに、人々を魅了して見せますから」

 胸に片手を当てて莞爾とする。

 その笑顔は、確かに人を魅了する魔力を秘めているかのようだった。

 


ここまでお読みいただきありがとうございます。

明日も朝8時に投稿予定です。


いまだに行間の取り方を模索中です。


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