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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第9章 アスリート・レオン
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月夜のような



 暗闇が僅かに薄くなる。

 それは、何もない場所からの帰還。つまり、眠りからの覚醒だ。

 何も考えていない。

 その思考状態のまま、レオンはまず自分の鼓動を認識した。しばらくして、身体の表面の存在感だけが浮かび上がるように、その輪郭を教えてくれるようになる。やがて、着ている服の肌触りまで分かるようになった頃には、目も暗闇に慣れてきていて、染みの多い天井がぼんやりと見えるようになる。

 ここまできて、やっと記憶を辿れるようになる。

 ああそうかと、思い出す。

 昨日は、いろいろな意味で大変だったのだ。

 まず、起きたらイザベラの診療所だった。いつもはひとつしかないはずのベッドがふたつあって、その片方にステラが眠っていた。そこでイザベラからそれまでの経緯を説明されて、しばらくしてからベティがお見舞いに来てくれた。そして、数時間後に目覚めたステラと共に、イザベラにお礼を言ってから、このいつもの部屋に帰ってきたのだ。

 言葉にすればそれだけの事。

 でも、もちろん、それだけではない。

 まだ違和感の残る左腕が、そこでようやく軋むように痛んだ。

 だけど、どこか遠い痛みだとレオンは思う。確かに重傷だったのは間違いないのだが、それでもやはり、この程度の、僅かな苦痛だとしか思えなかった。

 少なくとも、ステラに比べれば、大した事はない。

 まさに昨日、そのステラの憔悴した様子を目の当たりにした時に、レオンは心底後悔した。昨日の彼女は、それこそ歩くのもままならないほど疲労していたのだ。自分とステラは丸一日近く眠り続けていたはずなのに、彼女の消耗はそれでも回復しきれないほどだった。

 それも全て、仲間の怪我を治癒する為にした事だ。

 つまり、自分の為に。

 未熟だったから、弱かったから、彼女に無理をさせた。

 自分のせいでステラが苦しむのを見て、それが辛かったのだ。

 これが例えば、彼女の両親のためだったとか、友達のためだったなら、納得出来るかもしれない。

 或いは、最低でも、自分じゃなかったなら。

 同じ冒険者でも、例えば、ブレットやシャロンだったら、それは仕方ないと思える。仲間なのだから、身を挺してでも守ろうとするのは当然だと、そう思える。

 ただ、自分だけは駄目だ。

 それは、どうしても、許せない。

 こんな人間の、惨めな人間のために誰かが犠牲になるなんて、それだけはあってはならない。

 もし自分のせいで、ステラがいなくなっていたら。

 そう思うと、肺が鉛になったかのように息苦しくなる。

 それでも、レオンは動悸を感じながら、思考を止めなかった。

 もう、逃げるわけにはいかない。

 レオンは両の拳を握りしめて、再び目を閉じる。

 自分は冒険者になりたかった。

 それは間違いない。

 皆に頼られる人間に、サイレントコールドのようになりたかった。そうなれるだけの自信が欲しかったのだ。皆が持っているはずの前世の記憶がない、そんな欠陥品のような自分でも、もしかしたら立派な人間になれるかもしれないと思うだけで、ここまでやってこれたのだから。

 でも、そんなの、エゴじゃないだろうか。

 我が侭でしかない。

 そして、自分はずっとその事に気付いてはずなのに。だからこそ、それが戦う理由にならない事を分かっていたのに。

 それでも、そんな自分をステラは支えてくれて。

 だからずるずると、流されるようにここまで来てしまった。

 その結果が、これなのだ。

 いつの間にか、あれほど激しかった動悸は収まっている。

 思えば、ステラはずっと前に同じような事で悩んでいた。自分の夢なんて叶わなくても仕方ないんだと、泣きそうな顔で言っていたのだ。

 ただ、ステラはそれを乗り越えた。

 本当に、強い。

 あの時、自分は何と言ったのだろう。どうやって勇気づけたのだろうか。

 どうしても、思い出せない。

 きっと、記憶にも残らないような、月並みな事しか言っていないのだろう。それに、自分が何を言ったところで、一番重要なのは、彼女が自分で立ち上がったという事なのだ。

 今、誰かが何か言葉をくれたとして、自分は立てるだろうか。

 そもそも、今まで立っていたのだろうか。誰かに背負われて、いつの間にかここに着いていただけではないだろうか。

 分からない、という言い訳しか浮かんでこなかった。

 そこで目を開けたレオンはしばらく天井を見つめていたが、当然ながら、何の意味も見いだせない行為ではあった。ところが、そこでふと月が見たいと思い立って、ベッドから抜け出して、部屋の外に出る。

 左腕には大きな傷痕が残ってはいるものの、痛みはさほどではない。動きには少なからず違和感があるが、日常生活にそれほど支障があるとは思えなかった。ただし、筋量は確実に落ちている。もし戦闘に戻りたければ、それなりの訓練が必要だろう。

 もちろん、戻りたければ、だが。

 レオンは足音を忍ばせながら、暗い廊下を進む。途中で、そういえばソフィがいない事に気付いたものの、確か今日はステラに預けているのをすぐに思い出した。あの純白の妖精も、最初は何故か自分にしか懐かなくて、ステラやベティに羨ましい目をされたものだったが、今ではもうどちらにも慣れてしまったようだ。

 むしろ、ステラの方がソフィとは何かしら前世で縁があるらしい。具体的にどういう縁なのかはまだ聞いていないものの、何かソフィが彼女に記憶を見せて、その結果絆が深まったのは確かなようだった。

 もしかしたら、自分はいわば繋ぎのようなものだったのかもしれない、と思わないでもない。

 ただ、レオンの場合、それならそれでいいという気持ちしかなかった。自分がどうあれ、ステラとソフィが何かしら運命的な出会いを果たせたのだとしたら、それは喜ぶべき事だ。

 でも今は、ほんの少しだけ、寂しい気がしてしまう。

 そして、そんな自分がどうしようもなく惨めに思えて仕方なかった。

 レオンが階段を軋ませながら1階の酒場に下りてみると、そこもやはり真っ暗だった。それでも、入り口の扉からは僅かに光が漏れているように見えたので、外は多少明るいはずだ。月か星は出ているのだろう。

 ここまで来ておいて今更ながら、もし施錠してあったら、出るわけにはいかない事に気付く。ニコルがいる関係上、下手な鍵なら付けても意味がないという考えの家も多いようだが、ガレットはどうなのだろうか。

 ところが、ちょうどその時だった。

「今は営業してねえぞ」

 その声の主は、もちろんすぐに分かった。ただ、気配を全く感じ取れなかったので、今更ながら、その身のこなしに感心せざるを得ない。

 一旦静止させられてから、レオンはゆっくりと振り返った。

「・・・ガレットさん」

 カウンター奥の扉を封鎖するようにして、彼は仁王立ちしていた。惚れ惚れするほど逞しすぎるその巨体を、今の時期には少し肌寒いような半袖の服で身を包んでいた。顔の表情まではよく見えないが、彼が特に楽しいわけでも怒っているわけでもない事は、今は感じ取れる気配だけでも十分把握出来る。

 彼はその逞しい腕をねじ込むようにして胸の前で組む。そして、しばらくの沈黙の後に話しかけてきた。

「怪我はどうだ?」

「え?・・・あ、はい。痛みはほとんどないです。後は、訓練してどれくらい元に戻るのかどうかだと思いますけど」

 そこでもまた間があったが、不意にガレットは組んでいた腕を解いて、カウンター内を進み出る。

「レオン。一杯付き合え」

「・・・はい?」

「何だ、俺の酒が飲めねえってのか?」

 軽く吹き抜けた威圧感に寒気がしたので、レオンは慌てて両手を振った。

「いえいえ!そういうわけじゃなくて・・・あの、一応、僕、病み上がりみたいなものなんですけど」

「一杯くらい構わねえだろ。それに、ステラがあの様子じゃあ、どうせすぐに訓練なんか出来ねえだろうが」

「それは・・・」

 確かに、訓練再開の為には、魔法で怪我の具合をコントロールして貰った方がいいと、イザベラに言われていた。それはフィオナやハワードでも難しく、ステラに頼む以外にはないとも言っていたのだ。

 喉の奥から出かかった言葉を飲み込んだ後、レオンは仕方なくカウンター席に着いた。

 灯りも何もない店内だったが、それを全く気にする様子もなく、ガレットは慣れた手つきでボトルからコップに液体を注ぎ入れる。

 それを無言のまま自分の前に置かれたレオンは、中身を見て一瞬静止した。

 琥珀色の液体が、平らなコップの底に数センチだけ。他%jは何も入っていないようだった。

「・・・ストレートです%i?」

 ガレットは自分の分も用意しつつ答える。

「飲めねえわけねえだろ。この地方の出身ならな」

「いや、まあ、飲めない事もないですけど・・・」

 病み上がりには毒ではないだろうかと思ったが、ガレットの答えは酷くシンプルだった。

「悪いが、営業時間外なんでな。水も氷もねえ」

「あ、なるほど・・・」

 どうやら、手間をかけるのが面倒くさいだけのようだった。

 レオンがコップを手にとって見つめていると、やがて自分の分を用意したガレットも、向かいのイスに腰掛けた。 

 彼のコップには、数センチどころではない量の液体が注がれていたが、彼はそれを一息で半分程度飲み干してしまった。豪快と言えば豪快だが、彼の手の中にあるとどんなコップも縮小されて見えてしまうので、凄いのか凄くないのか、いまいち感動しにくいところではある。

 それを見てから、レオンもコップに口を付けた。

 一口飲んだだけで、口や食道が焼けるような刺激を感じる。だがもちろん、小さい頃からアルコールを嗜んでいたレオンなので、それほど抵抗はない。冬の寒さを凌ぐ為の習慣だったので、今の時期に飲むのは多少新鮮ではあったけれど。

 中身はウイスキーだったようだ。

 そこで何故か、そういえばもうすぐ冬が来るなと、そう思った。

「ファースト・アイをクリアしたらしいな」

 突然ガレットがそう口にしたので、レオンはすぐに反応出来なかった。

 ガレットはこちらを見据えるでもなく、ただコップを傾けてその色合いを見つめている。

「・・・あ、はい。クリアしたと言っても、なんとかボスを倒せたってだけですけど。はっきり言って、勝ったという実感はほとんどないので」

「普通、ダンジョンをクリアするってのは、そういうもんだろ」

「え?・・・あ、はい。そうなんですかね」

 そこでガレットは残りの半分のウイスキーを一気に飲み干した。

 なんとなく、レオンもそれを見て、同じように残った半分を飲み干す。

 喉や胸の奥が熱くなって、何かを忘れてしまいそうなほどだった。

 またしばらくの静寂。

 夜だ、という予感しか浮かんでこない、そんな時間。

 やがて、ガレットはのっそりと立ち上がる。

「レオン。表へ出ろ」

「・・・はい?」

「いいからいくぞ」

 そう言うなり、彼はカウンターから出て、玄関へと真っ直ぐに進む。慌てて立ち上がったレオンも、その後を追った。

 身体が少し軽いのが、自分でも分かる。

 気が付くと、いつの間にか月明かりの下、酒場の玄関先の路上で、レオンとガレットは向かい合っていた。

 相変わらずの強靱な肉体で腕組みをして、彼はこちらを真っ直ぐに見下ろしている。いつもの厳格な表情に見えたが、ほんの少し、別の隠し味を忍ばせているような気もした。

 一度こちらの身体を上から下まで観察してから、ガレットは厳めしい顔のまま口を開く。

「ファースト・アイをクリアした。大したもんだ」

「え?」

 正直、耳を疑った。

 これはもしかしたら、誉められているのだろうか。

 ガレットが誰かを誉めるところなんて、他に見た記憶がない。

 しかし、彼の言葉には続きがあった。

「だが、言ってみればそれもただの通過点でしかねえ。見習いにとって結果が求められるのは、たった一点だけだ。分かってるな?」

「あ・・・はい」

 確かに、見習い冒険者が正式な冒険者として認められるのに必要なのは、たった一度、特別なダンジョンをクリアする事だけだ。例え、他にどれだけ難易度の高いダンジョンをクリアしたとしても、見習い卒業には一切考慮されない。

 その特別なダンジョンこそが、魂の試練場。

 基本的に誰が入っても性質がそれほど変わらないはずのダンジョンの中で、唯一、人によって難易度や傾向が様変わりすると言われている不思議なダンジョン。

 さらに、通常の意味でのボスモンスター、つまり、魔石を落とすモンスターが存在せず、代わりに最下層にて、カーバンクル達がそれぞれの秘宝の場所まで案内してくれると言われているダンジョンだ。

 その秘宝の名前がアーツ。ルーンが使われているという共通点はあるものの、人によって、或いは魂によって、その形も用途も様々だと言われているが、数少ない共通点は、それぞれの前世に縁の深い一品であるという事、そして、そのルーンには前世の自分と、今の自分、両方の律動が刻み込まれているという点であるらしい。詳しい話は分からないが、シャーロットやケイト曰く、2人以上同時に適応出来るルーンを作るのは、事実上不可能なほど難しい技術らしく、同じ物を複製するのは出来ないのだと言う。その事実こそ、アーツの所持が魂の試練場クリアの証になる理由に他ならない。さらに、その特別なルーンは極めて順応性が高く、また、強力でもあるから、優秀な装備として一生使い続けられるとも言われている。

 そして、それを見れば自分の前世の事が分かるかもしれない。皆が持っているものを自分も手に入れられるかもしれない。レオンが冒険者を志した大きな理由のひとつが、そのアーツを手に入れたいがためでもある。

 ガレットはこちらの目を真っ直ぐに見据えていた。

「そのダンジョンで無様な事にならねえように、ここまでやってきたわけだ。その結果、ステラと2人だけで、ファースト・アイもこなせるようになった」

「こなせるって言われても・・・」

 勝てるか勝てないかの瀬戸際だったのだと告げようとしたのだが、一瞬で暗闇が深まるほどのプレッシャーが吹き荒れてきて、レオンは固まるしかなかった。

「言ったはずだ。結果は重要じゃねえ。要は、魂の試練場に挑戦するだけの実力があるのかどうか。それだけだ」

 まあ、そう言われたらそうかもしれない。

 だけど、自分の場合、仮に実力があっても、資格がない。

 例えアーツを勝ち得たとしても、意味がないのだ。

 きっと、虚しいだけになってしまう。

 そこでガレットは腕を解き、静かな口調で告げてくる。

「その実力があるのかどうか、魂の試練場に行かせていいのかどうか、それを判断するのも俺の仕事だ。だから、ここでひとつ、試験だ」

「試験ですか?」

「ああ」

 それ以上、ガレットは答えなかった。

 しかし、言葉は既に不要だったのは間違いない。

 レオンの背が動かなくなる。

 正面に立つ大男。その巨体から放射されて、こちらの身体を囲い込むような威圧感。そこから溢れ出た冷たい空気が、こちらの身体を凍り付かせているのだ。

 これは、あの武術大会の時か、それ以上かもしれない。

 敵意というのだろうか。

 或いは、殺気か。

 いつの間にか、丸太のような足が一歩こちらに踏み出しているのに気付く。

 凄い。

 上体にまるで変化がないので、見ただけでは全く分からないのだ。

 ただ、それに気付いたものの、レオンの身体は動かなかった。

 動けないのではない。

 動かなかった。

 あっという間に距離を詰めたガレットは、片腕でこちらの胸ぐらを掴むと、あっという間に天高く持ち上げる。

 そして。

 思いっきり、石畳の上に叩きつけられた。

 痛み、なんてものではない。

 身体中が金切り声をあげるかのように、怒濤のままに押し寄せて、レオンの思考はあっという間に真っ白になった。

 そういえば、鎧なんて着ていなかった事に、今更ながら気付く。

 肺が数秒間、仕事を放棄するほどの衝撃だった。

 でも、意識は飛ばない。

 モンスターだったら、ここでさらに追撃があるだろうと、レオンは本能的に悟っていた。獣に似通ったモンスターならば首筋、武器を持つモンスターなら心臓付近、そして、どちらであっても頭を狙ってくる場合が多い。

 他人事みたいな思考だ。

 その予測を受け入れながらも、レオンは何も抵抗しなかった。それがどうしてなのかまでは、本能にも分からなかったようだ。

 しかし、結局追撃はなかった。

 その代わりというべきか、こちらを倒した大男の、どこか苦々しい言葉が最後に聞こえた。

「・・・話にならねえな」

 その通りだ。

 全く、その通り。

 地面の上に仰向けになったまま、レオンは既に目を閉じている。

 そういえば、月が見たくて部屋から出てきたはずだった。今、目を開けば、もしかしたら見えるかもしれない。

 だけど、それがどうしたというのか。

 本当にそんなものが見たかったのだろうか。

 自分は、本当に何か望んでいたのだろうか。

 夢だったのかもしれない。今のように、ただふらっと、そうなれたらいいなと願っていただけで、全然本気ではなかったのかもしれない。

 それなのに、ステラを、仲間を、大事な人を、あんな目に遭わせてしまった。

 いったい何をしているのか。

 どうしようもない。

 本当に、全く、話にならない。

 不意に、誰かに額を撫でられるような感触があった。

「生きてる?」

 その声で、レオンは目を開けた。

 月空を背景にしてこちらを覗き込んでいるのは、ブラウンの瞳を瞬かせている女の子だった。

「あ・・・はい」

 答えながら、レオンはなんとか上体を起こした。痛みというか、身体中に痺れが残っていて多少苦労したものの、なんとか成功する。

 いつものポニーテールを下ろしているベティは、薄明かりの効果もあってか、いつになく雰囲気が違って見えたけれど、屈託のない微笑み方はいつも通りだ。

 しかし、彼女はいつ来たのだろう。ガレットはいつ去ったのだろう。

 全く覚えがない。

 彼女は寝間着らしきシャツとズボン姿で、膝を抱えるようにして座り込んでいたので、レオンの目線とほとんど同じ高さだった。その体勢のまま、どこか楽しげに彼女は話す。

「おー、さすがの頑丈さだね。お父さん、多分手加減してなかったのに」

「・・・いつから見てたんです?」

「多分、ほとんど最初から。というか、お父さんは普通に気付いてたよ?」

 自分は全然気付いていなかった。本当に腑抜けているようだ。

 軽く落ち込んだレオンを気にする様子もなく、ベティはあっけらかんとしながら告げる。

「ああいうお父さん、もしかしたら、私も初めて見たかも。やっぱり・・・多分だけど、お父さんは男の子が欲しかったんだよね」

「え?」

「さっきのお父さん、ちょっとらしくないっていうか、元々あそこまで見習いに干渉するようなタイプじゃないんだよ。今までだって、あんまり何も言わなかったでしょ?」

「あ、はい・・・」

 頷くレオン。確かに、求めればアドバイスしてくれるものの、向こうからはあまり口出ししてこないタイプではあった。

 ますますベティはにっこり微笑む。

「きっとね、レオンの事、息子みたいに思ってるんじゃないかな。素直で真面目で、店の手伝いまでしてくれるし。そういうのがきっと、理想の息子っていうか・・・うーん、レオンも結構やるよね。しっかりと外堀、埋まってるし」

「・・・前も聞いたかもしれませんけど、外堀って、どういう意味です?」

 ベティは軽く笑った。

「いいからいいから。要するに、いつになく親身になってるって事。ほら、あんまり見習いってろくな奴がいないし、ホレスもあれで、結構頑固だから言う事聞かないし。だから余計に、レオンみたいなのが可愛くて仕方がないんじゃないかな」

「そ、そうですか?」

 可愛くて仕方がない人間を、石の地面に叩きつけたりするだろうか。下手をすると怪我では済まないかもしれないのに。

 しかし、ベティは自信ありげに頷く。

「そうだよ。だって、さっきみたいなお父さん、本当に見た事ないし。もっとくだらない奴を相手にする事ならあるけど、その時はもっと徹底的にやるから」

「・・・そうですか」

 あまり聞きたくはない情報だった。

 そこでベティは、少しだけ笑みを控えめにする。背景効果もあってか、とても大人っぽい表情だった。

「それにね、私も同じなんだよ。もうね、ステラが可愛くて仕方ないんだ。いつも健気でひたむきだし、純粋で素直で、ちょっとからかうと可愛いし・・・うん、リディアみたいな感じかな。昔からね、リディアはどうしてもほっとけなくて面倒みてたんだよ。まあ、でも、町中の人がそうかな。みんなにとっての娘とか妹みたいな感じかも」

「へえ・・・」

 確かにひたむきなのは間違いないだろうから、応援したくなるのが人間の心理かもしれない。口数は決して多くはないし、ベティやデイジーのように社交的なタイプでもないけれど、何かに努力している人は確かに魅力的だ。

 ベティは少し首を傾ける。

「だからね・・・」

 彼女はそこで口ごもる。少しだけだが、戸惑うように視線をさまよわせていた。

 とても珍しい反応だ。

 そんなベティを、レオンはもう見たくなかった。

 そうだ。

 もう、終わりにしないと。

「大丈夫です」

 その言葉が口をついて出る。

 固まったように動きを止めたベティの瞳が、一段と大きく瞬いている。

 レオンはもう一度口にする。

「もう大丈夫です。あの、ステラが起きたら教えて貰えませんか。話をしないといけないので」

 まだベティだけ、時が止まったかのように固まっている。

 こんな表情を見るのも、きっと最後だ。

 決着をつけないといけない。

 ガレットに投げ飛ばされて踏ん切りがついたというわけではなかった。ただ、散々迷ったあげくに、結局最初に得た発想が正しかったという、いつものパターンに気付いただけだ。

 夜はまだ深い。

 月の薄明かりの中、酒場の玄関前で、レオンはじっと、ベティのブラウンの瞳を真っ直ぐに見返していた。



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