2話
(今日は楽しかったな……。最新モデルの音も聴けたし、マスターとセッションも出来たし)
ゆずるはバイト先のマスターとセッションをしたあと、興奮冷めぬまま自宅に帰っていた。壁時計を見ると、もう二十一時を回っている。
部屋は比較的広いが、ギターが数本と電子ドラムと電子ピアノ、あとはパソコンと2つの衣装箪笥とベッドがあるだけのゆとりのある内装だ。
ゆずるはそのパソコンの置かれた机の椅子に座っていた。
ここはゆずるが専門学校に入学するために上京した頃から借りている、賃貸の音大生向けの防音マンションだ。
(うん、楽しかった)
今日はすごく充実していた。演奏はもちろん、特に音を聴くのが好きなゆずるにとって、時代によって移ってゆく音の進化は非常に刺激になったのだった。
(ただ……)
ゆずるはちらりと手元の手紙を見た。見た瞬間、興奮が冷めていく。
(こんなものが届いているとは。よく届くもんだなー、こんなんで)
帰ったと同時に届いた郵便物。
米やら野菜やら食料品と一緒に届いたこのダンボールの宛名には『馬鹿息子ゆずるへ』と書いてある。
そして中には手紙が入っていた。内容はこうだ。
『さっさと就職するか地元に帰ってきんしゃい!』
たったこれだけ。もともと反対だった実家を押し切り、ゆずるは東京の三年制の音楽専門学校に入った。
3年で夢を掴むはずで、ガムシャラに練習し、弱点を克服するはずだった。ただ、それが今年の春までに実らず、冬である今に至っても先の安定しないフリーターという状況であるため、母親からそんな便りが来たのだった。
(でもそんなに簡単じゃないんだぜ、母ちゃん。どれだけ良い音が分かったって、どれだけミスなく早弾きできたって、大勢の観客の心に響く音楽を演奏できなきゃ、意味ないんだ)
長い睫毛を伏せる。
ゆずるには夢があった。一つは諦めたが妥協案を作ることが出来た。次の夢は楽器を演奏するミュージシャンになることだ。目立たないバックミュージシャンでいい、とにかく大好きな音楽に囲まれて人生を歩みたかった。
ただ、ゆずるには音を聴く才はあっても、音を奏でる才はなかった。努力で補おうと必死になって練習したが、結局まだ人を惹き付ける何かを身につけることはできていない。
ゆずるは重苦しくため息を吐く。そして、鬱屈した考えを吹き飛ばすために両頬を叩いた。
(ネガティブはダメだ。こういう時はいつものあれを!)
逃避に近かったが、それは本来の夢と同じ系統であり、またミュージシャンになるための練習にもなると無理やり自分で納得する。
デスクトップパソコンの電源を付ける。ウィーンとパソコンが動作するとき特有の音がなったあと、ディスプレイにはデスクトップ画面が写った。
そこからゆずるは、インターネット起動のアイコンと、DTM用のソフトを起動させるアイコンをマウスでクリックする。
(机の中から道具を出して……っと)
それから机の引き出しを引いて小さな箱を取り出す。
箱の蓋を開けると鏡がまず蓋の裏に取り付けられており、中には化粧クリーム、ファンデーション、チーク、ビューラー、マスカラ、アイライン、アイシャドウ、リップクリーム等々が収められていた。
そう、化粧箱である。
ゆずるはその化粧箱から今回必要な道具を取り出しては手際よく使用していく。
(よし、ぱぱっとやろう)
化粧下地を作ったらまずファンデーション……そしてチーク……。
(今日は、ちょっとテンションも下がっちゃったし、明るめのチークを)
さらに目……。
普段から多めの睫毛を巻いて、マスカラをつけて、目元が大きく見えるようにアイラインを引く。
手馴れた手つきで化粧をしているゆずるだが、男で音楽で化粧、と考えるとあれを想像してしまうだろう。そう、ビジュアル系だ。しかし、ゆずるの場合はちがう。
(よし、最後は口元。リップクリームをして、……愛らしく見えるようにグロスを)
まるで女性のように可愛らしく見えるように、男の要素を消し去るかのように念入りに女性用のメイクを施していた。
グロスを引き終わり、様々な角度から自身の顔を見るとゆずるはおもむろに立ち上がる。
(よし、化粧は完璧)
それから2つある衣装箪笥の前まで移動する。そして右側鏡のついている方の箪笥の扉を開ける。
そこにあったのは多くの女性物の洋服と、カツラだった。
そこから一度考えると赤と白を中心としたチェニックやスカート、そしてライトブラウンのカツラを手に取る。
ゆずるはささっと今着ているジーンズやシャツを脱ぎ捨てるとそれらを身につける。
そして、衣装箪笥を閉じ、取り付けられている鏡の前で一回転。ゆずるはそれを見て、一度情けない顔をした後、頭を二度振ってからうなづく。
鏡に映る姿は--モデル体型で、可愛らしいファッション、キリッとした目元が目立つ整った顔立ちを持つ美少女。
そう、そこには、美少女と言って差し支えのない少女がいた。
少女は最後に、喉に手を当てて発声練習をするかのように声を上げた。
「あー、あー、あー。……よし」
綺麗なハイトーン。
「我ながら、完璧」
出てきたのは吃りなど一切ない、完璧な女声だった。
ゆずるには昔から夢があった。
大きくはミュージシャンになること。
ただ、ミュージシャンといってもいろいろあるが、その中でも特に、大好きな音楽に囲まれて、大声で大好きな音楽にノって歌える、ボーカルになることだ。
ただ歌を歌う上でゆずるには一つ弊害があった。それは、『極度の吃り症』。
今日のバイト中の時のように、三年間慣れ親しんだアルバイト先のマスターですらあれほど未だに吃る。
一人でいる時ですら吃るし、知らない観客の前だと当たり前に吃る、というか一切話せなくなる。専門学校でコーラスの授業があるが、ゆずるはもう人形と同じだった。
音楽の大好きなゆずるにとって、歌えないということは苦行に近い。昔は思い悩んで毎日泣いて暮らしたほどだ。
ただある時期を境にひどく思い悩むことはなくなった。
そう、女装をすることで歌えるようになったのだった。
高校生の時おふざけで女顔のゆずるを姉が女装させたときだ。そのときは嫌々だったが、なんと人と吃らず会話出来ることがわかった。
それからは研究に研究を重ね、女性的であったほうが吃りがなくなることを知り、ひたすら女子力を高めてきたのがゆずるの現状である。
以上がゆずるが女装をしていることの理由である。
「よし、着替えもすんだし、早速今日放送しようかな」
そして、家に帰ってパソコンをつけてから女装をし始めたのかというとそれにも理由がある。
ゆずるはインターネットのお気に入りから、『SecretCulturMotion ログイン画面』というアイコンをクリックした。
このサイトは所謂ユーザ交流型動画公開サイトというやつで、動画の投稿と生放送をすることができる。このサイトでゆずるは『ユズ』という名前で投稿・放送を繰り返していた。
ゆずるとて健常な思考を持った男だ。いくら歌が歌えるからといって女装をして、人にバレたときドン引きされることくらいはわかっている。
だからネットという媒体は非常に便利だった。
もしバレたとしても赤の他人で、自分の普段の生活にそれほどの支障はでない。それがまず一点。
そして、いろんな人に出会えるのが一点だった。
そう、ゆずるには吃り症がたたり友達が一人もいないため人との交流に飢えていた。寂しかったのだ。
そのため、ユーザーと投稿者の距離が近い、このサイトを度々利用していたのだった。
ログイン後のサイトの画面。そこにはゆずるが今までに投稿した様々な動画が並べられている。その中でも最新のものは一番上に表示され、多くのコメントが寄せられていた。
ゆずるはコメント欄を開く。そのコメントの中で一番に書き込まれたものは「ハローワールド」という名前で、熱意のこもった長文が書かれていた。
「ふふ……またハロワさんから一番にコメント来てる。お気に入りにしていたらメールで通知が来ると言っても、こう毎度だと嬉しいな」
ゆずるは頬を緩める。
「何々、『ユズさん、もうすぐクリスマスも近いですが、今回の新曲はまさに今の時期にぴったりの曲でしたね!…………長くなりましたが今回もすごく良かったです。次回の投稿、もしくは放送も楽しみにしてます。byハロワ』かー。これから放送するけど見に来てくれるかな?」
コメントを読みつつ、ハローワールドという人物のことを思い出す。彼はゆずるが投稿し始めた16歳のときから動画を見てくれている最古参のファンだ。5年もの間の付き合いだが、こちらが喋ることが中心の放送形式のため、あまり彼のことはよく知らない。ただ、話せばコメントを何かしら返してくれるし、毎回動画を閲覧してコメントしてくれるので、人とコミュニケーションを取ることが滅多にないゆずるにとっては長年の親友といっても過言のない立ち位置にいた。
「今日はハロワさん仕事残業とかなかったらいいな……。よし、放送開始っと」
以前から2年ほど前に就職したらしいハロワだが、何度か放送してるとき残業でこれなかったというコメントがあったため、ゆずるは気にかけていたが、3分もすると、画面に『ハローワールドさんが入室しました』というメッセージがポップアップした。
それを見てゆずるは少しほっとしたあと、WEBカメラに目線を預けにっこり笑った。
「こんにちは、ハロワさん。また一番乗りですね」
『こんにちはー、ユズさんの放送が始まったって通知が来たので見逃さないように急いで電車からログインしました(笑)』
即座にコメントが返ってくる。もう長年の付き合いなので向こうのタイピングも早く、普通に会話できる。
「わぁ、それはありがとうございます。お仕事の帰りですか? 営業でしたっけ」
『はい、営業系ですね。そういえば前回の投稿動画見ましたよ!』
「一番乗りでコメントいただけましたね。毎度どうもです」
『いやー、俺も独り身なので少し共感しました。よかったら僕と実際にエンカウントしませんか?(´▽`) なんちゃって』
「あはは、……人見知りなのでそれはまた今度」
もうハロワとは五年の付き合いのため、会ってみたいと少しはゆずるは思っていたが、さすがに女装したまま会うのは気が引けたため、即座に断る。
そこで、『名無しさんが入室しました』と画面にメッセージがポップアップした。
「こんにちは? 初めまして? ユズです。よかったらまったりしていってくださいー」
それからは忙しなく入室のメッセージがポップアップする。
ゆずるが、今日の天気の話や、アルバイト先で最新のギターを弾けたこと等を話したあと、人が集まってきたのを見て言った。
「そういえばなのですが、この間投稿した新曲、聴いていただけましたでしょうか」
『聴いた!』
『聴いたよ~最高でした(´∀`)』
『聞きました!!』
そんなコメントが返ってくるのを見てゆずるは満面の笑みを作る。
「ありがとうございます! それではまずはじめはこの歌を歌わせてください。『Eve Encount』!」
ゆずるは椅子から立ち上がり、近くにあるショルダーキーボードを首から下げて弾き語りを行う。
所々のドラムなんかはDTMからだ。そして音楽に合わせて、キーボードを手に持ち、ダンスを行った。
「
今日は聖祭日前夜
一人だとたまらなく寂しいクリスマスイヴ
隣の席のあの子はサッカー部の彼氏が出来たそう。
じゃあ私は? そろそろ彼氏の一つでも出来てもいいはずよ。
今日は街を歩こう。新しい出会いを信じて。
Jesus!Jesus!私を見つけて!
今日なら貴方に会える気がする。
昔ママが言っていた。
パパとはイヴの日に出会ったって。
サンタの着ぐるみを来たパパに一目ぼれしたそう。
じゃあ私は? 出会いなんて星の数ほどあるはずよ。
白いセーターに赤いコート。今日の私はいつもより可愛い。
キラキラのイルミネーション。新しい出会いはもうすぐ。
Jesus!Jesus!私を見つけて!
今日なら貴方に会える気がする。
」
歌って、弾いて、踊る。
画面からだが、歓声のコメントが弾幕のように繰り広げられていた。




