賑わいと焦燥
夏祭り2日目。
レオンは大通りを急いでいる。その両手には蓋をした大型のお盆が抱えられていた。人が溢れかえっているため、全力で走ったりは出来ないものの、そのお盆がはた迷惑な大きさだからなのか、行き交う人の方が勝手に道を空けてくれる。もちろん有り難いのだが、なんとなく申し訳ない。すみませんという言葉を、先程から何度も繰り返していた。
その肩の上ではソフィが優雅に佇んでいる。相当揺れるはずなのだが、妖精はバランス感覚も並外れているのか、ただ地面の上にいるかのような落ち着きぶりである。
そんな行軍を数分程続けたところで、ようやくギルドの正面にたどり着く。大通りの交差点となっているそこはある種の広場となっていて、今は人集りが出来ていた。
その人集りの中がレオンの目的地なのだが、さすがにこの人集りを強行突破するのは無理がある気がする。
どうやって入ったものかと思っていると、そこで人集りの外れに夏祭り用の白い衣装を着た少女を見つける。顔は人混みに隠れて見えないものの、長い黒髪が見えたので間違いない。どうやら、気を利かせて外で待ってくれていたようだ。
そちらに近付いていくと、少女の方もこちらに気付く。
「お待たせしました。間に合いました?」
正面に立つなり尋ねたレオンに、黒髪の少女、デイジーはいつもの淑やかな笑みを返す。
「ご苦労様です。まだ大丈夫ですよ」
安堵して、レオンもようやく微笑んだ。
「あとどれくらいですか?」
「もうそろそろだと・・・あ」
人集りの方を見ていたデイジーは、何かに気付いたようだった。
レオンもそちらを見ると、デイジーと同じ衣装を着た女の子と、やはりレオンと同じような大きなお盆を抱えた男性が人集りの向こうからやってきたところだった。どちらも知り合いではないが、どこかで見た事があるような顔である。
少女の方がデイジーに目配せする。すると、デイジーも頷き返した。
「出番みたいです」
こちらを向いてそう告げたデイジー。急にレオンは緊張してきた。
「えっと・・・」
「何も喋らないで結構ですよ。落ち着いて下さい」
「あ、はい・・・」
小さく息を吐いて、レオンは頷く。
それを見てデイジーは人集りの奥へと進んでいった。その後をお盆を抱えたレオンが続く。
ユースアイ料理品評会というのが、今日のイベントの名称だった。
食事を提供するお店がそれぞれの得意料理を持ち寄って、この場で品評して貰おうというイベントのようだ。どの店が一番美味しいのかはっきりさせようというわけではなく、要するに、どの店にどんな料理があるのか知って貰おうという趣旨らしい。そのため、各店舗から料理の説明役が用意される。ガレットの店も毎年参加しているらしいのだが、説明役に抜擢されたのは店長でもその娘でもなく、何故かデイジーだった。彼女は普段酒場で働いていないのにいいのだろうかとレオンは思ったが、あまりそういう事は気にしないらしい。
ただの料理運搬役でしかないレオンなのだが、何故か緊張してしまう。だが、さすがというべきか、デイジーは堂々としていた。
出場者が通るために空けられているらしい通路の先には、大きな長テーブルとイスが3つ。その脇に司会のケイトが立っている。彼女も堂々とした余裕ある表情だったが、今日は珍しくシニアが肩に乗っていた。いつも頭に乗っているだけに新鮮だなと思うと、何故か少し緊張が和らいだ。
ケイトの横にたどり着くと、デイジーは観衆に向かって優雅に頭を下げる。
「ガレット酒場から参りました。よろしくお願いいたします」
非常に彼女らしい挨拶だったが、普段の店の雰囲気とはまるでかけ離れた印象を与えそうで、レオンは少し心配になる。
それはそれとして、観衆からは軽い拍手が起きる。
いよいよのようだ。
レオンは唾を飲み込んだが、そこでふと気付く。
品評会と言うからには品評する人がいるはずだが、それらしき人が見当たらない。その人達が座るらしいイスはあるのに、3つとも空席である。
そんな事を考えているレオンをよそに、ケイトはいつもよりも大きい声でデイジーに尋ねる。観客に聞かせるための配慮だろう。
「どんなお料理ですか?」
「ラム肉のソテーですけれど、この地方名産の香草を利かせてあるので、是非、香りを楽しんでいただければ・・・」
本当に簡単な説明だった。
大層に頷いたケイトは、突然観客に向けて尋ねた。
「それでは、ガレット酒場のお料理。食べてみたいという方!」
耳を疑ったレオンだったが、どうやら驚いたのはレオンだけだったようだ。観客の数名が当たり前のように手を挙げる。ケイトもデイジーも微笑んだままだった。
そこでようやくレオンも理解する。
どうやら、品評会というか、試食会のようなもののようだ。一般の観光客に食べて貰って、その場で感想を貰うのだろう。
もっと厳粛な会を想像していただけに、急にレオンも肩の力が抜けてきた気がした。
いつの間にか、ケイトに指名された3組の観光客が席に着いている。年輩の男性と女性が1人ずと、若い母娘が一組。どうやら食べたいと言ったのは幼い娘の方らしく、母親は後ろに立っている。
こちらに近寄ってきたデイジーが、お盆の蓋を取って料理をサービスした。ベティとは違う柔らかい物腰。料理も品評用だからかなり量が少ない上に、綺麗に盛りつけてあるから、ある意味普段のガレット酒場とはかけ離れたシチュエーションだった。
一口食べるや否や、3人とも口々に感想を言う。
もちろん、あまり気の利いた事が言えるわけがない。特に、幼い女の子は結局美味しいとしか言わなかった。それでも、微笑ましい光景にレオンも自然と表情が綻ぶ。皆が楽しめる事が一番大切という事なのだろう。こういうイベントの方が、レオンも好きになれそうだった。
皿が綺麗に平らげられたところで、デイジーが再び上品に一礼する。拍手を貰ってから、レオンと2人で会場を後にした。
「面白いイベントですね」
人集りから出るなりレオンがそう口にすると、デイジーも柔らかく微笑む。
「毎年やっているんですよ。お店の宣伝も兼ねていますから、いつもお祭りの初日か2日目に開催されるんです」
「あ、なるほど・・・」
確かに、終わり頃に宣伝するよりはいいかもしれない。
「もしかして、毎年デイジーが出てるんですか?」
微笑むデイジー。
「そんなに大役でもないですから・・・難しい説明が求められるわけでもないですし」
「そうですけど・・・」
何故ベティが出ないのだろう。その方が自然だし、彼女でも十分務まる気がする。
その思考を読みとったのか、デイジーは微笑んだまま告げる。
「私やリディアが手伝ってはいますけれど、やっぱり忙しいですから、お店を空けたくないんだと思います。ベティもあれで、酒場の仕事が好きですから」
そう言われるとそうかもしれない。リディアではないが、プロ意識という事なのだろう。
デイジーはそこで軽く頭を下げる。
「これでお終いです。手伝っていただいて、ありがとうございました」
「あ、いえいえ。これくらいは全然」
どちらかというと、彼女はお礼を言うべき立場ではない気がする。デイジーだって仕事を依頼された側なのだから。
そこでデイジーは不意に尋ねてきた。
「この後、どうされます?」
「え?あ・・・とりあえずこれを返して、その後、アレンさんのところに行ってきます。警備の仕事を手伝って欲しいと言われてるので」
料理がなくなったお盆を示しながら、レオンは答える。
どういうわけか、デイジーは少し残念そうだった。
「そうですか・・・もしよろしければ、少しお祭りを案内して差し上げようと思っていたのですけれど」
「あ・・・すみません」
せっかくの好意をふいにしてしまったらしい。
だが、すぐにデイジーは微笑んでくれた。
「お手伝いもいいですけれど、お祭りも楽しんで下さいね」
「はい・・・ありがとうございます」
デイジーはよくこういった気遣いをしてくれる。穏やかな落ち着いた性格だから、周りの事がよく見えているのだろう。そういうところは尊敬出来るし、彼女の魅力のひとつに違いない。
ふと、デイジーは視線を右に外す。その視線をすぐにこちらに戻して、彼女は言った。
「では、私、ちょっと行ってきますね。アレンさんにもよろしくお伝え下さい」
彼女はそのまま人混みの中をゆっくりと歩いていく。どこに行くのだろうかと見ていると、どうやら道に迷っている家族連れが目に留まったようだ。その母親らしき人に声をかけている。
気のせいかもしれないが、デイジーがいつもよりも生き生きしている気がする。それはベティやラッセル、ブレットだってそうなのだが、普段大人しいだけに、少し意外に感じたレオンだった。そういえば、酒場の手伝いをしている方が、いろいろな人に会えて楽しいとも言っていた。もしかしたら、本当はもっと活動的な少女なのだろうか。
案外、彼女の前世に関係あるのかもしれない。
そんな事を考えたレオンだったが、しばらくデイジーの横顔を見つめた後、やがて酒場への道を戻り始める。
自分には前世がない。
何故かは分からないが、今はそれが妙に気になった。
胸の奥がもやもやするような感覚。
どうしてここまで気になるのか、それが分からない。以前から、ある種のコンプレックスだったのは間違いない。だが、村にいた頃は、自分ではどうにもならない事だと考えれば収まる話ではあった。そう考えるしかなかったからである。
それが冒険者を目指す事になって、前世について何か分かるかもしれないという期待と、もしかしたら何も分からないかもしれないという不安が入り交じるようになった。しかし、それも最初のうちだけで、本格的に訓練が始まると、毎日やる事がたくさんあって、それどころではなくなった。
それがどうして、今になってこんなに前世がない事が気になるのか。もちろんはっきりさせたいのは確かだが、今気にしても仕方のない事である。
来た道を引き返す道中、レオンはその事ばかり考えていたが、結局何も掴めなかった。
忙しければ気にならなくなるだろう。酒場の看板が見える頃には、そう結論づけていた。
そんなレオンの横顔を、純白の妖精はただじっと紅い瞳で見つめている。
役目を終えて帰ってきたレオンを迎えてくれたのは、やはり純白の衣装に身を包んでいる少女だった。明るい髪を下ろしている今の姿は、いつもの格好いい印象よりも大人しい印象を強く感じる。
屋外スペースでお客の注文を聞いていたリディアは、レオンを見つけるなり、店内に入ろうとしていた足を止めて待っていてくれた。どうやらお盆を預かってくれようとしているらしい。
「ありがとう、リディア。でも大丈夫だから」
微笑んで断ろうとしたレオンだったが、リディアは立ち塞がってそれを阻止する。
「入らない方がいいと思う」
目を丸くするレオン。
「どうして?」
「ステラがいるから」
「いるだろうけど・・・」
ちょっとお盆を返しにいくだけだから、そこまで神経質になる必要はない気がする。
すぐにリディアは補足する。
「今ステラがソフィを見たら、危険だと思う」
「・・・危険なの?」
「堪えきれずに飛びつくかも」
ソフィ断ちがそんなに堪えているのか。まだ丸1日程度しか経っていないというのに。
しかしながら、もしソフィに飛びつく女の子がいたらさすがに目立つだろう。変な噂になったとしても不思議ではない。
「えっと・・・ステラ、大丈夫かな。こっそりソフィを連れて行ってもいいけど」
どこか人目に付かないところで飛びついて貰った方がいいかもしれない。
リディアは頷く。
「危なそうだったら聞いてみる。とりあえず、お盆は私が預かるから」
「あ、うん。じゃあ・・・」
そういう事なら仕方ない。レオンはリディアにお盆を渡した。
それを両手で抱えてから、リディアは聞いた。
「デイジーは?」
「あ、ちょっと道案内してたから、多分もう少ししたら帰ってくると思うけど」
「そうじゃなくて、レオンの案内をするって言わなかった?」
少しレオンは驚く。
「言われたけど・・・」
「まだそんなに忙しい時間帯じゃないから、ついでにどうかってベティが言ってたから」
気を遣ってくれていたのはベティだったらしい。
「そっか・・・だけど、アレンさんの手伝いをするからって断ったんだ。ベティにも謝っておいてくれる?」
何故か意外そうに瞳を大きくしたリディア。そのまま数秒間視線が固まったものの、結局何も聞かなかった。
「謝る事はないと思うけど。でも、一応伝えておくから」
レオンは微笑む。
「ありがとう。じゃあ、お盆よろしくね」
リディアは頷く。
「手伝ってくれてありがとう。アレンさんにもよろしく」
「分かった。こちらもベティやステラによろしくね」
そう挨拶を交わして、レオンはガレットの酒場を後にする。
ところが、そこでリディアに呼び止められた。
「待って」
振り返ったレオンだったが、何故かリディアは何も言わない。
仕方ないので、こちらから聞いてみる。
「どうかした?」
それでも間があったが、リディアはこちらを真っ直ぐに見ながら言った。
「明日、武術大会だけど」
「あ、うん。まあ、そうだけど・・・」
正直、練習らしい練習をしていないレオンだった。ベティに槍で襲われたくらいである。そもそも、いったいどういう練習をすればいいのか、皆目見当も付かない。
お盆を持ったまま言いにくそうにしているリディアだったが、お客の往来の邪魔になると気付いたらしく、意を決したように告げた。
「ブレットの言ってる事は、気にしなくていいから」
「え?」
つい反射的に聞き返してしまったが、レオンは気付いた。
そういえば、ステラとリディアがかかっているという話だった気がする。忘れていたわけではないものの、具体的に何をかけているのか分からないので、レオンにはよく事態が飲み込めていない。ステラもリディアも、特に誰のものというわけでもないだろう。
何か言いたげにも見えたリディアだったが、やがてぽつりと呟く。
「・・・楽しんでくれたらいいから」
それだけ残して、リディアは店内へと消えていった。
しばし唖然とする。
だが、ここに突っ立っていたら往来の邪魔になるのは間違いないので、すぐにアレンが待つ方角へと歩みを向ける。
リディアは結局何が言いたかったのだろうか。その言葉以上の気持ちまで、レオンが推測するのは難しいだろうから、言葉をそのまま受け取るしかない。
勝敗は気にしないで、楽しんでくれたらいい。
そういう事だろうか。
いずれにしても、どうやらこちらの何かを気遣ってくれているのは確かなようだ。根拠はないものの、リディアの性格から言ってもそうだろう。クールな印象のあるリディアだが、根は優しい人格なのは間違いない。もしかしたら、この町でレオンが出会った人物の中で一番優しいかもしれない。
そういえば、彼女が言ってくれた事があった。
前世なんかなくても生きていける。
その後、デイジーが言いに来てくれた事があった。
リディアはああ見えて優しい子なんだと。
今は少しだけ、あの時の2人の気持ちが分かるような気がする。もし自分が2人のような立場だったら同じ事をしたかもしれない。そう思えるくらいには、2人に感情移入出来るようになっている気がする。2人だけではなく、この町で親しくして貰っている人ならば、なんとなく気持ちが近付いてきているような気がする。
昔より分からなくなっているのは1人だけだった。
自分自身。
特に最近だ。
ただなんとなく、意味もなくもやもやする。
これはいったい何故だろう。
そんな事を考えているうちに、アレンの姿が見えてきた。町の端と言えるこの位置でも人が大勢いるが、そんな中でも目立つ程の長身。男性にしては少し長めの髪から覗く眼光は鋭い。
こちらに気付いたアレンは、隣にいた男性に声をかける。名前は知らないものの、よくこの場所で見かける男性である。アレンと同じ警備員なのだろう。
声をかけられた男性はこちらに軽く手を挙げて挨拶して、足早に町の中へと消えていった。
会釈しながらそれを目で追ってから、レオンは再びアレンの方へと近付く。
「悪いな。本来なら、レオンに頼むような仕事じゃないんだが」
「あ、いえ。大丈夫です」
正面に立ち止まってから答えるレオン。改まって言われると、つい恐縮してしまう。
「それと、デイジーとリディアが、アレンさんによろしくって・・・」
「そうか。あの2人は今日もガレットさんのところか?」
「はい。これからまた忙しくなるみたいです」
「そうかもしれないな」
そこで会話が止まってしまった。アレンの場合、突然沈黙になっても、全然気にならないようだ。
しばらく待ってみても何も話しかけてこないので、レオンは自分から話題を作る。
「あの、今の人は・・・」
アレンは町の方を眺める。
「ああ見えて幼い子供がいる。こちらは独り身だ。要するにそういう事だ」
抽象的な説明だったが、不思議とレオンは理解出来た。
そこでアレンはじっとこちらを見下ろしてくる。
「夏祭りは楽しめているか?」
そんな質問をされるとは思わなかったので、レオンは少し驚いた。
「はい・・・今も料理品評会っていうのを見てきたところです」
ところが、アレンはすぐに言った。。
「そうじゃない」
「はい?」
「焦っていないか?」
何の話だろうかと最初は思った。
だが、それも一瞬だけだった。疑問の印象が薄れていくにつれ、意外なくらいあっさりとその言葉の意味が飲み込めてくる。
ダンジョンに行けない。
訓練も出来ない。
それは仕方ないと納得しているはずだった。
だが、それでも焦っていたのか。だからなんとなくもやもやしていたのだろうか。
固まっているレオンに、アレンは普段通りの口調で告げる。
「こういう時は自分を見つめ直すといい」
「自分を、ですか?」
軽く頷くアレン。
「俺は剣しかやってこなかった。ずっと剣ばかり握っていて、それでやってこられた。それはそれでもちろん幸せな事だが、悪い事もある。特に、もっと若い頃に自分を見つめていれば良かったと、今になって思う。贅沢なようだが、例えば怪我をしたりしていれば、もしかしたらそういう機会があったかもしれない。何かで立ち止まった時くらいしか、そういった機会は訪れないものだな」
少し迷ったが、レオンは尋ねた。
「どうして、僕が焦っている事が分かったんですか?」
アレンは遠くを見る。
「分かったわけじゃないが・・・やはり似たもの同士という事だろうな」
「え?」
何故かアレンは答えなかった。
仕方ないので、レオンもアレンの視線の先を見てみる。ただ空と山と林と草原があるだけ。夏の空気によってすっかり緑も深まっている。だが、この深い色もそう長くは続かない。
そう考えると、なんとなく自然も焦っているように感じられた。あまりにも早く夏は去ってしまうのだ。
いや、違う。
秋が迫っても、人の目では捉えられないゆっくりなスピードで紅葉していくのだ。急に変わったりするわけではない。そう考えると、緑は実に悠然としている。
レオンの頭にある人物の瞳が思い浮かんだ。
「アレンさんは、ホレスさんと仲がいいんですか?」
何気なく聞いてみると、アレンは一瞬だけこちらを見た。
「そういえば、酒を飲む約束をしていたな」
「へえ・・・」
アルコールが好きなのだろうか。ホレスはウイスキーの蒸留所を世話してくれているから、味をみる時に飲んでいるだろう。だから、飲めないというわけではないはずだ。
「だが、そもそも祭りが苦手らしい。祭りというか、人混みだが」
「そうなんですか・・・」
確かにあまり賑やかな場所が好きそうには見えない。
「フィオナやシャーロットも苦手だな。特に、フィオナは人が多過ぎると疲れるらしい。いくら才能があるとはいっても、やはり本物の視覚に比べたら負荷が大きいのだろうな」
「あ、なるほど」
そう言えば、フィオナが祭りを見て歩いているところはまだ見ていない。普通に暮らせるとはいっても、やはり苦労があるようだ。
「いずれにしても、ホレスの約束は祭りが終わってからだろう。そういえば・・・ガイも帰ってきてないな。珍しいといえば珍しい」
「いつもは違うんですか?」
「いや・・・毎年、気付いたらいるといった感じだが」
よく分からないが、これだけ人が来るから印象が薄れてしまうらしい。いずれにしても、アレンの口振りからするに、あまり興味のある話題ではないようだ。
そこでアレンは急にこちらを向く。
「危うく忘れるところだったが・・・明日は武術大会だな」
「え?あ、はい。まあ・・・」
「レオン。大会のルールは知っているな?」
意表を突かれたものの、レオンはすぐ頷く。
「それはもちろん・・・」
アレンはすぐさま聞いた。
「本質が見えるか?」
「・・・本質ですか?」
聞き返した時点で、見えていない事が向こうにも伝わっただろう。
するとアレンはまた視線を山の方へと向ける。
「見えていないなら、いい勉強になるだろう。ソードマスターの心髄に、少しは触れられるかもしれないな」
少し驚く。そんなに奥深いルールだったのか。
「いずれにしても、冒険者も人間だ。それは忘れるな。サイレントコールドもソードマスターも人間だ。いつもダンジョンに入り浸っているわけにはいかない。戦う時とそうでない時に、上手く折り合いをつける事が必要だ。戦いから離れている時、サイレントコールドは自然と、ソードマスターは子供との時間に充てていた。レオンはどうだ?」
「え・・・」
要するに趣味みたいなものだろうか。そう言われると、ほぼ無趣味と言ってもいいレオンである。
そんなレオンをアレンはいつもの表情で見つめている。
「そういった事を見つけるには、ある種の心の余裕が必要だろうな。しかし、焦るなと言っても焦る。そういう時にじっと自分を見つめる。焦っている自分に慣れるというか、その自分を俯瞰出来る自分になるために。そうやって人は少しずつ大きくなる」
「俯瞰、ですか・・・」
難しい言葉だが、最近読んだ本の中に出てきたので、レオンはその意味を知っていた。
「ただ立っているだけの退屈な仕事だが、ちょうどいいから今やってみろ」
「でも・・・いいんですか?」
完全に仕事をサボっているに等しい気がする。
淡々とアレンは答える。もうこちらを見ていなかった。
「俺が見張っているからいい」
「すみません。なにか・・・」
「礼を言わなければならないのはこちらだ」
そう返されると、レオンは何も言えない。
仕方ないので、自分の事を考えてみる。
自分は焦っているのだろうか。
よくよく考えてみると、確かにずっと何かしていないと落ち着かない性格ではあるような気がする。暇を見つけては何か手伝いをしている。その事でよくベティに呆れられていた。
ただ、村にいる時はそれが当たり前だったのだ。
村の人々には全員、大人でも子供でも、大なり小なり自分の仕事というか、役割があった。村のために何かしているというのが、ある意味標準だったのである。
この町に来てからも、ずっと冒険者になるための訓練をしている。
1日2日休んだ事はもちろんある。天気が悪かったりすると訓練所は使えないし、ダンジョンから戻った翌日などは休養に充てる事が常だ。
だが、次の日はまた訓練に戻れる。明日はまたダンジョンに行ける。
今のように、しばらく何も出来ないという日々が続くというは、もしかしたら初めてかもしれない。せいぜい本を読んで勉強するくらい。だが、大抵疲れてヘトヘトになっているので、あまり捗らないのも事実だった。
そんな状況に焦りを感じていたのか。
自分の夢をもう一度見つめてみる。
立派な冒険者になりたい。前世が欠けてしまっている中途半端な自分でも、多くの人から頼りにされるような存在になりたい。
ずっと戦ってばかりいる人間というのは、もしかしたらそういった人物像とは少し違うものなのだろうか。今のままの自分では、戦うしか出来ない人間になってしまうのか。それこそ、近くにいる人を呆れさせてしまうような人間に。
なりたいのは、自信というか、余裕というか、そういったものを携えた頼もしい人間。
ふとレオンは思い出した。
そういえば、最初にダンジョンに入った時もそうだった。早くクリアしないといけないと無意識に思っていたのだ。
その時と全然変わっていないではないか。
いや、もしかしたら、変わってないのかもしれないと認めるのが嫌だったのか。だから焦りを認識出来なかったのかもしれない。
いつの間にか、レオンの表情は綻んでいた。
結局、背伸びしているだけなのかもしれない。見栄を張っていただけなのかもしれない。
そう考えると、今の自分がするべき事が見えてきた気がした。
「・・・少しだけ、分かりました」
それだけ言って、アレンの顔を見上げる。
やはり遠くを見ていたアレンだが、一瞬だけこちらに視線を送った。
「そうか」
なんというか、本当に最小限の事しか言わない。
レオンは微笑む。
「あの、アドバイスして貰って、本当にありがとうございます」
「礼を言われる程の事じゃない」
なんだかホレスに似ている。レオンは少し笑ってしまった。
そんなレオンを少し怪訝そうな表情でアレンは見下ろす。
「どうかしたか?」
軽く両手を振って、レオンは誤魔化す。
「あ、いえ・・・さすが年長者だなと思って」
アレンはあっさり言った。
「いや、そうでもない」
「はい?」
「俺も最近になって、ようやくだ。暇を持て余した経験がほとんどなかったからな」
「へえ・・・」
「恐らく、ガイやホレスの方が経験があるだろう」
また山の方を見るアレン。
レオンもなんとなくそちらを見た。
この町のお祭りの喧噪が嘘みたいに、ただ静かに悠然と佇んでいる。
あの緑こそが、イブの愛した自然。
まだ自分とは、比ぶべくもない。
その大きさと距離、力も心もまだ遠い。そんな事を噛みしめながらも、身体中に不思議と活力がみなぎってきたような気がしたレオンだった。