音色の一端
フィオナの家の裏庭には、色とりどりの花が植えてある。ステラも何度かお邪魔した事があるし、彼女のカーバンクルであるセラにとっても、絶好の昼寝スポットだ。見てももちろん鮮やかだけれど、日当たりがよくて心地いいし、緑のいい香りがするし、憩いの場所としても申し分ない。
目が見えないフィオナが花を育て始めたのは、どうやらハワード夫妻の影響のようだ。2人とも植物や動物が好きなようで、確かに学校にも花は多い。
でも、ステラの叔母のお陰でもあると、フィオナはこっそり教えてくれた。自分がどんな身体をしていても、自分の好きな事をすればいいんだと思えたのは、あの人がそう言ってくれたからだと言う。不利な境遇や障害があっても、途中で悩んだり迷ったりしても、結局自分の生きたいようにしか生きられない。あの綺麗な人がそう教えてくれたんだと告げたフィオナの言葉は、とても優しかった。
自分がした事でもないのに、ステラは不思議と誇らしい。
そしてもちろん、あの綺麗な叔母が眩しかった。
そのフィオナが好きな花でいっぱいの裏庭は、今日も太陽が照って暖かい。この町の夏は本当に過ごし易い。魔法の力で暑さを軽減出来るというのは確かに便利だけれど、もちろん何の代償もないわけではなく、その分だけ精神的に消耗する。避暑地に来てくつろげるのは、普通の人もジーニアスも同じだ。
今日はその裏庭に、5人と2匹が集まっていた。
「なんていうか・・・こういう場所で演奏するのって、あんまり柄じゃないんだけど」
苦笑しながら右手で短い髪を触るエマ。空いた左手には、焼き物らしき白いオカリナが握られている。
花で囲まれた裏庭のほぼ中央に立っているエマに対して、残りの人達は裏口の辺りに集まって腰を下ろしていた。
そのうちの1人、シャーロットはその大きな瞳をエマに向けて、淡々と返す。
「ここはフィオナの家の敷地内。約束通りだから問題ない」
「いや・・・そういう問題でもないけど」
「どういう問題でもいいけど、フィオナがこの場所を提供してくれた以上は文句禁止。異議は即却下」
「・・・まあ、そうだよね」
唖然としながらエマは力なくそう言った。
それもそのはずで、シャーロットが座っているのは、フィオナの膝の上。彼女のフリルの多い白いブラウスと子供らしい容姿に加えて、包容力のある微笑みを浮かべて優しく髪を撫でているフィオナを見れば、だいたいはどういう関係なのか分かってしまうに違いない。さらに、シャーロットの膝の上には水色の妖精、セラがうたた寝をしているので、微笑ましい光景に拍車をかけている。
まるで年の離れた姉妹、もしかすると、母娘のようにに見えてしまうほどの甘えっぷりを、いつもシャーロットは見せつけてくれる。今日も、ここに来て以来、シャーロットはフィオナから1メートル以上離れようとはしない。
その親密な2人組の隣にステラは座っていた。そのなんとも言えないやりとりには、もう苦笑するしかない。時折フィオナの横顔や栗色の髪を見て、その大人っぽい雰囲気に憧れているくらいのんびりとした時間。それと、彼女の青いブラウスがなんとなく気になっていた。襟や袖など端々に白のアクセントが入っていて、どこか都会的な服だったからだ。
そして、さらにその隣には、急遽一緒にきたブラウンのポニーテールの少女、ベティの姿もある。今日のベティは、眩しいくらい白くて袖がほとんどないワンピースを着ている。勝ち気そうな容姿と合わさると、傍目にも涼しげで、そして活動的な印象がする。
彼女の膝の上には、純白のカーバンクルであるソフィが眠っている。先ほどまでは起きていたのに、どうやらあまりの心地よさに勝てなかったようだ。その愛らしさに、ステラは自然と微笑んでしまう。
かく言う自分は、割と地味目なグリーンのワンピースを着ている。つい最近、酒場の手伝いをした報酬のお金で買ってみたもので、自分としては珍しい色の選択だった。今日の朝一番に、まずベティにそう言われて、ここに着いたら、シャーロットはおろか、知り合ったばかりのエマにまで言われた。ルーンの力である程度は色が分かるはずなので、フィオナも心の中ではそう思ったかもしれない。ただ、彼女は服のデザイナーでもあるから、それくらいの事は意外のうちに入らなかった可能性もある。
それらが今日ここに集まった人々だった。
目的はもちろん、エマの笛を聞く為。昔知り合いのお婆さんが教えてくれたという、ジーニアスにとって特別な意味があるという曲を聞かせて貰う為だった。
どうやらその準備が整った。そう思っていたところで、不意にベティが釈然としない表情でエマに問いかける。
「未だによく分からないんだけど、なんでエマはそんなにステラの絵が描きたいわけ?」
「あ、私も聞きたい」
何故かフィオナも賛同する。ステラももちろん知りたかったものの、自分から聞くのはなんとなく恥ずかしいので黙っていた。
右手の指を一本立てて振りながら、エマは意味深に告げる。
「まあね。こう、びびっとくるものがあったんだよねー」
ベティは半眼になって聞く。
「怪しいなー。まさか、裸にしたら売れるんじゃないかとか、そういう話かー?」
突然の疑惑にびっくりしたステラ。
ただ、シャーロットは顔色ひとつ変えなかったし、フィオナは反応こそしたものの、もの凄く薄いリアクションだった。あまり意味が分かっていない感じだ。
エマはというと、どこか呆れたように言い返していた。
「だから笛を吹いてるところだって・・・裸で笛って、どんな絵?」
「別にステラは演奏家ってわけでもないのに、どうして笛なわけ?」
「いや、別にモデルになってくれるなら、どんな格好でもいいんだけど・・・」
「やっぱり裸かー?」
「違うって!いくら私でも、そこまでお金に困って・・・るけど」
ますます疑わしげな視線を送るベティ。
そこでフィオナが口を挟む。
「私も一応デザイナーなんだけど・・・もしかしたら、ステラを見て、何かインスピレーションがあったとか、そういう事なの?」
もの凄い勢いで、エマは頷いた。
「そうそう!そういう感じ!ステラっていうか、ステラのお友達の雰囲気だよね。これから大人の女性になっていくその境界っていうか、その葛藤っていうか、それでも健気に生きてる感じっていうか、そういうのが見えたんだよ。女子の強さとか力、あと、結束とか友情みたいなものが上手く描けるような気がして・・・まあ、あんまり上手くはないんだけど」
最後は少し控えめに告げたエマだった。
フィオナは軽く頷く。
「その気持ちは分からないでもないかも。言葉では上手く説明出来ないけど、そういう感覚を大事にしているのが、きっと芸術家だと思う」
エマは嬉しそうだった。素直な感情表現で、本当に子供みたいに見える
「ですよね!さすがフィオナさんだなー。ほらほら、シャーロットもそう思うよね?」
聞くまでもない質問だった。わざわざエマが尋ねたのは、ここではっきりと味方に取り込んでおこうという意図に違いない。
シャーロットはあっさり頷く。フィオナの言葉に逆らう事なんて、未だかつて一度もなかったに違いない。
ところが、不意にフィオナが言った。
「でも、やっぱり本人の了承を得てからじゃないとダメだと思う。絵のモデルになるのって、内気な人だと結構辛い事だと思うから」
「・・・その通り」
あっさり翻った2人。
あまりに短い間の援軍だったので、エマは半ば呆然としているようだった。
とどめとばかりに、ベティが尋ねる。
「だいたい、それなら私達全員を描くのが普通じゃないの?絵の事はよく分からないけど、友情とかそういうのを表現したいって話だし、ステラ1人だけっていうのがおかしいよね」
「いや、まあ・・・本人には言ったけど、とりあえずステラだけ描いて、その絵を見せて他の人に納得して貰おうかと。だってほら、いきなり説得しようとしても、もの凄い強敵が1人いるわけだし」
そのもの凄い強敵は深々と頷いた。
「まあ止めるよね。動機云々はともかくとして、やり方は完全に絵の押し売りだし」
がっくりうなだれるエマ。
絵を描く権利を得る為の演奏会だったはずが、始まる前からもう望みが絶たれた雰囲気になってしまっていた。
なんとなく可哀想になってきて、ステラはベティに話しかける。
「私、ちょっとくらいならいいかなって・・・」
すぐさまベティは首を振る。
「ダメダメ。こういうのは譲歩したら、どこまでもつけあがるんだから。ステラもこれから先そういう話があったら、心を鬼にしないとダメだからね。情けない男が近付いてきて、可哀想だからって気を許したら、その後絶対酷い目に遭うんだから。分かった?」
「あ、うん・・・」
頷く以外にない。ベティが本気で心配してくれているのは分かるのだから。
ただ、場の空気が居たたまれないのは、やっぱり耐え難いものがある。
そこでフィオナが何か思い付いたらしく、顔の前で両手を合わせる。そんなに大きな音でもないのに、不思議と場の空気が一変した。
「そうだ。それならまず絵を描いて、その出来次第で値段をつけて貰ったら?実物がないうちから交渉するから、揉めるんだと思うし」
エマは力なく笑う。
「普通ならそれでもいいんだけど・・・でも、今回は交渉で勝てる自身がなくて。いざ描いた後に買い取って貰えなかったら、結構辛いものがあるんで」
画材は結構値が張るものだから、それは確かにそうかもしれない。口約束でもいいから、何かしら保険が欲しいと思いたくもなるのだろう。
しかしもちろん、ベティは一歩も退かなかった。こういうところは本当に強い。ステラから見ても、冷たいという印象よりも、世間慣れしていて頼もしい印象が大きい。
「大した絵じゃなかったら買い取って貰えないのが普通だと思うな。というか、お祭りの時も絵を並べてなかったし、本当に画家?」
「いや・・・あの時はもう売れた後だったから」
何度か瞬くベティ。
「売れたの?じゃあ、もっと自信持てばいいのに」
苦笑いしながらエマは答える。
「いつもいつも売れるわけじゃないから・・・それにまあ、どちらかというと、交渉の賜物っていうか、口で売ってる部分もあるよね。絵が上手いかどうかは、自分でもちょっと自信ない」
「・・・画家っていうより、画商向き?」
「一応、旅人かな。結局趣味なんだよね。いろんなところに行って、その土地の綺麗なものを見たいっていう、それだけだから」
フィオナが楽しそうに告げる。
「いいわね。そういう生活って、やっぱりどこか憧れるもの」
エマも嬉しそうに笑った。
「いやあ・・・だからどこに行っても貧乏で」
「それでも楽しそう。自分に素直な人って、素敵だと思う」
今度は照れたように身をよじるエマ。褒められるのは苦手。そう顔に書いてある気がした。
すると、フィオナがベティの方を向いて突然告げる。
「描かせてあげたら?」
瞳を大きくするベティ。ステラも同じ気持ちだった。
優しく微笑みながら、今度はエマの方を向くフィオナ。
「ベティとステラ、それからリディアとデイジー、本当に仲良しなの。一緒にいる私達が元気になるくらい、思いやりのある優しい子達だから、きっとそういう絵になると思う。明るくて温かくて、見る人を笑顔にしてくれるような。だから、いい絵が描けないかもしれないなんて、そんな心配はいらないと思う。貴女らしく、素直な気持ちで素直に描いてみたら、ベティ達もきっと納得してくれるはずだから」
唖然とした様子でフィオナの顔を見るエマ。
そんな言葉をかけて貰えるとは思わなかった。そう言わんばかりの表情だった。
それも仕方ないところだとステラは思う。エマとフィオナが会ったのは、今日が初めてなのだから。初対面の人にここまで言ってくれる事なんて、なかなかない事に違いない。
でも、ステラは改めて思った。
やっぱりそうなんだ。
いろんな土地を巡ってきたエマでも驚くような事。見習いとしてやってきた自分を、ベティやフィオナをはじめとした人々が優しく受け入れてくれたのは、やっぱり珍しい事に違いない。
自分は本当に恵まれている。
今では当たり前のようになりつつあった。でも、それはとても幸運な事だ。感謝すべき事だ。
不意にエマはこちらを見る。嬉しいと寂しいが混ざったような、複雑な表情。彼女の気持ちがなんとなく、ステラにも分かった。この場で分かるのは、きっと境遇が近い自分だけだろう。
でも、分からなくても、この町の人は受け入れてくれる。
「・・・この町の人って、凄いね」
ステラは微笑んだ。そんな意識をしなくても、表情が勝手に綻んだ。
「ええ。とっても」
今度こそ、エマは微笑む。いつもよりも少し大人びた表情だった。
そのままベティを見て告げる。
「というわけだから、今度描かせて貰っていい?あ・・・デイジーさんとリディアさんのところには、あとでちゃんとお願いにいくから」
ベティは少し躊躇ったものの、結局最後には諦めたように微笑む。
「私は嫌いじゃないから別にいいけどねー。デイジーも多分大丈夫。でも、リディアが嫌がったら拒否するからね。リディアはちょっと、なんていうか・・・容姿にコンプレックスがあるんだよね」
「え・・・あんなに綺麗なのに?」
「そういうのが嫌っていうか、まあ、昔から変な男によく絡まれる事があってねー」
「ああ・・・うん、分かった。了解了解。そう言われたら、確かにそういう雰囲気だよね」
変なやりとりだったけれど、不思議と会話は成立しているようだった。ステラもなんとなくなら理解出来た。でも、それはリディアの事をよく知っているからに違いない。あまりよく知らないはずのエマが理解出来たのは、つまりそれだけ察しがいいという事だと思う。
そこでベティが眠ったままのソフィを抱き上げる。
「さて・・・じゃあ、話もまとまったみたいだし、私は帰ろうかな。ステラはどうする?フィオナさんに治癒魔法の練習に付き合って貰うなら、先に帰ってるけど」
「あ、うん・・・じゃあ、せっかくだし。あ、実はシャーロットに聞きたい事があって」
セラの背中を撫でながら、シャーロットは顔だけこちらを向けた。
「何?」
「ルーンの原理のところで、ちょっと分からない事が・・・」
「あ、そうだ。フィオナさん、明日なんだけど、また来てもいい?久しぶりに何かお裾分けしようと思って。今日ついでに持ってくればよかったんだけど、朝ちょっと忙しくて・・・」
「そんなに気を遣わなくていいのに。いつもごめんなさいね」
「いいのいいの。私の料理修行っていうか、花嫁修業みたいなものだから」
「ベティって本当に料理上手よね。時間がある時でいいから、今度私に教えて貰えない?」
「あれー、フィオナさん、もしかして、結婚したい人でも出来た?」
「え!?本当ですか?」
驚きのあまり、ステラが大声を出したその時だった。
「ちょっと待った!」
言われた通り待つ4人。
ところが、しばらく待っても何も起きないので、4人は揃って、その声の主、つまりエマの方を向く。
エマは怖ず怖ずと尋ねてくる。
「あのー・・・皆さん、今日の集いの趣旨をお忘れではないでしょうか」
顔を見合わせる4人。
「とにかく場所を貸して欲しいって・・・」
「よく知らないけど、ステラが困ってるっぽかったから、私がはっきり言ってやろうって来ただけなんだけど」
「シャーロットとエマさんがほとんど話を進めていたので・・・」
「・・・フィオナの家に来た。それが全て」
結局のところ、誰も答えられなかった。
思いっきり脱力してから、エマは持っているオカリナを示す。
「私・・・一応、昨日練習したんだけどな」
なんとも言えない沈黙があったものの、ベティがあっけらかんと答える。
「笛がどうとか聞いてはいたんだけど、そんなに重要な事だったの?てっきり、モデル交渉の為のご機嫌とりだと思ってたんだけど」
あんまりな言い方だったけれど、正直なところ、ステラもあまり重要とは思っていなかった。よく分からなかったの方が近いかもしれない。そもそも、特別な意味があるかどうかなんて、聞いてみないと分からないのだから。
エマは少しショックを受けたようだった。
「結構練習したのに・・・」
うなだれるエマを見かねてなのか、フィオナはまた両手を合わせる。それだけで場の空気が軽くので、本当に魔法の動作だった。
「せっかくだから聞かせて貰いましょう」
フォローなのかどうなのか、結構微妙な台詞だったものの、エマはなんとか持ち直す。半ばやけになったというか、開き直ったの方が近いかもしれない。
「・・・まあいいや。とりあえず、絵の方は希望が見えたんだし」
そう呟くや否や、エマはオカリナに口を付ける。
その直後、素朴な笛の音が響きわたった。
メロディーはとても単純で、練習や音合わせと勘違いされてもおかしくない。
ただ、ステラは不思議な感覚に囚われた。
音が頭の奥に染み入る。
そして渦を巻く。
視界が揺れるような感覚。
はっきり言って、気持ち悪かった。
ところが、その時になって異変に気付く。
身体が動かない。
確かに意識は身体の中にあるのに、身体が言う事をきかない。自分の身体が別人のもののように感じる。肉体と精神のリンクが外れてしまったような感じだ。
怖いと思った。
このままだと帰れなくなる。元の身体に戻れなくなる。そんな恐怖が襲ってくるのに、口が動かない。声が出ない。ますますステラは混乱した。
笛の音は止まらない。
いつの間にか、身体は勝手に目を閉じている。
それを意識した頃、ステラはもうひとつ気付いた事があった。もっとも、暴れるような恐怖のせいで、ほとんど無意識にしか認識出来なかったけれど。
夢に似ている。
自分がサイレントコールドになっている、あの時の感覚によく似ていた。
今の自分は、自分になっている。
自分の夢を見ている。
もしかしたら、来世の自分という事になるのかもしれない。
転生した自分が見る夢に近いのだろうか。
そう考えた時、ステラは気付いた。
ああ、そうか。
そういう事か。
これが夢という事は、つまり・・・
その時。
声が聞こえた。
「ステラ!」
その一瞬で、まるで歯車が噛み合うように、ステラの身体が動くようになった。
いつの間にか目も開いている。
飛び込んできたのは、必死な形相をしたベティの顔だった。
「あ・・・」
何か言わなければいけないと思ったけれど、すぐに声が出なかった。声だけは時間がかかるようだ。
こちらよりも先に、ベティが溜息を吐いてから口を開く。ただ、口調がまだ動揺しているのが分かった。
「もう・・・本当に、油断したらどこかに消えちゃうんじゃないかって、最近、そんな心配ばっかりするんだから」
その一言と、ベティの不安げな表情を見て、やっぱり心配させていたんだと改めて思い知る。変な男達に連れ去られそうになったという話は、いくらベティでも、少なからず不安が尾を引いているに違いない。
気付けば、ステラはベティに身体を支えられている状態だった。感覚がなかったから分からなかったけれど、身体は勝手に倒れそうになっていたようだ。
ステラは身体を自分で起こしてから、精一杯優しく微笑む。
「ありがとう」
何か言い掛けたベティは、それを飲み込んでから、なんとか微笑む。
「そうそう。私が意地でも起こさないといけないって、もう必死だったんだからね。私の声、聞こえたでしょ?」
「うん・・・」
そこですぐ近くから、エマの声が聞こえてくる。
「おかしいなあ。別に魔笛でもなんでもなくて、普通の音色なはずなんだけど」
ふとそちらを見ると、フィオナが身体を起こしているところだった。シャーロットとエマが支えていたらしい。2人とも心配そうな表情だ。
つまり、フィオナも同じ感覚に陥ったようだ。
そう思った瞬間、フィオナがこちらを向いて尋ねてくる。
「・・・ステラも見えた?」
その言葉を聞いた時、ステラの仮説が確信に変わった。
「はい。あの、これって・・・」
ステラの言葉よりも先に、フィオナは微笑む。
「演奏して貰ってよかったみたい」
「え?」
聞き返した直後、鳥肌が立った。
以前ですら圧倒的だったフィオナの魔法的感覚。
今はそれがさらに濃くなっている。
そんな変化に、フィオナはもちろん気付いているはずだ。でも、彼女は本当にいつも通りだった。いつものように、優しく語りかけてくる。
「いくら見えたからといって、それが理解出来ないと意味が薄い事もある。ステラはちゃんと理解出来たんだから、それは今まで頑張ってきた成果だと思う」
「・・・はい。ありがとうございます」
まさに必要十分な言葉だ。
つまり、どういう事なのか。ステラは一瞬で把握出来た。
そこでベティが尋ねてくる。
「結局、何の話?」
「えっと・・・」
フィオナに抱きつくシャーロットと、その頭を撫でるフィオナ。それを傍らで見つめるセラとエマ。
それを眺めながらどう説明しようかと考えていると、不意に肩に慣れた感触があった。
その紅い瞳に微笑んだところで、ステラはようやく答えを見つけた。
「魔法やルーンを使う上で大切な事というか、基本があるんです。一言で表現するなら、それは流れを読み取る事なんですけど、あの笛の音で少し分かったというか、理解出来た事があるんです。具体的には・・・いったいどこまでが自分なのか、そして自分の本質がどういうものなのかが見えたというか、いえ、なんとなく確信させてくれたというか、えっと、そんな感じなんですけど」
ベティは苦笑する。
「全然分からない」
ステラも苦笑する。
「ですよね。えっと・・・」
「まあいっか・・・とにかく、ステラやフィオナさんはもう大丈夫なんだよね?」
「多分・・・」
にやりと笑うベティ。こちらもいつもの表情が戻ってきたようだった。
「誰かさんが命拾いしたみたいだねー。何か後遺症でもあろうものなら、いくら女でも容赦しないと思ってたところだったんだけど」
その誰かさんの背に鳥肌が立ったようだった。少し可笑しくて、ステラは微笑んだ。
でも忘れてはいけないので、心にしっかりと書き留める。
自分は身体に囚われていた。
気付いてみれば何でもないような事かもしれない。それでも、もしかしたらこの新しい感覚があれば、自分の魔法をもう一段階引き上げてくれるかもしれない。
身体の中には整然とした流れがある。その内と外を分けるのがルーン。
それが今までの認識。
でも今は違う。
まだ漠然とはしていたけれど、ステラの青い瞳の中には、その先にある新しい認識が確かに根付いていた。