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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第9章 アスリート・レオン
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湖の視界で



 鎧が直るまでに、さらに数日かかった。その間、ひたすら訓練と瞑想に打ち込み、ちょっとずつだが左腕が動くようになっていった。無駄を省く、研ぎ澄ませるという意識をしながら体を動かしていると、今までなんとなく動かしていた箇所の意外な抵抗も感じ取ることができる。その上で無駄の少ない動きを見つける。そうすれば、確かに前よりもスムーズに体が動くし、剣や弓の型というものの意味も、より深く理解できている気がした。

 そして、そんなある日のこと、レオンとステラの姿は、ユースアイ東の湖のほとりにあった。

 レオンは直ったばかりの鎧姿。その左肩の辺りにソフィがしがみつくように寝そべっている。ステラも白地に紫の刺繍が入った魔導衣姿で、杖も携えた戦闘態勢。それはレオンも同じだが、ダンジョン探索用の備品は持ってきていない。持っているのは明かりなどの簡単な道具だけだ。

 今日用事があるのは、この壮麗な湖自体の方。

 サラサラの金髪を揺らしながら、ステラはその湖と同じ色をした瞳をこちらに向ける。多少緊張気味に見えた。

 軽く頷いてから、レオンはステラの杖を受け取る。

 すると、彼女は右手に持っていたオカリナに似た笛を口元に持っていった。

 青い瞳を閉じる。

 程なくして、素朴で穏やかな音色が、ひんやりとした風にのって流れ始める。

 ここ数日、彼女がずっと練習していた曲。

 あの日最初にホレスに会った日に吹いてくれた曲。

 そして、自分にソフィの幻想を見せた曲。

 うら寂しいと感じるうちに、温かみが滲み出るような、どこかのどかな音色。森林浴をしているような夏の涼風を感じたかと思えば、肌を刺す冷たさを背景にした暖炉の熱を感じるような、シンプルなのに多面的な、曖昧な中に統一感のある、不思議な旋律。

 気付くと、レオンもどこか懐かしいそのメロディに聞き入っていた。

 純白の妖精も、珍しく起き上がって、その音色に耳を傾けている。

 ステラはまだ自信がないと言っていたが、少なくとも、レオンの耳には、どこにも失敗はないように聞こえた。お世辞抜きにして、とても上手だ。

 そして、演奏が始まってしばらく経った時だった。

「いらっしゃい」

 近いような遠いような、距離感の掴めない声。

 だけど、間違いなく、彼女の声だ。

 レオンとステラは顔を見合わせる。彼女はもう、口から笛を離していた。

「・・・行ってみます?」

「まあ、そのためにここまで来たんだし・・・」

「罠に気をつけないといけませんね」

 彼女はそう言ってから、力強く頷いた。どうも、気合いが入っているようだ。

 そういうわけで、ふたりはいつものように小舟を使って、ファースト・アイの入り口へ向かう。

「あ、私が漕ぎましょうか?」

 ステラらしい気遣いだったが、レオンは笑って首を振る。

「いいよ。僕の方が慣れてるし、それに、これもリハビリになるし」

「そうですか・・・あ、では、魔法で疲労を和らげておきますね。それと、寒くはないですか?」

「うーん、そう言われると、ちょっと寒いかもね」

「なら、ついでに暖めておきます」

「もう冬だね」

「そうですね」

 彼女はにっこり微笑む。ここの雪景色を楽しみにしている彼女にしてみれば、待ち遠しくて仕方がないのかもしれない。その肩に避難している妖精は、夏も冬も関係なく眠そうだが。

 そうこうしているうちに、舟はファースト・アイの入り口に到着した。ふたりの見習いと1匹のカーバンクルは、階段を慎重に下っていく。

 青白い燐光の混じる、どことなく幻想的な空間。

 その終点には、いつも通り、導きの泉があった。その泉から突き出した白いカーバンクルの像が、行儀よく座ってこちらをじっと見つめている。

 そして、問題の彼女は、その正面に位置する泉の縁に腰掛けて、こちらを思わせぶりな前傾姿勢で眺めていた。

 衣装はもちろん、その全身さえも透き通るような水色。

 湖の精霊。

 レオンとステラは階段の出口で足を止めた。魔法を使われても、咄嗟の攻撃が十分に届く。しかし、その分、向こうの近接攻撃にも注意が必要。悪くはないが、微妙な距離だ。

「さっきの笛、わざわざ練習してくれたの?」

 精霊はステラの方を見ている。彼女は警戒した面持ちだったものの、小さく頷いた。

 すると、精霊は僅かに微笑む。

「あら、そう。それはお気遣いに感謝。だけど、貴女だったら、顔を見せてくれるだけでも会いに行ったのに」

「そうですか。でも、そんなに親しい間柄とも思えなかったので」

 蒼い少女は軽く笑う。

「イブが言いそうな台詞」

 その反応が面白くなかったのか、ステラはむっとした様子で彼女を見つめていた。どうも、この辺りの機微がレオンにはまだ掴めないでいる。

 それはそれとして、そこでようやく、レオンは頭を下げた。

「あの、助けて貰ったみたいで、ありがとうございました」

 やや遅れて、ステラも渋々ながら頭を下げたようだ。それを伝えたのは、寝床が傾いたソフィが慌てる物音だった。

 しかし、意外にも、精霊の反応は素っ気ないものだった。口元にはしっかりと笑みが浮かんでいたが。

「別にお礼を言われるようなことはしてないと思うけど。たまたま怪我人を見かけて、それが知り合いだったら、できるだけのことはしてあげてもいいかなって、普通思うじゃない?」

「いえ、それでも・・・」

「それに、その甲斐があったみたいだし」

 意味が分からずに少女の顔を凝視すると、余裕の微笑みを返されて、思わずたじろいだ。

 その自信に溢れた眼差しのまま、彼女は言い切る。

「貴方、格好良くなったわね」

 空気が止まった気がした。

 果てしなく嫌な予感がしたが、しかし、止める間もなく、彼女はステラの方を向く。

「それで、どの辺りまで進んだの?」

 レオンはもちろんだが、どうやらステラも固まっていたらしい。その反応を見て、一気に怪訝な表情に変わった精霊は、呆れたように言った。

「なーに?まさか、この期に及んでまだキスのひとつも・・・」

 その台詞が言い終わるよりも前に発作が出る。

 慌てて介抱してくれたステラは、咄嗟に精霊に抗議してくれたが、その声も明らかに戸惑っていた。

「ちょ、ちょっと!なんでそんな話に・・・」

「あら、婚約の報告に来てくれたんじゃないの?」

「ち、違います!」

「そうなの?若いカップルが精霊に挨拶に来るっていえば、大抵その類の話だと・・・」

「ユースアイにはそんな風習ありません!」

「そうよねえ。そういえば」

 あからさまにニヤニヤとした笑みを浮かべながら、あっさりと答える精霊。どうやら、承知でからかっていただけらしい。

 しかし、とにかく心臓に悪い。

 だが、精霊の口はまだ止まらなかった。

「だけど、カップルってところは否定しないのね」

 見習い組は黙らせるには、十分すぎるほど重い追撃だった。とてもじゃないけれど、互いの顔が見られない。

 まさに湖底のような沈黙。

 それをひとしきり楽しんだ後で、ようやく精霊がその静寂を破った。

「それで?結局、何しに来たわけ?」

 やっと真面目な話に戻れそうだ。しかし、まだステラの顔を見る度胸はなかったので、ひとまず精霊の方を見据えて警戒しながら、彼女に話を任せることにする。魔法の話はまずジーニアス同士にして貰った方が無難だ。

「えっと・・・この間、レオンさんの怪我を治療した時に使った魔法のことで、いろいろ確認したいことがあるんですけど」

「確認?どうして?」

「あの、私だけだと、踏み込んだところまで治癒魔法が使えない部分があって・・・」

 そこで不自然な沈黙があった。

 気になったので蒼の少女を見てみると、珍しくきょとんとした顔で、ステラの方を見つめていた。そのステラも、そのリアクションに戸惑ったのか、困ったような表情で相手を見つめ返していた。

 妖精だけは、彼女の肩の上で、呑気に寝息を立てていたが。

「ああ、なるほどね」

 その時、精霊がポンと手を叩いて頷く。実際には、ポンというよりは、もっと水気の多い音だった。

 しかし、その直後の言葉が、不意打ちだった。

「貴女達、ここでキスしなさい」

 また時が静止した。

 このまま一生、肺が活動を再開しないのではと思えるほど、止まってはいけない深い場所から息が止まったような感覚。

 その反動で出た咳は、歴代の中でもちょっとしたものだった。

 また背中をさすってくれながら、ステラが厳重抗議をする。その彼女も、明らかに声が上擦ってしまっていたけれど。

「な、なんてこと言うんですか!」

「別にいいじゃない。減るもんじゃないし」

「へ、減るもんって・・・」

「言っとくけど、今回は半分くらい真面目だから」

「つまり、半分は冗談じゃないですか!」

 まさにその通りというツッコミだが、少女はその体の色と同じ様な涼しい顔をしている。

「だけど、貴女達の場合、キスのひとつでもしないと進展しないでしょう?結局のところ、覚悟の問題なわけだし」

「・・・覚悟の問題?」

「そうよ」

 僅かに口元を綻ばせた少女は、ステラの方を優雅に指さす。

「あれは全部、貴女がしたの」

「・・・え?」

 ステラの目が点になる。

 対して、精霊は余裕の表情だったが、その静かな口調のせいか、不思議とからかいの色がないのが分かった。

「私は口を出しただけで、つまり、アドバイスしただけで、魔法は一切使ってない。貴女がこれでいいのか迷っていた時に、それでいいんじゃないと言ってあげただけ。怪我を治したのも、彼を外に運んだのも全部貴女だし。あ、そうね、魔石を忘れてたみたいだから、それだけはこっそり鞄の中に入れといてあげたけど、せいぜいそのくらいじゃない?」

 ステラは二の句が継げないようだった。驚愕の表情のまま、精霊の顔を凝視している。とても信じられないと、顔に書いてあった。

 そんな彼女に対して、すぐに精霊は頬杖をついて、やや優しげな笑みを見せた。

「貴女に足りないのは、何をおいても、まず自信。前にも言った気がするけど、貴女は完璧主義すぎるから、ちょっとした綻びでも不安になる。それで細かいところまで力を入れてしまって、魔法のスケール自体が小さくなってしまう」

 不意に始まった魔法講義。レオンもステラも、口を挟む余地がないほど、淀みない口調だ。

「だけど、そもそも、今の貴女にとっての完璧というものが、果たしてどれほどのものかしら。まだ見習いの貴女が、独り善がりの完璧に囚われて、小さな枠の中に自分の魔法を閉じこめて、それで満足してしまうの?私は、それが勿体ないと言っているの。もっと失敗して、今の貴女にとって不確定で扱えないと確信しているものが、果たして本当にそうなのか、身をもって体験しなさい。そうすれば、それが貴女の魔法を広げる。貴女とイブの違いは、まさにその点」

 いつの間にか、ステラは真面目な顔に変わっている。或いは、睨むような視線に。

 しかし、精霊は片目を瞑って、その視線をかわした。

「顔立ちの方は、イブに負けないくらい可愛らしいけどね。でも、心の方はまだまだ。もっとたくさん笑って、同じくらい泣いて心に傷を刻まないと、彼女には届かない。せっかく綺麗な外見をしてるんだから、顔や体は大事にしないといけないけど、心はどうせ見えないんだから、もっと厳しく鍛えないと」

「・・・はい」

 憮然といった感じで、ステラは返事をした。こんな教師みたいな言葉をかけて貰えるとは思わなかったのかもしれない。

「それから貴方」

「あ、はい」

 急に見据えられて意表を突かれたが、彼女の言葉は比較的穏やかだった。

「少しはいい顔になったみたいだけど、それで満足しないこと。貴方のパートナーは、その辺のジーニアスとは器からして違う。もしこれからも隣にいる気があるのなら、貴方もその辺の男で終わらないように」

 そういうことなら、返事は決まっていた。自分にとって彼女が勿体ない存在なのは、嫌でも理解している。

「はい」

 レオンが頷くと、精霊は少しだけ可笑しそうに笑った。意味が分からず首を捻ると、何故か赤い顔をしているステラの表情が目に留まった。益々分からない。

「もう用は済んだでしょう?帰ったら?」

「あ、はい。それじゃあ・・・本当に、ありがとうございました」

「気にしない気にしない」

 明るく微笑む精霊。手を振る姿は、やはりどこかベティに似ている。

 もう一度頭を下げてから、ふたりで階段を上がり始める。

「・・・本当でしょうか」

「え?」

 不意にステラが呟いた言葉にレオンが聞き返すと、彼女は真面目な顔で頷く。

「自分では、まだ信じられないような・・・」

 どうやら、レオンを助けた時の治癒魔法のことらしい。

「僕は信じられるけど・・・」

 素直な感想をそのまま吐露したレオンを、ステラは意味深な視線でじっと見つめていたけれど、やがて諦めたように微笑んだ。その感情の動きはよく分からなかったけれど。

 さらに、彼女は自分の肩に視線を移す。

 あれだけ同様することがあったのに、ステラの肩に寝そべっているソフィは気持ちよさそうに寝ていた。そのなんとも呑気な光景に、見習いふたりは顔を見合わせたものの、すぐにその幸せそうな表情に癒されて、思わず頬が緩んでしまった。

 しかし、その時。

「今度来る時は結婚式の日取りの相談かしら」

 とんでもない爆弾が背後から飛んできて、レオンとステラは揃って慌てふためいた。

 寝床が激しく揺れたソフィは、うっすらと紅い双眸を開いたが、それでも、何事もなかったかのようにすぐに瞳を閉じる。この妖精だけは、泰然とした湖の空気にしっかりと馴染んでしまっているようだった。



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