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アリーツワの森  作者: momo
忌み人の名と四冊の禁書
1/37

【序】

季節を夏から冬に変更。それに伴い描写が変わっています。

真冬に裸足で庭に出たら凍傷になっちゃう。

 目に痛いほど一面の白だった。

 木々は根元から延ばした枝の先まで白く、只白く凍りつき、日の光まで硬く凍ったように白く輝いている。

 瀟洒なテラスから庭を見つめるひとつの影があった。レースのカーテンで身体を隠すように外を見ていたが、音を立てずに戸を開けて庭に出てきた。

 妙齢の女性だ。真っ白な帽子に同色の手袋を身につけた彼女は、白い外套をふわりとひるがえして、白い庭へと降り立つ。


 女は口元をやさしく緩めると、そっとと早朝の空気を吸い込んだ。きんと凍った空気が、刺さるように胸いっぱいに広がる。

 微笑を深くして歩き出した。

 それも緩やかに延びる遊歩道などは無視して、凍った雪の上を好き勝手に。

 華奢で細い彼女では、やわらかな絨毯の上以外を歩いたらすぐに傷ついてしまいそうなものだが、実際はまったく頓着せずに硬い地面を滑るように進んでいく。

 わずかに顔を出し始めた太陽に眼を細めながら、風変わりな朝の散歩が続く。

 帽子からこぼれて背中に広がる金髪だけが、唯一色をもって陽光と踊る。静謐な風も、豊かに波打つ髪に戯れてくる。

 たったそれだけのことがとても気持ちよく、心が優しくなった。

(今日も一日、楽しく)

 朝の空気を十分身体に取り入れた女はゆったりと振り返って、驚きの声を上げた。

「あらまあ」

 誰も出入りできないはずの彼女の箱庭に、いつの間にか見知らぬ少年が立っていた。

 まだ幼い。十か、十一か。ひどく痩せている。それに小柄だ。まだ大人になろうとしていない体は、小枝のように細く、ぼろぼろの服からのぞく手足は女でも簡単に折ってしまえそうだ。

 埃と垢に汚れて、もともとの色など判別不能になっている布地は、裾がほつれ、あちこち焦げてさえいる。もはや服と形容することさえ憚られた。

 髪はぼさぼさで、櫛を入れたことなど無いように思われた。

 この寒空の下、靴には穴まで開いている。

 あまりにひどい出で立ちに、女は眉をひそめた。

 一見して浮浪者である。施しを受けに来たのだろうか。

(でも、どうやって?)

 この庭園は四方を高い塀で囲まれた敷地の奥深くにある。今あるこの箱庭自体は、特に塀で囲っているわけではなく、他の庭園と地続きではある。だからといっても、それらの庭園は全て巨大な迷路のようなつくりになっているし、衛兵もいるのだ。いくら早朝とはいっても、容易に入ることはできない。

 ましてこんな年端もいかない少年では、それらの眼をかいくぐりながら迷路を抜けるなど不可能なはずだ。

 それになにより、丁寧に時間をかけて手入れをし完璧に整備された庭園に、この少年の姿はふさわしくなかった。浮き上がること甚だしい。

 だが少年は自分の姿など全く頓着していないようだ。女の疑問など気付かずに、かっちりと視線を合わせてきた。


 濃い茶色の瞳が、凛とした光を宿す。

 瞳に宿る力の強さは尋常ではない。

 射るほどに鋭く、彼女の心の奥底まで見透かすようだ。

 女は人を呼ぶことも忘れていた。

 射抜かれて呆然と立ちすくむ。

「――……を、捜している」

「え?」

「この本の持ち主を捜している」

 このときはじめて、女は少年が黒い表装の本を抱えていることに気付いた。少年の出で立ちには不釣合いな立派な本だ。絹か何かなのだろう、光沢のある表装はかなり凝っていて、いくつか模様が浮き出ている。題名も中央に描かれているようだが、彼女の場所からではわからなかった。

 その本は小さく細い身体と手には大きく、重過ぎるものに思える。両手でしっかり抱えているが、今にも落ちてしまいそうだ。

「……そ、れは…………」

「あんた、この本の持ち主?」

 喘ぐような女の呟きが聞こえただろうに、少年は平然と声を紡ぎ出す。

 女の瞳は、黒い本に吸い寄せられたまま動けない。彼女は呆然と、声の出し方すら忘れたようだ。

 

 どれだけの間、彼女の時間は停滞していただろう。

 とうとう少年は嘆息した。

「……違うのか」

 そこには、明らかに落胆の色があった。

 子どもらしからぬ仕草で踵を返す。

 視界から黒い本が消えて、やっと女は体の自由を取り戻した。

 そして少年の背中に、重い疲れと暗い絶望をはっきりと見て取る。それは今にも少年を押し潰そうとしていた。

(このまま去らせてはいけない)

 胸に湧き上がってきた危惧に後押しされて、女は少年を呼び止める。


 大儀そうに振り返った少年を気遣わしげに見やって問う。

「あなた、帰るところはあるの?」

 ぐっと言葉に詰まった少年を見て、やっぱりね、と呟く。

「――来なさい。一緒に御飯を食べましょう」

「……何で?あんたはこの本の持ち主じゃない」

「持ち主でなくとも、あなたと一緒に朝食を取ることはできてよ」

「だから、何で?」

 本を奪われると警戒しているようには見えなかった。果たして少年は言う。

「あんたと一緒に飯を食う理由がない」

 少年は本当にわからないのだ。

「でも、おなかが空いているのではなくて?」

「だからといって、施しは受けない。オレはそこまで弱くない」


 驚いた。

 この少年には、女の提案が「弱者に対して施しをしようとしている」ことに見えたのだ。そしてそれはあながち外れてはいない。

 たしかに女は少年を保護しなければ、と感じていたのだ。

 まだ幼く、頼りない体形の子どもなのだもの、女がそう感じるのも当たり前のことなのだが、少年は守られることを求めてはいない。すでに一人でしっかりと立っている。

 そのことに思い至って密かに反省していると、

「オレは今、人の助けを必要としていない」

 いっぱしの男のような口をきいてきた。

 きっぱりと言い切った少年の言葉が今では小気味良い。

 だから女はあっさりと、それでいて丁寧に非礼を詫びた。


「許してもらえるかしら?わたくし、あなたの人格を否定するようなことを言ってしまったのね」

「……別に、謝ってもらわなくてもいい」

 ほんの少し恥ずかしそうに呟いた少年に提案する。

「改めて朝食にお誘いしたいても良いかしら。わたくしの話し相手になってもらいたいわ」

「……それ、何かいいことがあるのか?」

「もちろんよ。あなた、わたくしが誰か知っていて?ここの主よ?」

 悪戯を思いついた子どものような口調だ。

「――それが?」

 さっぱりわからない様子に、女は笑みを深くする。

「毎日多くの人間がここに来るわ」

「だから?」

「わたくしのそばにいれば、捜し人が見つかりやすくなるのではなくて?」

 形の良い爪を朱色の唇に当てて、楽しそうに囁く。

「そばにいなさい。あなたがこれと思う人間に、引き合わせてあげようから」

「…………」

「それとも、この提案も気に入らない?」

「……持ち主、心当たりがあるんだ」

「あら?誰かしら?」

 何故か言いよどんで、少年は手にした本を見つめる。

「……あんたが違うなら、もうその人しか残ってないんだ」

「名前を教えて。呼び出してあげるわ」


「無理」


 あまりにもきっぱりと言い切られて、女は少しむっとする。

「何故?わたくしなら、命じられてよ?どんな人物であっても、引き合わせることができるし、もしその者がここまで来られないのなら、あなたを連れていってあげることもできるわ」

 けれど少年は首を振る。

「それくらいなら、俺一人でできる」

「じゃあ、何が駄目なの?」

 さすがに苛立つと、少年は疲れたように肩を竦めた。

「誰にも捜し出せない人だからだ」

「わたくしでも?」

「ああ、たとえ女王であっても」

「どうして?」

 少年が諦観の笑みを浮かべる。

「だって、最後の心当たりは忌み人なんだ」


 女が息を呑む。


「……名前を禁じられて、その存在を消された人物を、どうやって呼び出すのさ?」

 重い影を背負い込んだ人のように、少年の声に力はなかった。


 女はかける言葉を探しあぐねて、いつまでもその姿を見つめていた。

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