第十一話 夜明け前のとき(中編)
現在の状況やら今後のことやら、色々と考えを巡らしながら、サーラの家へと向かう。つまりは、町の最南端へと。
「――ん?」
彼女の家がぼんやりと見えるところまでやって来たところで、そこに2つの人影があることに気づいた。さらに家の影にでも隠れているのか、他にも複数の気配を感じる。サーラもそれを察知したのだろう。わずかに表情を硬くする。
人影が、2つ同時に一歩、こちらに近づいてきた。月明かりに二人の顔が白く照らし出される。
魔道士姿と闘士姿の男女だった。
『暗闇の牙』の幹部、クラフェルとルスティン。
しかし、なぜここに?
それにおかしいといえばもうひとつ。
なんで二人は赤いバンダナとマントをつけていない? 『暗闇の牙』の一員であることを示す、二つの品を。
「ずいぶんと遅かったのう、ファルカス」
誰もが無言でいるなか、最初に口を開いたのはクラフェルだった。
「もっと手早くターゲットを始末し、ワシらに合流してくれるものとばかり思っていたんじゃが……」
オレの隣にそのターゲットがいるのはわかっているだろうに、クラフェルはそこにはまったく触れずに、
「まあ、ワシとルスティンが家捜しをする時間は稼げたわけじゃから、別に問題はないがの」
「家捜し?」
オウム返しに訊き返してから気づく。そうか。姿の見えない複数人の気配は家の影からじゃなく、家の中からしているのか、と。
「けどね、見つからないんだ。封魔戦争のときにこの家に隠されたっていう魔法の品」
「……っ!」
ルスティンの言葉に、サーラが息を呑む。そうか。なんとなくわかってきたぞ。つまりオレにサーラを殺せって命じたのは……。
「その魔法の品を手に入れるためにサーラの存在が邪魔だったってことか? だから殺せなくてもここから遠ざけられれば、それでよかった?」
「別にそういうつもりはなかったけどね。殺せるならそれがベストではあったよ。でも、この状況は悪くないね。いや、ここ何日かずっと家捜しさせてもらってたんだけどさ。これが見つからないのなんのって。一体どこに隠したんだか」
肩をすくめ、首を横に振るルスティン。それからおもむろにサーラへと話の矛先を向ける。
「教えてもらえないかな? 『あれ』はどこにあるのか」
対するサーラは額に汗を浮かべ、
「――『あれ』って、なんのことですか?」
「本当に知らないなら、そんな真剣な表情で訊き返したりは、しないよね?」
沈黙するサーラ。間違いない。サーラは封魔戦争の折に争いの種になったという魔法の品を所持している。もちろん、オレにもどこにあるのかはさっぱりだが……。
「とりあえず、家にはないってわかったけどね。屋根裏部屋にもありゃしなかった」
しかし、サーラが持ち歩いているようにも――いや、そうか。『まもりのペンダント』のように、装身具の形をした魔法の品かもしれないんだ。
「まあ、そのことは一旦、置いておくとしよう」
クラフェルが話に割り込んでくる。しかし、魔法の品の話をしようっていうんじゃないのか?
「ファルカス、お前にひとつ、伝えておくことがあるんじゃよ」
「ああ、あのことかい? クラフェル」
つまらないことを、とでも言いたげなルスティンの表情。しかしそれにかまわず、クラフェルは言葉を紡ぐ。
「ブラッドが死んだ」
「――――」
――それは。
あまりにも唐突で。
オレは、とっさに返す言葉を見つけられなかった。
「――それは、どういう……?」
やっと絞り出せた言葉は、そんな意味のないもので。
それにルスティンは呆れたような口調で、
「死んだんだよ、ブラッドが。エビル・デーモン相手にあっさりと、ね」
あっさりと……? あのブラッドが……?
「事実じゃよ、ファルカス。――まあ、ワシはこれでよかったと思っとるがの」
これで、よかった……?
「――それ、どういう意味だよ!?」
いまとなっては、心からブラッドのしていることが正しいとは思えなくなっているけれど。
間違っていると、そう思う部分もあるけれど。
それでも。
それでもオレは、自然と語気を荒くしてしまっていた。だって、全面的に正しいと思えなくなっただけで、オレはブラッドのなにもかもが間違っているなんて、思ってなかったから。
クラフェルはオレの心情なんてどうでもいいのだろう、淡々と言葉を続ける。
「単純なことじゃよ。あやつのような巨悪が死んでくれてホッとしているということじゃ。――のう? ルスティン」
巨悪? ブラッドが?
「ああ、そうだね。――ファルカス、あんたがあいつにどんな感情を抱いていたのか、アタシらにそれはわからない。けどね、ブラッドはあんたを道具としてしか見ていなかったよ。なんせ、あんたが『暗闇の牙』に入るように仕向けたのはブラッドと、あいつから命令を受けたクラフェルだったんだからね」
――なん……だって……?
ショックが大きすぎて返す言葉が見つからない。それを探すかのようにうつむいてあちこちへ視線を向けると、少し伏し目がちにして立つサーラの姿が目に入った。
クラフェルがルスティンの言葉を継ぐ。
「本当じゃ。あやつとワシは策を練り、お主を組織へと導いた。お主を組織に入れた理由は、自分勝手な行動をしていた一部の下っ端どもを少しでも押さえつけるため。組織にいたほとんどの者は、お主と同じくブラッドのカリスマ性に惹かれて集まっていたわけじゃが、中にはそうではない者もおったからな。そこで、そういった者たちを押さえつけられる人材を必要としたんじゃよ。
幹部であるワシはこの通りの老いぼれじゃし、もう一人の幹部であるルスティンは女じゃし、威圧感というものがいささか不足していたんじゃ。――疑問を抱かなかったかね? 組織に入ってから一月足らずで幹部になれたことに」
「…………」
「お主が下っ端を押さえつけられたか否かに関しては議論の余地があるが……。お主はおぬし自身の持っていた実力だけでもそれなりの価値があったからの。まあ、よしとしたんじゃ」
人の人生を狂わせておいて、なにが『よしとした』だ。
しかしオレがそう口を開く前に奴は続ける。
「よく考えてみい。お前に信用を植えつけようと、ガルス・シティにいた頃にしょっちゅうお前の相談に乗ってやったのは誰じゃ? 組織のことを教え、街を出ることを提案したのは誰じゃ?
どちらも、このワシじゃ」
それすべてがブラッドの『策』だったって、いうのか……?
「お主が街を出た夜、ブラッドの策略は最終段階に入った。あやつが劇的にお主を助けるという、最終段階に。訊くがファルカス、襲ってきたモンスターはお主にとって見たことのない――ガルス帝国では見かけない種族ではなかったか? それに言うまでもないが、ブラッドがお主を助けたタイミングは、実にタイミングがよすぎると思わんか? さらに、じゃ。モンスターが群れずに行動していたのはおかしいと思わんかったか?」
モンスターは基本、他の生物を襲うときは同種で群れを成す。もちろん例外はあるし、あのときがその例外だったという可能性はなくもないが、オレにはそうは思えない。群れていなかったというのは近くに同種のモンスターがいなかったからに違いない。
加えてクラフェルは召喚術士。モンスターはおろか、魔族まで召喚できるという。それにオレはあのとき、『視線をいくつか感じた』じゃないか。襲ってきたモンスターはリザードマン一匹だったというのに。
これらのことが示す答えはひとつ。あのリザードマンはクラフェルが召喚したものなのだろう。おそらく、ブラッドと一緒に近くの木陰に隠れて。
「――嘘だ!」
その答えを導き出してもなお、オレはそう叫んでいた。でも、頭ではそれが真実なのだと、わかってはいて。
オレの出した大声は夜の静けさに虚しく溶けて消えていく。
「嘘だというなら、このことはどう説明する? あの戦闘のとき、身体はおろか口まで自由に動かせなかったじゃろう? リザードマンにはそんな能力はないはずじゃ」
オレはそのクラフェルの言葉である呪文に思い至った。
――<不均衡音波>。
黒魔術なのだが直接的な攻撃呪文ではなく、狙った者の神経をマヒさせて身体の自由を奪う術。熟練者が使うそれは口の自由も奪えるという。
唱えたのはおそらくクラフェル。ブラッドは呪文などひとつも使えなかったハズだから。
オレの身体や口の自由を奪った理由は容易に想像がつく。この策略はブラッドがオレを劇的に助けるのを終着点としたもの。ならオレが自分でリザードマンを倒してしまえる可能性を完全に潰さなければならない。
そしてオレを助けた――もとい、助けたフリをしたブラッドは『平和な世界を作りたい』などと語った。
それが――それが、真実……。
疑いようないじゃないか。もう……。
サーラの声が優しくオレの鼓膜を震わせたのは、そのときだった。
「――違うよ、ファルカス。真実は、そうじゃないよ。――そうですよね? クラフェルさん」
クラフェルを強く見据えるサーラ。それに揺らぐクラフェル。――なんで、クラフェルが揺らぐ……?
「……なんのことじゃ?」
クラフェルがうろたえていた。16歳になったばかりの小娘が視線を向けた、それだけのことで。いや、それだけ、なのか? オレがいま感じているサーラの気迫は、一体なんだ?
「『暗闇の牙』の頭、ブラッドがやったことはすべて本当。けど、それはすべてあなたに踊らされての行動だった。あなたの提案を実行しただけだった。ブラッドに悪意はなく、いま言っていたことはすべてあなたの企みだった」
異常なまでの気迫が込められたサーラの視線に気圧されたか、クラフェルが一歩、後退る。同時に無言で地面を杖で軽く叩いた。
サーラは続ける。
「ブラッドは子供の頃に家族を失ったって、わたしの両親に聞いたことがあるけど、それもあなたの仕業。ブラッドがファルカスにやったことと似たようなことを、あなたはかつてブラッドにやった。
あなたは最初、自分が組織の頭になろうと思ってた。けど、あなたにはブラッドのような天性のカリスマがなかった」
「――黙れっ!」
静かに言葉を紡ぐサーラに怒鳴るクラフェル。しかしサーラは意に介した風もない。
「あなたはファルカスとブラッド、二人の人生を狂わせた。そしてそのブラッドを殺したのだって、あなた!」
……なん、だって……?
「あなたが最下級魔族――エビル・デーモンを召喚し、殺すよう命じた!」
言葉を続けるにつれ、サーラの糾弾の声も大きくなる。
「つまるところ、あなたには実力なんてない! いつもなんらかの力を利用して、自分はほとんど動きはしない!」
活動を完全に停止していたオレの頭が、再び回り始める。
――言われてみればそうだ!クラフェルは魔族を召べるって知ってるオレになら、いまサーラが言ったことくらい想像つきそうなものなのに。
しかし、サーラはなんでそのことを。……! <通心波>か! 目を伏せたあたりから使っていたに違いない!
「…………。言ってくれるじゃないか、小娘! 確かにワシには実力はなかった。『なかった』よ! じゃがな――」
再び杖で地面を叩くクラフェル。同時にサーラの家の中から、あるいは陰から十数人の黒ずくめが飛び出てくる! こいつらは、『暗闇の牙』の下っ端どもか……? しかし、誰ひとり目の焦点が合っていないような……。
「実力がなければ、あやつを殺すことはせんよ。実力がついたから殺したんじゃ。組織の頭になるべく、な! それに、見よ!」
クラフェルの声に応え、三匹の『それ』が現れた。血のような赤い瞳。筋肉質の黒い身体。バケモノ然とした姿。
見るのはこれが初めてだが、おそらく間違いないだろう。際下級魔族――エビル・デーモン。
最下級とはいえ、魔族であることには変わりない。油断は禁物。
「ワシにルスティン、そして組織の下っ端ども。そこにデーモンが三匹も加われば、いかにお主とて勝算はないじゃろう。――もっとも、お主とはあまり、ことを構えたくはないが」
そのセリフに、オレは試しに言ってみる。無理だろうな、と思いつつ。
「なら、もう放っておいてくれないか? オレにはもう、組織に戻る気はないし」
過去に縛られないために。
過去をなかったことにするのではなく、未来への糧として生きていくために。……まあ、はっきり言ってサーラの言葉の受け売りだけどさ。
しかしクラフェルは、
「そうはいかんよ。お主は裏世界を知りすぎておる。ワシが頭となる組織に居られないというのなら、死んでもらわねば、な」
……そうだよなぁ。やっぱりそうなるよなぁ……。
クラフェルの言葉に応えるように、無言でいたルスティンが一歩、前に出る。
「それじゃ、始めようかね」
刹那!
ルスティンは後ろに立っていた黒ずくめに裏拳をかました! それも顔面に。
その黒ずくめが倒れ伏すと同時に、ルスティンはオレとの間合いを詰めてくる。そして、どこからか銀色のナックルを取り出すと、それを両手にはめて身体を反転。クラフェルたちと向き合った。
「――裏切る気か?」
低い声で訊くクラフェル。対するルスティンはやたらと明るく返す。
「まっさかぁ。アタシは最初からこうするつもりでいたよ。なんせアタシは本来、『漆黒の爪』の一員なんだから。あんたの組織にいたのは『暗闇の牙』を吸収するためさ。まあ、いまとなってはせめて、壊滅させるしかないかなって思ってるけどね。吸収できないなら滅ぼしておかないと」
横から口を挟むオレ。いや、茶々を入れる、のほうが正しいか。
「つまりカオスを裏切って、今度はクラフェルを裏切った、と」
「…………。単純に 『表返った』って言ってくんないかな。……ま、いいや。それよりクラフェルっていう共通の敵が出来たことだし、ここはいっちょう共闘といかないかい? ファルカス」
『NO』と言えない状況で協力を要請してくるのはズルイと思うのはオレだけだろうか……。
ともあれオレはうなずいて、
「じゃあ、まずは下っ端を全員、気絶させるぞ。命まではとりたくない」
「甘いねぇ、あんた。――でもまあ、そうだね。クラフェルの術で操られているだけだし」
「術って? そんな術があるのか?」
「クラフェルのオリジナルさ。<精神意操>っていうらしい。それが奴の『実力』ってやつさ」
他力本願なのは変わらないんだな……。
それにしても、なるほど。下っ端どもの瞳が虚ろなのは、そのせいか。




