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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第9章 アスリート・レオン
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瞑想と落葉

 


 翌日、枯れ草が目立つ広い草原で、レオンはホレスに会った。

 彼もまさに、枯れ草のようなファッションと言ってもいいのかもしれない。相変わらずのワイルドを超越した風貌。冬支度を始めたこの大地の装いをそのまま着込んでいるといっても過言ではない。しかし、木々のようにしなやかな体と、若々しい緑の右目だけは、確かな生気を感じさせているように見えた。

 そして、今日はベティとステラも一緒だった。ベティは常連と言えるけれど、ステラは比較的珍しい。怪我の具合を診るためということだったが、それ以外にも、個人的にホレスに用事があるようだ。その彼女は水色のワンピース姿。一方のベティは、ベージュに近いトレーナーとズボン姿で、かなりボーイッシュな印象だった。

 とにもかくにも、まずは昨日のアレンの話を説明した。ホレスはいつものように、北の山を見ながら話に聞き入っているようだった。ステラやベティが時々補足してくれたので、説明自体はあっという間に済んでしまった。

 どちらかというと、その後の沈黙の方が、長かった気がした。

「・・・アレンがそんなことを言ったのか」

 ホレスはそう呟くなり、右目だけをこちらに向ける。

「はっきり言えば、それは謙遜だろう。彼の剣は確かに実戦向きじゃないかもしれないが、だからといって、それが技術的に劣るというわけじゃない。彼ほど剣を正確に振るえる男は、そうはいないはずだ」

「で、ですよね」

「要するに、剣に一途ってことだよね?」

 会話に割って入ったのはベティだった。両手を腰に当てて、ブラウンの瞳を瞬かせている。いつにも増して男っぽい印象だ。

 彼女を一瞬だけ見据えて、ホレスは簡単に答える。

「そうだな」

「それならそれで、なかなかできることじゃないよね。まあ、ホレスだって、負けず劣らず一途だと思うけど」

「そうか?」

「だって、私一筋でしょ?」

「そうだな」

 素っ気ない返事に聞こえなくもなかったが、ベティは満面の笑みだった。聞いている方は、テンポの速さについていけなかったが。

「あの、それでですね・・・」

「ああ」

 ホレスは簡単に言葉を遮ると、再び右目だけでこちらを見据える。

「俺は本質的には武術家じゃない。だから、心技体と言われても、それを教えるのは難しい。本気で学びたければアレンに聞け」

 なんというか、その指示が一番困る。そのアレンに、ホレスに聞けと指示されたのだから。このままだと、たらい回し確定かもしれない。

 だけど、幸いというべきか、彼の言葉には続きがあった。

「だが、瞑想でよければ教えよう」

「瞑想、ですか?」

 思わずステラの顔を見る。

 彼女も少し驚いたのかもしれない。碧い瞳を瞬かせてこちらを見ていた。その肩に伏せている純白のカーバンクルは、相変わらずの睡眠モードだったが。

 いつの間にか、ホレスの緑の視線もステラを捉えていた。

「ジーニアスの修行のひとつでもあるらしいな」

「あ、はい、一応・・・」

「ホレス、そんなことよく知ってるね?」

「お前から聞いた」

「あ、そうだっけ?」

 首を傾げるベティを余所に、ホレスは草原の上に腰を下ろした。それほど慎重な仕草というわけでもないのに、ほぼ無音。まさに自然に溶け込んでいるということなのか。

 その体勢で、特にこちらを見るでもなく、ホレスは淡々と告げる。

「レオンも座れ」

「あ、はい」

「私もいい?」

「ああ」

 そういうわけで、4人それぞれが思い思いの場所に座ることになった。ステラはスカートの裾を気にしていたようだったが、ベティが手を引いて無理矢理座らせる。その動作を見る限り、そのワンピースはベティからのお下がりだったのかもしれない。ソフィはソフィで、一度肩から落下して草原の中に埋もれてしまったが、すぐにステラの膝の上にのっそりと這い上がってきて、そのまま丸くなっていた。

 いつもより低い視線で見る自然。少しだけ、小柄な動物の世界を体験しているような錯覚を感じた。

「とりあえず、楽な姿勢で目を閉じてみろ」

 その時には既に、ホレスは目を閉じていた。

 レオンも少し遅れて、同じように目を閉じる。

 暗闇。

 頬を撫でる冷たい風。

 草の揺れる音。

 自分の息遣いがよく分かる。

 こうしているだけで、心の奥底に何かが満ちていく感覚がする。そして、ふと気を抜くと、その何かがざわついて壊れそうになる。石のように重く鎮座しているようで、器に満ちた水のように不安定。そんな何かを維持するために、呼吸を少しずつ圧迫されている感覚。息苦しいほどではないものの、完全に無視できるほど些細なわけでもない。

「右手を軽く挙げてみろ」

 聞こえてきたホレスの指示のまま、右腕をゆっくり挙げてみた。

 なんだか、妙な感じだ。

 重い。

 いや、支えるのが辛いという感じか。

 いつもは一切の障害なくスムーズに動く部分に、変な突っ張りを感じる。普段は敢えて動かそうと思わなくても動く部分を、改まって意識しながら動かしている感じか。妙に余所余所しいというか、ぎこちない動きに思える。

「それでいい」

 ホレスが立ち上がる気配がしたので、レオンは目を開けた。目を閉じていた時間は、多分、3分もなかった。

 すると、既に彼は前と同じ姿勢で山を眺めていた。そして、こちらを見ないまま尋ねてくる。

「分かったか?」

「・・・何がですか?」

 その問いだけで分かったら、多分その人も達人の領域だろう。

 しかし、その返答も折り込み済みだったのか、彼は淡々と先を続けた。

「自分の体が如何に重いか、ということだ」

「あ、はい。それは、まあ、なんとなく・・・」

「つまり、それだけの血肉が詰まっているということだ」

 彼は不意に視線を上げて空を見た。それにつられて、レオンも同じ薄い空を見る。乾味で寂しい青の中を、真昼の太陽だけが鈍く輝いていた。

「血や骨や肉や、多くの物が支え合って、自分の体がある。その体や、太陽や風や土が巡り巡って、今の自然ができている。社会というものも同じだ。俺のような人間が作った酒でも、それが誰かの憩いの味になる。その誰かが作った何かが別の人間の糧になる。全ては皆のものであり、誰のものでもない。その循環が円を描いているかどうかは別にしてな」

 思わずステラやベティと顔を見合わせた。しかし、ステラはソフィの背中を撫でながら真面目な表情で頷いただけだったし、ベティは両手を後ろに着いて、軽く口元を上げただけだった。

 それに対して、ホレスは一度もこちらを見ない。ずっと背中を向けたままだ。

「普段は気付かないこと、見過ごしているものが、陰で支えてくれていることは多い。そして、普段は見えないからといって、それが消えてなくなっているわけじゃない。立ち止まった時に気付くこともあるし、意識すればいつでも見ることができる。その手段のひとつが瞑想というわけだ」

「へえ・・・」

 実感はそれほどなかったものの、言われてみると不思議と納得できた。少なくとも、普段から自分の体を支えてくれているものの重みというものは、確かに感じ取れたからだ。

「精神統一とも言う。動作をなくした上で自分を見つめると、今まで無意識の中に閉じこめられていたものが際だって見えるようになる。普段何気なく通り過ぎている自然でも、立ち止まって見れば前よりもよく見える。俺の師匠は、主観を清めるとよく言っていたな」

「主観を・・・?」

 聞くからに難しい言葉だ。咄嗟にイメージをまとめようとしたものの、まさに雲を掴むような話で、レオンの脳裏にはその欠片も残らない。

「いや、俺もそれはよく分からない。難しく考えるよりもまず、普段から瞑想をやってみろ。自分の心と体をよく見つめることだ。そうすれば、今まで見えなかった自分の心身の脆さに気付くことができる。今まではただ闇雲に鍛えて誤魔化していた部分を浮き彫りにできるはずだ」

「なるほど・・・」

 思わず納得するレオン。確かに、アレンの研ぎ澄ませるという話とも微妙にリンクする気がする。少なくとも、無駄を省いてより効率的に体を動かせるようになれば、筋力が落ちた今の状態でも、元の動きを取り戻せるかもしれない。

 ところが、そうやって考え込んでいた矢先だった。

「レオン」

「あ、はい」

 いつの間にか、ホレスがこちらを見ていた。

 あからさまに脱力しているようで自然体にも見える、不思議な立ち姿。風がそよぐ度にボロボロの服や髪が揺れる。でも、彼の体はまるで揺らぐことなく、そこに根を生やしているように動かない。緑色の瞳からも、内に秘めた生命力をひしひしと感じさせる。

 それはそれとして、立っている彼と正面から向き合うケースが、実のところほとんどなかったため、レオンは少なからず戸惑った。

 いつもよりもやや鋭い彼の瞳が、こちらをじっと捉えている。

「前に恐怖について話をしたのを覚えているか?」

「え?」

 反射的に聞き返したものの、その瞬間に思い出していた。確か、あれはエマが絵を描いている時、ちょうど今のような場所で、ホレスとアレンと3人で話をしていた時のことだ。

「あの時、俺は、レオンは強い、決して負けはしないと言った」

「あ、ええ、まあ・・・」

「その見込みは間違っていなかったな」

 本当に、唐突な一言。

 レオンは、自分の動きが止まるのを感じた。

「瞑想は、自己や世界を正面から見る力がなければ意味がない」

 しかし、ホレスは粛々と言葉を重ねていく。

「以前のレオンには、その力がなかった。体のことはともかく、自分の心を受け止める度量がなかったからだ」

「それはそうですけど・・・」

「だが、今のレオンにはある」

「いや、でも、それは・・・」

「よく帰ってきたな」

 また不意の一言。だけど、レオンの心を戸惑わせたのは、その言葉の内容だけではなかった。

 その優しい響き。

 寂しげでもあり、穏やかでもあり、でも、木漏れ日のように胸を温かくしてくれる。優しい父や母のことを思い出すような慈愛の響き。

 その言葉で、レオンは気付いた。

 ああ、そうか。

 やっぱり、心配をかけていたんだ。

 それに、こんなのは身勝手なことかもしれないけれど、自分なりに辛い思いをして、なんとか頑張ろうとしていることを、彼は認めてくれた。

 それが、とても温かくて、そして、こんなにも嬉しい。

 いつの間にか、目元から温かい雫が零れているのに気付く。

「あ、す、すいません。こんな・・・」

 苦笑しながら俯いて涙を拭ったレオンの膝に、突然柔らかい感触が訪れる。

 そこにいたのは、純白の妖精。そのふかふかの体で撫でるようにしながら、膝をよじ登っているところだった。

 一旦、紅い双眸でこちらをじっと見つめてから、脇腹の辺りに近付いてきて頬を擦り寄せてくる。いつか、もっと西の森で、ホレスにしていたみたいに。

 もしかして、慰めてくれているのだろうか。

 そこで、レオンはふと気付く。

 前の自分だったら、この光景を見てどう思っただろうか。自分にそんな資格はない、慰めて貰えるほど、自分は努力していないと感じたのではないか。

 だけど、今はそうじゃない気がした。今の自分は、何とか先へ進もうと足掻いている自分のことを、認めているのだろうか。或いは、この妖精は、この小さな体で、そのことを伝えようとしてくれているのだろうか。

 それから、遅ればせながら、ステラとベティの方に視界を向ける。ふたりとも、姉妹のように揃って、優しく微笑んでくれた。

 ホレスとソフィだけじゃない。みんなそうだよと、言ってくれているみたいだった。

 そうか。

 そうだったのかもしれない。

 自分のことが一番見えていなかったのは、やっぱり自分だ。

「・・・ありがとう」

 少し時間が経ってから、ようやくその言葉を絞り出して微笑む。だけど、顔を上げると泣き出してしまいそうで、俯いたままソフィを撫でた。

 純白の妖精は、紅い瞳を気持ちよさそうに細めながら、こちらの顔をじっと見つめていた。

「うーん・・・」

 さらにしばらくしてから、沈黙に日を射し込むように、ベティが明るい声を出す。

「お父さんよりも、ホレスの方が、よっぽど為になること言うよね」

 娘ならではの発言に、不覚にも、少し吹き出してしまう。

 しかし、ホレスは表情ひとつ変えなかったようだ。もう彼はこちらを見ていなかった。

「そうでもない」

「そうかなー?だって、うちのお父さん、真夜中の大通りの上に、怪我したばかりのレオンを叩きつけてたんだけど」

「え?」

 ひとりびっくりした様子なのはステラだ。口元に手を当てて、碧い瞳を丸くしている。

 そんな彼女に、ベティは気持ちよさそうに背伸びしながら、可笑しそうに説明していた。

「まあ、あれだね。可愛い愛弟子みたいな感じの、愛情表現なんだよね、きっと。だから、無意識のうちに、ほんの少しだけ手加減してたんだよね」

「それは、まあ・・・」

 手加減しなかったら愛情表現じゃ済みませんよねと、ステラの顔に書いてある気がする。

 ただ、ベティはそのあっけらかんとした笑顔のまま、あっさりホレスを見上げた。

「ホレスもさー、いよいよ私をお嫁に下さいってなった時、絶対にそうなるよね。いい度胸だ、骨の1本でも折られる覚悟ができたか、って」

 後半は、ガレットの口真似らしく、低く渋い声だった。ただ、話題が話題なので、見習い組は笑うどころか、顔を朱くして黙ってしまったが。

 ただ、やはりというべきか、ホレスは淡々としていた。

「1本で済めばいいがな」

 妙に現実味のある発言。

 もちろん、笑っていたのはベティだけだった。

「あ、それよりも・・・ホレスに用事があったんだっけ?」

「あ、うん・・・」

 唐突にベティに言われ、ステラはこちらに目配せする。こちらの用事は十分に済んだので頷いてみせると、彼女は立ち上がってホレスの方に姿勢を正した。

「あの、ホレスさん、実はお願いが・・・」

「ああ」

 彼はそちらを見ているようないないような曖昧な視線だったが、ステラは構わず続ける。

「笛を教えて頂けませんか?」

 ほんの一瞬だけ動きを止めたホレスは、右目だけで彼女を捉える。

 ステラもまた、やや緊張した面持ちで、その鋭利な視線を受け止める。

「・・・何に使う?」

「私達、湖の精霊に会う必要があって、その・・・」

 彼女はもう一度こちらを見た。より正確には、その膝の上にいる、純白の妖精を見たのかもしれないが。

 それでようやく決心がついたのか、再び狩人を見据え、ステラは告げる。

「多分、その曲は、イブさんに縁のあるものだと思うんです。ですから、その曲なら、彼女の気を引くことができるんじゃないかと思って・・・」



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