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3月11日。あの時、あの場所で、無力な自分は。(閲覧注意)

作者: 鳳圭介

これは、読むことをあまりオススメできません。

内容は、駄文で出来た、ただの悲観と懺悔です。

もう1度言います。読むことをあまりオススメできません。

それでも良いという方は先にお進みください。

 なんでもない日だった。

 学校も午前で終わり、母親もごく普通に帰ってきて、お父さんを抜いて食事をとった。

 三重県松阪市。その端の端。そこに自分の家はあった。

 14時46分。そのころ自分用のパソコンもなく、親のパソコンでただただグダグダと、いつも通り動画を見ていた。母は新聞を読み、兄はすでに持っているパソコンをいじる。ごくごく普通の日常だった。

 が、その時間のなってさらに少し時間が経つと母と兄が違和感を抱き始める。

 揺れ。地震。けれど、それにしてはゆったりとした動きだったという。自分は、パソコンに集中して気づきすらしないほどの揺れだった。が、2人が騒がしくしているもので気になってイヤホンを外した。

 そして、自分の部屋から出て居間に行くと、テレビにいろいろな光景が写っていた。燃える東京のどこかのビル。

 なんでもないはずの海岸線。

 船が慌ただしく行き交うどこかの堤防。

 右下には日本地図が載せられ、その太平洋側や、一部の日本海側が黄色やオレンジ色に点滅していた。

 そして、画面上には、絶えず白い文字でNHK地震速報の文字とともに、あらゆる街の名前や、数字が出ては消えていく。

 意味を理解するのに30秒。そして、部屋に戻ってパソコンを居間に移動させるのに1分。コミュニティサイトに繋ぐのに10秒。そして、自分は掲示板に『巨大地震発生』と、そんなふうな名前のトピックを作った。そして第一に『地震が発生しました。パソコンなどは通信を控え、被災地の情報供給を優先してください。また、無事な方は家族や友達に自分の生存を伝えてあげてください。また、情報の共有をこの掲示板で行なってください。ガセもあるかもなので、判断は各自に任せます』と打ち込んだ。

 自分の行なっていることは、矛盾だった。けれども、それに気がつかないほどに自分は愚かで、けれども愚かなりに必死だった。

 テレビでは、水位が下がり始めた海岸や、ニュースキャスターの忙しない話し声が行き交う。

 それらの情報をわかる限り掲示板に打ち込んでいく。

 津波が来て、屋上駐車場のすぐ近くまで水が来ている風景が移されたり、堤防のない土地を津波が蹂躙していく様を見ていた。

 自分にも何かできると思いながら、その画面を見ながらも情報を打ち込み続けた。誰が見ているかも分からずに。

 そんな作業を、夜まで繰り返した。親には、耳が痛くなるほどに注意された。けれども、続けた。そして、被災地では必死に生きようとしている人がいるのに、何人も死んでしまっているというのに、自分は何もなかったかのように眠った。


 次の日も、その次の日も、そうやって掲示板に情報を書き入れていた。だが、書き込む速度は日に日に遅くなっていった。

 テレビのニュースでは、必死に走る人が、車が、土色の何かに飲み込まれていく様を流していた。遠くから見ていて、その光景は映画のように見えた。

 ――怖い。

 テレビという壁を通しただけで、僕は『恐怖』の感情を、飲み込まれた人たちのことを考えると、恐怖とともに、息苦しさを感じた。

 飲み込まれて、苦しいんだろうか。体も自由に動かないんだろうか……。

 日に日に増える予想死者数・行方不明者数。数字も、現実感を失うような物になっていった。

 しかし、その数字と共に、自分の恐怖も確実に大きくなっていった。

 原発の問題も出始めた。最初は10km圏内。そして、20km圏内と……。

 ニュースを見るのに嫌気がさした。夜も寝れなくなった。コミュニティサイトにもいかなくなっていった。

 そんな日が何日か続いて。けれど、その間に自分を動かしていた原動力は、熱は確実に冷めていった。

 ニュースを見て、怖かったと思うだけになっていった。


 あの日から、1年。多くが死に、多くが失い、多くが悲しんだ、3月11日からの悪夢。被災地の人は、まだこの悪夢を引きずっているのだろう。きっと、一生引きずるんだろう。

 けれども、自分はどうだ……。学校でごく普通に友達と話して、笑って、馬鹿やって、何もなかったかのように過ごしている。

 今これを書いている自分は、ただ思い出して書いているだけなのだ。

 忘れてしまっていた自分が憎い。今、こんな駄文を書き続けて醜態を晒している自分が憎い。被災地のことをろくに考えてない自分が憎い。

 そして何より、


 あの日何もできなかった自分が憎い。


 謝っても、謝り足りない。土下座をしても、それで自分の頭が割れたとしてもまだ足りない。

 自分はあんなに苦しんでいたはずなのに、その苦しみから目を背けた。

 きっとみんなは優しいから、『そんなに言わなくてもいい』と言ってくれる人もいると思う。でも、自分にとっては満足できない。もう終わったことかもしれない。今更だと思うかもしれない。けれども、思い出すたびに胸が苦しくなる。津波に巻き込まれた人、地震の被害で死んでしまった人。自分の勝手な妄想で考えてしまう。家の中で孤独に溺れ死んだ老人。そんなことを考えて、忘れていた自分自身。それを思い出すたび、言いようのない苦しさが自分を襲う。

 ただの悲観。勝手な妄想。同情を買うような文字の羅列。

 こんなことをする自分が、こんな自分が、大嫌いだ。

 

 読んでくださった方、それで私にどんな印象を抱こうと構いません。が、自分のようにだけはならないで欲しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして 私は岩手に住んでいる者です。 といっても内陸なので、津波の被害は受けませんでしたが、地震と停電の被害を受けました。 また、ガソリンや食料がなくガソリンスタンドやスーパーマーケ…
[一言] やらない善よりやる偽善 私は何もやっていません 募金も一円たりとも出していません うちは被災していなかったし TVの向こう側の現実感のない出来事でした 一応当時は多少なりともゆれましたが精…
[一言]  被災地のボランティアに行って来たらどうでしょうか。私は社会人ですが、学生のボランティア団体に混じって気仙沼に行ってきました。自分でも今でも偶に募金していますし、友人達から僅かなお金を集めて…
2012/03/11 08:14 退会済み
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