待ちぼうけ診療室
居間と診察室。その仕切りとなっている布を押しのけて中に入ると、ベッドの上に腰掛けている少女と目があった。ブラウンのポニーテールと白いエプロン、そして利発そうな瞳は、ガレット酒場の1人娘であるベティだ。
診察室にいるのは彼女だけではない。ただひとつの椅子に腰掛けながらも、ベッドに顔を埋めているブロンドの少女が1人。そして、そのベッドに横たわる少年が1人。彼の胸の上には、世にも珍しい純白のカーバンクルが丸くなっている。
ベティとは違って、他はこちらに見向きもしない。
しかし、死んで口が聞けないというわけではないから問題はない。
両方とも、ただ眠っているだけだ。
イザベラは、そこで室内を見渡した。
どういうわけか、それは癖のひとつだった。こういったケースの時、他にはもう誰もいないのか、他に入ってくる者がいないか、確かめてしまう。
それがどうしてなのか、一言で表現するのは難しい。
もう怪我人がいない事を確かめないと落ち着かないのか。或いは逆に、来世へと旅立つ魂を見つけて、無理矢理引き戻そうとでもしているのか。
分からない。
だが、いずれにしても自分の弱さに起因するものだろうとは思う。理由ははっきり断定出来ないまでも、そういった自覚だけはあるので、すぐに惨めさから目線をさまよわせるのを止めてしまう。従って、この癖が最後まで行動を完了した事は未だかつてない。だからこそ、この習性の意味をはっきりさせる機会もないのかもしれない。
とにかく、ベッドに座るベティに視線を戻してみると、彼女は慎重に立ち上がろうとしている最中だった。どうやら、眠っている友人達を起こさないように気を遣っているらしい。
そのままこちらに歩いてくるなり、少し背伸びをしながら耳打ちしてくる。
「一度戻ってくるね。ステラが起きる頃になったら、また来るから」
「ああ。ガレットさんによろしく伝えておいてくれ」
彼女は片手を動かしてみせる。そして、軽く微笑んでから、すれ違うようにして居間の方へと進んでいった。どうやら玄関から出るつもりのようだ。彼女はある意味ここの常連なので、この家の事はほとんど知っている。
少女の足音は、すぐに聞こえなくなった。
診察室は途端に静かになる。
重傷の患者がいる事は、もちろん家中の人間が知っている。まだ幼いとはいえ、子供達もそれくらいの配慮が出来る年齢ではある。隣家の人達には伝えていないが、運ばれてきた時はちょっとした騒ぎになったので、恐らく知れ渡っているのだろう。皆が皆気を遣ってくれたのか、やや寂しさをも感じさせるような静寂が、この部屋のみならず、辺り一帯を支配している。
これからどうするか、イザベラは少し考えたものの、結局、近くの壁にもたれかかって立っている事にする。するべき事はもうないとはいえ、一応見守っているに越した事はない。
しかし、医者が出来る事なんて、元々僅かしかない。
特に、ジーニアスでもない自分は尚更だ。
今日のレオンを診た時、まず最初にそれを実感した。
間違いなく命の危険がある怪我だったはずだ。重要な血管が損傷していたというか、根こそぎなくなっていたのは明らかで、それに何より、ファースト・アイからここまで運んできたタイムラグが致命的だった。今更どんな手当をしたところで、その間に出て行った血液や体温が取り戻せるわけではない。
だが、レオンの身体は温かかったのだ。
それは間違いなく、治癒魔法を併用した治療を行った成果としか思えなかった。それも、並の技術ではない。ましてや、普通の見習いがそこまでの治癒魔法を扱えるわけがない。ハワードやフィオナでも、きっと同じ事は出来ないだろう。
その事を問いただしてみると、ステラは精霊のお陰だと答えた。しかしそれでも、移動中にレオンの命を繋いだのはステラ以外にはいないはずだ。それだって、相当な力量が必要なはずである。
はっきり言って、見習いの領域を軽く越えている。
信じられない。
しかし、よく考えてみれば、それはレオンにしたってそうなのだ。
まず間違いなく、最初は2人とも一般的な見習いレベルの実力しかなかった。いや、正直なところ、それ以下だっただろう。2人だけとはいえ、ビギナーズ・アイにあれだけ苦労していたのだから。皆、面と向かっては言わなかったが、先が思いやられると感じていたに違いない。
それが、今はどうだろう。
4人でもなかなか制覇出来ないはずのファースト・アイを、たった2人でクリアしたというのだ。正直、先程聞いた時は耳を疑ったが、指輪程度の大きさの青い魔石を見せられては、もう信じるしかない。今までに何度も同じ物を見てきただけに、それが本物という事はすぐに分かる。
レオンの惨状よりも、そちらの方に驚いたくらいだ。
本当に信じられない。
短期間でここまで強くなった見習いを、イザベラは他に知らなかった。
そこで、玄関の方から物音が聞こえてくる。
誰だろうかとは思ったが、意外だとは思わなかった。今日はこれから、これでもかというほど見舞いが来るに決まっている。
しかし、やがて仕切りの向こうから姿を見せた人物の組み合わせに、多少意表を突かれた。
ひとりは、ギルドの制服がなかなか決まっているケイト。そしてもうひとりは、同じようなモノトーンの服が負けず劣らずよく似合っているリディア。この組み合わせはギルドや鍛冶屋でこそ見受けられるはずだが、それ以外の場所ではほとんどない。
ほぼ同時に部屋に入ってきたふたりは、やはりほぼ同時にベッドの見習い組を視界に収めたらしく、揃いも揃って神妙な顔をしていた。リディアはそれほど普段と変わらないが、ケイトはあからさまに緊張の色が濃い。
「リディアは相変わらず早いな。ケイトもご苦労様だ」
その言葉に、ケイトは綺麗にお辞儀を返す。
それよりは若干省略気味に頭を下げてから、リディアは前置きもなく質問してくる。これは礼儀の問題というよりも、この状況への慣れの差が大きい。
「レオンが怪我をしたって聞きましたけど、ステラも?」
実際、着替えもせずに眠ってしまったので、ステラの服も赤く汚れている。知らない人間が見れば、ステラの方が怪我人だと勘違い出来るくらいだった。
「いや。そっちは寝ているだけだ。魔法の使い過ぎで消耗しているから、出来れば寝かせてやった方がいい」
すぐに頷くリディア。まだ17歳という若さながら仕事慣れしているので、イザベラは常日頃から、この少女とは話し易さを感じていた。正直な話、どこか親近感がわく。もっと端的に言えば、こういう生真面目な子供が好きなだけだ。
「じゃあ、鎧だけ預かっていきます。起きたら伝えて下さい」
「分かった。伝えておく」
そのままリディアはベッドまで歩いていき、眠っている2人を数秒だけ見つめたものの、結局テキパキと鎧を回収し始める。そして、器用にそれを持ち上げると、またこちらに戻って、年上組に軽く頭を下げてから出て行ってしまった。
恐らく、この部屋に3分もいなかった。
改めてその事実を認識したイザベラは、思わず感心したほどだ。
さすがリディア。
後ろ姿に昔の自分の面影があるような、そんな気がしたけれど、もちろん血縁関係はないし、リディアの母親とも特に親しくはない。
あの仕事ぶりは、間違いなく父親譲りだろう。
そんな事の考えていると、そこでようやく、黙って立っていたケイトが口を開く。
「先生」
「ん?・・・あ、そうか。ケイトも仕事だったな」
ケイトの神妙な顔を見て、すぐにその事を思い出す。そして、イザベラは彼女のすぐ傍まで近づいたから、顔を寄せて小声で告げた。
「とりあえず、命はなんとかなった。だが・・・」
そこで、ケイトの瞳を覗き込むように見据える。
ギルド所属員としての彼女の仕事。それは冒険者の管理であり、特に見習いの場合、その健康把握も重要な仕事だ。
そして、仮に冒険者としての道が閉ざされるような大怪我を負った場合、その人物に登録を抹消しましたとはっきり告げるのも、また彼女の仕事なのである。
そういったケースは、これまでに何度もあった。しかし、それでもケイトはまだ慣れていないようだ。いい加減慣れないと辛いはずだと何度か言っているのだけれど、元々優しくて面倒見のいい性格だから、ある意味仕方ないと言える。逆に、いつまでも慣れないでいられるのは、すっかり慣れてしまった自分からすれば、少し羨ましいのかもしれない。
今も、ケイトの瞳はやや揺れている。フィオナやベティよりも年長者で、彼女達のお姉さんという立場にいるケイトだが、こういったところはまだ頼りない。
でも、だからこそ皆が彼女に甘えようとするのかもしれない。
大抵イザベラは、その結論でいつもケイトを許してしまう。
今もそうだ。
一旦視線を逸らしてから、なるべく穏やかな言葉を選んでイザベラは話を続ける。
「左腕が重傷ではあるが筋や骨の再生が始まっている。裂傷は多いがどれもある程度塞がっている。それが治療した人間の、つまり、ステラの所見だ。私が診たところ、はっきり言うが、場合によっては腕の切断も考慮に入れなければならないほどの怪我だと思う。しかし、確かに脈も呼吸も体温も安定しているし、傷も規模こそ大きいが、既に塞がり始めているとしか思えない。正直なところ・・・ああいう傷の状態は初めて見たからな。端的に言えば、よく分からない」
唖然としたのか、ケイトは小さく口を開けて静止した。
その顔を見てから、イザベラは腕を組みながら一歩離れて、そして諦めたように苦笑した。
「事実だけを言うなら、ステラがそれだけの魔法を使ったという事だ。いや・・・彼女が言うには、湖の精霊のお陰らしいんだがな」
「あ、ええ・・・その話なら、少し前に聞いています」
想定外の答えだったが、イザベラは簡単に頷く。
「そうか?私は幻覚でも見たんだろうと思ってたんだが・・・まあ、いい。とにかく、治療したのは私じゃない。だから、レオンの左腕が動くのかどうか、私からはなんとも言えないな。正直なところ、命の方もまだ油断は出来ない。しかし、まあ、それくらいはなんとかしてみせる。ここまで生きて戻ってきた以上はな」
真剣な表情のまま頷いたケイトだったが、すぐに困ったような顔になった。こういう表情は比較的珍しいらしいのだが、イザベラは案外見る機会があった。どうやら、身近な年上の女性という事で、自分は彼女に甘えられているらしい。喜んでいいのかどうか、なかなか判断が難しいところではある。
「それは確かに信頼していますけど、せめてもう少し、怪我についての所見を頂けませんか?その・・・彼はまだ若いですし、仮にもう冒険者としての将来が望めないとしたら、それを早く伝えるのが私の役目です」
引き下がらないケイトの気持ちが、もちろんイザベラにも分かっていた。
要するに、このままだと最終的な宣告をするのがステラになってしまう。彼女しか詳しい容態が分からないのだから。そして、もし最悪の事態を宣告しなければならなくなった場合、それでは余りにステラが辛過ぎるので、せめてそれだけは回避したいのだろう。
「・・・そうだな。ハワード先生かフィオナに協力して貰って、なんとか最終判断を下す。それでいいか?」
「はい。お願いします。私からもフィオナに頼んでおきますので」
「では、結論が出たらギルドまで出向こう」
「いえ。私がまた伺います。今日の夜、ご迷惑でしょうけど・・・」
「迷惑じゃないが、なかなか急かすんだな」
そこでケイトはようやく少し微笑んだ。それでもまだぎこちない表情ではあったけれど。
「すみません。無理を言って・・・」
「いや、いい。それより、もう仕事に戻りなさい。いずれにしても、今はひとまず休憩だ。レオンもステラも、私達も」
頭を下げるケイト。やはり礼儀正しくて、綺麗なお辞儀だった。
「では、失礼します。くれぐれも、よろしくお願いします」
イザベラは少しだけ表情を緩めた。
「あまり思い詰めないように。レオンもステラも、心配はいらない。どういうわけか、思いも寄らないくらい強い見習いになってしまっているからな」
ケイトも微笑む。少しずつ、緊張が解けてきたようだ。
「そうですね。本当に・・・では、これで」
「ああ」
もう一度お辞儀をしてから、ケイトは診察室を後にした。
その足音を聞きながらベッドの方を見てみるが、レオンもステラも起きる気配はなかった。
どちらも相当な疲労が蓄積しているのだろう。とんでもない無茶をしたのだから、ある意味当然だ。もしかしたら、この先もずっと、こんな無茶を続けるのかもしれない。そんな想像が容易に出来てしまったのが、ある意味怖くもあり、頼もしくもあった。
この町の近くには初心者向けのダンジョンが揃っているとはいえ、毎年のように、帰ってこない見習いが出てくる。大怪我をして諦める者もいる。或いは、それを目の当たりにして心が折れる者も。
そんな光景は見たくないと思っても、願っても、それはどうにもならない。
しかしそれでも、願ってしまう。
医者だって、辞めてしまいたいと思った事は何度もある。でも、どうしてもここから離れる気にはなれない。帰ってこない見習いを待つのなんて、全く救いのない行為なのは分かっているけれど、それでも自分は変わらず待ち続けている。
他の誰かがするくらいなら、自分がした方がいい。そういう理由もないわけではない。
皆が医師としての自分を信頼してくれているから。そういう口実もないわけではなかった。
でも、きっとそうじゃない。
もっとありふれてつまらない、しかし、そうとも言い切れない、そんな理由だ。
これは、惰性だろうか。
それとも宿命か。
自分の前世と今の仕事は一見関係ないが、本当のところはどうなのだろう。
それについて思案を始めた頃、また新たな来客の気配があった。
微動だにせすにそれを待っていると、やがて、布を除ける音が聞こえてきたので、そこで初めて来客を視界に捉えた。
今度も珍しい組み合わせだ。
フィオナとデイジー。どちらも大人しめのワンピースを着ていて、もちろん似合ってはいるのだが、どういうわけか、少し気圧されてしまう。リディアとは違って、こういう少女はやりにくいのだ。特に、デイジーはこの町の代表者の一人娘でもある。きっとこういうのが、畑が違うという感覚なのだろう。
しかしもちろん、そんな感情は一切表には出さずに、イザベラは軽く声をかける。
「千客万来だ」
言ってしまった後で、自分らしくない無駄口だとは思ったが、それも顔には出さない。
ワンピース2人組は、ある意味それに見合った悠長な速度でお辞儀をした。そういう挨拶をされても返し方に困るのだが、文句を言っても仕方ないし、それに、何か返ってこなかったからといって苦情を出すような2人ではない。
まず声を発したのは、デイジーだった。いつも柔らかい笑顔の彼女だが、さすがに今はその印象も薄い。
「ご無沙汰しています。先生」
「ああ・・・そういえばそうか。リディアはたまに怪我をしてくる事があるが、デイジーはそれもないからな。どちらかというと、息子の方が顔馴染みかもしれない」
そこでデイジーは気を抜くように微笑む。ここでこういった表情が、つまり気遣いが出来るのが彼女なのだ。こういうところは、まだ若いながらも感心させられる。
「いつもリディアがお世話になっています。それに、レオンさんとステラも」
デイジーの視線が部屋の奥に向けられたところで、フィオナがようやく口を開いた。相変わらず目を閉じたままの彼女だが、やはり表情は少し硬い。
「2人とも眠ってますか?」
彼女の顔はこちらをしっかり捉えているが、盲目のジーニアスである彼女にとって、顔の向きはあまり意味がない。今も、ほぼジーニアスの感覚のみで部屋の状況を感じ取ったのだろう。
「大怪我をしたレオンは当然だが、ステラも魔法で無理をしたんだろう。少なくとも、かなりの長時間使い続けたのは間違いない」
「あの、私が診てもいいですか?」
「こちらから頼もうと思っていたくらいだ。ステラもだが、レオンも診てやってくれないか?どうも、私の理解が及ばないほどの魔法が使われたとしか思えない。ジーニアスとしての意見を聞かせて欲しい」
少なからずリアクションがあるものと想像していたイザベラだったが、フィオナもデイジーもほとんど表情に変化がなかった。逆にイザベラがその事実に少なからず驚かされてしまったが、顔には出さない。
フィオナはさっとした身のこなしでベッドの脇にまで歩み寄る。そして、ステラの脇に跪いてから、彼女の背中に右手を添えた。まずはステラから調子を診るつもりのようだ。
しばらくその様子を眺めていたのだが、やがて腕を組んだまま、デイジーに質問してみる。
「そういえば、リディアやケイトには会ったか?ついさっき、ほとんど入れ違いでここまで来ていたんだが」
小さく頷くデイジー。
「ええ。途中でケイトさんに・・・リディアも来ていたと、その時に伺いました」
「そうか。それでわざわざフィオナを呼んできてくれたのか?」
「いえ。それは、ベティに頼まれたからです。レオンは先生がついてるからまだいいけど、ステラは多分ジーニアスじゃないと手に余ると思うから・・・だそうです」
イザベラは少し自嘲する。
「それは気が利いているが・・・実際は、レオンの方も手に余っている。治療したのは、私じゃなくてステラだ」
その言葉に、デイジーはほんの僅かに頷いただけだった。
さすがに気になったので、イザベラは尋ねる。
「さっきも少し思ったんだが・・・驚かないな?」
「何をですか?」
「私の手にも負えないような怪我を、ステラが魔法で治療したという事に」
そこで初めて、デイジーは目を見開いた。
今ようやく気付いたのかと思ったが、すぐにそうではない事に気付く。そして、自分の勘違いも同時に理解した。
程なく伝えられたデイジーの答えが、イザベラの予測を確信に変えた。
「不思議ではありませんよ。ステラなら不思議ではありません」
何故か、溜息が出る。
そうか。
そういう事か。
そして、ベッドへと視線を向けた。
フィオナが少し身を乗り出して、今はレオンの左肩に触れているようだ。他の2人はまだ起きる気配がない。
「・・・それは、フィオナの意見か?」
再び視線を戻すと、デイジーは少し微笑んでいる。
「いえ。私の勝手な印象です・・・ですけれど、ベティもリディアも同じだと思いますよ。レオンさんが凄く強くなりましたから、ステラもきっとそうだろうって、皆思っていたはずです」
「そうか・・・」
なるほどと、イザベラは心中で頷く。
どうやら自分が知らなかっただけらしい。確かに、2人だけなのによく頑張るなとは思っていたが、きっとそれは慎重だからだろうと思っていた。ファースト・アイの攻略にしたって、恐らく牛歩のように遅々とした歩みをみせているのだろうと思いこんでいたのだ。
しかし、実際は既にクリアするところまで来ていたのだ。
それならば、確かに納得だ。
これは才能なのだろうか。それとも努力の結果なのか。
イザベラはそこで小さく息を吐く。
どうでもいい。
才能があろうがなかろうが、努力していようがいまいが、命を落とす時は一瞬だ。帰ってこなかった冒険者達のように、レオンやステラがある日突然いなくなる事も十分あり得る。
どんなに強くても、どんなに幸福な人間でも、それは同じ。
何故か、無性に腹が立ってくる。
どうしてだろうか。
誰に対してだろう。
無理をした見習いに対してなのか。
いつまでも2人のままダンジョンに行かせていた酒場の大男に対してか。
或いは、その現実をどうにも出来ずに甘んじている自分に対してか。
だけど。
ずっと、ここにいるのだろう。
前世でもそうだ。ずっと帰らない夫を待っていたではないか。だからこそ、今の夫にプロポーズされた時に、柄にもなく涙ぐんでまで、決して1人にはしないで欲しいと頼んだのだから。
それでも、自分は待っている。
ずっとずっと。帰らないと分かっている人達を。
惰性でも、宿命でもない。
きっと、もっと純粋な動機だ。
やがて、ベッドの方からフィオナが戻ってきた。
「レオンさんの方は、とりあえず大丈夫だとは思います。腕は少し後遺症が残るかもしれませんけど・・・」
表情を変えずに、イザベラは尋ねる。
「具体的にどれくらいの後遺症だ?」
「とりあえず、傷痕は残ります。肝心の動きの方は、日常生活に支障がない程度なら回復すると思いますけど、冒険者として活動出来るのかどうかは、ちょっと私には・・・」
少し目を細めて、イザベラはさらに尋ねる。
「それでも意見が聞きたい。そうケイトが言ってなかったか?」
ところが、そこでフィオナはあっさりと微笑んだ。
「いえ・・・多分大丈夫だと思うんです。ステラがついていますから、日にちはかかっても治すはずですから。ですけど、実際に治すのは私ではないですから、無責任に楽観させるような事は言いたくないだけです」
つまり、フィオナでも治せない傷がステラには治せると、そういう事らしい。
改めて聞くと、なかなか末恐ろしい子だ。
未だベッドに伏せたままの金髪の少女に視線を送りながら、イザベラはそんな感想を抱いていた。
そして、そのステラのパートナーが、ベッドで仰向けに寝ている少年。
彼も、最初は頼りない少年でしかなかったのだが。
再びイザベラの口から息が漏れたところで、フィオナの声が聞こえてくる。
「それよりも大変なのはステラの方ですよ。今日は多分起きません。よっぽどの無茶をしたんだと思いますけど・・・」
「・・・そうか」
今日はという事は、明日にはきっと目覚めるのだろう。それくらいの待ち時間なら、待つうちには入らない。
むしろ、その程度で済ませてくれた事に、しっかりと生きて帰ってくれた事に、感謝するべきなのかもしれない。
「分かった。ありがとう」
その言葉は、フィオナやデイジーはもちろん、ベッドにいる見習い組にも向けられたものなのかもしれない。
しかし、そんな発想も、イザベラの頭の中では一瞬しか形を持ち得ない。ずっと何かを延々と考え続ける事なんて、あまりいいものでもないと分かっているのだから。
とりあえず、ベッドがもうひとついるな。
そんな現実的な思考に切り替えながら、イザベラは今日もまた待ち続ける。
帰ってきた者も、そして帰ってこない者も。