根の張る朝に
ニコルのガレージを後にする頃には、すっかり夕方になってしまっていた。そのため、次の訪問は翌日に持ち越しになった。
そして、その翌日の朝、レオンとステラ、そしてソフィはフレデリック邸の立派な正門の前にいた。
「そういえば・・・」
ステラはそう言いながら、顎に指を当てて首を傾げる。
「私、デイジーのお祖父様にきちんとお会いするの、初めてのような気がします」
「あれ・・・そうだっけ?」
確かにそう言われてみると、少なくともレオンの前では、ステラとフレデリックが会話をしている場面はなかった気がする。彼はアスリートの伝承者だから、基本的にステラとは縁がないとは言える。しかし、デイジーとは友達だし、最近は護身術をここでも教わっているようだから、一度くらいは会話した事があるだろうと勝手に思い込んでいた。
「でも、見かけた事はあるよね?」
「はい。叔母様の件でお世話になった時と、夏祭りの衣装合わせの時に、ご挨拶だけ・・・」
「ああ・・・」
そう聞くと、やはり影でいろいろ支えてくれている人なのだ。今までお礼のひとつも言っていないのは、まさに恩知らずというものだろう。
そこで、ステラは軽く微笑んで尋ねる。
「レオンさんはお話しされたんですよね。どんな方なんですか?」
「え?・・・うーん」
いざ聞かれてみると、レオンもそれほど詳しく知っているわけではなかった。覚えている事と言えば、杖を突いていてヨボヨボとしている事、ほとんど喋らない事、そして、偶然か必然か、髪のない頭を妖精とのコンビネーションで絶妙にフォローしていて、その光景を目の当たりにしたベティの腹筋が断裂しそうになったという事くらいだった。
どう説明したものかとレオンが頭を捻っていると、お屋敷の裏手から人の気配がしたので、半ば冒険者の本能とも言える素早さでそちらを視界に収める。
すると、まさに杖を突いた老人がやってくるところだった。言わずもがな、フレデリックである。
高級そうなグレイの服に身を包んでいて、そこはかとなく紳士の雰囲気を醸し出しているが、動きはやはりゆったりとした老人のものだ。杖を持っていない左手にブリキ製のじょうろが握られていて、どうやら庭の手入れ中だったらしい。
そして、やはりというべきか、頭には焦げ茶色のカーバンクルであるハルクが、見事な一体感を漂わせて丸まっていた。遠目に見たら髪の毛に見えない事もないかもしれないと、レオンは咄嗟に思ったが、どう考えても失礼に思えたので、慌ててその印象を振り払う。
フレデリックはこちらに気づいているのかいないのか、それは分からないものの、とにかく正門側にゆっくり近付いてきているのは確かだった。レオンとステラ、若輩者の2人は、声をかけた方がいいのか悪いのか、何故か戸惑ってしまう。
そこで、今度は玄関扉が開かれる。
「お祖父様・・・あら?」
こちらに気付いて驚いたように目を見開いたのは、淡いスカイブルーのワンピースでいつもよりも明るい印象を漂わせている少女、つまりデイジーだった。
彼女はすぐに上品に微笑んで、こちらに近付いてくる。その時になってようやく、レオン達は正門の中へと足を踏み入れた。ステラはともかく、レオンにとっては入るのに勇気がいる門構えなので、なかなか一歩が踏み出せずにいたのである。
正門と玄関のちょうど中間辺りで、3人は挨拶した。
「おはようございます。こんな朝早くからすみません」
「そのようなお気遣いは無用です。いつでも遠慮なくいらして下さい。それよりもレオンさん、もうお怪我は大丈夫ですか?」
「はい。一応・・・」
「ステラも顔色が良くなってきたみたいですね。安心しました」
その言葉を受けて、ステラもデイジーに負けじと洗練された笑みを見せる。どうしてなのかは分からないのだが、デイジーと一緒にいる時のステラは、貴族だった頃の表情が如実に表れる傾向があるようだった。この場の雰囲気がそうさせるのかもしれない。
そこでようやく、フレデリックが近くまでやってきた。やはり、ちゃんとレオン達に気付いていたようだ。
レオンとステラは慌てて頭を下げる。友達の祖父とはいえ、この町で一番偉いと言われている人だから、どうしても緊張してしまう。
「どうも、ご無沙汰しています」
フレデリックは何度か小さく頷いただけだった。果たして歓迎されているのかは分からないものの、皺の多い顔はニコニコと微笑んでいるように見えるので、とりあえず腹が立っているわけではなさそうだ。
そう安心した、その時。
「ただ、生きなさい」
突然聞こえたしわがれた声に、その場が綺麗に静まった。
あまりに唐突だったので、その声が目の前の老人のものだと認識するのに、レオンにはしばらく時間が必要だった。
しばらく間があって、フレデリックはもう一言だけ告げた。
「生きておれば、それでいい」
身体の芯に染み入って、それでいて癒しを与えてくれるような、優しい声。
老人はニコニコしたままもう一度小さく頷くと、そのまま玄関へと歩いていく。
その後ろ姿が扉の奥に消えるまで、誰1人として喋る者はいなかった。
「・・・レオンさん、御用事は済みましたか?」
「え?」
玄関からデイジーに視線を戻すと、彼女は既にいつも通り微笑んでいる。本当に花のような表情だった。ただ綺麗なだけではなくて、しっかり根ざした力強さというか、包容力のようなものを感じさせるのだ。
その表情のまま、デイジーは問い直す。
「祖父を訪ねにいらっしゃったのでしょう?」
「あ、はい。まあ・・・」
「でしたら、先程もう会えましたから、御用事は済みましたね」
「えっと・・・」
あっさり断言されたものの、レオンはあまりに唐突な展開に、半分置いてきぼりである。
デイジーは優雅に首を傾ける。
「それでは、もしよろしければ、私にお付き合い下さいませんか?」
「・・・はい?」
また急な話に戸惑っていると、デイジーは少し悪戯っぽい表情を見せる。
「不思議なのですけれど、急にリディアの顔が見たくなったものですから・・・もしよろしければ、ご一緒に如何ですか、というお誘いです。ステラもいいでしょう?」
後半はステラに対しての言葉である。どういうわけか、ステラも意味深に微笑みながら頷いていた。
2人のご令嬢に見据えられて、レオンはほとんど強制的に頷かされる。
「じゃあ、えっと・・・」
「参りましょう」
「・・・はい。えっと、参りましょう」
そんな言葉を使うのはもちろん初めてだったので、くすぐったさを感じながらの返事だった。
そういうわけで、レオンとステラ、そしてソフィに加えてデイジーも一緒に、リディアが働く鍛冶屋へと向かう事になった。元々、ステラの提案したスケジュールによれば、次向かうのはそこだったので、特に問題はない。
道中、どうしても気になったので、レオンは先程のフレデリックの言葉の真意を、デイジーに尋ねてみた。それはステラも一緒だったらしく、真剣な様子で会話に参加していた。この場で一番興味がなかったのは、間違いなくレオンの肩にいたソフィだった。
しかし、デイジーははぐらかしているのか、それとも本当に分からないのか、曖昧な返答に終始した。
ただし、彼女の示したひとつの仮説が、レオンの中では一番しっくりきた。
「多分ですけれど、祖父はいつもそう思っているんだと思います」
木枯らしに揺れる黒髪を押さえてから、デイジーは少し控えめに微笑んだ。
「祖父の前世はソードマスターですから。若い方には、ただ生きていて欲しいと、そう願っていたんだと思います。彼は身よりのない子供達の為に尽力した方ですが、それはつまり、生きたくても生きられない子供達を、見るに耐えなかったという事でもありますから」
「ああ・・・」
思わず納得するレオン。ステラを見ると、彼女も小さく頷いていた。
「後進を育成したかったのだと、祖父はソードマスターの記憶をそう解釈していますけれど、それは別に、自分の培った剣の技術が消えて欲しくなかったからではありません。もっと純粋に、子供達がせめて自立するまでは、自分が面倒をみてあげたかったというだけなんです。祖父はそれに共感したからこそ、その願いと共に人生を歩んできたのだと思います。それは例えば、両親の背中を見てその道を志す場合も、或いは本の主人公に憧れてその道を進む場合も、きっと同じです」
「・・・なるほど」
誰かの見た夢に共感する。例えば、自分やステラがサイレントコールドの背中を追っているように、大きな憧れが茨の道を進む活力をくれる。皆がそうだと確かめられるわけでもないが、それでも、きっとそうだろうと信じられる。もしかしたら、この幻想とも言える法則こそが、もっとも多くの人で共有している夢なのかもしれない。
そこでふと、レオンは思った。
もしそうなら、自分の夢は自分だけのものではない、という事なのかもしれない。確かに、冒険者になりたいとか、頼りがいのある大人になりたいという夢は、基本的に自分の為のものでしかないけれど、でも、そんな夢を皆が応援してくれるのは、もっと巨大な夢を皆で共有しているからなのかもしれない。
難しい。
でも、分からないとは言えない。
その会話の後、鍛冶屋に辿り着くまでの道中、レオンはそんな頼りない印象をなんとか理解しようと、必死に思考を巡らせていた。ステラとデイジーは気を遣ってくれたのか、2人で静かに会話してくれていたようだ。全くの無言で歩いているよりも、そちらの方が不審に思われなくてありがたい。
そうして静かに、もはや慣れてきた感のある、こじんまりとした小屋の前にやってきた。
すぐに中に入ろうとしたものの、どうやら接客中らしいという事が扉越しの話し声で分かったので、外でしばらく待つ事にした。やがて、赤みがかった髪が特徴的な若い男性が布包みを抱えて出てきたのを確認したところで、入れ違いにドアを開ける。
いつものカウンター越しのリディアは一瞬驚いたように瞳を大きくしたが、すぐにデイジーの姿を確認して、僅かだが歓迎の笑顔を浮かべた。
「おはよう、デイジー。それに、ステラとレオンも」
彼女はいつものポニーテールとモノトーンの服だったが、今日は珍しく黄土色の前掛けをしていた。カウンターの上にも見慣れぬ小道具が並んでいる。どうやら細工や装飾に使う道具らしいという事は、レオンにも分かった。
いつになくスムーズにカウンターに近付いたデイジーが、まず挨拶を返す。
「ええ。おはようございます。でも、ごめんなさい。急に来て・・・」
「ううん。デイジーなら、いつでも」
デイジーのその時の笑顔ときたら、今までの落ち着いたイメージが吹き飛ぶほど嬉しさが滲み出ていた。
「どうしてもリディアの顔が見たくなって来たのですけれど・・・ええ、その言葉だけで十分来た甲斐がありました」
「もう・・・またそういう事を言う」
困ったように答えるリディアだったが、そちらもどう見ても、嬉しさが隠せていなかった。
いきなり仲良しぶりを見せつけられて、挨拶するタイミングを逸した見習い2人だったが、ただ立っていても仕方ないので、しばらく様子を見てからカウンターに近付いた。
「どうも・・・おはようございます」
「リディア。おはよう」
笑顔をデイジーと向け合っていたリディアは、そこでようやくこちらを向いた。彼女にしては十分笑顔と呼べる表情だったが、それでもやはり、先程までとは一歩明るさが潜んだような印象は否めなかった。
「おはよう・・・2人とも、身体は大丈夫?」
「はい、まあ・・・」
レオンが答えると、リディアはややあって頷く。その時には既に、仕事モードの彼女に戻っていた。
「鎧はもうちょっとかかる。壊れてるのはほとんど左腕だけだから、急いでいるなら、仮修理で済ませる事も出来るけど」
「いや、それは大丈夫です」
両手を軽く前に出して苦笑するレオン。左腕にはまだ鈍い痛みが残っているが、生活に支障が出るほどではないし、今のように長袖を着ていれば傷も見えないので、ほぼ問題はない。
しかし、ここでレオンは困った。じゃあ何をしに来たんだと聞かれたら、はっきり言って答えようがない。遊びに来たと思われても文句は言えない立場である。
そこで機転を働かせてくれたのか、ステラが自然な口調で質問した。
「それって、細工用の道具?」
彼女の視線はカウンター上の道具に注がれている。
リディアはすぐに頷いた。
「そう。さっきのお客さん、わざわざ武器の受け取りに来てたんだけど、自分のシンボルマークがあるから、それを柄に刻んで欲しいって」
「・・・シンボルマーク?」
ステラは首を傾げたが、レオンも正直同感だった。冒険者にシンボルマークなんてものが必要なのだろうか。意味がよく分からない。
あくまで淡々とリディアは答える。
「よく知らないけど、要するにお気に入りのマークみたい。腕にその刺青を入れてたから」
「じゃあ、それを見て刻んだんですか?」
尋ねたレオンにリディアは軽く頷く。
するとステラが、当然とも言える質問をした。
「それって、どんなマーク?」
少し考えたリディアは、珍しく自信なさげに答えた。
「多分・・・猫」
「・・・猫?」
冒険者のシンボルにしては、随分可愛らしいマークだ。
一応リディアは補足する。
「ライオンっていう動物らしいけど、私は見た事ないから」
レオンもない。ステラとデイジーの反応を見る限りでは、2人もないようだった。この地方にいない動物なのは確かだが、どうやらステラの故郷でも縁のない動物らしい。よほどの珍獣なのは間違いなさそうだ。
そこでデイジーが楽しそうに告げる。
「でも、リディアは動物好きですから、そういう仕事だと力が入っていいですね」
「そう・・・ただ、剣に猫を彫ったのは初めてだけど」
確かに、なかなかそんなリクエストはなさそうだ。
リディアはそこで不意に、こちらを真っ直ぐ見据えて話し始める。
「私、前世では動物と触れ合って生きてたから、今でもその可愛さが分かる。でも、夢の中の私は、それを後悔してるというか、少し寂しい感情が強い」
「え?」
唐突な話にレオンは驚いたが、それよりも、リディアの前世の話に興味を引かれていた。
「もっと色々な事をしたかったって。ずっと田舎で動物達と暮らしていて、もちろん楽しかったけど、でも、もうちょっと他の生き方もしてみたかった。もっと言うなら、働いてみたかった。前世の私は、親も結婚した人もとても大事にしてくれて、私は働かなかったから。そんな恵まれた環境に文句を言うのは贅沢かもしれないけど、それでも、もっと人と触れ合う仕事をしてみたかった。自立してみたかった。それは多分、きっと・・・」
「あ、いえ。もう、いいです」
言葉を遮るレオン。何故なら、リディアの言いたい事が分かってしまったからだった。
つまり、自分も人に飼われている動物達と一緒だと思えたのだろう。生ぬるい環境にいて、檻の中から逃げ出す事も諦めてしまった動物達のように。そして、恐らく、その感情を動物達と共有して、慰め合っているようにすら思えてしまった。
誰に対してなのか、リディアは小さく頷いた。身体を斜めにしてこちらを向いているリディアは、いつもより少し男性的で、そして格好良かった。
「いつか、前世なんてなくてもいいってレオンに言ったけど、あれはやっぱり、私の弱さだっただけ。前世がなくて悩んでるレオンを見て、前世があってもいい事ばかりじゃないって、私がそう思ってただけだと思う。もちろん、レオンの壊れた鎧を見て、動揺したのもあったとは思うけど・・・」
「いえ、いいんです」
真摯にリディアの瞳を見返して、レオンは言った。
「言ってくれてありがとうございます。僕、やっぱり、何も分かってませんから・・・」
そこでゆっくりと息を吐く。
そうだ。
自分は何も分かっていない。
人が持っているものを持っていないから、自分が一番不幸な気になっている。だけど、まさにリディアの言う通り、前世があったからと言って幸福とは限らない。それは例えば、大き過ぎる理想に苦悩するステラも、冒険者を待つ事しか出来ないと寂しく笑っていたベティも、子供の頃から悪を厭わない冒険者の記憶を見てきたニコルも、みんな何かしら苦しみを抱えているのだ。
そんなのは当たり前だ。
何故なら、今悩んでいるのは、今生きている人間だから。
情けない惨めな人間だと、レオンはずっと自分の事をそう思っていたけれど、まさにその通りだった。そんな当たり前の事にも気付かないで、不幸な顔をしていたのだから。
それでは駄目だ。
抜け出したければ、今の自分を変えるしかない。
ほとんど無理矢理だが、レオンは微笑んだ。
随分久しぶりの笑顔のように思えた。
やや呆気にとられたような反応を示したリディアは、それでもすぐにぎこちなく微笑む。
「・・・頑張るのはいいけど、あまりステラを泣かせないで」
「はい・・・ごめん。ステラ」
言いながらステラを見る。
すると、彼女は何故か瞳を潤ませていたので、レオンはたじろぐほど驚いた。
しかし、すぐに気丈な微笑みが返ってくる。
「いえ・・・泣いてませんよ。こんな事でいちいち泣いてたら、迷惑ですからね」
「えっと、まあ・・・いや、迷惑って事もないと思うけど」
「ダメですよ。甘やかしたら」
何故か軽く睨まれたので、レオンは小刻みに頷く。
すると、ステラだけではなくて、デイジーにも軽く笑われてしまった。
それにつられて、レオンも笑う。
この表情も、随分久し振りな気がした。
そうこうしているうちに、次のお客らしき男が入ってくる。
機敏にデイジーはリディアに片手を見せた。
「では、また今度」
リディアも同じように片手を見せて、口元を綻ばせる。
「じゃあ、僕も・・・」
「私もこれで・・・」
レオンとステラも簡単に挨拶して、鍛冶屋を後にした。とても気持ちいいというか、清々しい別れ方だった。
外は相変わらずの木枯らしが吹いていたけれど、不思議と前よりも寒さが気にならなかった。大通りに出るまで、誰も一言も話さなかったものの、全然寂しくもない。
大通りに出たところで、デイジーと別れる事になった。
「それでは、レオンさん、ステラ、今日はここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございました」
「いえ。そんな・・・こちらこそ、ありがとうございます」
すぐにレオンはそう答える。どういう洞察なのかは分からないが、こちらの悩みがある程度見抜かれていた事も、その解決の助けとなるように鍛冶屋まで連れてきてくれた事も、さすがのレオンにも分かっていた。
しかし、やっぱりデイジーはあっさりと、そして上品に首を振った。
「私はただ、リディアの顔が見たかっただけですから」
仕方なく、レオンは引き下がる。ここで押し問答をしても、恐らく万に一つも勝ち目はない。実力差は歴然としているのだから。
その代わりというべきか、レオンはふと思いついた疑問を尋ねてみた。
「そういえば・・・あの、デイジーの前世を聞いてもいいですか?」
今まで、他人の前世はどうしても聞き辛かった。自分の話は出来ないわけだし、やっぱり羨ましいという思いが強かったのだろう。今もそれは基本的には変わらないけれど、それでも、少し払拭しておきたかった。
ところが、デイジーはそこで驚いたように瞳を大きくした後、意味深過ぎる微笑みでこちらを見据えた。
嫌な予感が、堪らなく漂ってくる。
「どうしてもお聞きになりたいのでしたら、ええ・・・構いませんけれど。ただ、僭越ながら、それ相応のお覚悟をして頂かないと」
「・・・いえ、もういいです」
今までのベティとのやりとりで培われた本能が、レオンの口にその言葉を吐き出させたが、どうやら効果が薄い対処法だったらしい。もっとも、ベティに対してだって、いつも大した効果は見込めないのだが。
彼女はレオンの言葉を半ば無視して、目を細めてじっとこちらを見据えながら告げた。
「私、前世は家族と親しい友人にしか明かしておりません。その、あまり人様に話せるようなものではないですから、醜聞になっても困りますので。ですから、絶対に秘密を守っていただける方でないと・・・」
「いえいえ!もう、そんな、滅相も・・・」
なんだか重大な機密を聞き出そうとしているような空気になってきたので、レオンは慌てて両手を振る。
しかし、そこで急にデイジーは恥ずかしそうに頬を赤らめたので、レオンは別の意味で気が穏やかではなかった。
「もしくは、その、本当に僭越なのですけれど、私と家族になりたいという、そういう意味合いのご質問でしたら、あの、まずは両親を交えて、お食事でもと・・・」
一瞬意味が分からなかったレオンは固まったが、すぐに気付いて、そして本格的に固まった。
そこでようやく、デイジーは気を抜くように微笑む。
「・・・こういうケースもございますから、あまり安直にお聞きにならない方がよろしいかと思いますよ」
それだけ告げて、彼女は優雅に一礼する。
そのまま止める隙もなく、デイジーは大通りの向こうへと消えていった。
取り残されたレオンは、その後もしばらく、石化されたかのように動けなかった。
やがて、隣にいたステラがポツリと言う。
「本当に・・・デイジーって凄いですよね」
確かに凄い。
ただ、自分の凄いとステラの凄いは、多分意味がかけ離れているのだろうと、なんとなくそんな確信だけは抱いていたレオンだった。