第四話 見えないクモの巣(前編)
「ふー、やれやれ……」
どかっ、と石の床に座り込む、年の頃15~16の少年。手には鋼鉄製のロングソードを握っている。
――あれは、オレだ。まだ裏世界に関わっていない頃の。ガルス・シティに両親と住んでいた頃の。
どうやら、オレは夢を見ているらしい。
「大体さあ、いまは戦争なんて起こってないんだし、戦闘訓練なんて必要ないだろ。そこらへん、どう思うよ? アスロック」
オレは隣に座っている黒い髪をした同い年の少年――アスロックに話を振る。しかし、返ってきた言葉は彼のものではなかった。
「余裕だねぇ、将軍の息子様は」
『将軍の息子様』にいささかムッとしつつ声のしたほうを向けば、そこには最近の戦闘訓練で常に優秀な成績を収めている、汗びっしょりの青年の姿。その彼の服の胸元に血の痕を認めて、オレは思わず顔をしかめた。だって、コイツ自身は無傷で戦闘訓練を終えているのに、血の痕があるってことは、つまり――
「どうした? ファルカス。――あ、これにびびったか?」
言って血の痕を誇らしげに見せつけてくる青年。オレはそれに低い声で短く尋ねた。
「――殺したのか?」
「うん? 当然だろう? お前、まだそんなこと気にしてるのか?」
「そんなこと、だって?」
その言葉にはいつものことながらカチンとくる。
「なんで、そこまでする必要、あるんだよ。訓練だろ。ただの、戦闘訓練……」
青年はオレのその言葉に嘲るような笑みを浮かべた。
「またそれか。そんな甘っちょろいことばかり言ってるから、お前はいつまで経っても弱いんだよ。知ってるぜ。お前ここのところずっと成績落ち込んでるだろ? 『将軍の息子様』のくせに」
「別に気にしてないさ、そんなのは。オレは人を殺すのはイヤなんだ。――もう二度と、な」
「いつもそればっかりだな、ファルカスは。まあ、好きに吠えていればいいさ。そんな倫理観、この国じゃなんの役にも立ちゃしない。力のあるヤツの考え方こそが正しいんだからな」
コイツの言っていることは決して間違いではない。それどころか、この国――ガルス帝国ではなんの抵抗もなく受け入れられている唯一絶対の真理だ。まったく、タチが悪いったらありゃしない。
オレに絡むのもそろそろ飽きたのだろう。青年は次にアスロックに向いた。しかしそれは別にからかうためではなく、
「同い年だからってこんなヤツとツルんでるなよな、アスロック。お前も臆病者だって誤解されかねないぜ?」
「はいはい。――で、なんの用だ?」
「……お前、そのマイペース、もう少しなんとかならないか?」
「ならない。それで、なんの用だ?」
「……バカのひとつ覚えみたいにそればかり繰り返すのやめろよ」
「ああ、わかった。それで結局、なんの用なんだ? 一体」
自分の抱える疑問に対する返答が得られるまで同じ質問を繰り返すのは、アスロックなりの嫌がらせでもなんでもない。ただのコイツの性格だ。……ときと場合によっては、うざったいことこのうえないが。
「……はぁ。ちっともわかってねえし。――戦闘訓練、次はお前の番だぜ」
言って青年は疲れた顔で立ち去った。アイツに共感などしたくはないが、まあ、気持ちはわからなくもない。
「なあ、ファルカス」
アスロックが立ち上がりつつ声をかけてくる。
「アイツの言ったこと、あんまり気にするなよ。お前とアイツは違う人間なんだから、そりゃ意見が合わないことだってあるさ。もちろん逆に意見が合うことだってあるだろうし」
「……まあな。――いや、アイツと意見が合ったりなんてしたら、それはそれで気味が悪いんだけどな……」
げんなりするオレに「ははっ」と笑うアスロック。
「じゃあ、おれはちょっくら行ってくるな」
「ああ。――あ、ちゃんと手加減しろよ?」
「わかってるって。じゃ、また後でな」
手を軽く上げつつ、アスロックは訓練場のほうへと歩いていった。
戦闘訓練では真剣――ロングソードを使う。切れ味はよくはないものの、突き刺すのなら殺傷能力は充分。オレやアスロックなら、やろうと思えば訓練相手を殺すことも容易だった。あ、さっきのヤツもそうか。実力はあるヤツだからな。
それに実力がなくても、訓練相手を殺すことは決して難しくない。というのも、真剣を使うくせにろくな防具をつけないものだから、相手の左胸に剣を突き刺せばいいだけなのだ。
訓練如きで真剣を使う。正直、異常だとオレは思うが、これにはこの国独自の理由がある。
それは死をも覚悟して訓練を行うことで、常に実戦のような緊張感を出し、油断・甘えをなくすため。また、そうすることである程度、死を恐れなくさせるため。さらに間違って相手を殺してしまっても、戦場で命を奪うことへのためらいをなくすことができた、と正当化される。
こんな決まりがあるためだろう、訓練に乗じてムカつくヤツを殺そうとする危険なヤツがときどき出てくる。そう、さきほどのヤツなんかがまさにそうだ。
だがオレやアスロックはそんな危険な人間ではない。だから訓練のときは必ず手加減をする。無論、相手を殺してしまわないように、だ。まあ、その結果、戦闘訓練の成績が落ち込んでいるわけだが、そんなの特に気にもならない。
アスロックはオレの理解者だった。この国では珍しい、オレと同じ価値観――いや、倫理観を持っているヤツだった。そして、周囲の反応を気にせずに、それを堂々と表に出せるヤツだった。だから、彼はある意味オレの尊敬の対象ともいえ、そして――そして、唯一無二の親友でもあった。
「――またなにか、悩んでおるのか? ファルカス」
「いや、別に……」
ちょっとばかり言いよどみながら、オレは声のしたほうに顔を向けた。するとそこ――さっきまでアスロックが座っていた場所にクラフェルの姿。……ううむ、オレ、ちょっとボーっとし過ぎかも……。――ああ、そういえば彼はこの当時、この国の宮廷魔道士をやっていたな。すっかり忘れてた。
クラフェルはなにかを察したかのように、言葉を紡いでくる。
「もしや、ワシがこの街に来る前に起きたという、訓練のときの事件を思い出していたのかね?」
以前、そんな事件があった。それをクラフェルに話したことがあった。しかし、オレが考え事をしているとき、決まってこの話題を振ってくるのはいい加減やめて欲しい。まあ、オレのことを案じてくれている証拠ともとれるのだけれど。
そして、あのときのことを思いだす。あの、忘れてしまいたい、最悪な出来事を――。