第八話 あなたたちのくらやみで(前編)
――夜の闇が薄れもしない森の中を歩く。
ガルス・シティを出てから一時間と経たないうちに、どこからかオレを見ている視線をいくつか感じた。視線の主として考えられるのは、オレに『モンスターを討伐し、それで賞金を得て生計を立てているコミュニティ』を紹介してくれると言ったクラフェルだろう。街の外で落ち合う約束になっているのだし。
しかし、じゃあなんで複数の視線を感じる……?
「――やばいかな……」
ぶるり、と身を震わせ、腰のエアブレードに手を伸ばす。いつ誰に襲いかかってこられても対処できるように臨戦態勢。
「……まあ、気配からすると、それほど強い相手じゃないか」
暗い森の中にいるせいか、自然と独り言も多くなる。――と、オレのセリフが引き金になったのだろうか。木々の間から二本の脚で立つ、トカゲのようなモンスターが姿を現した。
あとになって知ったことだが、このモンスターの名はリザードマンといって、本来はスペリオル聖王国に生息しているらしい。武器となるのは、その巨体が生み出す強大な膂力と、旅人を殺して奪ったのであろう鉄製の長剣。そして、その口から吐き出される炎のブレス。
弱点は動きが鈍いこと――なのだが、リザードマンは鉄のような皮膚を持っているため、剣だけで倒すのは、ほぼ不可能だったりする。
この頃のオレは当然それを知らない。けれど、皮膚が硬そうなことはすぐわかる。即座に魔術で倒そうと試みた。
それには、まずリザードマンの動きを牽制する必要がある。そうして時間を稼ぎ、呪文を唱え、奴に当てる。物理的な術はあの皮膚に防がれる可能性が高いので、使うのは精神魔術。
そこまで思考し、オレは牽制のためにエアブレードを抜き放とうと――
「……なっ!? 腕が、ちゃんと動かない……!?」
動かない。腕が思うとおりに動かない。焦っているうちに腕どころか脚も自由に動かせなくなっていく。
なんでだ!? なんで――いや、ならすぐに呪文を唱えて――
その思考に至ったときには、もう遅かった。口もまた、自由に動かすことが出来なくなっていた。まるで酒を飲んだ人間のようにろれつが回らず、ちんぷんかんぷんな言葉しか出てこない。
リザードマンがオレに一歩詰め寄ってくる。剣を振るう間合いを計る一動作。――もう、駄目だ……。
振り下ろされる剣を、じたばたも出来ずにただ、酷く落ち着いた瞳で見つめる。
――刹那!
「はあっ!」
銀色の閃きが闇に刻まれた!
傷を負わされたリザードマンが苦悶の声を上げながら、力任せに剣を振るう。しかし、オレにではない。いま、このモンスターに剣を突き立てた何者かに、だ。
その何者かは、素早く剣を引き抜いてリザードマンの剣に自分のそれを合わせる。
剣と剣が咬み合う音が辺りに響いた。リザードマンの膂力から放たれたその一撃を受けたのはすごいが、その何者かはまったく動かない。リザードマンの剣を受けるだけで精一杯だったのだろう。
どちらも攻撃には移らない。お互いの力は拮抗していた。
……って、拮抗? リザードマンと戦っている奴、一体どれだけ筋力があるんだ……?
剣を合わせている何者かが、ちらりとオレのほうに瞳を向ける。なにか、強い意志を感じさせる赤い瞳を。
年の頃は30代前半だろうか。銀色の鎧を着込んだ、戦士姿の男性だった。少し伸びた黒髪は後ろでひとつに縛っている。しかし、なによりも目を引いたのは、その瞳と同じように――まるで血を思わせる真っ赤なバンダナとマント。
彼はそのマントを闇にたなびかせ、地面に右膝を立てると下半身を沈める。対応できなかったリザードマンは前につんのめった、そこに体勢を戻した彼の蹴りが命中! わずかに宙に浮くリザードマン。
そしてそこに――
「鋼魔空断剣っ!」
男の振り下ろした剣は、リザードマンの身体を真っ二つに斬り裂いた!
右と左に身体を分かたれ、地に落ちるリザードマン。男はそれを一瞥すると、剣を鞘に収めてオレのほうに向き直る。
「大丈夫だったかい?」
「え、あ、……はい」
……あれ? 口が普通に動く……?
試しに腕をぶんぶんと振り回してみたり、二、三歩歩いてみたりしてみたが、やはり自由に動かせた。
……本当に、一体なんだったんだ……?
彼はオレにブラッドと名乗った。そう、これが『暗闇の牙』の頭、ブラッドとの出会いだった。
『暗闇の牙』の頭といっても、彼はオレが思うに悪人ではなく、裏世界の情報を利用し、なんらかの目的を達成しようとしているだけの人間だった。そう、現在のオレと同じように。
助けてもらったのだからと、礼を言うオレにブラッドは『礼を言われるほどのことはしていない』と返してきて、次にはっきりとつぶやいた。
「きみのような子供までがモンスターと戦わなければならないほど、この世にはモンスターと争いが満ちているのか……」
つぶやきというにはちょっと長くて、声を小さくもしていなかったが、当時のオレはまったく気に留めていなくて……。
ブラッドはモンスターという存在に尋常ではない嫌悪感と敵対心を抱いていた。そして同時に、モンスターと戦って命を落とさなければならない者がいるという現実に、とても心を痛めても、いた。
答えてはくれないだろうと思いつつも、当時のオレは彼にその理由を尋ねてみた。答えは、意外なほどにあっさりと返ってくる。
ブラッドは10代の頃に家族全員をモンスターに殺されたという。その後、裏世界と関わりを持ったものの、狂うことなく組織のトップとして生きてきた彼の精神はどれほどの強さを持っていたのだろうか。
そして彼は、その日に誓った。自分のような境遇になる人間を少しでも減らそうと。世界からモンスターを出来る限り駆逐し、平和な世界を作ろうと。
それが、彼の目的だった。そして、このブラッドが頭を務めている『暗闇の牙』という組織こそ、クラフェルの言っていた『モンスターを討伐し、それで賞金を得て生計を立てているコミュニティ』だった。
……まあ、確かにまっとうなコミュニティだとはクラフェルも言っていなかったけどさ……。
ともあれ、そのことを抜きにしても、オレはブラッドの考えに――目的に共感した。戦いが避けられない世の中ならば、ブラッドと共に平和な世界を作るために戦いたいと思った。
もちろんブラッドのコミュニティに入ること、彼と共に戦うということが、オレも裏組織の人間になることとイコールだとは気づいていた。それでも、オレは迷わなかった。揺らがなかった。ブラッドの暗に示してくれたのであろう道の正しさを、疑わなかった。
いまにして思えば、ブラッドには天性のカリスマとでもいうものがあったから、あるいはそれに惹かれただけだったのかもしれないけれど。
オレは彼と共に戦いたい気持ちを口にした。彼を助け、モンスターを倒すこと。それがオレの存在意義なのだと信じた。
「――この道は、決して平坦なものではないぞ」
そんなの、承知の上だ。中途半端な覚悟でこんなことを口にはしないし、そもそもオレの覚悟がその程度のものだったのなら、街を出るなんてこともしなかったはずだ。
こうしてオレは裏世界へと足を踏み入れた。そこでは『お宝』に関する情報も多く、『宝探し屋』としても行動した。賞金のかけられたモンスターを倒す以外には、それしか金を稼ぐ方法を思いつけなかった。
もちろん『裏世界の人間』という前提さえ除けば、稼ぎ方はいくらでも思い当たったが、裏世界で生きることにしたオレには出来るはずのないものばかりだった。
だって、そうだろう? 大きな街で商売なんかしていようものなら、いつ裏世界の人間だとばれるかわかったものではない。裏世界の人間が請け負える仕事は、こちらの素性を一切詮索してこない人間からの依頼くらいのものだ。
裏組織『暗闇の牙』でのオレの基本的な任務は、言うまでもなくブラッドの目的を達成するための行動――つまりはモンスターの退治。
決して人を殺す任務は回されなかった。
そして、裏世界で生きるために、オレは誰かを守ろうなどという思考を捨てた。自分のことだけで精一杯で、誰かの身を案じている余裕なんて、なかったから。
自分には誰ひとり守れないと思い知らされても、オレは選んだ道は正しいと信じた。信じるしかなかった。その正しさを疑うことなんて、出来るわけがなかった。それをしてしまえば、オレは裏世界に入ってからのオレのすべてを否定するしかなくなってしまうのだから。
それに、当然のことながら、裏世界には『暗闇の牙』の他にもいくつか組織が存在する。その中でも特に大きな動きを見せているのが『漆黒の爪』だ。
『漆黒の爪』はオレが『暗闇の牙』に入ってから2年後――オレが18のときに頭が変わった。そしてその頭の考えなのだろう、『漆黒の爪』はなんと他の裏組織を吸収しようと動き始めた。
なんのためにそんなことを始めたのかはわからない。『漆黒の爪』の頭のことだって、『カオス』という名だということ以外は性別すらも知る者はいない。
ただ、『漆黒の爪』のしようとしていることは、『裏組織すべての支配』。それは同時に『裏世界の征服』をしようとしているとも言える。
それをすることにどんな理由があろうと、『カオス』という人物に比べれば、ブラッドの目的は圧倒的に正しいのだと信じられた。間違っているわけがないと思うことができた。
――でも……でも、裏世界から足を洗えばいいと言われて、正直、わからなくなった。いつだって、心のどこかでは普通の暮らしに憧れを抱いていたのも事実だったし。
普段なら、わからなくなんて、ならなかっただろう。わからなくなったのは、オレがいま、人を殺すことを命じられているから。オレに幸福な時間を与えてくれる人間を殺さなければならない、なんて状況にあるから。
この任務をなんとか終わらせたとしても、オレはまた別の人間の殺しを命じられることになるんじゃないかって、そんな思考をしてしまって、この現実が嫌になって……。
だから、エレンに『裏世界の生活に嫌になったことはある』と洩らしてしまっていた。
本当、オレはどうすればいいのだろう。なにを信じたらいいのだろう。
オレにはもう、この生き方が正しいなんて、信じることは出来なくなってしまっていた――。
メルト・タウンへの帰路についてから三日が経った。
今日中にはサーラの家に着くだろう。そこで彼女からの依頼は終了。同時に、オレは彼女の命を狙う人間に戻ることになる。
なぜか、夜毎に感じていた殺気はこの三日間、向けられなかった。あるいはクラフェル、オレの性格から状況を理解してくれたのかもしれない。まあ、ぐっすり眠れたのだから、文句はなにひとつないのだけれど。
しかし、殺気を向けられていたのが日常になりつつあっただけに、なんだか落ち着かなかったのもまた事実だった。
オレの少し前を歩いていたサーラが立ち止まり、こちらを振り向く。
「――もうすぐメルト・タウンに着くね」
「あ、ああ。……そうだな」
複雑な心持ちで答えるオレ。
「着いたらファルカスともお別れ、かな?」
「まあ、そりゃ、そうなるだろうな」
オレからしてみれば、サーラと別れてからが重要なのだが。絶対に彼女のところにもう一度会いにいかなければならないのだし。
「わたしとしては、メルト・タウンに着く前に、問題は全部かたづけておきたいんだよね……」
「――え?」
…………?
「町の中で戦いたくはないからね。町の人が怪我することになったら嫌だから」
……っ!? ……まさか、ばれてるのか? オレの正体……。
しばし見詰め合うオレとサーラ。オレはただただ絶句しながら。彼女はどこか、寂しそうに。
やがて、サーラの唇が静かに動く。
「――ここで引く気はない? わたしはファルカスと戦いたくないから。……まあ、あんなことやっておいて、なにをいまさらって感じだけど」
「『あんなことやっておいて』って……、どういうことだ……?」
「……あれ? ファルカス、気づいてなかったんだ」
「――わたし、何度もファルカスを殺そうとしたんだよ?」
ようやくこの物語も山場を迎えました。
あとはクライマックスまで一直線!
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!!