嵐の前
よく磨かれた内装が光を幾重にも乱舞させる、煌びやかなガレットの酒場。その店の雰囲気とは裏腹に、利用客はといえば冒険者。つまり、その大半は屈強な男達である。女性客は3割程度だろうか。その半分くらいが、装備から推察するにジーニアス。ただ、ステラのように、見た目だけでジーニアスだと分かる華奢な容姿をした女性はもっと少ない。この傾向は、見習いの場合でもだいたい当てはまる。
ところが、最近少しずつその傾向が崩れ始めているような気がする。
いつものカウンター席から店内を眺めながら、レオンはそんな印象を抱いていた。
「どうかしたんですか?」
聞こえてきた澄んだ声に、レオンは自分の隣を見る。
繊細なブロンドのショートヘア、そして深みのある青い瞳。大きな白いマントを羽織った彼女の姿は、この季節には少し暑苦しい格好かもしれないが、その髪と瞳の印象が際だって、不思議と涼しげに見える。
ステラは少し首を傾けてこちらを見ている。なんとなく仕草がフィオナに似てきたような気がする。それでも、まるで背中に鋼が通っているかのような美しい姿勢だった。
これが育ちの違いという事かもしれない。レオンはそんな事を密かに思いつつ、少しだけ背筋を伸ばした。
「いや・・・ちょっと、お客さんが変わってきたような気がして」
「お客さんが、変わるんですか?」
言われてみれば、確かに変な表現だった。
「あ、えっと・・・多分だけど、冒険者のお客さんが減ってるような気がして」
説明したところで、ステラには実感がないかもしれないとレオンは思った。男性が苦手なステラは、酒場の客を普段から観察したりしていないだろう。
それでも、ステラは申し訳程度に店内を見渡す。
「・・・ちょっとだけですけど、女の人が減ってる気がします」
「あれ、そう?」
もう一度レオンも店内を見渡す。
この店は基本的に男性客が多いので、自然とそちらばかり注目していたレオンだが、そう言われてみると、確かに女性客も少ないような気がする。
そこで、カウンター奥の扉が勢いよく開いて、ブラウンのポニーテールの少女が姿を現した。
「はいはい。お待たせー」
ベティはいつもの笑顔で、カウンターの向こう側からレオンとステラの前に昼食が載った皿を置く。そして、ステラの隣にもう一皿置いた。そこが自分の席という事なのだろう。手はふたつしかないのに、お盆も使わず器用に3皿も運んできたのは、さすが店主の娘なだけはある。それだけでなく、掌サイズの小鉢に野菜の切れ端を入れて持ってきていた。
「あれ、ソフィは?」
その質問に、ステラが微笑みながら自分の膝の上を指で示す。
「あ、寝てる?」
「いえ、起きてますよ。でも、退屈そうです」
「そうかー。それなら、私が遊んであげよう」
嬉しそうな表情で、ベティはこちら側に回り込んで来る。
ステラの膝の上で丸まっているのが、純白のカーバンクルであるソフィ。その紅い瞳はまだ開かれていたので、確かに寝ているわけではない。ただ、その場所が心地いいのだろう。最近はステラの膝の上にいる事も多い。ダンジョン内でも、レオンを気遣ってくれているのか、ステラと一緒に後ろで控えている事が多くなった。それでも、ソフィが一番長くいるのは、何故かレオンの肩の上だった。特段居心地がいいとも思えないが、単に慣れてしまっただけかもしれない。もしかしたら、そこが自分の住処だと勘違いしている可能性もある。
そんなソフィに、ベティは持ってきた野菜の切れ端を与え始める。それを遠慮がちに食べる姿が愛らしいのだ。どんな人であっても、見ればきっと表情が綻んでしまうだろう。
少女2人と妖精1匹の微笑ましい光景を少しだけ眺めてから、レオンは昼食を頂く事にした。
そこで、ようやく気付く。
この酒場の食事と言えば、基本的にボリューム満点で、ただ焼いただけとか煮ただけとか、シンプルというか豪快な料理が多い。
だが、今日は少し趣が違った。
肉料理というのは確かだったが、いつもなら皿に豪快に載せてあるのに対して、今日はきちんと切り分けられて、ある意味慎ましく載っている。いつもは完全に脇役以下の存在でしかない野菜達も、今日は綺麗な彩りとして見事な仕事ぶりだった。主役の肉を中心に、その上に薄い色の野菜が千切りに載り、その周りに円を描くように、赤、黄、緑の野菜が配置されている。線を描くようにかけられた黒色のソースが、まるで絵画のサインのように見える。
「こんな田舎の酒場で、こんな料理に出会えるなんて・・・とか思った?」
いつの間にかこちらを見ていたベティが、少し低い声で言った。どうやら、レオンの声を真似ていたらしい。
だが、レオンが実際に考えていた事とは全く違う内容だった。
「いえ、なんていうか・・・これ、どうやって食べるんです?」
瞳を大きくするベティ。
「・・・何が?」
「え、いや・・・せっかくこんなに綺麗に盛りつけてあるので。どうにかして、崩さないで食べるんですか?」
ベティとステラの時が止まったように見えた。
それを見て、レオンはまた馬鹿な事を言ってしまったらしいと気付いたが、もう遅かった。
不意にベティが可笑しそうに吹き出す。
ステラは笑いこそしなかったが、驚きが隠せない様子だった。
「あ、いや・・・」
慌てるレオンに、ベティが言った。
「いや、いいんだよ。でも、そうかー・・・」
何故かベティはこちらを意味ありげな笑顔で見据える。
「・・・何ですか?」
「ううん。何でもないけどー」
その割には、表情に含みがあり過ぎる。
そこでベティはステラに視線を送る。
ほぼ同時に、ステラもベティを見ていた。
視線を交わす事、数秒間。
その後、何事もなかったかのように、2人は昼食の前に手を合わせた。
「それじゃあ、いただきまーす」
「いただきます」
呆気にとられるレオン。
「あの・・・」
怖ず怖ずと声を上げると、ステラ越しにベティが言った。
「あ、いい事思い付いた」
「はい?」
ベティは邪な笑顔で言った。
「今度、フルコースってやつを見せてあげよう。レオンがどんな食べ方するのか楽しみだから」
どんな期待をされているのか分からないが、見せ物にされるのは御免である。
そこでベティは少し表情を穏やかにする。
「それでも、一回くらいは経験があった方がいいかもねー。冒険者になったら、高級レストランで食事する機会があるかもしれないし」
「あ・・・」
そう言われると、確かにそうだった。
「もしかしたら、ステラの家に招待されて、一緒に食事しましょうってなるかも」
「え?」
何故かステラが動揺したが、ベティは構わず続ける。
「その時にステラに恥をかかせたくないでしょー?」
「確かに・・・」
レオンが頷いていると、不意にステラと目があった。
「・・・どうかした?」
こちらを見たまま固まっていたステラだったが、その声で我に返ったようだった。
「あ、いえ・・・」
ステラはそのまま食事に戻る。
何か釈然としないレオンに、ベティが言う。
「とりあえず普通に食べたらいいんだよ。もし出来るんなら、崩さない食べ方に挑戦してもいいけど」
要するに、そういう食べ方はないらしい。
「・・・そうですね」
自分も食事を始めながら、ベティは言った。
「でも、さっきの台詞、お母さんに言ってあげてねー。多分喜ぶから」
「さっきの・・・?」
「こんなに綺麗に盛り付けてあるって言ったでしょー?」
「あ、なるほど」
もちろん本心から出た言葉だったが、特に褒めようと思ったわけではない。ただ思った事を口に出しただけだったので、わざわざまた伝えにいくのも少しおかしいような気がしたレオンだった。
美味しそうに肉を頬張ってから、ベティは言った。
「これね、お祭り用のメニューなんだ。つまり、一般客用」
「へえ・・・」
見栄えがいいのはそういう理由だったらしい。
「材料とかは決まってたんだけどねー。私のお母さんって、追い込まれないと本気が出ないタイプなんだ。だから、メニューが完成するのはいつも今頃。まだこれから新メニューが増えていくから、2人ともよろしくねー」
「よろしく?」
「味見というか、感想。でも、レオンは基本的に美味しいしか言わないからなー」
苦笑気味にこちらを見るベティ。よく考えてみたら、確かに美味しい以外の感想を求められても、あまり気の利いた事は言えそうにない。
必然的に、レオンとベティの視線は、間にいる金髪の少女に注がれた。
さすがの美しい所作で食事中だったステラだが、さすがに視線が気になったらしく、その手を止める。食器を置いても音が全くしない。
「・・・えっと、感想ですか?」
頷く両サイドの2人。
期待を一身に背負ったステラだったが、控えめに申告する。
「あの、私も、そんなに料理について詳しくは・・・」
「でも、レオンよりは詳しいわけだし」
「え?あ、えっと・・・」
こちらを見るステラ。反応に困っているようだったので、レオンは言った。
「僕より詳しくない人なんて、そうそういないと思う」
自分でいうのもなんだが、概ね事実だった。
その言葉が後押しになったのか、ステラは料理を一度じっと観察してから、言葉を選ぶようにして話し始める。
「とりあえずお肉なんですけど、ハーブで香り付けしてありますよね。この地方特産のものなので、観光の方には新鮮でいいと思います」
全然気付かなかったレオンだった。しかし、よくよく考えてみると、単に香りに慣れているだけかもしれない。レオンだって、この地方出身なのは間違いないのだから。
「見た目も味もいいと思いますよ。ソースに酸味を効かせてあるのが、ここの爽やかな雰囲気にあっていていいですね。ただ、お肉がちょっと柔らかいかもしれません。えっと・・・これは炙ってあるんですよね?」
尋ねられたベティは頷く。
「もう少し火を通して、堅めに焼いた方が喜ばれるかもしれません。この地方の方々は柔らかいお肉を好むんですけど、他の地方の方々は基本的に堅いお肉を好むんですよ。気候の違いというよりも、歴史の違いではないかって言われているんですけど」
「あ、そういえば、デイジーがそんな事言ってた気がするなー」
何度か頷きながら、ベティは言った。
「デイジーが言うなら多分合っていると思います。ただ、そういう傾向があるってだけなので、無理に変える事はないと思いますよ。調理時間とかとの兼ね合いがあると思うので・・・」
控えめに言ったステラだが、ベティは満足げな表情だった。
「うんうん。さすがステラだね。聞いといてよかったー」
「そ、そうですか?」
「外から来た人の意見って貴重なんだよ。私とかレオンはね、いつもだいたいこんな料理食べてるから、なかなか分からない事ってあるんだ。それに、冒険者のお客さんにも味わって食べるような人がほとんどいないから、感想聞いてもつまらないんだー。だいたい3パターンしかないんだよ。美味いか、腹一杯か、酒の相手してくれよ、くらい。全然参考にならないし」
確かに参考になりそうにない。特に、最後のは感想ですらない。
微笑みながらベティは言った。
「だから、気付いた事は何でも言って。頼りにしてるから」
少し戸惑っているようだったが、ステラも微笑む。
「はい・・・あ、でも、十分美味しいですよ。私の意見なんて、気にしなくても大丈夫だと思います」
「いいのいいの。お母さんは追い込んだ方が実力出すから」
確かにさっきそう言っていた。
ただ、どこまで追いつめる気だろうか。少しだけ心配になったレオンである。
そこで、また調理場のドアが開く。
当然というべきか、そこから姿を見せたのはベティの母親ではない。人見知りというわけではないが、あまり接客が好きな人ではないのである。その辺りはベティと全然似ていないが、容姿はなんとなく母娘で面影がある。性格は父親似。容姿は母親似。ある意味いいとこ取りをしたと言えない事もない。
ドアの向こうから顔を見せたのは、まるで彫刻のような厳めしい面構えの男性だった。それ以上彼が近付いてこないのは、ステラに気を遣っているのだろう。
「レオン。ちょっと・・・なんだ、まだ飯か?」
ガレットは目線だけ動かしてそう言った。最近気付いた事だが、ガレットにはそういう癖がある。周囲を見渡す時、顔を動かさないのだ。もしかしたら、冒険者時代の癖なのだろうか。最近気になりだした事のひとつである。
そんな事を考えていたため反応が遅れたが、レオンは頷いた。
「あ、はい・・・」
「その程度の量だったら、携帯食みたいなもんだろ。一口で食っちまえ」
確かにいつもよりは少ないが、間違っても携帯食程度ではない。一口で食す事は、恐らく普通の人間には不可能に違いない。
だが、もしかしたら彼になら出来るかもしれない。そう思わせるような規格外の大男こそ、今目の前にいるガレットである。
その言葉に誰よりも早く反応したのは、彼の娘だった。
「やだなー、そういうの。せっかく綺麗に盛り付けたのに一口で食べられたら、いくらお母さんでもショックだと思うなー」
仮に本当に一口で食べたとしたら、それはそれで凄い光景だろうから、別の意味でショックかもしれない。
淡々とガレットは答える。ただ、視線はレオンに向けられたままだったので、若干レオンは居心地が悪かった。
「胃袋に入ったら一緒だろうが。それはそうと、レオンは祭りの間に仕事が入ってるか?」
「え?あ、えっと・・・」
レオンはベティを見る。
その視線を受けて、ベティは一度だけ瞬いたが、やがて気が付いたように言った。
「あ、大丈夫大丈夫。とりあえず、レオンはソフィと一緒にいてくれればいいから」
「はあ・・・」
生返事を返すと、ベティは父親の方を見る。
「でも、レオンは武術大会に出るから。それは絶対にキャンセル不可」
ガレットは一瞬だけベティを見たものの、すぐに視線を戻す。
「じゃあ悪いんだが、ひとつ仕事を頼まれてくれるか?調理場に食材を運ぶだけなんだが、人手が足りそうにねえんでな」
「あ、はい・・・」
それくらいなら全く問題ない。レオンは頷いた。
「飯が終わったら裏まで来てくれるか?いろいろ説明しておくから」
「はい。分かりました」
またガレットは調理場の奥へと消えていった。なんとなく忙しそうである。お祭りが近いのだから当然かもしれない。
昼食にとりかかろうとしたレオンだったが、ふと気付くと、ベティがこちらを見ている。よく言えば楽しそうな、悪く言えば何か企んでいそうな、そんな笑顔だった。
「・・・何ですか?」
やや間があってから、ベティは答える。
「今、それくらいなら手伝ってもいいかーって思ったでしょ?」
いきなりの言葉だったが、まさにその通りだったので、レオンは頷かざるを得ない。
「そうですけど・・・」
「レオンはね、お祭りの恐ろしさを知らないんだよ」
「はい?」
ベティは片目を瞑る。
「終わったらね、きっと分かると思うよ」
「・・・出来れば、今教えて欲しいんですけど」
「うんうん。そこまで言うなら、力づくで聞き出して貰おうかな」
聞き出される方が言う台詞ではない。
しばらくベティの笑顔を見ていたレオンだったが、見ていてもどうにかなるものではない。早々に諦めて昼食に取りかかる。
今日はベティも大人しく引き下がった。母親の手料理が冷めるのを嫌っただけかもしれない。
そのまましばらく食事する。ベティとステラは時折料理の感想を口にし合っていたが、あまり気の利いた事が言えないレオンは黙っていた。
いつの間にか、ソフィは気持ちよさそうにうたた寝をしていた。満腹になって気持ちよくなったのか。
もうすぐレオンの皿の上が平らげられそうになったところで、不意にベティが言い出した。
「そういえばガイさんが帰ってくるなー」
本当に唐突だったが、ステラがすぐに返事をした。
「ガイさんって、あの、私を乗せてきてくれた・・・」
「そうそう。そういえば、レオンも乗せてきたんだよね」
「あ、そうなんです?」
ステラがこちらを見る。そういえば、まだそれは話していなかった。
「たまたま村に来てて、ついでだからってユースアイまで乗せてくれたんだ」
「へえ・・・」
「でも、お祭りだからって、帰ってくるとは限らないんじゃないですか?」
レオンの質問に、ベティは口元を上げる。
「帰ってくると思うなー。基本的にね、ああいう人はお祭りの時に寄ってくるものなんだよ」
「ああいう人・・・」
どういう区分けをされたのかが謎だった。単にお祭り好きというか、愉快な事が好きな人という意味だろうか。
どこか遠くを見ながら、ベティは言った。
「嗅ぎ分けてくるんだよねー。お祭りというか、人が多い場所というか、要するに女の人が集まる場所を。なんとなく楽しくなって、お酒を一杯飲んだりして、みんな開放的になって、そのおこぼれに頂戴出来るんじゃないかって」
なんとなくだが、そこでベティの微笑みが少し変わった気がした。
「本当にいい度胸だよね・・・いくらガイさんでも、私の友達に妙な真似をしたら、ちょっと手加減出来ないなー。いい機会だから、行商として数々の死地を乗り越えてきた腕を、今こそ見せて貰うしかないよね」
ベティは堪らないといった微笑みを見せる。普段は抑えているものが溢れてきたような、そんな印象。彼女は気付かなかったようだが、レオンの身体には震えが走っていた。
「お祭り・・・すっごく楽しみ」
具体的に何を楽しみにしているのか。
気にはなったが、聞きたくはない。
とにかく、ベティの血潮を燃やすような行事がすぐ傍まで来ているのだ。
何かとんでもない事が起こるような気がする。
祭りという響きにワクワクしている中に、言いようのない不安が過ぎる。
一体どうなるのか。というより、自分に何が出来るのか。
結論は一瞬で出た。
彼女がその気になったら、誰にも止められない。
自分なりに出来る事をささやかにやろう。
そして、なるべくお祭りが平穏に終わりますように。
それだけ願いながら、レオンは昼食の最後の一口を喉の奥に流し込んだ。