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「このリンゴが欲しければ、私の下僕しもべが満足する菓子を作りなさい」

 魔女がリンゴと交換に出した課題。明日の生活が掛かったアリスに、それを拒否するという選択ができるはずもない。

 不思議の国の物語。けれど少し違うアリスのお話。さあ、アリスのお茶会、始まりはじまり。


「三十点、もっとふんわりしてないとパイは美味しくないヨ」

 紅白のボーダーシャツにズボン、紅い髪に赤毛の猫耳と尻尾。アリスより頭ひとつ以上背丈のあるチェシャ猫と呼ばれる青年だ。それを口にしたチェシャ猫は、焼きたてのパイにあっさりと何度目かの不合格を下した。

 甘い匂いに釣られてなのか、バンビやウサギなどの小動物、木の枝には小鳥が止まって興味深げにアリスの様子を見ているようだ。

 当のアリスは服が汚れるのも構わず、傍の大木の根元に力なく座り込む。

「……何なのよ、もう……。そういえば、帽子屋さんは食べないの?」

「私が命じられたのは、貴女の案内とお世話ですから」

 黒髪で片目を隠し、大きめのシルクハットを被ったもう一人の青年はパイを口にすることもなく、ばっさりと切り捨てる。紅白の青年とは逆に黒で統一し、優雅な仕草で両手を上げ首を振った。

 そのパイを作った少女――アリスは、腰まである金髪を邪魔にならないよう首の後ろで括り、水色のワンピースに白いエプロンを着ている。

「そー、そー。合格決めるのハ、僕の仕事だヨ。てかサ、諦めちゃうノ? アリス。リンゴ、欲しいんでショ?」

「もちろん欲しいわ。これからの生活が掛かってるんですもの。でもさすがに……ちょっと挫けそうね」

 チェシャ猫の問いに頷くも、何度も食らった不合格にアリスの心も既に折れそうでもあった。

 そんなアリスの様子に帽子屋は平然と付け加える。

「お先真っ暗、貧乏まっしぐらの貴族。唯一あるのは今では廃屋同然ですが、おばあさまが経営なさっていたケーキ店のみ。どうしたものかと頭を抱えている所に、宮廷からの命令が下ったんでしたね」

「そうよ、帽子屋さん。眠り病に罹ってしまった王様を起こすのに、魔女が育てたリンゴが必要らしいわ。私じゃなくたって他に優秀なシェフとかいるのに、魔女が相手ってなって皆尻込みしたっていう話よ。それで、誰が名前を出したのか、昔やっていた店を推挙したらしくて、私に回ってきたって訳ね。

 お店を再開するだけのお金もないし働き口に困ってたから、私にはある意味渡りに舟のようなものだけど」

 独特の喋り方のチェシャ猫。優雅な黒髪の青年の名は帽子屋。

 ここはワンダーランド国、王都の外れにある北の森。リンゴを育てている魔女が住む森だ。葉が生い茂り、心地良い風が吹く良い季節。その森の中、開けた場所に置かれたキッチン一式と山のようなお菓子の材料。

 王に命の危機があるわけではない。今日明日を知れぬ状況だった場合、わざわざ悠長な課題を提示するほど、魔女も人間と浅い関係ではない。けれど魔女のほうも、安易にリンゴを分けるのが癪に触るのか、ただアリスをからかっているのか、「チェシャ猫が満足するお菓子を作れ」という課題を出してきたのだ。

 命の危険はなくとも、一国の王が眠ったままでは色々と差し障りがある。早急に北の森の魔女が育てるリンゴを手に入れること。それが王宮からの勅命だった。

チェシャ猫はぼんっと音を立てたかと思うと、赤毛の猫の姿になりアリスの膝の上に乗った。毛繕いをしながらも、アリスの顔を見上げれば問いかける。

「ふーん、そんなに貧乏なノ? 君の家ハ」

「父様がお金とかそういうものに執着しない人だったのよ。ただでさえ貴族でも低い身分だったのに、そのおかげで寄付から始まり何だかよく分からない狸の置物とか、落書きにしか見えない絵をバカみたいな値段で買ったりね。母様は早くに亡くなったから、あっという間に明日のことも分からない状態になったわ」

「君の父上は亡くなったんだよね?」

「ええ、一年前に。色んなものを売り払って働いて、どうにか借金はなくなったわ。でも女ひとりだと働ける場所なんて限られてるし、これといった親戚もいないしで、今後の生活どうしようってところに、あなたが来たのよ」

 城のトランプ兵士と共に、アリスの家を訪ねたのはこの帽子屋だ。勅旨に押された刻印とサイン、兵士が持っていた旗、城からの使者を偽者と疑う余地はどこにもなかった。

 帽子屋はカゴに積まれたままの苺をひと粒、口へと放り込み、菓子作り用の作業台に寄りかかる。ふいに時刻を知らせる時計のベルの音が響くと、帽子屋は時計を押さえて止めた。

「チェシャ猫、時間のようですよ。ハーディル様にご報告の当番だったろう?」

「ン? あ、そうカ。それじゃ、へっぽこアリス、また来るヨ」

 ハーディルとは、この森に住む魔女の名前だ。

 帽子屋の言葉にチェシャ猫は、ひょいっとアリスの膝から飛び降りる。振り返りもせず、尻尾だけを揺らし森の中へと消えていった。

 チェシャ猫が歩いていった方角へ、アリスは声をあげるが当然その返答があるはずもなかった。

「……へっぽこ……いつもひと言多いのよ! バカ猫~~~~~~!!」


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