第三話 にぎやかな部屋(後編)
家に入ると左手に部屋があった。正面にはもう一部屋。そして奥には二階への階段。
オレはノックもせず左手のドアを開ける。
すると……。
「おかしいな~、あの杖、ここにしまっておいたのに~。ないよ~。困ったよ~」
青い髪の少女が、あっちの引き出しやらそっちの物陰やらを覗き回っていた。しかしその声はどこかのんびりしており、ちっとも困っているようには聞こえない。
「……あの」
少女におそるおそる声をかけるオレ。少女の声が、昨夜オレがこの家に忍び込んだときに術を放ってきた奴の声と同じだったからだ。バレたらどうする、と必死に考えを巡らせる。しかし少女はオレという来客の存在に気づいた様子もなく、
「あ、あったあった。よかった~。ここにしまってあったんだ」
と、物置らしきところから杖を取り出していた。
それにオレは思わず突っ込む。
「普通、まず最初にそこを探すだろ!」
しかし少女は動じた様子も見せずに、
「見つかったんだし、これでよしだよ。――ところで、あなたは誰? 患者さん?」
「――え? ああ」
どうやら昨夜、この家に忍び込んだのがオレだとは思っていないようだ。まあ、声も洩らさなかったんだから当然か。
「そう。じゃあここ座って」
コンコン、と背もたれのない木製のイスを少女は杖で軽く叩きながら言う少女。オレが座ると少女は向かいの、やはり木製の、しかし背もたれのあるイスに腰掛けた。杖は彼女のイスの横に立てかける。
その杖のことはオレの知識にあった。
「回復の杖か。回復系の術の効果を高めてくれる魔法のアイテムだな」
回復呪文の使えないオレには意味のない品なのだが、近頃この杖を作るために必要な『回復の石』が採れなくなってきたため、かなりのお宝と化している。オレがこの杖のことを知っていたのも、だからこそだ。
「よく知ってるね。――で、どこが悪いの?」
オレのうんちくをサラッと流す、青い髪の少女。
ついムッとしてオレは答える。
「全身」
「頭も?」
「……おちょくってんのか?」
「え? 違うよ。なんかピリピリしてるから和らげようと思って」
「――そ、そうか。ピリピリしてた……、か」
まあ、そりゃあ殺しのターゲットを目の前にすればピリピリもするだろうな。……自分では気づかなかったけど。
「えっと、とりあえず右腕出して」
少女の言葉に従って、オレは右腕を前に出す。彼女は腕を取って、「う~ん」と低くうなった。こうしていると意外と医者っぽく見えるな。
一方、オレは手持ち無沙汰だった。つい目の前の少女をまじまじと見てしまう。
身につけているのは普通の僧侶が着ている一般的な白いローブ。少々着古した感じはするが、それは長い間大事にしてきた証でもある。またその白は、腰まである彼女のまっすぐな青い髪をより美しく見せている。
青い瞳からは奥の深さや、ふわっとしたものを感じた。歳は15~16。かなりの美少女だった。
美人というよりも可愛いと表現されるであろうタイプで、その表情には理屈でない温かさがある。
ふと、少女がオレに顔を向けた。なんとなく、気恥ずかしさを感じる。
「折れてるよ。腕の骨」
「なにっ!? ――って、嘘をつくな、嘘を。骨が折れてたらこんなことができるか?」
言ってオレは右の手を握ったり開いたりしてみせた。痛くはあるが、指はちゃんと動く。
「素人判断はよくないよ」
少女はどこか非難の込もった口調で返してきた。
「じゃあ患者に嘘をつくのはいいことだとでもいうのか? 大体、素人でもこれぐらいのことは分かる」
「でも、ヒビは入ってるよ?」
「……マジで?」
「うん」
青い髪の少女はこくり、とうなずく。
「……って、だから治してもらいに来たんじゃないか!」
「あ、そうだよね。ちょっと待ってね」
言って彼女は呪文を唱え始めた。
まったく……本当に大丈夫か? この魔法医……。
『先生』とか『師匠』って単語がこいつより似合わない奴って、おそらくいないだろうな。
「この世に再び具現れし
光を統べる聖なる王よ
汝の統べるその大いなる光で
我が前に横たわりし者を救いたまえ」
呪文の詠唱を終え、少女がオレの腕に両の掌をかざした。
「神の祝福!」
――<神の祝福>。この世界の最高神、『聖蒼の王スペリオル』の力を借りた、最高位の回復呪文である。その効果範囲は怪我を治すだけに留まらず、対象の精神力やスタミナまでも回復させる。かなりの修行を積まなければ覚えられない術なのだが――。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。わたしはサーラ・クリスメント。15歳だよ。といっても、もうすぐ誕生日だから、もう16歳みたいなものだけど。あ、誕生日はね――」
訊いてもいないことをペラペラとしゃべるサーラ。ちなみに誕生日は本当にもうすぐ。数日後だった。しかしオレは彼女の話を後半部分は聞き流していた。
正直、オレは驚き、同時にこの少女を見直した。
回復呪文は術者の精神力を回復力に変えるという、精神魔術の一種であるはずだ。ゆえに術をかけている間はかなり集中力を必要とする。
そりゃ、初級の<回復術>くらいなら話しながらでもかけられるらしいが、それより高度な<復活術>になると、話しながらなんて相当難しいらしい。
それをサーラは最高位の回復呪文である<神の祝福>をオレにかけながら、集中力も途切れさせずに話しかけてきている。これをすごいと言わずしてなんと言おうか。
「――なんだよ。はい、次はあなたの番」
「へ? オレ?」
「そう。名前と年齢だけでもいいから」
しまった……。ターゲット相手に名を名乗るのは、やっぱりちょっとな……。なんとかして切り抜けられないものか……。
「――べ、別に知ってもなんの得にもならないだろ。そんなの」
「ダメだよっ!」
いきなり鋭い声を出すサーラ。
「患者さんとの最低限のコミュニケーションなんだから!」
……どうやら名乗らずにここを去るのは無理らしい……。
「ファルカス・ラック・アトール。19だ」
「じゃあファルカスって呼んでいい?」
「まあ、どう呼んでくれようとかまわないが」
もう(正面切っては)会わない相手にそんなこと尋ねてどうするんだか。
「わたしのことはサーラって呼んでくれていいよ。――はい。治療、終わったよ」
もっと前から痛みは消えていた気がするのだけど、気のせいだろうか?
ともあれ、オレがイスから立ち上がろうとしたとき、
「また来てね~」
オレはそのサーラの言葉に、イスを巻き込んで盛大にコケた。それから思いっきり突っ込む。
「医者が言うか!? 医者が言うのか!? そういうことっ!?」
「? 誰にでも言ってるよ。で、ほとんどの人は『うん。また来るね』って返してくれるよ」
「……それって、全員若い男だろ?」
「え? え~と……、うん、そう言われてみればそうだね」
……やっぱりな。
「とにかく。お前に治してもらわなきゃならないほどの大怪我をするつもりは、オレにはいまのところまったくない」
「そうだね。人間、健康が一番だもんね」
オレに同意するようにうなずくサーラ。
「医者が『また来い』なんて言うなよ。わかったな?」
「うん、わかったよ。――じゃあ、またね」
……全然わかってないし……。
「だから――っと、忘れてた。代金いくらだ?」
「わたし、お金は別に要らないよ」
「それは町で耳にしたけどさ。やっぱり金は取らないと生活していけないだろう?」
「あ、そういうこと。それなら平気だよ。わたし、この町にはわたし以外の魔法医も必要だろうなって思って、2年くらい前からお弟子さんを育ててるんだけど――」
「ああ、この家の前で会った。カレン・レクトアールって奴だろ?」
「うん。それでね、そのカレンちゃんから授業料をもらってるから」
「いや、でも金はあって困らないって」
「それはファルカスも同じでしょ?」
……………………。
「ああもう! いいから受け取ってくれ! 金を払わないとお前に恩を売られっ放しになったようで嫌なんだよ!」
どかっ、と再びイスに座り、オレは懐をまさぐった。……ん? あれ?
さらにまさぐる。
……あれ? まさか……。いや、でもそんなこと……。
まさぐる。
……………………。
やがてオレは、呆然として呟いた。
「……サイフが……ない……」
「え?」
「……ちょっと待ってくれ。もしかしたら別のところにあるかも……」
「……いつ落としたか、心当たり、ない?」
う~ん……。心当たり……。昨日の昼、宿屋で宿泊代を前払いしたときには、まだあった。
サイフはそれっきり出してないし……。あっ! もしかして、昨夜か!? この家に忍び込んでサーラに<激流水柱砲>で外に吹っ飛ばされた、あのとき!?
……思いっきりありえる話だった。真夜中なら、通りかかった酔っ払い辺りが拾っていっていてもおかしくはないし……。
なんてこった……。まだ中身はたっぷり入ってたっていうのに……。
「あの、だから別にお金は――」
「いや! まだ払う手段はある!」
オレは横に置いておいた荷物袋をまさぐり、一振りの真っ黒な剣を取り出した。
「これで払う! 売ればそれなりの金になるはずだ!」
しかしサーラは真っ黒な剣を指差し、
「これって……、呪われてない?」
うっ! やっぱり気づいたか!
「『いかにも』って色してるもんね~」
しかし、呪われていない魔法の品はすごい高値で買い取ってもらえる。魔法医に払う治療費の相場の10倍はかるく超えるだろう。それをいまサーラに渡すのはちょっと……。
さすがにオレは考え込んだ。金は払いたい。けど魔法の品は渡したくない……。
「あ、そういえばわたし、うっかり効果の高い薬草を切らしちゃってたんだっけ」
唐突だった。ものすごい唐突だった。
「でもその薬草はこの国の首都――フロート・シティでしか売ってないんだっけ。買って来たいけど、一人旅は危険だし……」
ここまで言われれば彼女がなにを言いたいか、誰にでもわかるだろう。
サーラは次にオレの予想した通りのことを口にした。
「そうだ、ファルカス。フロート・シティまでボディー・ガード、お願いできないかな? もちろん依頼料は払うから」
気の利いた嘘だった。サーラには放浪癖があると聞いた。つまり過去に彼女は何度か旅をしたことがある。おそらくは一人旅も経験しているだろう。
薬草のこともそうだ。サーラほどの有能な魔法医が『うっかり』薬草を切らすなんて考えにくい。
だがオレは彼女のその厚意に甘えさせてもらうことにした。
「おう! 任せとけ!」
――しかし、知らないとはいえ、自分の身を狙ってきた暗殺者にボディー・ガードを頼むか?
そんなことを思い、オレはつい苦笑を漏らしてしまうのだった。
はい。ようやくヒロイン登場です。
ここから物語は徐々に徐々に盛り上がって……いくはず。