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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第7章 リトレイン・シーズン
74/114

大器の欠片



 ステラ達がビギナーズ・アイに行っている間、町ではエマによる絵のモデル交渉が進んでいたようだ。エマにとっては幸運な事に、ベティから条件付きながらも承諾が得られたので、理想へかなり近づいた事になる。後はデイジーとリディアだけ。しかしながら、リディアに関して言えば、実はベティ以上の難敵かもしれないとステラはこっそり思っていた。確かにシャイな一面もあるリディアだけれど、それ以上に、彼女はとても仕事熱心だからだ。

 昼間は比較的時間に余裕があるベティはもちろん、デイジーはまだ祖父や両親の仕事を補佐する立場でしかないようなので、それほど多忙というわけではない。しかし、リディアはそういうわけにはいかなくて、接客はほとんど1人でこなしているし、武器や鎧の細かい装飾なども任されているし、さらに、受注や発注の事務処理なども母親と手分けしてこなしているらしい。それだけの仕事を毎日テキパキと、そして黙々と続けながらも、仕事が楽しいと堂々と口に出来るリディアは、ステラの目から見ても、とても綺麗で格好いい女の子だ。

 そういう人だから、エマが頼みに行ったとしても、もしかしたら取り付く島もなく断られるのではないかと思っていた。少なくとも、仕事があるから、という一言がとても似合うというか、その言葉の比重がとても大きいのは間違いない。ベティのような強さとは違うけれど、リディアの中性的な顔立ちは、簡単には譲らないという芯を感じさせる。あの明るい瞳にまっすぐに見据えられて、ただ仕事が大事だからと素直に口にされてしまっては、向こうが正論なだけに、手の打ちようもない。

 だから、正直言って、ステラはエマの絵の事をあまり真剣に考えてはいなかった。それよりももっと頭の中を占める事があったというのもある。それは即ち、魔法についてより理解を深めるという事だった。

 新しい知識を得る度に、夢の中でのサイレントコールドの感覚をそれと照らし合わせてみる。今まではただ漠然とした印象でしかなかったものや、ただの気分や感情的な心の機微でしかないだろうと思い込んでいたものが、実は魔法の制御の上で意味があったり、威力や速さを調整する上でとても重要だったりする。そういった事に気が付く度に、自分の魔法にそれが生かせないか考えてみる。そして、時にはそれを発動直前まで実行してみる。それで時折成果が出ようものなら、身体が飛び上がりそうになるほど嬉しい。だから、もっと新しい知識を得たくなる。その繰り返しだった。

 特に、エマの笛によって得た感覚と、シャロンが見せてくれた魔法相殺には、ステラの深層意識を変える何かがあった。具体的に説明出来るほど、ステラはまだ理解しきれていないものの、前者は自分の実力以上の場所に無理矢理連れ込まれたような体験で、後者はその境地へ至る道筋のヒントを示してくれた。そんな感じかもしれない。

 だからステラは無我夢中で勉強した。

 ほとんど一日中本を読んでいた日も珍しくない。時には、ハワード先生やシャーロットに教えて貰いながら、またある時には、フィオナに手伝って貰いながら、ステラは寝る間も惜しんで勉強した。元々勉強嫌いというわけではなかったものの、特別秀才だったというわけでもない。学校ではジーニアスという事で注目される事もあったけれど、本当に大した事のない成績だったから、期待外れだと陰口を叩かれる事もあったくらいだ。

 そんな自分がこんなに夢中で勉強出来るなんて、本当に分からないものだ。

 ただ、やはり慣れない事はしない方が良かったらしい。

 無理は禁物というだけかもしれないけれど。

 それに気付いたのは今日の朝。予兆はまさに目覚めた直後からあった。

 ベッドの上で目を開いたステラの視界は、何故か霧がかかったようにぼやけていた。

「あ、ステラ起きた?おはよー」

 ベティの明るい挨拶が聞こえてくる。

 ほとんど反射的に、ステラはそれに応えようとした。身体を起こして、ベティの方を見て微笑んで、おはようと言うだけの事だ。起きた瞬間は眠くて仕方なくても、彼女の明るい表情を見ればこちらもつい嬉しくなって、自然と笑顔になる。それが分かっているから、ここの泊まり始めてから、ステラは前よりもずっと目覚めがいい。

 ところが、今日はその簡単な動作ですら億劫だった。

 どうしてだろう。

 それ以前に、どうして視界がこんなに悪いのか。天井だってよく見えない。

 視覚操作系の魔法は収束型に分類される。最近得たその知識を、ステラはふと思い出した。その一文を読んだ時、すぐにフィオナの目を閉じた顔を連想したのを覚えている。彼女は魔法で視覚を補っているのだから、即ち収束型の魔法を扱っているという事になる。サイレントコールドも収束型の魔法を使っているから、前世から考えても順当だ。そしてもちろん、それは同じ前世である自分にも当てはまる。

 だから、これはもしかしたら魔法の誤作動かもしれないと、最初は思った。

「ステラ?」

 不審さと不安さを少し含ませたようなベティの声。

 応えないといけない。

 早く、応えないと・・・

 だけどそうだ。

 よく考えてみたら、さっきから身体が全然言う事を聞かない。

 こういう経験が以前にもあった。

 確か、あれはずっと幼かった頃。まだ学校に通う前だった気がする。どうして自分がそうなったのか、その前後に何があったのかはほとんど覚えていない。

 でも、確かに覚えている事もひとつだけあった。

 あの温かい手が、ずっと自分の左手を包んでいてくれた事。

 なんだか久し振りに思い出した気がする。

 ここに来てから、ずっと忘れていた。いや、忘れていてたわけではないけれど、敢えて思い出さないようにしていたのかもしれない。

 それはどうしてだろう。

 いったい、どうして・・・

 そんな事を考えながら、ステラは瞳を閉じた。

 最後に認識出来たのは、慌てたようにこちらに駆け寄ってくる足音と、こちらの額に添えられる温かい手の感触だった。

 後は真っ暗。

 まるで夜に浮かんでいるみたいに、何も感じられない。

 ただ時が過ぎていくだけの空間。もしかしたら、時の流れすらなかったかもしれない。

 確実なのは、ステラは何も考えなかったという事。どうしてこんな場所にいるのかとか、いったい今の自分はどうしてしまったのだろうという疑問も一切浮かんでこない。このまま帰れなくなったらどうしようという不安もなかった。

 それは一瞬だったのか、或いはそう錯覚出来ただけだったのか。

 いずれにしても、終わりは唐突にやってきた。

 急に視界が明るくなったと思うと、驚く程クリアに、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。

「過労だろう」

 そもそも簡単過ぎる言葉だったけれど、自分の頭があっという間に理解して意味を吸収出来た事に、ステラ自身が一番驚いた。何というべきか、頭の中が澄み切った夏空のようにすっきりとしている。あまりの抵抗のなさに、今まで必死で蓄積した知識が空っぽになってしまったのかと心配したほどだった。しかし、すぐに頭がその感情に反応してくれて、知識がそれほど欠落しているわけではない事を瞬時に確認出来た。

「本当?でも、この前だって、急にふらっとして・・・」

 その声が、この町で一番聞き慣れている女の子のものだとすぐに分かった。

 ただ、その声がいつになく不安げなのが分かって、ステラの胸は締め付けられるように痛む。

 だから、ステラの口は勝手に動いていた。

「大丈夫」

 目を開けて、顔を少し横に向ける。

 いつも通りのベティの部屋。明るめのブラウンや白い家具が多くて、大きな鏡や化粧台、可愛らしい動物を模した小物などが目立つ、女の子らしい部屋だ。

 その中で立って話をしていたのは、ステラの予想に反して、3人の女性だった。声からベティとイザベラは分かっていたけれど、もう1人、今日は栗色の髪を束ねて横に下ろしているフィオナの姿もあった。

 どうやら、思ったよりも大事になっているらしい。それだけ皆が心配してくれたという事だから、少し嬉しい気持ちはあったものの、やっぱり申し訳ないという気持ちが一番強かった。

 こちらを見て驚いた表情をしていたベティは、すぐに飛びつくように近寄ってくる。

「ステラ!?もう・・・」

 もうの後は彼女の喉の奥に消えてしまった。ただ、ベティが何を言いたいのかは、ほっとしたようでしきれない、そんな彼女の表情を見れば一目瞭然だった。

 見れば、ベティは仕事着ではなく部屋着のままだった。イザベラやフィオナも、ここまで来たにしては軽装だ。着の身着のままやってきてくれたのは間違いない。

「・・・ごめんなさい」

 何を言ったらいいのか分からなかったステラは、とにかくそれだけ口にする。 

「謝るくらいなら、次からは無理をしないように気を付けなさい」

 はっきりとした口調でそう告げるイザベラ。その横でフィオナがいつも通り微笑んでくれたのもあって、ステラの気はだいぶ楽になった。

 するとイザベラは、自前の物らしきバッグを掴むと、簡単に告げる。

「私はこれで帰る。大した事はないと思うが、今日は安静にしなさい。安静というのは、勉強も読書も禁止だ。無理をした分のツケだと思って、今日は心身共に休める事。以上だ」

 聞き取りやすい落ち着きある口調だったものの、有無を言わせぬ力強さも確かにあった。

 言うだけ言うと、イザベラはそのまま部屋から出ていってしまった。

 それを見届けた後、今度は立ったままのフィオナが発言する。

「私が見ててあげるから、仕事に戻っても大丈夫よ」

 もちろん、それはベティに向けられた言葉だ。それを聞いたベティは、フィオナの方ではなくて、こちらの顔をじっと見つめてくる。だから、ステラは精一杯優しく微笑んでみせた。

 ややあって、ベティも控えめに微笑むと、意を決したように立ち上がる。

「お昼には戻ってくるからね。何か食べられそうな物、作ってくるから」

「うん・・・」

 そこでベティは、ようやくいつもの笑顔を見せてくれた。そして、後ろを振り返って、フィオナに対して軽く片手を広げて見せる。

「ごめんね。フィオナさん、よろしく」

「気にしないで。ステラだって、今日だけ休めば、すぐによくなるから」

 小さく頷いたベティは、もう一度こちらを見て微笑んでから、部屋を出ていった。

 軽快な足音が次第に遠ざかっていく。

 その音が聞こえなくなってから、フィオナは丸イスをこちらのベッドの横に持ってくる。化粧台とセットになっている小型の物で、フィオナはその上に静かに腰掛けた。

 ステラは起き上がろうとしたものの、身体にはまだ少し倦怠感が残っていた。イザベラから休んでいるように釘を刺されたのもあるし、ここは大人しくしておく事にする。

 ベッドの上で横になったまま、ステラは言った。

「ごめんなさい、フィオナさん・・・わざわざ来て貰ったみたいで」

 少しだけ首を傾けるフィオナ。こういった仕草がとても柔らかいのが彼女の魅力のひとつだったけれど、今はいつもよりも一層優しげに感じられる。

「そんな事はいいの。それよりも、やっぱりステラ、ちょっと無理をしたんじゃない?」

 その問いに、ステラはすぐに答えられなかった。他の人なら誤魔化せても、タイプの近いジーニアスであるフィオナにはきっと見破られてしまうだろう。

 しばらく考えた後、結局ステラは素直に頷いた。

「・・・はい」

「いくら制御したつもりでも、急な成長に身体はついていけない。新しいものをどんどん取り入れていくのは悪い事じゃないけれど、それが急激過ぎたから、頭も身体も休めなかったんだと思う」

「はい。本当に、その・・・自分でもびっくりするくらいのめり込むというか、夢中になってしまって」

 魔法の理論的な事を実践したいと思った場合、ジーニアスにとって一番身近な題材は、自分の身体という事になる。即ち、自分の身体に治癒魔法を使ってみるという事だ。それなら危険もすぐに察知出来るし、結果も把握しやすい。

 ただし、その場その場ではリスクに対処出来ていても、長期的な危険を詳細まで把握するのは難しい。例えるなら、擦り傷などの怪我はすぐに対処出来るけれど、その傷が後々引き起こす病気までは対処出来ないのと同じだ。それ自体はステラも知識として把握していたのに、今回はその危険性を無視した故の失敗だったという事になる。

 この事を知ったら、ハワード先生はきっと怒るだろうなとステラは思った。彼が先生の顔をしている時は厳しくて、そして容赦なく叱ってくれる。今回の場合、下手をするともっと深刻な事態になっていたかもしれないから尚更だった。

 ただ、フィオナはやっぱりフィオナで、こんな時でもとても柔らかい表情をしている。

「無理はしないでね。でも、自分がよく頑張っているんだって、分かったでしょう?」

「え?」

 戸惑うステラの頭を優しく撫でるフィオナ。

「でも無理はダメ。ステラが頑張っている事は、みんなもう分かっていたんだから。それがどうしても信じられなかったのは、ステラだけ」

 ステラはそっと息を吐いた。

 そして、ふっと微笑む。

 胸が温かかった。それは感動したからというよりも、思い出したからだった。

「・・・お祖母ちゃんみたい」

 思わず呟いてしまったのに気付いて、ステラは慌てて弁解した。

「あ・・・いえ!あの、違うんです。お祖母ちゃんっていうのは、その」

「ステラのお祖母さん?」

 老人扱いされたら怒るのではないかと思ったのに、フィオナは少し首を傾げただけだった。

 そのあっさりとした反応に少し呆気にとられたものの、すぐにステラは答える。

「えっと、その、父方の祖母です。私が小さかった頃から、よく面倒をみてくれた人で・・・」

「優しい人だったみたい」

「え?」

「だって、ステラのような家柄だったら、普通はお祖母ちゃんなんて呼ばせて貰えないんじゃない?」

 本当に、まさにその通りだった。そのフィオナの洞察に感心すると同時に、何かの感覚を共有出来たような気がして、ステラは嬉しくなる。

 そこから、ステラは自分の実家での思い出を話した。

 両親は厳しかったけれど、祖母だけは優しかった事。その祖母だけをこっそりちゃん付けで呼んでいて、それが2人だけの秘密だった事。学校に通っていた頃、その祖母が病気で他界してしまった事。そして、その葬儀でステラは泣きじゃくって、何度もお祖母ちゃんと呼んでしまった事など。

「・・・でも、その時は誰も私を咎めなかったんです。たまに間違えて、母の事をお母さんって呼んでしまう事があったんですけど、そういう時はすぐに怒られるんですよ。でも、その時は母も何も言わなかったんです。私、お祖母ちゃんって呼んだ後、一度しまったって思って母の方を向いたんですけど、何も言われなかったから、堰が切れたみたいに涙が溢れてきちゃって、後はもう何も見えませんでした。その後ずっと、お祖母ちゃんって、ただそれだけ、何度も何度も叫んでいたんです」

 そこでふと、ステラは長々と話し過ぎたような気がした。

 それでも、今誰かに話したいと思っていたのも確かだし、その相手がフィオナで良かったとも思った。祖母が与えてくれていたものをもう一度自分に与えてくれたのは、間違いなくフィオナだったから。

 もしこの町にフィオナがいなかったら、自分はきっと途中でダメになっていた。それに、もしかしたら叔母と会う事もなかったかもしれない。フィオナが叔母の事を覚えていてくれたから、あの邂逅があったのだという、そんな運命的なものを感じる。

 そう、運命だ。

 何故なら、フィオナとは同じ前世で繋がっているのだから。

 フィオナは何も言わなかった。ただいつもの優しい表情でこちらの心を楽にしてくれているだけだ。そしてやっぱり、どこか祖母に雰囲気が似ているような気もした。

 その時、部屋の外から足音が近付いてくる。

 室内の2人は顔を見合わせる。

 ノックの後に部屋に入ってきたのは、リディアとデイジーだった。相変わらずの格好いいモノトーンの服装なのがリディア。シックなロングスカートで、落ち着いた女性らしい印象なのがデイジー。髪も瞳も明るいのがリディア、暗いのがデイジー。並んでいるとその違いが際だつけれど、その実とても仲がいい幼なじみ同士という、ある意味不思議な印象がする2人組かもしれない。

 デイジーの肩の上に何故かソフィが乗っているのにも驚いたけれど、忙しいはずのリディアが来てくれた事も意外だった。そしてやっぱり、少なからず申し訳なかった。

 貴族に混じっても恥ずかしくない上品さで、デイジーが会釈する。

「おはようございます。フィオナさんもいらしていたんですね」

「ちょっとね。イザベラ先生に一応診てほしいって頼まれたから」

「なるほど」

 軽く頷くリディアに微笑んだフィオナは、急に思いついたように言った。

「あ、じゃあ、ちょっと私、一度帰って来ようかしら。昼にはベティが戻ってくるって言ってたけど、ずっとは大変だと思うし。午後になったらまた戻ってくるから」

「いえ、私はもう・・・」

 大丈夫ですと言おうとしたところで、フィオナに頭を撫でられた。それだけで、なんだか大人しくなってしまう自分がいた。

 少し悪戯っぽい笑みを見せて、フィオナは告げる。

「目を離したら、きっとこっそり勉強し出すと思う。リディアとデイジーも、そういう事だからよろしくね」

 大袈裟なくらい重々しく頷く2人。

 それを見届けて、フィオナは部屋から出ていってしまった。イザベラとは違って、止めるタイミングはいくらでもあったものの、きっと何を言っても止まらないだろうと思わせるような、そんな悠然とした雰囲気があった。

 その後、リディアとデイジーは目配せすると、デイジーがイスに、リディアがベティのベッドに腰掛ける。

 2人が落ち着いたのを見計らって、ステラはまず口を開いた。

「忙しいのに、2人とも・・・」

 そこでソフィがデイジーの肩から下りて、トコトコと優雅にこちらの胸の上まで歩いてくる。その場所で丸くなったものの、何故かこちらは見なかった。それほど心配していないという意思表示かもしれない。皆に心配されている今は、それはそれでありがたいけれど、ここまでわざわざ来てくれた時点で、相当心配させたに違いなかった。

「レオンさんから預かってきました」

 静かに微笑みながらのデイジーの言葉で、ステラは急に気になった。

「あの、レオンさんは・・・」

「訓練していますよ。心配されていますけれど、朝は結局ガレットさんとベティに宿場から追い出されたと、そう仰っていました」

 息を吐くステラ。その方がありがたい。彼の訓練にまで迷惑をかけたくはなかった。

「結局、ステラは過労?」

 本当に唐突に、リディアがそう尋ねてきた。

 胸の上のソフィを撫でながら、ステラはどう答えたものか考える。嘘を吐きたくはなかったけれど、あまり心配させたくもなかった。

「うん・・・ちょっと無理をしたっていうか、勉強し過ぎたみたいで」

 そんな風に答えると、リディアはこちらの顔を見ながらはっきりと言った。

「気を付けないと」

 単に心配したというよりも、こちらを諌めるような口調が少し感じられた。

 意識して微笑みながら、ステラは答える。

「ごめんね・・・リディアは凄いね。毎日ずっと働いてるのに、ちゃんと体調管理が出来ているし」

 ほんの少しだけ、リディアも表情を緩めた。

「ううん、出来てない。私もたまにだけど、夜遅くまで仕事をしてそのまま寝ちゃって、お母さんに起こして貰う事がある」

「それ、たまにですか?お祭りの間なんて、毎日大変だったって、私は聞きましたけれど」

 上品に笑いながら言うデイジーを見て、リディアはやっぱりほんの少しだけ、口を尖らせたようだった。

 その後もリディアの昔話が続いて、ステラは随分気が楽になった。心配させたなりの扱いをされると思っていたのに、そんな話題には全くならなかったからだ。

 仕事を覚える為にリディアがどれだけ無茶をしたのか。会話のテーマはその一言で説明出来てしまうものの、2人が実際に話した内容は本当に幅広かった。ずっと同じ時を過ごしてきただけあって、お互いの事はほとんど知り尽くしてしまっているようだ。ステラにはそういう友人がいなかったので、2人の姿が羨ましかったし、憧れる対象でもあった。

 ただ、その話題が一段落した頃、リディアが不意にこちらを向いて言った。

「・・・ちょっと言い過ぎたかもしれない」

 きょとんとしてステラは尋ねる。

「何が?」

「気を付けないとって。確かにその通りだと思うけど、もうちょっと言い方があったかもしれない」

 数回瞬いた後、ステラは軽く片手を振る。

「ううん。全然・・・私こそ、みんなに心配かけちゃったし」

 リディアは急にこちらをじっと見つめてくる。要するに、何か真剣に考えている様子だった。

 ところが、そこでまた来客があった。

「お待たせー。ステラ、お昼持ってきたよ」

 その言葉通り、野菜たっぷりの豪華なお粥のような料理を片手にやってきたのは、もういつもの表情に戻っているベティだった。

「デイジー達も、まかないでよかったらお昼あるけど、どうする?」

 楽しそうに尋ねたのはデイジーだった。

「どんなお料理ですか?」

「うーん、お母さんのオリジナルだから・・・」

「あ、じゃあせっかくですから・・・」

 立ち上がりながらのデイジーからの目配せに、頷きながらリディアも立ち上がる。

 それを見たベティが簡単に言った。

「じゃあ、先に調理場に行ってて。お母さんに話せば出してくれるから」

 驚くほどスムーズに、リディアとデイジーは部屋から出ていってしまった。本当に止める間もなかった。

 ソフィを抱きながら起き上がったステラが、2人のあまりの素早さに戸惑っていると、ベティが微笑みながらイスに座る。

「気を利かせてくれたんだね。私がステラと話をしたかったから」

「え?」

 珍しく照れるようにしながら、ベティは言った。

「あのねー・・・ここ最近の私、ちょっとらしくないと思わない?」

「らしくないの?」

「ちょっとステラの事を心配し過ぎっていうか、ほら、私って、いつも強気で堂々としてるような、そういうイメージあるでしょ?」

 ステラは少し笑いながら頷く。

「そうかも」

 ベティも笑ったものの、すぐに言葉を返す。

「だから、今日とかこの前みたいに取り乱すのって、らしくないと思われてるんじゃないかなって、そう思ってたんだけど」

 今度は柔らかく微笑みながら、ステラは横に首を振った。

「ううん。むしろベティらしいって、そう思う」

 そこで何故か微笑みながら溜息を吐くベティ。まだ料理の入った皿を持ったままだった。

「・・・うーん、まあ、それならいいかな」

「何が?」

「ちょっとね。どうも病気っていうのが、ちょっと苦手なんだ。昔いろいろあったから」

「いろいろって?」

 そこで少しだけ、ベティは悲しそうに微笑んだ。その表情を見て、ステラは自分が手放しに聞き返した事を後悔した。

「あ・・・ゴメンね。やっぱりいい」

「謝る事ないと思うけどなー。レオンにはもう話しちゃったし」

「そうなの?」

 ベティは悪戯っぽく微笑む。

「ステラにも触りだけなら話したけどね。うん、でも・・・せっかくだから、ちょっと昔話しようか。こういう時じゃないと、ゆっくり話せないだろうし」

 急に嬉しくなって、ステラは頷く。こういう嬉しさは久し振りだった。

「私もね、今日思い出した事があって」

「昔話?」

「うん、お祖母ちゃんの話」

 にやりと微笑むベティ。

「よしよし・・・じゃあ、聞かせて貰おうかな。今日は寝かせないからね」

 その言い方が可笑しくて、ステラは少し笑った。

「私、病人なのに?」

「そう。病人なんだよー。だから、しっかり休めるように、リラックスさせてあげよう」

 明るく話すベティ。

 その笑顔につられて微笑んでいたステラは、それにふと気付くと、下を向いて小さく息を吐いた。視線の先には、やっぱり自分を支えてくれている純白の妖精がいる。

 何か言わないといけない。そう考えたステラの脳裏には、いつもの言葉しか浮かんでこなかった。

「・・・いつもゴメンね」

 するとやっぱり、いつも通りの答えが返ってくる。

「いいんだよ。何か悪い事をしたわけでもないし」

 ソフィをしばらく撫でてから、ステラはなんとなく言ってしまった。

「私、やっぱり見習いなんだよね。まだ出来ない事とか、失敗ばかり」

「うーん・・・まあ、そうかな。でも、レオンはもっと何も出来なかったからなー。今だって、まだ私には勝てないし」

 それは少しハードルが高過ぎるかもしれないと、ステラは少しだけ思った。一人前のブレットですら、まだ勝てないのだから。

「でも・・・レオンさんは強いから」

「そうかもね。でも、最初から完璧な人なんていないと思うな」

「うん・・・」

 確かにそうかもしれない。でも、そこで簡単に納得する事は、ステラには難しかった。納得してしまったら、弱い自分はきっと怠けてしまう。今の自分ではダメだと思い込まないと、ずっと弱いままで終わってしまうような予感がした。

 もちろんそうではない人もいる。いつも前向きな彼が、時折眩しく見える程だ。

 だから、今は彼に寄りかかりたくはなかった。彼ならきっと自分まで引っ張っていってくれるかもしれない。でも、そんな関係では、立派な仲間であるとは思えなかった。自分は助けて貰っているのに、彼が挫けそうになった時、自分は何も出来ない。今のままだと、きっとそうなってしまう。

 例え魔法の力がいくら上達しても、これだけはどうにもならない。

 今はその言葉があっさりと受け入れられた。以前はなるべく考えないようにしていた。強くなれれば状況が変わるかもしれないと、そう誤魔化していたのだ。

 でも、違う。

 自分が求めている強さと、魔法の強さには、きっと関係がない。

 どうすればいいのだろう。

 彼が仲間に求めているもの。

 自分が本当に望んでいる強さ。

 それはもしかしたら、ベティやフィオナでも、まだ足りないのかもしれない。或いは、もっと大人な、ガレットやハワードでも不足しているような気がした。

 ステラはこの時、一瞬身体が震えた。

 もしかしたら、彼は、とんでもなく強いのだろうか。

 精神的に傷つく事はあっても、彼が絶望するような状況を、ステラは想定出来なかった。彼でも、たまに悩んだり迷ったりする事はある。でも、それが彼に何か影響を与えただろうか。いつだって彼は何も変わらない。ずっと真面目で勤勉で、優しくて勇敢だ。

 それは彼にとって、一般的な悩みがとるに足らないものだからだろうか。

 つまり、とてつもなく大きな精神を、彼は持っているのかもしれない。

 そう。

 まるで、夢に出てくるあの女性みたいではないか。

 どうしてそんな巨大なものを、まだ16歳という年齢で形成してしまったのか。

 そこで、ステラは気付いてしまった。

 彼には、ないから?

 その時、突然額を軽く叩かれた。

 我に返ったステラが見たのは、ベッドの上に片膝を乗せて意味深な笑みを浮かべているベティの顔だった。

「本当にいい度胸してるよね。あれだけ今日は休養だって言ったのに、また何か一心不乱に考えちゃって」

「あ・・・」

 気まずくなるステラ。

 しかし、ベティは軽く笑う。

「いいよいいよ。余計な事が考えられないように、これから面白い話をしてあげるから。そうだなー・・・私の思い出話とか、そうそう、ホレスと私が出会った話とか興味ない?」

 その名前を聞いて、ステラの顔が熱くなる。お祭りの最終日以来、どうしても、その名前には過敏に反応してしまう。

 ベティは勝ち誇ったように微笑んだ。

「後はそうだなー、お父さんとお母さんの馴れ初め話とか、聞いておいたら参考になるかもね。冒険者と付き合うっていうのがどういう事なのかが、よく分かって・・・」

「あ、あの!私は別に・・・」

 顔を真っ赤にして、慌てて言うステラだったけれど、ベティは笑みを浮かべたまま言葉を続けた。

「リディアのところも、なかなかロマンチックなんだよねー。お母さんは美人だし、お父さんの方も無口なんだけど、やるときはやるんだなーって感じで・・・そうそう。それを聞き出した時のリディアがまた、今のステラみたいに顔が真っ赤で、可愛かったんだけど」

「・・・からかってるでしょう?」

 拗ねたようにそっぽを向いてみせるステラ。

 そこでようやくベティは表情を柔らかくした。

「まあね。でも、気分転換にはいい話でしょ?」

 不機嫌な表情をなんとか維持していたステラだったものの、結局ベティの笑顔には勝てず、ついには吹き出して、頷いてしまう。

「うん」

 満足げに頷いたベティが、明るく告げた。

「よしよし。まだ昼は長いし、ゆっくりお喋りしよう。話題はいっぱいあるしね」

「私はそんなにないけど・・・」

「何言ってるのかなー?貴族の生活ってだけで、相当興味ある話題なんだけど」

 そう言われればそうかもしれない。なかなか普通は体験出来ないのは間違いないからだ。

 結局その日は、ベティとずっと話通しだった。途中でリディアやデイジー、フィオナも戻ってきてくれて、皆の思い出話を聞かせて貰った。もちろん、ステラも自分の事を話した。少し前は嫌な思い出ばかりだと思っていたのに、今はそうでもないなと思えるようになっていた。

 そんな時間だったから、楽しくて、嬉しい。

 それだけだった。そして、それだけで十分だった。

 だから、その日思い付いたいくつかの事を、ステラは綺麗さっぱり忘れてしまった。

 もっとも、それを思い出したのは、そう遠い未来の事ではなかったのだけれど。



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