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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第7章 リトレイン・シーズン
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遅れてきたナイト

 夏祭りが終わると、あの喧噪が嘘だったかのように人が少なくなっていった。ベティ曰く、静かに過ごしたい家族連れなどはこれからやってくる事もあるそうだが、それはかなり少数派で、さらによっぽど物好きでもないとガレット宿場には泊まらないらしい。結局のところ、ユースアイの人々の大多数にとっては、あの1週間でお祭りは終わったという事になる。

 遠くに見える山や草原もそして空も、今は濃く色を深めて、夏の雰囲気を演出している。しかし、それもあと1ヶ月は保たないだろう。すぐに冷たい風が吹き始めて、木々の葉は緑を脱ぎ捨てて衣替えを始める。それをはっきり確認出来る頃になったら、もう長い冬は目の前だ。

 本当に1年は短い。

 ゆっくりしてはいられない。いろいろあったお祭り期間中だが、十分気分転換にはなった。これから心機一転、また目標に向かって進まなければならない。

 とりあえずは、ステラに提案した通り、2週間の訓練期間をもうける事にした。今の自分はあまりにも力不足、もとい威力不足だ。ステラの魔法に任せきりでは、彼女の動きが制限され過ぎる。この2週間で何か新しい武器をマスターするのは難しいが、せめて糸口は見つけなければならない。

 そう思って、まずは訓練所のアレンに相談しにいく事にした。剣が専門とはいえ、やはり武器の事といったら彼だろう。デイジーも同じくらい詳しいのだが、聞いていいようないけないような、少し複雑な感が否めないし、それに酒場の手伝いから解放されたばかりで疲れているだろうから、とりあえず遠慮しておく事にした。

 ところが、そんなレオンの予定はあっさり覆された。

 固い土の広場。快晴の訓練場。

 両手に小さめの剣を握ったレオンの5メートル程前方で向かい合うのは、訓練用の剣と盾、そして簡易鎧を身に着けた、逞しい青年。

 その彼はこちらに剣の切っ先を突きつけて、心底嬉しそうに微笑む。

「やっとこの時が来た。覚悟は出来ているか!」

 1人盛り上がっているブレットには悪いが、レオンは尋ねずにはいられなかった。

「・・・また今度じゃダメかな」

 ブレットはすっと剣を横に払う。

「往生際の悪い事だな。いくら先延ばしにした事で、僕達が決着をつけなければならない関係である事には変わりない。いや・・・本来ならば、もっと早くに雌雄を決しておくべきだった。そうしておけば、無駄な被害を生む事もなかったのだ。僕とした事が、時期を見誤るとはなんたる不覚だ」

「被害って・・・」

「今更何を言っても遅い!まさか、この期に及んで自分が無実だと、そんな苦しい言い訳を重ねる気ではないだろうな?」

 目を細めてくるブレット。しかし、レオンはつい最近、この何百倍も強烈な殺気を何度か経験したばかりなので、正直全く動じなかった。

 しかしながら、毎度の事ながら、何を言っても会話になりそうもない。

 レオンは無言のまま左を向いた。

 そこにある簡易休憩所に座っているのは、長身の青年と淑やかな少女。こちらの物々しい雰囲気とは打って変わって、2人は和やかに会話しているようだった。少女の膝の上でソフィが丸くなって眠っているのが、より一層穏やかな雰囲気を強調している。

 邪魔をしたら悪いのかもしれないと少しだけ思ったが、レオンは意を決して声をかける。距離は10メートル程度だから問題なく聞こえるだろう。

「・・・アレンさん、あの、止めて貰えるとありがたいんですけど」

 アレンはこちらを向いた。彼は普段から鋭い眼光をしている。だが、殺気のような冷たさはなく、ただ純粋に鋭い視線。小細工や駆け引きのない真っ直ぐな彼の剣を象徴しているような、そんな鋭さだ。

 そんな彼だから、次の彼の言葉も冗談などではなく、掛け値なしの本気なのだ。

「別に問題はない。休み明けの肩慣らしだと思えばいい」

 呆気にとられるしかないレオンだったが、なんとか言い返す。

「・・・向こうは決闘だって言ってるんですけど」

 彼くらいの実力があれば肩慣らしで済むかもしれないが、自分だとそんな余裕は微塵もないだろう。逆に怪我をしてもおかしくはない。

 そこでブレットも口を出してくる。

「僭越ながら、アレンさんは僕の実力を過小評価していらっしゃるようだ。去年の僕ならいざ知らず、一人前の冒険者として数々の死闘を潜り抜けてきた今の僕が本気を出すのです。この半人前の見習いが肩慣らしで済むような状況など、まずあり得ませんね」

 遠回しに骨の一本でも折ってやると言われているような気がしたが、アレンの口調はいつも通りだった。

「面白い。培った実力とやらを見せてみろ」

 そこまで言うなら代わって欲しい。そう思わずにはいられないレオンである。

 ソフィの背中を撫でながら、微笑んで話を聞いていたデイジーだったが、そこで初めて口を挟む。彼女はもちろん、町の少女達は皆私服姿に戻っている。今日のデイジーは空を映したような青色の涼しげなワンピースを着ていて、胸には昨日レオンがプレゼントした白いブローチを着けていた。そんな約束を昨日したのか、ベティやステラも着けてくれていた。いざ着けているところを見ると、なかなか気恥ずかしい。

「私ははっきりとは存じ上げていないのですけれど、リディアとステラを賭けての決闘という事でよろしいのですよね?」

 なんとも不思議な話だが、レオンにもよく状況が分からないので答えようがない。そもそも、人を賭けるというのはどういう意味なのか。そんな賭けが成立しうるものなのだろうか。ここでどちらが勝ったところで、リディアやステラに何か影響があるとは思えないし、そもそも2人は誰の所有物でもない。彼女達にとっては、ここでどちらが勝つかなんて事は、隣町の子供達がするジャンケンの勝敗くらいどうでもいい事だろう。

 いったい自分達は何を争っているのか。どうしてブレットはここまで盛り上がれるのか、もはや謎でしかない。

 そんな置いてきぼりのレオンをよそに、ブレットは重々しく頷いて答える。

「その通りだ。それくらいの重大な意味がこの決闘にはある」

 デイジーは優雅に微笑む。

「それは結構な事ですけれど・・・仮にブレットが勝ったところで、リディアやステラにはもっと頼もしいボディガードがついていますよ。ここで決着をつけたら、今度は彼女に挑戦するのですか?」

 ブレットが凍り付いたように動きを止める。

 相変わらずよく分からない話だが、デイジーがいう頼もしいボディガードが誰の事なのかはよく分かる。そして、きっとブレットでは勝てないだろうという事も。

 どうやら遠回しに決闘を回避させようとしてくれているようだ。デイジーの気遣いにレオンは心の中で感謝した。

 しかし、それでもブレットは立ち直った。

「・・・いや、そこまではまだ考えなくていいだろう。今日はとりあえず、どちらが上かはっきりさせる」

「そうですか・・・それではしっかりと見届けさせていただきます」

 あっさり引くデイジー。どうやら、ただの気遣いではその程度が限界だったらしい。内心がっかりしたレオンだが、ある意味仕方ないところだろう。

 そんな事など露ほども気にした様子もなく、こちらに再び剣を突きつけながら、ブレットは心底嬉しそうな笑みを浮かべる。

「さあ、そろそろ覚悟を決めて貰おうか。君の無様な負け姿を、デイジーがしっかりと見届けてくれると言っている。これ以上ないくらい相応しい証人がいる事に感謝するんだな」

「・・・証人に相応しいかは分からないけど、見物人ならたくさんいるけどね」

 うんざりしながらも、レオンは周囲を見渡す。リディアやステラ、それにベティといった当事者こそいないものの、人の数自体は多い。その大部分は子供で、ここに剣を習いにきている生徒である。彼らも訓練中だが、さすがにこれだけ派手に口上していれば、何事かと気になって仕方ないのだろう。ちらちらとこちらを見ている。

「レオンさんやブレットの腕前でしたら、だいたいは武術大会の時に明らかになっていますけれど」

 そのデイジー呟きに、また気まずそうに黙るブレット。レオンも黙るしかない。2人とも1回戦負けなのだ。ここで腕を競ったところで、最下位決定戦くらいの意味しかない。

「・・・止めない?」

 あまりに得るものがなさ過ぎるので、レオンの本音はその一言以外の何者でもなかった。

 しかし、ブレットは意固地だった。

「いいからやる。君もいい加減覚悟を決めろ!」

「覚悟って言われても・・・得るものも失うものもないわけだし」

 ブレットの頬の辺りがひきつる。

「・・・この期に及んで、君はまだそんな事を言っているのか。やはり君にとっては、リディアもステラもその程度の存在という事だな。そんな気持ちで手を出したというわけだろう!?」

「手を出したって・・・」

 そんなつもりはないと言おうとしたが、ブレットは急に神妙な顔つきになる。

「僕には分かる・・・彼女達はきっと陰で泣いているぞ。君のような奴がいるから、そんな居たたまれない事になる!」

「う・・・」

 気圧されて押し黙るレオン。確かに、自分の不甲斐なさのせいでステラを泣かせてばかりなのは間違いない。リディアを気付かないうちに傷つけている可能性も、もしかしたらあるのかもしれない。

 ところが、そこでデイジーがフォローしてくれる。

「レオンさんは2人の事をよく気遣って下さっていると思いますよ。2人とも面と向かっては言いませんけれど、感謝していると思います」

 思わずデイジーの顔を見る。いつもの優しい表情。こちらの心まで包み込んでくれるような、本当に花のような微笑み。

「・・・すいません。ありがとうございます」

「いいえ。こちらこそ、いつもよくしていただいてありがとうございます。昨日はこんな物までいただいてしまって・・・」

 ブローチを軽く指で撫でるデイジー。

「本当にいい思い出になりました。もちろん、私だけではなくて、リディアもステラも、そしてベティも・・・あんなベティの表情、久しぶりなんです」

「え?あんなって・・・」

 いつも通りの屈託ない、ある意味素直な笑みだった気がする。

 デイジーは意味深に微笑む。

「慣れないと分からないかもしれませんね。でも、私はずっとベティと一緒にいますから分かります。あ、でも・・・もしかしたら、ホレスさんがいたからかもしれませんね。昨日は、ベティにとっては戸惑ったり嬉しかったりで、忙しい1日だっと思いますよ」

 そんな印象はまるでなかったレオンである。どちらかというと、昨日はステラが戸惑っていた印象が強かった。印象というか、あれだけ人間の顔が真っ赤になるのを初めて見たからである。

 そこで、急にデイジーが悪戯っぽく微笑む。

「・・・余計な事を言ったかもしれませんね。ええ、でも、事実ですから」

「はい?」

 彼女は答えずに、すっと視線を横に外す。

 その視線をレオンも追ってみて、そして気付くや否やたじろいだ。

 これ以上ないくらいの冷たい視線で、ブレットがこちらを睨んでいたのだ。

「・・・何?」

 それだけ絞り出したレオンに、ブレットは憮然としたまま呟く。

「甘かった・・・デイジーはしっかりしているから問題ないと思っていたが、まさかそこまで触手を伸ばしていたとは」

「いや、あの・・・」

「しかも、よもやベティまで・・・ただの見習いだと思って高をくくっていたが、とんだ手練れという事なのか。あのベティに手を出して無事でいられるとは。しかも、それをしたのがこんな冴えない見習いだとは、にわかには信じられない。いや、もしかしたら、そもそも見習いというのからして偽りの姿か」

「えっと・・・」

 とりあえず、何か誤解しているのは間違いない。その誤解を解かなければならないと分かってはいるのだが、そんな冷静にはなれなかった。

 ブレットの目が完全に据わっていたからである。

「・・・とりあえず、この剣の錆になって貰おうか」

 そんな言葉を、練習用とはいえ物騒な物を構えながらにじり寄ってくるブレット。正々堂々とかいう概念は、既に捨て去ってしまっているらしい。

 後退しながらも、レオンは怖ず怖ずと言った。

「お、落ち着いた方が・・・」

 じわじわ近寄りながらも、ブレットは答えた。

「心配しなくても、僕はこれ以上ないくらい落ち着いている」

「だったら、話し合えば分かりあえると・・・」

「君はデイジー達4人にプレゼントをした。そうだろう?」

 突然の質問だったが、レオンは反射的に答える。

「え?あ、うん。そうだけど・・・」

 するとブレットはすぐに言い放つ。

「あっさり認めたな。もう誤魔化すのは諦めたという事か。覚悟は出来たな」

 レオンは多少焦る。いつ斬りつけてきてもおかしくない。そんな雰囲気だった。

「いやいや!その、ただ日頃の感謝を込めてと思って・・・」

 ブレットは微笑んだ。目は笑っていなかったが。

「言い訳が下手過ぎて呆れる。そんな話があるわけない」

「・・・え?」

 これっぽっちも言い訳ではないのだが。

「お世話になっているというなら、他にいくらでもいるだろう。君はガレットさんにも同じようにプレゼントしたのか?」

「いや、それは、イザベラ先生に違うって言われて・・・」

 また目を細めるブレット。

 その瞬間だった。

「忌々しいその減らず口から静かにしてくれる!」

 声が最後まで聞こえたわけではない。

 一瞬でブレットは間合いを詰めていたのだ。

 レオンは咄嗟に構えたが、少し遅い。

 彼は既に剣を振りかぶっている。

 狙いは頭。

 手加減とかは本当にないようだ。

 もちろん慌てたレオンだが、頭は勝手に状況判断していた。相手の方が得物は長いし、そもそも防御は捨てて殴りかかってきている。後退しても避けられないし、今からでは、カウンターを狙っても相手の勢いと体格に負けてしまうだろう。

 タイミングを見計らって、ほんの一歩左にかわす。

 ところが、ブレットは本当に冷静だった。

 勢いが弱まったところで当て身する算段だったのだが、彼はそれを完全に読み切っていて、こちらの身体に盾をぶつけてきたのである。

 その位置が鳩尾あたりだったので、レオンの息が止まる。

 しかし、それでも咄嗟に後方に跳んだ。

 その残像をブレットの右足が掠めていく。追撃の蹴りである。

 全然騎士でも剣士ではないな。

 そんな事を考えている間には、ブレットはすぐに間合いを詰めてきていた。

 この時には、レオンも吹っ切れていた。

 向こうは本気なのだ。本気でこちらを痛めつけようとしている。意味不明な誤解のせいなのだが、それでも本気なのは疑いようがない。

 手加減していては、怪我をするのは間違いない。

 迎え撃つ。

 腹が決まれば、レオンの行動は早かった。

 相手の歩調を読んで、こちらから打って出る。

 左の剣で牽制すると、彼はそれに剣を合わせてきた。

 このまま右手の剣を使っても、向こうの盾に防がれるだけ。

 レオンは左に回り込もうとする。それが出来れば相手は盾が使いにくい。いずれにしても、こうやって相手を揺さぶらなければ勝ち目はない。

 ところが、ブレットは強引に盾をかざして身体を押しつけてくる。

 押さえ込む気だ。

 こちらの足を止められては困る。レオンは右手の剣で相手の肩を狙う。牽制によって間合いを開くのが目的だった。

 しかし、ブレットは構わず突っ込んできた。

 驚くレオン。

 剣が彼の肩に当たり、鈍い音がする。

 彼が顔を僅かにしかめた、それを律儀に確認してしまったのが間違いだった。

 また腹部に衝撃。前と同じように盾をもらったのだ。

 反射的にレオンは退く。

 だが、咳込みながらも気が抜けない。ブレットの追撃は既に始まっているのだ。

 なんとも荒々しい。これが彼の戦闘スタイルなのだろうか。自分が傷つくのも構わず、攻撃の手を緩めない。アレンの戦い方とは明らかに違うが、彼なりに腕が足りないのを補っているのかもしれない。

 しかし、息つく暇もないのは確かだ。つまり、相手を追い込んでいるとは言える。

 その後何度もブレットと打ち合いながらも、レオンは考えていた。彼は冒険者なのだ。何か自分の新しい戦い方のヒントがないだろうか。ほとんど無意識だったが、レオンの頭の中にはそれがあった。

 向こうが何を考えているのか、レオンには分からない。最初は遠慮があったレオンの剣だが、ブレットは当てられると必ず隙を逃さず反撃してくるので、そんな遠慮も次第になくなった。お互いに相手の剣をもらって、身体中が打ち身だらけになっていたが、それでもブレットは止まらない。レオンも休まなかった。

 二刀流を生かして手数で攻めるレオンと、強引な捨て身の反撃でそれを迎え撃つブレット。実際には、どちらが攻めているのかは分からない。当てた剣の数もほとんど同じだから、体力や精神力の勝負と言ってもいい。

 本当に得るものは何もないのだ。ただ怪我をするだけの勝負。しかし、レオンの身体はいつまでも動き続けた。そして、何故か止まらなかった。

 もしかしたら、自分は楽しんでいるのかもしれない。

 それに思い至った頃、ようやくレオンの足は動かなくなった。

 もうどこが痛いのか分からなかったのだが、次第にしくしくと身体中が痛み出す。

 肩で息をしているのが、まるで別の人間の事のように感じられていたが、それも次第に感覚が戻ってきていた。

 辛うじて立ってはいたが、もう一歩も歩けない。動きたくない。

 一瞬負けたと思ったが、ふと気が付くと、対峙するブレットも足が止まっている。

 レオンは長い息を吐いた。

 どれくらい戦っていたのか。

「・・・見習いらしく、訓練はしているようだな」

 突然ブレットが告げる。彼は鎧も服もボロボロ。ところどころ血が滲んでもいる。自分がやったのだと今更ながら気付いて、レオンは申し訳なくなった。

「あ、ごめん。つい本気で・・・」

 その言葉にブレットはむっとしたようだった。

「当たり前だ。手加減していたとか言い出したら、もう一度痛めつけてやるところだ」

 そうは言ったものの、彼の足はどうやら言うことを聞かないように見える。

 急にレオンは可笑しくなって、つい吹き出してしまった。

 しばらく呆気にとられたような顔をするブレットだったが、不意に溜息を吐いて、剣を杖にして腰を下ろした。まるでお爺さんみたいな、ぎこちない動きだった。

 それはレオンも笑えない。自分も彼のように地面に腰を下ろしたが、やはり同じような動きになってしまった。どこが痛いのか分からないので、下手に動けないのである。

 そのまま何故か、沈黙があった。ブレットは視線を逸らしたまま、何か考えているようでもある。

 しかし、やがてブレットは口を開いた。

「・・・君には夢があって、そして努力もしている。女遊びに精を出すのは止めて、なお一層真面目に励め」

 本人は大真面目に言ったつもりのようだが、レオンは盛大に咳込んだ。身体が軋むように痛むので、いつもよりも辛い。

 そんなレオンの反応を見て、ブレットは戸惑ったようだった。

「何だ?急に・・・」

 呼吸が整ってから、レオンはなんとか答える。

「いや、ブレットが変な事言うから・・・」

「変な事・・・何の話だ?」

「その・・・女遊びがどうとかって部分だけど」

 自分から言うのは気恥ずかしい気もしたが、言わなければ分からないだろうから仕方ない。特に、今まで散々すれ違ってきたブレットなら尚更だ。

 ところが、ブレットは不機嫌な顔をする。

「今更下手に誤魔化したところで、逆効果にしかならない。男らしく、潔く認めたらどうだ?」

 レオンにしてみれば、それだけは呑めないという要求である。そんな噂が立とうものなら、明日から町を歩けなくなる。

「誤魔化してるわけじゃなくて、本当にそんな事実は・・・」

 何故か鼻で笑うブレット。

「白々しいな。気のない女性にプレゼントをしたとでも言うのか?」

「だからそれは、日頃からお世話になっているからで・・・」

「だったら何故ガレットさんにはしなかった?」

「いや、だから、イザベラ先生が・・・」

 話にならないとばかりに、ブレットはそっぽを向く。

「そんな作り話が咄嗟に思いつくのもだが、そんな作り話が通ると思っている君にも驚きだ。今時、日頃の感謝を物で示してみろと言われて、それをそのまま素直に実行する男がいるか?そんなまさか山奥のド田舎でもあるまいし・・・」

 ブレットの乾いた笑い声。

 その後、言いようのない沈黙があった。

 怪訝に思ったのか、ブレットがきょとんとした顔でこちらを向く。

「どうかしたか?」

 いったいどう答えたものかと思ったが、嘘を吐いても仕方ないので、レオンは正直に言った。

「・・・えっと、まあ、これは間違いないと思うんだけど」

「だから何だ?」

「僕の故郷の村って、多分、山奥のド田舎って事になると思うんだけど・・・」

 その時確かに、短いが底知れぬほど深い間があった。

 それでも、ブレットはなんとか言い返す。しかし、なんとも言えない表情でこちらを凝視していたのだが。

「・・・君も誤魔化すのは程々にした方がいいぞ」

「というか・・・僕の出身とか、前に話した事なかった?」

「今更見苦しい。嘘を嘘で塗り固めるのは・・・」

 そこで、ブレットの横に差す人影があった。

「レオンさんの村は、あのサイレントコールドの出身地なんですよ」

 そう言ってブレットに手拭いを差し出したのは、デイジーである。どうやらようやく決闘が終わったという事で、小屋まで取りに行ってきてくれたようだ。

 しかし、当のブレットは明らかに動揺していて、それを受け取る事も出来ないようだった。

「・・・いや、うん。それはきっと、君も騙されているんだ、デイジー。そう言えば会話のきっかけになるという、小賢しい手だよ、きっと」

 半ば呆然としながら答えるブレット。どうやら意地でも認めたくないらしい。

 だが、デイジーはそんな一縷の望みを、笑顔でばっさりと断ち切った。

「いいえ。ガイさんが連れてきて下さいましたから。レオンさんの村に寄ったついでに、同乗させてあげたそうですよ。ガイさんは、レオンさんのご両親ともお知り合いだそうで」

 これはもう疑いようがない。

 もはや哀れに思えるくらい、ブレットは茫然自失状態だった。

 そんなブレットの肩に優しく手拭いをかけるデイジー。そして、そのままこちらにやってきて手拭いを渡してくれる。

「お疲れさまです」

「あ、どうも・・・」

「ソフィも心配して来てくれましたよ」

 ふと気付くと、足下には確かに純白のカーバンクルが佇んでいた。紅い双眸でこちらをじっと見上げている。

 その頭を撫でながらも、レオンはブレットの様子が気になって仕方なかった。まるで魂が抜けたような顔をしている。

「・・・大丈夫ですかね?」

 尋ねずにはいられなかったレオンに、デイジーはいつも通り答える。

「いいんです。元はといえば、きちんと確認しようともしなかったブレットが悪いんですから。自業自得です」

「はあ・・・」

 そうは言っても、余りにショックを受けた様子のブレットを前に、生返事を返すのがやっとのレオンだった。

 そこでこの話は終わりとばかりに、デイジーが話題を変える。

「それよりも、レオンさん、何か新しい戦い方のヒントが得られました?」

 驚くレオン。決闘を本気で止めなかったのは、最初からそれが狙いだったのか。

 しかし、デイジーは気を抜くように微笑む。

「私はそこまで考えてはいませんでした。ですけれど、アレンさんがそれらしき事を仰っていましたから」

 その言葉で、レオンは納得すると同時に自然と表情が綻んだ。やはり彼には適わない。

「それで、ブレットはお役に立ちました?」

 やたら興味津々に見えるデイジー。何か、武道の神髄のようなものが聞けると期待しているのか。それとも単に、男同士が本気で打ち合ったのを見て興奮気味なのか。どちらも彼女の外見とは似つかわしくないが、彼女の趣味嗜好から考えれば全く不自然ではない。

 レオンは未だ呆然としているブレットを見て、そして地面を見た。視界の端には光沢ある純白の毛並みが映る。

 しばらく考えて、レオンは答える。

「何か掴めたかもしれませんけど、でも、まだはっきりとは・・・」

 それが本音だった。

 ただひとつ言えるのは、ブレットの戦い方が、きっと冒険者としては標準なのだ。基本的にモンスターの方が数が多いのだから、早く数を減らすのが基本。長引けば長引く程、不利な時間が長引くのだから、ブレットのように身を切ってでも踏み込むのが正しい。

 ただ、その理想をどうやって形にするのか、それが問題だ。

 腕を組んで頭を悩ませるレオンだったが、不意にデイジーの声が聞こえてくる。

「そうですか・・・でも、そんなものかもしれませんね」

「はい?」

 戸惑いつつも聞き返したレオンに、いつもよりも少しだけ含みのある笑みで、デイジーは答える。

「だって、ブレットですからね。ですから、そんなものかもしれません」

 なんとも答えにくい言葉だった。

 レオンはもう一度ブレットを見やる。

 先程までと大して変わらない表情。しかし、何故かさっきよりも一層哀れに思えた気がしたレオンだった。



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