硬派流儀
翌日から、冒険者として復帰する為の訓練が始まった。
自分の中で何が変わったのか。それはレオンにも分からない。むしろ、それを知る為に訓練していると言ってもいいのかもしれない。とにかく言える事は、一度夢を諦めかけた自分がいて、その時の気持ちは今でも確かに自分の中にあるということ。そして、それでももう一度あの場所に立ちたいと思っている自分もまた、同じくらいの大きさで存在するという事くらいだ。
本当は、また別の、もっと胸を温かくしてくれるような、そんな予感もあるけれど。
でも、それはまだ言葉にするべきじゃない。
自分がするべきなのは、もっとはっきりと目に見える事。
口では何とでも言える。一概にそうとは言えないかもしれないけれど、自分は冒険者を目指しているのだから、その場所に向かって身体を動かす事が自分にとって一番大事だし、それがきっと皆の気持ちに応える事にもなる。
ただ、やはり大変は大変だった。
シャーロットとリディアに頼んで、ファースト・アイで得た魔石を身体補助用のルーンに加工して貰った。それ自体はあっという間に済んで、今は左腕に革ベルトとなって巻き付けてある。しかし、その補助があっても、元通りの筋力には程遠いらしいという事が分かったからだ。
「駄目だな」
「・・・ですよね」
物寂しい晩秋の朝に、ある意味で相応しい、一点の容赦もない冷たい言葉。ただ、気遣って楽観的な事を言われるよりは、むしろ有り難いかもしれない。
なぜなら、自分の戦い方がさっぱり駄目な事を、誰よりもレオン自身がよく分かっていたからだ。
目の前に立つ長身の青年、アレンは右手の訓練用の剣を隙なく下ろすと、その厳しい視線も同じように右に外した。
「少し休め。まだ無理をするべきじゃない」
「ですかね・・・」
息が上がって言葉が乱れているレオンに対して、アレンはまさに普段通りの、淡々とした言葉を返してくる。
「一度調子を診て貰ったらどうだ?」
「はい。まあ・・・でも、向こうも訓練中ですから、邪魔しても悪いので」
しかし、レオンがそう答えた頃には、こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえ始めていた。振り返ってみると案の定、柔らかい金髪を揺らしながらステラ近づいてきていた。その少し後方にはベティとデイジーの姿もある。3人とも揃って暖かそうな厚手のワンピース姿だが、ステラとベティは柄こそ違うものの同じベージュ色なので、ある意味ペアルックと言ってもいいくらいだった。
この訓練場において、その3人は女性という時点でそれなりに目立っていたけれど、今はそれどころではない騒ぎだった。その理由を一言で説明するのは難しいけれど、要するに、彼女達は人気者なのだ。ステラのこの地方では珍しい容姿もそうだし、明るくて優しいベティとデイジーの人柄もそうだし、そして何より、もはや揉みくちゃと言ってもいい状態のソフィとハルクの妖精コンビが、子供達の興味を引き過ぎているのは間違いない。今更かもしれないが、あれだけされても嫌な顔ひとつしないのだから、カーバンクルというものは相当に人付き合いがいいと言えるのかもしれない。
「レオンさん。ちょっと診てみましょうか?」
こちらが何か言うよりも早く、ステラがそう尋ねてきたので、レオンはほとんど反射的に頷いた。
「あ、うん。でも、訓練の邪魔になってないかな」
ステラもそうだが、ベティもデイジーも訓練用の槍を持っている。2人はステラの護身術というか、いわゆる棒術の訓練に付き合ってくれているのだ。
それに対するステラの反応は、やや苦笑気味だった。
「いえ・・・ちょっと休憩しようと思っていたので。変なところで疲れちゃいました」
どうやら、子供の相手の方が大変だったらしい。レオンもそれには苦笑するしかない。
「それは・・・ちゃんと時間を選べばよかったかな。今度からは気をつけるよ」
「あ、いえ。朝早い方がいいはずだったんですけど、読みが甘かったみたいです。朝からあんなに元気だとは思わなくて・・・」
「そう?」
ちょっと意外だと思っていると、ステラは静かに笑った。
「文化とか土地柄なのかもしれませんね。私の故郷だと、朝はみなさんゆっくりしてますから。あ、もしかしたら、日が長いせいかもしれませんけど」
「あ、なるほど」
日照時間が長いので、朝から慌てないでもいいという理屈らしい。もちろん、あくまで傾向の問題だとは思うが、そうかもしれないとレオンは頷く。
いつの間にか世間話になっていたのに気付いて、レオンは剣を持った右手で髪を触りながら尋ねる。
「えっと、じゃあ・・・ちょっと休憩所まで行こうか。あそこで休ませて貰おう」
「はい。あ、ちょっと・・・」
言いながら振り返るステラ。ベティとデイジーにアイコンタクトをとったようだ。2人とも子供の相手をしながら、少し遅れて頷いた。よくよく考えてみると、あの2人も比較的朝に強い。ベティは仕事柄というのもあるとは思うが、父親の影響もありそうだ。しかし、デイジーはある意味ステラと同じ様な身分なわけで、早起きする必要があるとは思えない。その辺りを考慮すれば、やはりこの地域の風土だと言えないこともないのかもしれない。
そんな事を連想してから、レオンはアレンに簡単に挨拶した。
「じゃあ、あの、ちょっと休憩させて貰います」
「ああ。俺も少し向こうの相手をしておこう。いつまでもベティとデイジーに面倒をみさせるわけにはいかない」
そう言いながら、アレンは疲れひとつ見せずに、レオン達の横を颯爽と通り抜けていく。
あれだけはしゃいでいる子供達を、寡黙なアレンがどうやって鎮めるのか多少興味があったレオンだが、やはり淡々と告げるだけなのだろうとすぐに気付く。いつも正攻法というか、真っ直ぐ正面から打ち込んでくるアレンなのだから。
その高い後ろ姿がベティ組に合流する前に、見習い2人組もその場を離れ、訓練所をほぼ一望できる休憩所へと移動した。
すぐ近くの壁に持っていた槍を立てかけたステラはレオンの正面の椅子に腰掛けると、その左腕に軽く触れる。治癒魔法がどれくらい上達したのか、ジーニアスでないレオンにはっきりとは分からないが、仕草が慣れてきているのは見て取れるようになってきた。
「・・・レオンさんの実感としてはどうですか?」
こちらを見ないままステラが尋ねてくるので、レオンは思ったまま答える。
「この町に来て最初に二刀流した時・・・その頃よりも、もっと剣が重い。盾を着けてるだけでも、結構疲労してるみたいだし」
「はい・・・そうかもしれません。ちょっと張りがあるような気がします」
「さっきアレンさんにも言われたんだけど、肘を庇ってしまうから、肩や手首に変な力が入ってしまうんだって。その辺りはこれから訓練するから、なんとかそうならないようにするけど」
黙って頷くステラ。表情は少し硬い。
「あとは・・・」
言い掛けたレオンだったが、すぐに黙った。
何か言い訳を探しているような気がする。ステラを心配させないようにという気持ちは、もちろん大事だと思うけれど、でも、今はそういった言葉が必要なわけでは、きっとない。それに、今更そんな言葉を交わさなくても、きっと分かってくれているだろう。
沈黙の中、空を見上げた。
もう飛んでいる鳥の数も少ない。この地方では、冬、空が寂しくなってしまう。
でも、雪の山に残る鳥もいる。
「・・・頑張るよ」
ステラはこちらを見上げて微笑んだ。
「はい」
雨上がりの後の青空みたいな、とても綺麗で、澄んだ表情だと思った。
レオンも自然に微笑む。
今の自分にできることは、とにかく、この笑顔に応えることだ。精一杯頑張ることだ。その結果、夢を諦めなければならないことだってあるかもしれないけれど、何もしないで、ただ逃げるのだけは駄目だ。みんなの為にも。自分の為にも。
だから、今は先が見えなくても、信じて頑張る。それで駄目だったのなら、周りの人達も納得してくれる。
それが最低限の努力というもの。お世話になった上での礼儀というもの。
そして、はっきりとは分からないけれど、自分が目指す強さというものが、大人への道というものが、そちらにあるような気がするのだ。
だから、今はまだ、諦めるべき時じゃない。
一際冷たい風がステラの髪を靡かせた頃、同じくらい流麗な足取りでアレンが戻ってきた。隣にデイジーも一緒だったけれど、ベティの姿はない。気になってふたりの後方を覗いてみると、彼女だけは子供を抱き上げて楽しそうに笑っていた。本当に朝から元気だが、その脇ではカーバンクル達がされるがままになっていて、そちらは相変わらず眠たそうだった。
「どうだ?」
ステラの背後で立ち止まったアレンの問いかけに、レオンはパートナーに目配せしてから答える。
「えっと・・・やっぱり、そう簡単にはいかないみたいです」
「それはそうだろうな」
「・・・ですよね」
まさに正論というアレンの物言いに、苦笑しながらもありがたみを感じるレオンだった。やっぱり、下手に気遣われるよりも嬉しい。
そのアレンは、しばらくこちらをじっと見下ろしていたが、やがて唐突なことを言い出した。
「レオン」
「あ、はい」
「心技体という言葉を知っているか?」
戸惑いから瞳を瞬かせるレオン。聞いたこともない。
すると、彼の隣に姿勢良く立っていたデイジーが、満面の笑みで補足してくれた。
「武術や武道における真髄を示す言葉のひとつですね。心と技と体。その三位一体があってこそあらゆる武芸が大成するのだと、よく言われます」
「はあ・・・」
さすがによく知っているなという感想が先立ち、レオンは生返事するのがやっとだった。それに、武道の真髄と言われても、自分はまだそんなレベルにはないし、それ以前に、今は怪我のリハビリで精一杯なのだから。
しかし、それを意に介する様子もなく、アレンの説明は続いた。
「その言葉自体は広く知られているが、実のところ、心技体をどうすればいいのかというところまでは、意外に知られていない。レオンは分かるか?」
「え・・・いえ」
「研ぎ澄ませることだ」
その言葉の響きに相応しいくらい、アレンの声は鋭利だった。
「武術そのものに限らず、剣や槍といった武具もそうだが、無駄が少ないという点が、優秀な武の最大の条件と言われている。たとえば、武術の方なら、無駄な動きをできるだけ少なくして、有効な打撃を迅速に与えること。いわゆる一撃必殺こそが、あらゆる武術の真髄と言える」
「武器の方も、華燭な物は実用品としてではなく、儀礼用や権威の象徴として扱われる方が多いですから。ソードマスターが扱ったとされる武具も、ほとんどが見栄えの地味な物ばかりだったと言われます」
「な、なるほど・・・」
思わず唸るレオン。なんとなくだが、分からないでもない。そもそも、機能的という言葉自体が、見た目がシンプルという印象を含んでいる気がする。腕前が一流の人なら、扱う道具も一流の物を好む。派手で無駄が多い物はあまり使いたがらないということだろう。
「その一撃必殺のために、武術に身を投じる者は、日々鍛練をする。たとえば、剣術なら、毎日素振りをする。それはつまり、体を作り替えるためだ」
「作り替える・・・?」
「剣に合った体に変えていく。剣を振るう動作を体に覚え込ませる。要するに、慣らしていくということだが、それを厳密に言えば、技を出す時に腕がスムーズに動くように、予め筋肉に動きを覚えさせるということだ。そうしておけば、いざ本番という時に、筋肉の無駄な動きが省略され、技の速度や精度が上がる。先に言った、研ぎ澄ませるとはそういう意味だ」
「あ、なるほど・・・」
思わず頷く。日々身を削って鍛練して、技の精度を磨いていくというイメージが、まさに研ぎ澄ませるという言葉とリンクしている。ぴったりの表現かもしれない。
気が付くと、ステラも背後を振り返って、アレンの話に聞き入っていた。
「だから、レオン。今は研ぎ澄ませてみろ」
「え?」
「既にある程度の基礎技術がある以上、ただ闇雲に筋力を上げるのではなく、どこかに無駄がないか意識しながら訓練していった方がいい。レオンは器用だから今までやってこられたが、その幅広い戦闘スタイルのせいで、筋肉や動きに無駄が多いのは明らかだ。いい機会だから、やってみろ」
アレンの最後の言葉に、少なからず驚かされた。
「・・・いい機会、ですか?」
「気に障ったか?」
「あ、いえいえ!そんな・・・」
慌てて手を振ると、アレンはいつもの無表情で軽く頷く。
「剣を握っていれば、いつか怪我をすることもある。幸いと言うべきか、俺には一度もその機会がなかったが、今にして思えば、一度どこかで立ち止まった方がよかったと思わないでもない」
「そうなんですか?」
尋ねたのはステラだった。
アレンはそこで僅かに視線を逸らす。いつも真っ直ぐな彼にしては珍しい仕草だった。
「俺とホレスの差が、恐らくそこにある。あいつは一度死地をさまよって、それからさらに強くなった。自分が正しいと信じた方向にとことん進んで、それで失敗した、打ちのめされたという経験が、自分の殻を破るきっかけになったからだ。その差もあって、俺はせいぜい訓練所の教官止まりだが、あいつは間違いなくそれ以上の実力だ。それに・・・」
そこで微妙な間ができる。ステラやデイジーと視線を交わす余裕があったほどだった。ステラはきょとんとして首を傾げていたけれど、デイジーはいつものように淑やかに微笑んでいる。
だが、アレンの言葉の続きを聞いて、見習いふたりの顔は驚きに変わった。
「レオンとステラもそうだ」
「え?」
ふたりの声が被り、同時に顔を見合わせる。
再びアレンを見ると、いつの間にか彼は遠くを見ていた。西の林の方。いずれにしても、珍しい横顔だ。
それっきり、彼は何も言わない。
刺すように冷たい風が彼の頬を撫でても、微動だにしない。
ただ、静寂。
それ自体はよくあることかもしれないが、今のような彼を見るのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。
「・・・とりあえず、具体的なことはホレスに相談してみろ」
急にアレンはそう告げると、そのまま振り返って歩き出した。なんとなく、居たたまれなくなって逃げているように見えなくもない。
謎だ。
「珍しいですね」
その発言はデイジーだった。彼女だけは、口元に手を当てて上品に微笑んでいる。何か分かっている口振りだった。
「アレンさん、どうしたの?」
きょとんとしたままの顔でステラが聞くと、彼女は傍まで歩いてきたから、優しく告げた。
「きっと、おふたりのことを褒めていらっしゃるんですよ」
「え?」
驚くレオンに対しても、デイジーの微笑みは変わらない。
「自分の弱さを見つめて、それでも乗り越えて頑張ろうとするのは、なかなかできることではありません。それはアレンさんにも経験のなかったことのようですから、素直に褒めるのが照れくさいのかもしれませんね。自分にできるかどうか分からないことを、人様に偉そうに言うべきではないというのが、彼の流儀のようですから」
「流儀・・・」
なんとなく、アレンに似合いそうな言葉だ。それだけで、なんとなくデイジーの言葉に納得してしまうレオンだった。同時に、彼女の洞察にも感心させられる。
思えば、彼とは最初会った時からずっと剣で語り合ってきた。常に自然に構え、隙を作らず、隙を見逃さず、打つべきところに打ち込んでくる。レオンの剣を、誰よりも真摯に見つめてくれている人。その都度的確なアドバイスをくれるし、慰めも言い訳もしない。彼もまた、ここまでレオンを支えてくれたひとりでもある。
レオンにはまだ、彼の剣技の底が見えない。怪我を抜きにしても、それだけの実力差があるのは明白だ。
だけど、彼には、自分の底が見えているのだろうか。
そして、そんな彼でさえ未知の領域に、今の自分は挑戦しているのだろうか。
なんだが、不思議な気持ちだ。
「あの、私からも、ひとつ提案があります」
不意にデイジーの声が聞こえ、レオンは我に返る。
「あ、はい。何ですか?」
「湖の精霊についてなのですけれど・・・」
その言葉を聞くなり、ステラが驚いた様子で立ち上がった。ステラほどではないけれど、レオンも驚いた。何故なら、昨日の晩に、まさにその話をしたばかりだったからだ。
ふたりのリアクションにもまったく動じることなく、上品に微笑んだままのデイジーは話を続ける。
「実は、以前にお話を伺った後、私なりに少し調べてみました。それで今回のことがありましたので、お力になれるようでしたら、お話しておいた方がよろしいかと思いまして」
そして、彼女はにっこり微笑む。
「会いに行かれるのでしょう?」
ずばり言い当てられると、黙るしかない。
実のところ、その通りだ。腕の怪我を魔法で治したのは、ステラだけじゃない。だから、より踏み込んだ治療法を探る為には、もうひとりの治癒者である彼女に会う必要がある。
だけど、これはまだ誰にも話していないはずだ。ふたりで相談して、たまたま思いついたことをこうもあっさり言い当てられると、背筋が寒くなるような印象さえする。
「そんなに難しい推理ではありませんよ」
「え?」
やはりというべきか、デイジーはいつもあっさりと、それでいて優雅に告げる。
「レオンさんやステラの顔を見れば、考えていることはおおよそ分かってしまいますから」
それはそれで怖いかもしれない。
でも、それが当然と思っている自分がいるのも、また確かな気がする。彼女ならありえなくはない。そして、決して悪い気はしない。見習いふたりは顔を見合わせて、そんな感情を確認し合っていた。
本格的な冬はもう目の前だ。
それが終われば1年という、長いようで短い月日の重みの一端に触れたような気がした。