潜む意図
少し時を遡る。
レオンが大柄な男性と対戦しているのを、ステラとベティは観客席の端の方で見ていた。男性が苦手な自分のために、比較的女性が多い場所をベティが探してくれたからだった。
そもそも、人混み自体がステラはあまり得意ではない。ある程度のジーニアスならば皆精神に負荷がかかるから、普通の人よりも余計疲れてしまう。特に、ステラの場合は人混みに慣れるような経験がなかったから、どうすれば負荷が減らせるのか、その要領が掴めていないのもある。
そのレオンの試合は、あっという間に終わってしまった。地面に思いっきり叩きつけられたように見えたので、息が止まるような思いをしたけれど、すぐにレオンは立ち上がって挨拶をしていた。そんな風には見えなかったけれど、相手が手加減してくれたらしい。負けてしまったのは残念だったものの、怪我がなかったようなので、とにかくホッとする。
「あー・・・やっぱりダメだったかー」
ベティがそう言いながらこちらを向く。言葉とは裏腹に、表情は明るかった。長い髪と綺麗な衣装を着ているのもあって、いつもよりもぐっと女の子らしく見える。最初にこの格好をしているベティを見た時、ステラは見とれてしまったほどだった。とても可愛らしくて、それでいて自信に満ちあふれた表情。見た目はもちろん、その堂々とした態度が羨ましくて、文字通り眩しく見えた程だ。
その数分後に、自分も同じ服を着ると聞いて、恥ずかしさに居たたまれなくなったけれど、そんなベティに絶対似合うから大丈夫と言われてしまったら、どうしてもその気になってしまう。
「やっぱりなんですか?」
ステラは少し気になったので聞いてみた。
「まあねー。あの人、去年優勝した人なんだよ」
「え・・・」
目を丸くする。確かにかなり強い人だとは思っていたけれど、それはちょっとレオンにしてみたら、相手が悪過ぎたかもしれない。
苦笑気味なベティもその通りの言葉を口にする。
「相手が悪いっていえばそうなんだけどねー。でも、それを乗り越えてこそ、男ってものだと思うし・・・まあ、ブレットも負けそうだからいっかなー」
「負けそうなんですか?」
まだ対戦しているブレットの方を見ながらステラは尋ねる。確かにブレットが防戦一方に見えるから、きっと戦況は芳しくないようだったものの、まだ勝敗は分からない気がする。
しかし、ベティは断言した。
「あれは勝てないなー。ステラもね、だいたい見れば分かるでしょー?」
「え・・・」
もう一度ブレットの試合を見てみる。やはりどちらが勝ちそうかなんて分からない。
そこでベティはにやりと微笑んだ。
「あの対戦相手の子、ステラはどう思う?」
言われて見てみる。かなり髪が短くて、あまり体格が良くはない、多分自分と同じ年くらいの男の子。
ところが、そこでステラは気付いた。
「あ、もしかして・・・」
ベティの顔を見ると、彼女は可笑しそうな表情だった。
「ね?あれはもう、絶対勝ち目無し」
「そうですか?でも、武術大会だからそんなに気にする事もないような・・・」
「ブレットは気にするんだよねー。気にするってレベルじゃないくらいに」
あまり釈然としなかったものの、幼い頃から彼を見ているベティの言う事だから、きっとその通りなのだろう。
そこでベティはこちらの肩を掴む。
「さ、とりあえず出よっかー」
「あ、はい」
彼女に押されるがまま、人集りの中から2人は抜け出した。
武術大会の人混みから少し距離を置いたところで、再び向き合う。
「私はレオンの様子を見てくるけど、ステラはどうする?」
少しだけ頭を整理したものの、だいたい考えはまとまっていた。
「私、戻りますね。ガレットさんの出番もありますから、リディアとデイジーだけだと、きっとお店が大変だと思いますし」
それ以外にも、負けた後すぐに会いにいくのはなんとなく気が引けたというのもある。自分も向こうも、どんな顔をしたらいいのか分からないかもしれない。もう少し落ち着いてから話をした方がいい。
ベティはあっさりと頷く。
「そっか。ゴメンねー、気を遣わせちゃったみたいで」
「あ、いえいえ。そんな事ないです。レオンさんと、あとソフィにも、よろしく伝えておいて下さい」
「はいはい。ありがとねー」
立ち去りながらも、ベティは笑顔で手を振ってくる。
その姿が人混みに消えるまで、ステラも手を振った。
そして、酒場に戻ろうと体の向きを変えたその時だった。
「ちょっといいですか?」
硬質な、若い女性の声だった。
「あ、はい」
反射的に返事をして、ステラは振り向く。
少し長身でスマートな印象の女性がそこに立っていた。ほとんど白と言ってもいいほどの、淡いグレイの服がとてもよく似合っている。一目見て都会人だろうと思わせるような、落ち着いていてかつ鋭い雰囲気。ケイトやフィオナと同年代には違いないものの、颯爽としているところはイザベラに似ているかもしれない。ただし、医者というよりは、やり手の商人といった感じがする。短い髪も鋭い瞳も黒だった。
その女性は、事務的な口調で尋ねてきた。
「道をお尋ねしたいのですが」
「・・・あ、はい」
一瞬戸惑ったものの、今の自分はユースアイ出身という事になっているのを思い出す。普段は誰も自分に道を尋ねたりはしないから、初めての体験だった。
彼女は町の西の方にある雑貨屋の場所を尋ねてきた。幸いにも、ステラは一度ベティ達と行った事がある。
「そこは・・・えっと、この通りをしばらく進んで貰って、しばらくしたら道案内の看板がありますから、そこを左に入って貰えればすぐですよ」
それほど複雑な場所ではない。
ところが、女性は少し難しい顔をする。
「あの・・・申し訳ないのですが、良ければ連れて行って貰えないでしょうか」
「え?」
説明が下手だっただろうかと思っていると、女性は少し苦笑する。ずっと真面目な顔をしていたので固いイメージがあったのが、それで少し軟らかくなった。
「実は、その・・・よく道に迷うのです。地図や看板といったものが、どうも苦手でして」
「ああ・・・」
思わず頷くステラ。確かに、学校でもそういう女の子は多かった。
「もちろんお忙しいでしょうから、ご迷惑でなければですが・・・」
控えめながらもはっきりと口にする女性。誠実で率直な人らしい。ステラは好印象を持った。
「いいですよ。そんなに遠い場所でもありませんから」
微笑みながらステラが告げると、女性は律儀に頭を下げる。
「そうですか。どうもすみません」
「いえ。では、あの、こちらです」
ステラが先導しながら、目的の雑貨屋へと歩みを進める。
お祭りも半ばという事で、人通りもかなり増えている。特に、武術大会が開かれていた辺りは大通りの交差点でもあるから、人で溢れていたと言ってもいい。
そこから離れていくにつれて、次第に歩き易くなっていく。
「本当に申し訳ありません。お忙しかったでしょう?」
並んで歩きながら、女性が真面目な顔で尋ねてくる。
微笑みながらステラは答えた。
「いえ。お気になさらないで下さい」
「まだお若いようですけど、もう立派に働いていらっしゃるのでは?」
「え?あ、はい。一応・・・」
実際にはまだ仕事に就いているとは言えないステラだった。しかし、今はガレット酒場の店員という事になっているから、そう答えるしかない。
「どんなお仕事に就かれているのですか?」
そんな質問をされた事が少し意外だったものの、ただの世間話だろうと思って、ステラはすぐに答える。
「一応、酒場の方で接客を・・・」
「そうですか。道理で堂々としていらっしゃると思いました」
「いえ・・・」
面と向かって言われると、少し照れてしまうステラ。
「酒場といいますと、この時期は書き入れ時でしょう?」
「はい。まあ・・・」
本当はあまりよく知らないものの、お祭りだから大変な時期には違いない。
「そんな忙しい時期に本当に申し訳ない。後で時間があれば、是非立ち寄らせて頂きます」
「え?あ、いえ・・・そこまでしていただかなくても」
慌てるステラに、女性は少し微笑んだようだった。
「こう見えて、アルコールは好きなのです。元々、仕事が一段落したら、どこかで飲もうと思っていました」
「そ、そうなんですね」
「どちらでお勤めですか?」
「あ、えっと・・・」
その時、なんとなく女性の雰囲気が少し変わった気がした。
言ってはいけない。
ステラの心の中で、誰かがそう忠告したような気がした。
よく考えてみると、こちらの事をしつこく聞いてきているようにも思える。
「・・・あ!ほら、あの看板ですよ」
咄嗟にステラは前方を指で示す。まだそれなりに距離がある上、人通りも多かったため、多少不自然な動作ではあった。
しかし、女性はあっさりとそちらを向いて立ち止まった。
「あれを左でしたか?」
「はい。曲がったらすぐに見えますから」
「そうですか。本当にありがとうございました」
女性は軽く頭を下げる。
そして、驚くほどあっさりとそちらへと歩いて行った。
自分が感じた違和感は、どうやら気のせいだったらしい。変に疑ったりして、悪い事をしてしまったような気がする。
人混みの中遠ざかっていく後ろ姿を見つめながら、ステラはそんな事を考えていた。
その時、背後から声が聞こえた。
「私も案内して貰おうか」
ハスキーだがどこか若々しい女性の声だった。
振り返ろうとしたステラだったが、出来なかった。
背後から右腕を掴まれる。
そして、背中に硬い感触。
ほぼ密着していると言ってもいい至近距離から、女性が囁く声が聞こえた。
「騒ぐんじゃないよ。綺麗なお洋服を血で汚したくないだろう?」
身体から血の気が引くのが分かった。
何だろう。
強盗だろうか。
助けを呼ばなければならないと、頭の中では分かっていた。人も周りには唸るほどいる。
でも、出来なかった。
まるで見えない垣根が出来てしまったかのように、周りがもの凄く遠く感じる。
誰か気付いて欲しい。
でも、仮に気付いたらどうなるのだろう。
背中の硬い感触が、一際大きく感じた。
「ゆっくり前に進んで貰おうか」
声は聞こえたものの、すぐには足が踏み出せないステラ。
しかし、背後の女性は鋭い感触を容赦なく押し付けてくる。
ステラが歩き出すまで、そう時間はかからなかった。
歩きながらも冷静になろうと努める。
どうすればいいのか。
何をしたら上手く逃げられるのか。
ダメだ。
全然頭が働かない。
身体はこんなに冷たいのに、頭は熱くてクラクラする程だった。
どうして自分はダメなんだろう。
いつも一緒にいる彼だったら、きっとすぐに対処出来る。自分みたいに、いつまでも迷ってなんかいない。
人通りが少なくなっていくにつれ、ステラはいつの間にか泣きそうになっていた。
ふと気付くと、ステラは町の端にある小道にいた。
中心部や商店通りに比べると、元々人通りが少ない場所だと言えるけれど、それにしても少な過ぎる。
そんな小道の奥へと進んでいくと、背後の女性は不意に立ち止まった。
そのまま強引に建物の陰に連れ込まれる。
「さあて・・・ここらでいいだろう」
ナイフをこちらの首に押し当てながら、女性はステラの正面に回り込んできた。
明るいショートヘアと瞳をしている、大人っぽいというか、ある意味妖艶な女性だった。耳に金の派手なピアスをしている。もっとも、今のステラにしてみれば怖い以外の印象はない。
見ていて不快になるような、ニヤニヤした笑みを浮かべている。
この時、ステラは本当の意味で身の危険を感じた。
しかし、目の前のナイフを見れば逃げようにも逃げられない。
その時、声が聞こえた。
「余計な真似は許可されていません」
このタイミングで声がした事にも驚いたけれど、その声の主にもっと驚く。
ステラと女性は、同時に声がした方を向く。
こちらに颯爽と歩いてくるのは、先程道案内をした、淡いグレイの服を着た女性だった。
もしかしたら助けに来てくれたのかもしれない。そんな望みが僅かくらいはあったものの、彼女が後ろに引き連れている人達の容姿を見て、ステラはその望みが絶たれた事を知った。
下品な笑い方をしている、一目見て真っ当な仕事をしているとは思えない男達。体つきはいいものの、仮に冒険者だとしても、世間に盗賊として認識されていてもおかしくはない。先導している女性が上等な身なりをしているだけに、余計その印象が際だっていた。
「別にいいだろ?どうせ本物かどうか調べるんだからさ。なんなら、ユノも一緒にどうだ?男が混じるのはご遠慮願いたいけど、ユノなら大歓迎さ。いつか気の済むまで調べてみたいと思ってたからねえ」
ナイフの女性が気持ち悪いくらいの笑顔でそう言うと、ユノと呼ばれた女性は、歩きながら淡々と告げる。
「私への非礼はともかくとしまして、仕事に趣味を持ち込むのは止めて下さい」
「仕事のついでなんだから、別にいいと思うけどねえ」
「だいたい、貴女は何を調べようとしているんですか」
「決まってるだろ?貴族で、しかも生娘の肌に触れられる機会なんて・・・」
すぐさまユノは言葉を遮る。視線が一際鋭かった。
「その先を発言した場合、命の保証はしません」
「なんだよ。自分から聞いたくせに」
ユノはステラ達の目の前で立ち止まる。その背後には数人の男達がニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「ええ。私とした事が、多少貴女を甘く見ていたようです。どうすればその口が止まるでしょうか。アデルのその口、一度縫い合わせてみせましょうか?裁縫は得意ですから」
「へえ・・・ユノは割とそういうとこがあるねえ。お淑やかというか、家庭的というか、女性的というか」
「褒め言葉だとしたら素直に受け取っておきます。ですが、貴女より女性的でない女性は恐らくいないでしょうから、嬉しくはありませんが」
「別に褒めてなんかいないよ。ただ、そういうお淑やかな子の方が、意外といい声で・・・」
目にも留まらぬ速さで一閃したユノの右手が、アデルと呼ばれた女性の頭を軽く叩く。
ナイフを持っていない左手で頭をいたわるようにしてから、アデルは笑いながら言った。
「もうちょっと激しい方が、私は好みなんだけどねえ」
ユノは益々目を細めた。
「貴女の好みに合わせるつもりはありませんが、この際ですから、私の本気をお見せしましょうか?」
そこで、飽き飽きしたといった男性の声が、ユノの背後から聞こえてきた。
「そのつまんねえ会話、いつまで聞かせるつもりだ?」
確かにその時、空気が静まった。
元々真面目な表情だったユノはもちろん、アデルや他の男達も笑みを引っ込める。
不意にユノとアデルがステラの両側に回り込む。ナイフは引っ込めてくれたものの、彼女達にそれぞれ両腕を掴まれて、結局ステラは逃げられない。
そのステラの正面に、男がゆっくりと近付いてくる。
荒っぽい風貌と言えばいいのだろうか。しわや傷が多い、どこか粗造りな印象が漂う中年の男性だった。割と上等なブラウンの服を着ているものの、ステラから見れば、貴族や上流階級出身の人物ではない事がすぐに分かる。それどころか、彼から何か得体の知れない恐怖を感じるほどだった。言いようのない危険な香りがする。もっとも、ステラの今の状況からすれば、どんな男性でもそう見えたかもしれない。
彼はステラのすぐ目の前に立つと、無造作に帽子と眼鏡を取り払った。あまりに突然だったのもあって、全く反応出来なかった。
地面に落ちた眼鏡を踏み砕きながら、男はステラの顎を掴んで上を向かせる。そして、こちらの顔をじっと見つめてきた。
ステラの身体が震える。
その体勢のまま、男は口を開く。
「ユノ。本当にこいつで合ってるんだろうな?1人で遠出をしてきたっていうには、随分頼りねえ小娘じゃねえか」
こちらの左腕を掴んでいるユノは、事務的に答える。
「間違いありませんね。金髪に碧眼。人相も一致します」
「その人相っていうのも、どうせ眉唾の情報なんだろうがな」
そこで右側からアデルの声が聞こえる。
「私も当たりだと思うねえ。この子で間違いないね」
男はそちらに視線を向ける。
「何か根拠でもあんのか?」
「分かるさ。育ちのいい子ってのはね、匂いからして違うんだよ」
「なんでえ・・・同じくらい眉唾だな」
そう言って男が笑うと、後ろで控えている男達も笑ったようだった。
しかし、ステラはそんな光景も目に入らない。
頭の中では、今聞いた会話が宛もなく渦巻いていた。
どうして自分の事を知っているのか。
貴族という事も、人相も、それに、1人で遠出をしてきたという事も。
誰かから聞いたのだろうか。
この事を知っているのは、ユースアイでも親しい人だけ。
そして、手紙を書いた家族。
ただ、家族が自分を連れて帰るために寄越した人達にしては、いくらなんでも乱暴過ぎる。
考えこそしたものの、ステラは全く状況が掴めなかった。
「おい!」
突然目の前で大声がして、ステラは我に返った。
気付くと、男がニヤニヤしながらこちらの顔を覗き込んでいる。まだ顎を掴まれたままだ。
「お前に選択肢をやる」
「え?」
声が出る。思えば久しぶりの発言だった。
男は不意に真顔に戻った。
「俺は金が欲しい。金さえ貰えれば、お嬢ちゃんを無事に返してやってもいい。だが、当然端金なんか貰っても困る。そこで、まず選択肢その1だ」
再び微笑む男だったが、その瞳の暗い光にステラは背筋が凍った。
「俺達の取引に協力しろ」
場に沈黙が訪れた。
彼の言葉がどういう意味なのか、ステラには何故かすぐ理解出来た。
自分が貴族の娘だという事を知ってこんな真似をしているのだから、つまり、お金をせしめようとしているのは家族に対してだろう。
誘拐。身代金。
そんな言葉が、ステラの頭の中を駆け廻る。
しばらく待っても返事がなかったからか、男は再び口を開く。
「それがダメなら、選択肢その2って事になる」
どこか余裕ある口振りで、男は告げた。
「お嬢ちゃん・・・冒険者としての腕はどうか知らねえが、なかなか綺麗な顔をしてるよなあ」
ステラの思考が止まる。
男はこちらの身体に視線を落とした。
「顔はいいが、まだ身体がどうもな。俺は正直、小娘は趣味じゃねえ。だが、世の中には物好きな男もいてなあ。お嬢ちゃんみてえな年端もいかねえ子供じゃねえと・・・」
そこでユノが口を挟む。
「それ以上はお控え下さいませんか?」
どこか不満そうに男はユノを睨んだ。
「俺のやり方に文句があんのか?」
「通常なら何も。ですが、近くに変態がいるのでご遠慮下さい。下手に興奮させると面倒臭いので」
その言葉にアデルが答える。
「失礼な奴だねえ。私があれくらいで興奮するわけないだろ」
「つまり、私の対処が機敏だったという事です。もう数秒遅かったら、貴女が非常に下品な状態に陥ったであろう事は明白です」
「なんだい?その下品な状態っていうのは」
「私の口から言わせようという算段でしょうが、見え透いていますね」
「いやいや、それは私を甘く見ているねえ。ユノが思わず答えてしまって、自分の発言に赤面している場面が、私の脳裏には鮮明にイメージ出来ているよ。もうこうなると、いやあ・・・」
ステラの背後で、ユノの蹴りがアデルを捉えたらしい。結構派手な音がした。
「・・・今のは効いたねえ」
「あれでも手加減しました。私の慈悲深さに感謝して下さい」
「慈悲なんていらないから、もっと強烈なのを頂戴よ」
「了解しました。蹴りにくいので頭を下げて貰えますか」
「ありゃあ、頭か。そりゃあいい。ゾクゾクするねえ」
可笑しそうにアデルが答えたところで、目の前の男が呆れたように言う。
「てめえら・・・よくそれで連れ立って行動出来るな」
あくまで事務的に、ユノは答えた。
「女性がいないとアデルは仕事をしません。そして、アデルをコントロール出来るのは私くらいです。他に適任者がいるのでしたら、是非パートナーを変えて下さい」
答えたのは、何故かアデルだった。
「それは許可出来ないねえ。せめて一度くらいは、ユノの事をじっくり調べさせて貰わないと。いや、ユノだったらむしろ、二度でも三度でも、一日中だって・・・」
また派手な打撃音がした。
「ああ・・・もういい!とにかく黙れ」
顔が変形するくらい、男は呆れたようだった。ステラの顔からようやく手を離して、後ろを向いた。
「とりあえず、こいつを連れて町を出るぞ。話は馬車の中でじっくりとすりゃあいい」
その言葉を聞いてステラは焦った。
このまま町から連れ出されてしまったら、冒険者になるどころか、もっと酷い事になる。男の示した選択肢はまだ途中だったものの、他に真っ当な選択肢が残っていたとは思えない。結局彼が言っていたのは、家族を売るか、それとも自分自身を売るかという事だ。他にあるとしても、同じような辛い選択肢だったに違いない。
逃げないと。
こんな時、彼だったらどうするだろう。両腕を掴んでいるユノとアデルの隙をついて逃げるくらいの事は出来るのかもしれない。
自分にもそれが出来ないだろうか。
魔法が使えればいいのだけれど、使えばすぐに相手に気付かれてしまう。準備中に攻撃されるのが目に見えていた。ベティ達に護身術を教えて貰ってはいるものの、基本的に棒術と呼ばれる武術をアレンジしたもので、つまり杖のような長い棒がないと使えない。
どう考えても無理だった。
こうなったら、もう大声を出すしかないのだろうか。
その場合どうなるのか、ステラにはいい状況が思い浮かばなかった。聞きつけた人がやってくるまでに、自分は無事でいられるのだろうか。いや、もしそうだったら、きっとこの人達は自分の口を塞いでいるだろう。
もしかしたら、既に人払いが出来ているのかもしれない。確かに、さっきから人通りがほとんどない。
或いは、大声を出されたら殺してしまえばいいと思っているのか。
その可能性だってある。
でも。
それでも、とステラは思った。
このままだと、突然いなくなった自分の事を、ベティ達が心配するだろう。
それくらいだったら、今大声を出して、この場で死んでしまった方がいい。
どうせこのまま連れて行かれても、生きて帰れる可能性なんて低いに違いない。いいように弄ばれて、そして用が済んだら殺される。
同じように死んでしまうなら、皆が心配しない方がいい。
驚く程冷静にステラはそう考えていた。自分でも不思議に思った程だった。
もしかしたら、ダンジョンで彼はいつもこういう心境なのかもしれない。これくらい静かな、波間のない湖面のような冷たい心境なら、常に冷静でいられるのだろうか。
こんな状況になってから気付くなんて。
そう思うと、ステラは人知れず涙が溢れそうになる。
もう遅い。
本当に遅過ぎた。
しかし、すぐに決心する。
ここで抵抗しよう。
全力で戦って、暴れて、その結果死んでしまっても、仕方ない。
ただ心の中で謝る。
せっかく友達になれたのに、ベティ、ゴメンね。
そして。
一緒に冒険者になるって約束したのに、いつか海を見せるって約束したのに、守れないかもしれない。
ごめんなさい。
気付かれないように呼吸を整える。
ところがその時だった。
自分の左腕を掴んでいる手に力がこめられる。
「早まった真似はされない方が賢明かと」
ユノの声だった。
こちらの考えが見透かされている。それにも驚いたステラだったけれど、そこである違和感にも気付いた。
この場所での会話を思い出す。
単に悪者の一味が会話しているようにしか聞こえなかった。背後にいるユノとアデルのやりとりも、あまり意味があるとは思えなかった。
でも、もしそうじゃなかったとしたら。
他の見方が出来ない事もない。
そこで今度はアデルの声が聞こえてくる。
「なんだか知らないけど、妙な感じになってきたねえ」
どういう意味だろうかと思ったステラだったけれど、すぐに気付いた。
いつからなのか、ステラの正面で男達が揉めている。
何やら怒鳴っているのは、先程ステラに話しかけてきたリーダーらしき男だった。彼に答えるのは、その部下らしき男。彼もまた体格はいいものの、立派という印象は薄い。
「いや、それが・・・動くには動くんですが、車輪が妙な動き方をするし、ガタゴト妙な音が立つんです。あれじゃあ目立っちまいますし、故障だと思われて、出口で見張ってる奴に呼び止められちまいますよ。今、修理出来る奴がいないか探してるところです」
「これだけの人数を運んできたんだぞ?どれかひとつくらいは動くだろうが!俺とあの小娘さえ出ちまえば、後はどうにでもなる!」
困った表情をする部下の男。
「そうなんすけど・・・なんでか、全部同じなんです。俺達も、何がなんだか」
「揃いも揃って故障しただあ!?」
怒っているのか、嘆いているのか、判別しがたい男の声。ただ、彼のその声はかなり大きかった。
要するに、そんな声を出しても問題ない。辺りには人がいない、或いは人が来ても追い払えるという事らしい。かなり大人数を用意したのは、恐らくその為に必要だったのだろう。
ここで自分が暴れても、誰にも気付かれない公算が高い。
本来なら絶望するしかない。後悔するしかない。
しかし、ステラにはまだ一縷の望みがある。
もし自分の仮説が正しければ、まだ諦めるのは早い。
彼らの移動手段が断たれたのも、自分にとってはいい材料のはずだ。
あと何か一押し。
それがあれば、仮説がはっきりとした形になる。
そして、それはすぐにやってきた。
「ステラ!」
その声は、ステラの耳に浸透するように、溶け込むように馴染んだ。
自分でも驚く程、ステラは安心出来た。何の保証もないのに、これで大丈夫だと思えた。彼がいるから、モンスターで溢れるダンジョンでも自分は戦えるのだから。
そして、もちろん嬉しかった。
声は背後からだったから、ステラには見えない。それでも、手に取るように彼とカーバンクルの姿が想像出来た。
少し優しげで、少し逞しい、そして本当はとても強い、ステラのパートナー。
そのアスリートの少年と純白のカーバンクルがそこにいた。