第十三話 夜明けの大地(前編)
戦いは不毛と言うほかなかった。
クラフェルの召喚したデーモンどもをオレは魔術で、ルスティンは拳でぶち倒す。
しかし、クラフェルも負けじとデーモンを召び出す。
どちらかのスピードが勝っているならまだしも、デーモンを倒すのと召び出すのがほぼ同じとなると、本当、不毛としか言いようがない。なんていうか、キリがない。
やがて、そんな戦いにも変化が訪れた。
「蠢く死体!」
クラフェルに召喚されたのは、なんというか、死体だった。ブクブクに太った、動く死体。それも四体。太った部分には腐敗した際のガスが詰まっているのだが、それさえ知っていれば――炎を当てて引火さえさせなければ、動きの緩慢なでくのぼうに過ぎない。まあ、力はそれなりにあるし、打撃が効きにくいので、完全に油断も出来ないが。
召び出された四体の死体たちは、未だ火の手収まらないサーラの家へと歩を進め――って待った待った待った! それはマズい! 詰まっているガスが爆発する!
動きがノロいから詠唱の時間はあるだろうが、なにを使う? とっさに唱えかけた火の精霊魔術の詠唱をやめ、しばし考える。――よし、あれにするか。
「三方操衝弾!」
召喚されたアンデッド一体に狙いを定め、重ね合わせた掌から黒い帯を三本同時に撃ちだす! 一本はそのまま直進して狙い通りに動く死体を一体、撃ちぬいた。そして残りの二本は軌道を大きく曲げてそれぞれを葬り去る。オレが頭に思い描いた、そのままに。
実はこの術、慣れれば黒い帯の軌道を三本ともコントロールすることが出来るのだが、いまのオレにはそれはまだ無理だった。だから一本にだけはまったくオレの意志を干渉させず、直進する軌道上にアンデッドが居るように狙いを定めた。結果、そのどれもを動く死体に命中させ、倒すことが出来たわけだ。
しかし、まだ一息はつけない。まだ動く死体は一体、残っている。けれど、
「精神裂槍っ!」
続けざまにオレの放った蒼白い光の槍が、残った動く死体の身体を貫く! 塵となって崩れ去る人の姿をしたアンデッドモンスター。サーラの使った<精神滅裂波>ほどの魔術はさすがに使えないが、それよりレベルの低いこの術ならオレにだって使えるんだ。
「魔族召喚!」
<蠢く死体>はどうやら、単に<魔族召喚>を唱えるための時間稼ぎに使用しただけらしい。クラフェルの声に応え、現れるエビル・デーモン五匹。
よく考えてみれば、あんなアンデッド四体でオレたちを倒せるなんて、クラフェルも思ってはいないだろう。動く死体四体とまがりなりにも魔族であるエビル・デーモン五匹。どちらが強いのかなんて、考えるまでもないのだから。
しかし、オレはなかば勝利を確信していた。
なぜならこの戦い、表向きはクラフェルが次から次へと召び出すエビル・デーモン対ふたりの人間という、オレたちに不利なものに見えるが、デーモンがクラフェルによって召喚されている以上、戦いの本質はクラフェルが召喚術を使うたびに消費する魔法力と魔術でデーモンやら動く死体やらを倒すたびに消費していく魔法力、それが先に尽きたほうが負けるというものだからだ。
また、オレの魔法力が尽きたとしても、まだ負けにはならない。ルスティンが魔術を使わずにデーモンを倒せているからだ。それも、楽々と。
そして忘れてはならないのが、いまは戦線離脱しているサーラの存在だ。彼女が破邪の――オレのより高位に属する<精神滅裂波>以外の破邪の術を使える可能性は極めて高いのだから。
別に義務づけられているわけではないのだが、僧侶にはそういう『神聖』なイメージがついているから、破邪の術を覚えておこうとする人間が多かったりする。
だがクラフェルほどの奴なら、そこにも気づいていて切り札のひとつも用意していておかしくない。だからオレもそれを警戒し、最強の術を使えるだけの魔法力は確保していたりする。
クラフェルが切り札を使うときこそが、デーモンを召喚するための魔法力が尽きたとき。そう考えて間違いないだろう。
少々、深読みしすぎな気もしたが、ここまで押さえてあればこちらの勝利は確定。負ける要素なんてどこにもない。そう思い、魔術でデーモンを一匹倒したそのとき――
「――動くなっ!」
クラフェルが大声を張り上げた。気絶している下っ端ひとりの首に小ぶりのナイフを当てて。オレは思わず動きを止めた。首だけを動かし、あたりを見回してみると、あちこちに下っ端の死体があった。クラフェルに捕まった奴以外の下っ端はデーモンの攻撃に巻き込まれ、すでに全員、絶命していたらしい。
下っ端を人質にとられたところで、かまうことなどなにもないはずだった。クラフェルの<精神意操>で操られている『敵』なのだから。しかし、逆に言うのなら、『暗闇の牙』の下っ端どもは操られていただけだというのも、また事実で。
「…………。くそっ……!」
これは正直、予想外だった。まさかオレにとって敵となる奴を人質としても利用するだなんて。完全に、想像の外だった。
睨みつけるオレに、クラフェルは嘲笑を浮かべてみせる。
「やはり弱いな、ファルカス。いつだったか忠告したじゃろう。人を殺すことに罪悪感を覚えるようでは近いうちに命を落とすことになりかねんぞ、とな」
悔しいが、クラフェルの言うとおりだった。こんな手を使われたんじゃ、魔法力を残しておいたことさえ、なんの意味も持たない。
クラフェルに突っ込んでいってあの下っ端をなんとかしたいが、奴には隙というものがない。
――と。
「――ファルカスは弱くなんかないよ」
声は火の手の上がる家のほうから聞こえてきた。優しく、強い声だった。
「裏世界で生きながら、なお、人間としての心を失わなかっただけだよ」
声がしたほうを向くと、そこには白いローブではなく緑色の神官服に身を包んだサーラの姿。
「……や、やかましいっ! やれっ!」
クラフェルの命令に従い、吠えていっせいに闇の矢をサーラに浴びせかける五匹のデーモン!
しかし、その闇の矢はどれも彼女に――いや、彼女の服に突き刺さると同時に消滅する! そう、まるで服の表面に闇の矢を無効化する結界が張りついているかのように。
そうか! あれがサーラの両親が手に入れた『魔法の品』! エビル・デーモンの放つ闇の矢をことごとく無効化してしまうなんて、一体、どれほど高位の――いや、いまはそれよりも――
「――ぐっ!?」
オレがクラフェルに視線を戻したとき、すでにルスティンが踏み込み、奴に拳を放っていた!
「クラフェル。本当に弱いのは、下っ端やら動く死体やらデーモンやらをアテにしているあんたのほうなんじゃないのかい?」
地に倒れ伏したクラフェルを見下ろし、冷たく言うルスティン。
「くっ、ぅ……」
呻くクラフェル。それを攻撃の合図と思ったのだろうか。デーモンたちが吠え声と共に闇の矢を放ってくる。しかしオレのほうは難なくかわし、サーラに向かっていった矢は先ほどと同じ末路を辿った。
小声で呪文を唱えていたのだろう。サーラが呪力を解き放った!
「破邪滅裂陣っ!」
あたりがまばゆい光に包まれたかと思うと、次の瞬間にはすべてのデーモンが消え去っていた。かなり高位の破邪の術なのだろう。サーラが肩を大きく上下させていた。
「だ、大丈夫か……?」
「……大丈夫。ちょっと、疲れた、だけ……」
言って、サーラはオレに笑みを向けてくる。
「――で、その服が魔法の品?」
「うん。地下室に隠して、おいたの……」
なるほど。地下室に、か。そこになら火の手も回っていなかっただろう。しかし、魔道士の家には研究のため、隠れ地下室とでも言うようなものがよく存在すると聞くが、まさかサーラの家にもあったとは……。
「それにしたって、悠長に服を着替えてこなくても……」
「だって、着ないと意味、ないでしょ……?」
それはまあ、そうなのだけれど。
「まだじゃ……。まだ、負けてはおらんっ……」
クラフェルが弱々しい呟きを洩らす。
「来い、ハルクっ……!」
……ハルク……?
「――おやおや、ボロボロだねぇ、じーさん」
『それ』は、闇の中から現れた。
海賊の船長のような帽子を被り、魔道士のローブらしきものと漆黒のマントを身に纏っている。ただ、顔は真っ黒で、瞳があるべき場所には緑色の光が灯っていた。鼻や口といったものはどこにもない。
「――魔族……」
サーラの呟きが、耳に届いた。
「そう。オイラは魔族ハルク。そこのじーさんの命令だからね。あんたらを消させてもらうぜ」
やはりクラフェル、切り札を用意していたか。ならこっちも――
「断罪の光!」
「――うぉっ!?」
素早く呪文の詠唱に入っていたらしい。サーラの声に応え、蒼白い光の柱がハルクを押し潰さんと虚空から降り注ぐ!
……想像以上に戦い慣れしてるなぁ、サーラ。<断罪の光>もオレに向けて放たれたときとは段違いの威力になってるっぽいし。しかし、決定打になったとは思えない。
「……いきなりでびっくりしたぜ。まったく、人間ってのはせっかちだねぇ……」
……びっくりした? その程度の効果しかないのか? サーラのおそらくは本気で放った<断罪の光>が? なんて奴だ……。
サーラも一瞬、詰まった表情を見せたが、すぐに気を取り直し、次の呪文の詠唱へと――
「待った待った。ここはオレに任せてくれ」
「――え? でもファルカスひとりで、なんて……」
いや、実際はサーラにもやって欲しいことがあるんだけどな。全部を任されたら、いくらなんでも困るし。
「サーラ、消音の術は使えるか? 風静振動陣みたいなやつ」
「えっと、風静振動陣は使えないけど、似たようなのなら、一応。でも、なにをするの?」
「よし。じゃあ――」
サーラに作戦を話し終えると、オレは剣を片手にハルクへと突っ込んでいった。
「無謀な突撃は死期を早めるだけだぜ?」
ハルクは右手に闇の剣を創りだし、左手から一条の光の筋を放ってくる。
「もっともだな。オレだって無策で魔族を相手どるつもりはないさ!」
夜の闇に銀色の残像を刻み込み、オレは闇の剣を手にしている剣で受けた。一条の光線は身をひねってかわし――クラフェルが人質にしていた下っ端の左胸に突き刺さった!
せっかくルスティンが助け出したというのに、運がないというか、なんというか……。
ともあれ、ハルクの繰り出してくる攻撃をかわしつつ、呪文の詠唱を開始する。
唱えるのは、この世界の魔王――漆黒の王ダーク・リッパーの力を借りた無差別破壊呪文。これを使ったらオレの魔法力はほとんど尽きるだろうが、問題はないだろう。クラフェルにはもう魔法力は残っていないはずだし、ハルクは見るからに下級魔族。魔王の力を借りた術にまで耐えられるとは思えない。
「黒の精神を持ちしもの
破壊の力を持ちしもの
我らが世界の理に従い
我に破壊の力を与えん
その力 神々すらも滅ぼさん
闇に埋もれしその力を
我が借り受け 滅びをもたらさん!」
詠唱を終え、オレはハルクと大きく間合いをとる。
この術、実はこんな町の真っ只中で使っていいものじゃなかったりする。理由は単純。威力――というか、爆発力が強すぎるからだ。下級のではあれ、魔族を一撃で倒せる威力を持つこの術は、考えなしに町の中で使った日には広範囲に渡って多くの家を爆発に巻き込んでしまう。けれど――
「黒魔波動撃っ!」
オレの放った黒い波動がハルクに向かって突き進む!
あの波動は確かに、ハルクに接触すると同時に大爆発を起こすだろう。それは防げない。あるいは防ぐ方法があるのかもしれないが、少なくともそんな方法、オレは知らないし、考えてもいない。
要するに、爆発してもかまわないのだ。ここは町の端っこで、爆発に巻き込まれる家なんて、すでに炎上しているサーラの家くらいのものなのだから。
そして、唯一の問題である爆音のほうは、
「風力無効!」
クラフェルが<核炎球>を使ったときにオレがやったように、サーラに魔術で消してもらった。まあ、本来のこの術は確か、風の精霊魔術を無効化するためのものだったはずだけれど、こういう使い方もあるってわけだ。
直進していた黒い波動は、ハルクに接触すると同時、大爆発を起こす!
……なんか、音を消したせいでかなり迫力に欠けたな……。まあ、いいけど。いいんだけど、なんていうか……。
――と。
……どぉ……ん……
<風力無効>をも破るか、あの術……。まあ、小さい音だったし、町の人間が見にくることはないだろう。……たぶん。
「――なんか、ミもフタもない気がしないかい……?」
まあ、確かに、な。なんか、あっさりやられすぎだよな、ハルク。盛り上がりもなにもあったものじゃない。
しかしオレはルスティンの呟きが聞こえなかったフリをする。たとえ心の中でであっても、いまはおちゃらけている場合じゃない。
小さく息を吸って、クラフェルのほうへと足を向ける。サーラがなにやら動いたようだが、気に留める余裕もなければ、つもりもない。
一歩一歩、クラフェルと間合いを詰めるにつれ、緊張感が増してくる。もちろん、頭を支配する『熱さ』も。『熱さ』と『冷たさ』がオレの中に同居している。それを生みだす感情は、『クラフェルへの怒り』という、同じもので。あるいは、人間はこれを『殺意』と呼ぶのだろうか、と頭の片隅で冷静に思う。
そして――双方が攻撃できる間合いの場所で、オレは立ち止まった。
しばしの沈黙。オレの――いや、オレとブラッドの人生を狂わせた男は、怯えも逃げもせずに、黙ってそこに立っている。
「――覚悟!」
オレは剣を振りかぶり――




