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アリーツワの森  作者: momo
忌み人の名と四冊の禁書
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【1】 さまよえる庭1


 

 まるで巨大な一枚絵のようだった。

 朝日を浴びた花々は色とりどりに咲き乱れ、美を競っている。木々は柔らかに萌え出でた新緑を誇らしげに風に戯れさせている。遠くから聞こえてくる水の音は噴水か何かだろう。爽やかな流れに鳥が楽しげに歌を歌っている。

 全く見事な庭園だった。

 ただ、それを愛でる人の姿が見当たらない。まだ早いせいなのか、庭園は静まり返ったものだ。

 動くものといえば、梢から飛び立つ鳥と風にゆれる草木、それに蝶々くらいなものか。


 いや、ひっそりと影が移動している。


 日の光を避けるように歩いている男の姿があった。

 遊歩道のひとつを、体重を感じさせない滑らかな動きで進んでいる。

 それにしても、ずいぶん春の庭園が似合わない男だった。

 まるで暗闇が戯れに形を取ったかのように、男の周りだけが闇色に沈んでいる。

 しっとりと濡れたような黒髪に闇色の瞳、対照的に色素の感じられない肌は黒を基調とした服で覆っている。服に装飾の類は一切なかったが、細身で長身の男には良く似合っていた。それがたとえ見る人に、喪服のような印象を与えたとしても。

 そして男の纏う雰囲気も、春の麗らかさとはかけ離れたものであった。

 服を纏うようにすっぽりと、しんとした憂いを身に纏っている。顔の作りも非常に端整で、それぞれの造形はむしろ派手なのだが、どこか影が薄かった。


 そのためなのか、どうなのか。

 すらりと高い身体も黒服も、早朝の無人の庭園を歩くにはあまりに目立つ格好なのに、しっかりと目で追わなければ、見失ってしまうほどに男は希薄だった。

 そう、暗闇に霞むかのように。

 本当にそこに存在しているのか疑いたくなるほどだ。陽光に溢れた場所を巧みに避け、影となって密やかに移動している。端正な顔はまるで能面のようで、表情はなかった。

 いや、むしろ能面のほうがさまざまに表情を出すだろう。

 迷路のように広い庭園を、表情の無いままに男は歩を進める。

 と、男がゆるりと瞬いた。

 周囲の空気が変わったことに気付いたのだ。

「……何だ?」

 不思議に思ってあたりを見渡す。

 危険な気配は感じられなかった。

 ただ、よくよく見れば庭園の趣向が変わっている。

 先程まで歩いていた場所は庭木の枝振りから、草花の種類、芝の色にいたるまで、綿密に計算され、完璧に統制の取れた幾何学模様になるように「配置」されていた。

 大きなカンバスに植物を使って絵を描いたような、巨大な迷路のような印象を受ける大庭園だった。男は迷路の一通路というべき遊歩道を歩いていたのだが。

 今いる場所は、庭木も草花ももっと自由である。木々は好きに枝を広げ、春の花も秋の花も同じような場所に植えられ、多少雑然とした感じを受ける。

 こぢんまりとした個人宅の庭、といった感じだ。

 違和感を覚えたのは、この変化のためだろうか。

 草木の配置など気にして歩いていたわけではない男にとって、この程度の変化は取るに足りないもののように感じるのだが。

 何気なく背後を振り返り、今度こそ戸惑いの表情を浮かべた。

「まさか……」


 迷路のような庭園が見当たらない。

 そも、男の歩いてきた遊歩道がないのだ。

 はじめから道などなかったかのように、足元には丈の短い草が茂っている。

 いつの間にか柏の木陰の下に男は立っていた。

 まるで、この庭に飲み込まれたようだ。

 さすがに愕然としていると、右手から人の近づいてくる気配を感じた。

 首を巡らすと、距離はあと数十歩といったところか。

 足早に歩く人物は、進行方向にたたずむ男には気付いていない様子だ。

 大柄な老人だ。

 決して小さくない男よりもさらにいくらか高い。だが目方は男よりもずっと軽いだろう。男も細く引き締まった身体の持ち主だが、この老人はそんなものではない。服の上から見ただけでも骨と皮だけのようで恐ろしく細い。きちんと立って歩いていることが不思議なくらいだ。

 そのことに多少驚いたが、それより目を引いたのは、胸元まである豊かな顎鬚だ。白よりも銀色に近く、鉱物のような光沢がある。やはり白銀の頭髪も腰まであり、どちらも綺麗に梳られ整えられている。

 しかもゆったりとした白の服を着ているので、身体の上から下まで真っ白だ。日の光を浴びて、神々しいほどに輝いている。木陰に立つ、全身黒ずくめの男とは妙に対照的だった。

 老人はあと数歩のところまで近づいている。まだ男には気付いた様子がない。

 気配を消し、姿を隠すことも可能だったが、そうする気は起きなかった。何故か老人の姿は男の警戒心に触れなかった。だからそのまま立っていたのだが、なかなか気付かない。

 そのまま通り過ぎてしまうのかとも思われたとき、老人が小さな悲鳴を上げた。

 やっと男に気付いたのだ。


 「あぁ!?」

 そして手にしていた紙の束を落としてばらまいてしまった。




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