リカバリー・リフレイン
ルーンの再調整とは、要するに役割を変更する事だった。
「前はネックレスのルーンで魔法障壁を作って、杖のルーンで魔法補助をしていました。ですけど、シャーロットに頼んで役割を入れ替えて貰ったんです。ネックレスの方が大きいルーンなので、本当はそちらの方が障壁が大きくなって安全なんですけど、誤作動した時の負荷が大きくなり過ぎるので・・・」
向かい合って座るステラが説明する。背景に見える草原の緑と、空と湖の青、そして、同じ色の彼女の瞳とサラサラのショートヘアがとても涼やかだった。肩には白いマントが掛かり、左肩には杖が、右肩には行儀良く座ったソフィが陣取っている。
対するレオンはというと、使い古され過ぎたオールを漕いで、なんとか小舟を進ませているところだった。なかなか重労働だったが、いい加減扱いに慣れてきた気もする。ファースト・アイに通い出して一番上達しているのは、もしかしたら舟を漕ぐ技術かもしれない。
そのお陰と言うべきか、息が切れて会話もままならないというわけではなかった。
「要するに、魔法に対する防御が手薄になるって事?」
「はい。えっと、前は身体全体を守ってくれていたんですけど、今はこの・・・」
ステラは杖の先についているルーンを示す。
「このルーンから、だいたい半径30センチくらいまでです。レオンさんの盾みたいなものだと思っていただければ・・・」
「あ、そうか。つまり、魔法が来たら前に掲げないとダメなんだ」
前は魔法に対する鎧みたいなものだったのが、今は盾くらいの面積しかカバー出来なくなったと、そういう事らしい。
心なしか、ステラの表情は冴えない。
「あまり十分な防御とは言えないので、またご迷惑をおかけすると・・・」
オールを漕ぎながらも、レオンは微笑んでみせた。
「大丈夫。僕だって迷惑かけてるみたいだし・・・」
「はい?」
首を傾げるステラに、レオンは思い出しながら言った。
「ほら、この前ステラが倒れそうになった時、本当は僕に言いたい事が山ほどあるって・・・」
「いっ、いえっ!あれは、その・・・」
どういうわけか、かつてないほどステラが動揺したので、レオンは正直驚いてしまった。
「何か迷惑をかけてるなら・・・」
「いえいえ!あの、どうかお気になさらず・・・」
「でも、仲間なんだし、はっきりとさせておいた方が・・・」
「滅相もないですっ!はっきりさせるなんて、そんな、もう、それはとんでもない事で・・・」
とんでもないかと思いつつも、ステラの必死さだけは伝わってきたので、ついレオンは頷いてしまった。
「そ、そう?でも、気になる事があったらなるべくはっきり言ってね。僕はほら、あんまり気が付く方じゃないから」
「は、はい・・・」
なんとか答えたものの、まだ視線がさまよっているステラだった。頬もほんのり朱い。
ほどなくして、ファースト・アイの入り口がある小島までたどり着く。
ダンジョンに入る前、なんとなく、レオンはそこから周囲を見渡してみた。前に来た時もちらほらと見見受けられたが、観光客らしき人影も増え始めているようだった。湖のひんやりとした空気に触れに来たのだろうか。遠目だからはっきりとは言えないものの、家族連れが多いように見える。
その家族団らんの場面を、会話を、レオンは想像した。
いろいろな思いが沸き上がってくる。
家族、友達、仲間、そして自分。
ファースト・アイでは、まだ1階層目も上手くいかない。それでも、自分には目標が、夢がある。それを後押ししてくれる人もたくさんいる。
深呼吸して、自然の活力と、他の多くの想いを、胸に取り入れた。
そして振り返る。
彼女は既にマントを脱いで、白い魔導衣姿だった。細かい紫の刺繍が入っている馴染みの服。どうやらそれが気に入ったらしく、同じ服を何着か持っているようだ。
準備は万端のようだ。
「じゃあ、行こう」
「はい。行きましょう」
こうやって言葉を掛け合う。それが2人のダンジョン探索ではお決まりだった。
レオンとステラは、こうして今日もファースト・アイに足を踏み入れる。
まず迎えてくれるのは、白い翼を携えたカーバンクルの像。その部屋の扉を確認し、相談してから、今日の進路を決める。
上手くいかないとはいえ、幾分慣れ始めている2人。
このダンジョンのどこか難しいのか、自ずと理解し始めていた。
まず、モンスターが強い事。
これは当たり前かもしれない。ビギナーズ・アイでは、多少腕の立つ一般人でも倒せるようなモンスターがいたが、ファースト・アイではまずあり得ない。むしろ、明らかに人間よりも強いのが普通である。それは例えば、身体能力が優れていたり、魔法が使えたり、特定の攻撃しか効かない防御能力を備えていたり。ビギナーズ・アイでは強力モンスターだったものが、ここでは当たり前のように出てくる。何かしら道具を使わないと勝てないという戦闘がほとんどだった。
次に、地形の複雑さ。
ニコルが言ったように、これは戦闘において、利益にも不利益にもなる。段差や遮蔽を上手く使いこなす事が基本と言ってもいい。ただ、レオン達にとって一番大変なのは、戦闘に入る前の段階の事だった。
要するに、モンスターが潜んでいるのか否か、それを確認する苦労が予想以上なのだ。モンスターにしてみれば隠れ放題と言ってもいい地形をしているである。それに、ただ柱の陰に身を潜めているというだけならまだしも、体色が壁や地面と同じだったり、極端な例では、この前の粘体のような透明なモンスターもいる。全てを確認なんてとても出来ないが、だからといって手を抜くわけにもいかない。時間がかかっているのは否めないところだった。
そして最後。
ファースト・アイは5階層。それは初めから分かっている事だが、ただそれだけの意味ではなかった。
ダンジョン内では時間の感覚がない。結果、自分の疲労に気付きにくい。
熊型モンスターの渾身の一撃を盾で受けた時、レオンは不意にその事を理解した。
だが、それに気を取られたのは一瞬。
踏ん張りきれずよろめいた足になんとか力を込めて、後ろに跳躍する、
地面に手を着き、また一歩後退。
その空間をモンスターの鉤爪が薙いていったが、それ以上は、向こうの体長をもってしても届かなかったようだ。
つまり、また突進してくるという事。
レオンはモンスターの姿を一瞬で観察する。
熊型なのは間違いないが、野生の熊とは違いがいくつかある。まず身体を覆うのが毛皮ではなく、鱗のようなものである事。鉤爪がナイフのように長く鋭い事。そして、顔に目や鼻のようなものが見あたらない事。
弱点の見当が付かない。
だが、レオンは迷わなかった。
向こうの攻撃が空を切ったその一瞬で、腰に取り付けていた粘着弾を抜き取り、モンスターの足下に投げつける。
軽い破裂音と共に、白い粘液が地面を覆った。
こちらに踏み出そうとしていたモンスターの足が、それに絡め取られる。
それを確認してから、レオンは振り返った。
ちょうどその時、既に同じ方法で捕らえられていた2体の熊型モンスターが、ステラの魔法によって霜の柱されていたところだった。
白と紫の煙が立ち上る向こう側で、ステラもこちらの様子に気づいたようだった。
レオンは何か言おうとする。魔法をでもいいし、こちらもよろしくでもいい。
だが、言えなかった。
自分でも少し驚く。
何も言えなかったが、見れば状況は分かったのだろう。ステラはまた魔法準備を始める。
結局、そのまま3体目も、彼女の魔法で煙となって消えた。
他にモンスターが襲ってこないのを確認してから、レオンはようやく言った。
「・・・疲れたよね」
同じ気持ちだったのだろう。すぐ隣まで来ていたステラは即答した。
「ですよね・・・」
気になってステラの表情を窺うレオン。純光源は炎の明るさとは違い、ほとんど赤みがない。だから、彼女の顔色もよく分かった。何より、息遣いが少し辛そうだった。
仲間の疲労にここまで気付かなかった事は、失態以外の何者でもない。自分の体調すら把握出来ていなかったのだから、言い訳する余地もない。
隠れていたソフィが、いつの間にかステラのすぐ傍に座っている。
深呼吸してから、レオンはなんとか頭を働かせ始めた。
「そうか・・・こんなになるまで戦ったら、とてもじゃないけど、夜の見張りなんて出来ないよね」
今なら1分で寝られる自信があった。
ステラは一度屈んでソフィを抱き上げてから、こちらを見て言った。
「もっと早めに休憩しないといけないんですね。どこかで見切りをつけないと・・・」
「えっと・・・これで何回目の戦闘?」
「確か、4回目か5回目か、それくらいだと思いますけど」
聞いておいてなんだが、きっとそれくらいだろうとレオンも思っていた。ただ、それを時間に換算すると、恐らく1時間にも満たない。日頃の剣の訓練は数時間やるのが当たり前なので、その程度で疲労するとは思えなかったのだ。
やはり精神的な疲労が大きいのだろう。モンスターの奇襲に注意を払いながら、安全地帯の確保を優先しながら、頭を使って戦う。この前ステラがルーンの誤作動で倒れかけたが、それはステラだけに当てはまる話ではないのだ。レオンだって、ダンジョン内では常に気が抜けない。プレッシャーのあまり倒れる事だってあるかもしれない。
改めてそう認識すると、急に身体が重く感じるレオンだった。
「そういう事もしっかり把握しないといけないのか・・・」
だが、気丈にもステラは微笑んでみせる。
「でも、ここまで戦えたのは初めてですよね。まだ1階層目ですけど」
微笑み返そうとしたレオンだったが、ふと気付く。
「・・・これでもまだ1階層目って事は、仮に3日いたとしても、3階層目までしか進めないって事?」
言いようのない沈黙。
これだけヘトヘトになって進んでも、5階層目なんて夢のまた夢なのか。
「・・・もしかしたら、進み方が悪いんでしょうか」
「進み方?」
ステラは頷く。
「慎重過ぎるんでしょうか。それか、もしかしたら要領が悪いのかもしれません」
「要領・・・何かコツみたいなものがあるのかな」
そこでまた静寂が訪れる。ただ、先の沈黙とは違い、2人とも思考を巡らせているための静寂だった。
しかしながら、既に2人の脳も限界である。
「・・・帰ったら、ガレットさんに聞いてみようか」
「・・・そうですね」
他人に頼りっぱなしの気もするが、今はもうそれどころではない。
再び深呼吸をしてから、レオンは考える。
「えっと・・・もう今日は見張りどころじゃないし、粘着弾はあれで最後だし、もう帰った方がいいね」
「はい・・・あ、でも」
頷きかけたステラだったが、そこで控えめに提案する。
「思ったんですけど、もうすぐお祭りじゃないですか」
「そうだけど・・・」
「すぐに準備が始まって、皆さん忙しくなって、ちょっとダンジョンに行き辛くなるような、そんな気がしませんか?」
「あ、うん」
少し驚く。まさにそう思っていたレオンだった。お祭りまではあと2週間弱。お祭り前にダンジョンに来られるのは、もしかしたら今日が最後かもしれないくらいは考えていた。
多少緊張した面持ちながらも、ステラはこちらをじっと見つめる。
「ですから、今のうちにダンジョンで体験出来る事は済ませておくべきだと思うんです。今日みたいに、実際に体験してみて初めて気付く事ってあるじゃないですか。そういうのは、なるべく早く把握しておくべきだと思うんです」
なるほどとレオンは思う。全くもってその通りである。
ただ、頭が働かないせいか、どうしてもそれが具体的な話に結びつかなかった。
「それはそうだけど・・・結局、何を体験するの?」
真顔で尋ねたレオンに対し、真剣だったステラの表情が急に動揺した。
視線を逸らし、頬を赤らめる。
その反応に一瞬虚を突かれたレオンだったが、そのお陰と言うべきか、今まで分からなかったのが嘘みたいに、驚くくらいあっさりと彼女の言いたい事が理解出来た。
何故か顔が熱くなる。
レオンの表情を見れば伝わったのは一目瞭然だが、それでもステラは怖ず怖ずと言った。
「えっと、その、要するに・・・今日はダンジョンに泊まっていきませんかという事です」
言葉の端が小さかった。
それがまた、彼女の恥ずかしさを如実に語っている。
ステラから視線を逸らして、レオンは動悸が速い胸を押さえた。
何も慌てるような事はないはずだった。
なのに自分は慌てている。
それが向こうにも伝わっているという事実が、これ以上ないくらい恥ずかしかった。
「いえ、その・・・い、嫌でしたら、また今度でもいいんですけど」
歯切れの悪いステラの口調。
それがまた、いろいろな意味で紛らわしかった。
なんとかレオンは呼吸を整える。
落ち着こう。
自分が慌ててどうする。
というより、よく考えたら、本来は自分が気を遣わなければならないところなのだ。ダンジョンで寝泊まりする場合、女の子であるステラの方が苦労が多いのだから。
そう思うと、なんとか心臓も落ち着いてくれた。
もしかしたら、これもベティが免疫をくれたお陰だろうか。もしそうなら、案外有益なものかもしれない。
もう一度深呼吸して、レオンはステラを見た。
彼女はこちらを見ていたが、真っ正面からは見られないようだった。
「えっと・・・言う通りだと思うけど、でも、今日はちょっと疲労し過ぎてるから、危険じゃない?」
「ですから、無理にとは言いませんけど・・・でも、なるべく早く経験しておいた方がいいと思うんです。この後しばらくダンジョンに入れなくなりますから、せめて経験だけでも済ませておいた方が、いろいろ対策を考えておけますから、きっと時間の短縮になると思うんです」
なんとなく焦っているような気がしないでもない。
だが、焦るのも致し方ないところだった。無限に時間があるわけではない。お祭りが終わった後、すぐに秋が来て冬が来る。1年なんてあっという間だ。
ここで少し無理をしておけば、お祭りの後の焦りが軽減されるかもしれない。ここで何もしなかったら、お祭りの後に余計焦るかもしれない。彼女は既にお祭りの後の事も考えているのだ。
今行うのは危険。だが、1年トータルで見れば安全かもしれない。
それに、いつも安全な就寝場所が確保出来るわけではないだろう。今日は4,5回戦闘したお陰で、幸いにもそれが出来ている。危険しかないというわけではない。
レオンは頷いた。
「分かった。そうしよう」
嬉しそうに微笑むステラ。先程までの恥じらいの色は既になかった。
それを見て、密かにレオンはホッとする。
そのまま2人と1匹は元来た道を引き返す。ヘトヘトになるまで戦闘した甲斐もあって、安全な部屋どころか、ある種の安全地帯が出来上がっている。モンスターが潜んでいないか、神経を尖らせる必要もさほどない。
その中心とも言える場所にある導きの泉を、今日の就寝場所に決めた。
「私、スープ作りますね」
最初にステラが言ったのが、それだった。
「スープ・・・作れるの?」
彼女の腕前云々の話ではなく、材料があるのかという意味だった。簡単な保存食と調味料しか持ち込んでいない。
ステラは微笑んで頷く。
「実はベティに教えて貰ったんです。干し肉があれば作れるからって。元々は、ガレットさんが冒険者の時に考え出したレシピらしいんですけど」
「へえ・・・」
なんとなく、ガレットの冒険者時代に興味がわいたレオンだった。これ以上ないくらい荒事に向いていそうな外見をしているものの、意外と料理なども出来たのだろうか。
それはそれとして、そういう事ならとレオンは火を起こす。使い終わった純光棒なども有効利用させて貰った。
その火を用いて、ステラはスープを作り始めた。鍋や食器などは持ち込んでいないが、治療用具の中に似たような形状の物があるので、代わりにそれを利用する。機転が効くなとレオンは感心したが、どうやらそれもベティから聞いていたようだ。水はもちろん導きの泉から。さすがに元冒険者が考え出しただけあって、まさにダンジョン用レシピなのだろう。
しばらくすると、肉の煮えるいい香りが漂ってくる。
それをステラは、やはり治療用具の小皿によそってくれた。スプーンもやはり薬の計量用のものだった。
「これ・・・少し余分に持ってきた方がいいかな」
計量スプーンを見つめながらレオンは言った。
ステラは少し楽しそうに言う。
「普通のスプーンでもいいですけど。でも、こちらの方が計量も出来ますから高性能ですね」
「あ、そうか・・・そう考えると、ちょっと贅沢な食器かも」
そう言いながら、ついレオンは微笑んでしまった。
純光棒は既に消え、灯りはランタンと焚き火のみ。
その温かい灯りを囲んで、2人はスープを飲む。
正直、レオンの想像以上に美味しいスープだった。決して豪華ではないが、肉の旨味を存分に生かしているように思える。無駄な物が一切ない、どこか素朴な味。田舎育ちのレオンにしてみれば、下手に豪華なスープよりもいいと思える程の出来だった。
「どうですか?」
少し不安そうにステラが聞く。
「いや・・・思ったよりも美味しいから、ちょっと驚いてたんだけど」
何故かやや呆然としながらそう言ったレオン。
それを見たステラは、やはり少し照れたようだった。
「そうですか?それならよかったです」
彼女はすぐに隣に座るソフィを見る。
「ソフィも飲んでみる?」
ステラがカーバンクルの目の前に器を置くと、ソフィはまずステラを見た。その表情が微笑んでいるのを見て安心したのか、やがて器に視線を戻し、ゆっくり舌で舐めるようにして飲み始めた。どこか遠慮がちな、ある意味上品な飲み方だった。カーバンクルに食事作法があるのかは謎だが、大抵の場合、妖精達は慎ましく食事する。野生の獣のようにガツガツと食べたりはしないのだ。そこがどこか可愛らしくて、見ている方も癒されてしまう。
そんな食事風景も、程なくして終わりを迎えた。
後片付けをしてから、少し周囲の部屋を見回った。だが、モンスターがいる気配はおろか、どこかの扉が開いた形跡もなかった。
導きの泉に帰ってくると、すぐに寝具の準備を始める。もっとも、大きめの毛布を用意しているだけだった。
その毛布にソフィと一緒にくるまってから、ステラは言った。
「じゃあ、あの、時間になったら起こして下さい」
「うん。お休み、ステラ」
頷くレオンを見て、ステラもどこかホッとしたように微笑む。
「はい。お休みなさい」
そう言って、ステラは横になった。場所は泉を挟んだ向こう側。顔も向こう側を見ている。寝顔を見られるのが恥ずかしいのだろう。レオンだって、寝顔を見られるのは少し恥ずかしい。
それを確認して、レオンはランタンに笠を被せる。
灯りが低くなる。
天井は真っ暗だ。
それと同じように、室内は静かになった。
レオンはランタンを確認する。
太陽も月もないダンジョンの中でどうやって時間を計るのか。その役割を担うのがこのランタンである。燃料の減り方から時間を概算するのだ。特に、冒険者用のランタンの場合、燃料の減り方が分かるように目盛りが書いてある。目盛りひとつが1時間と書いてある、ある意味親切設計だった。
まだまだ夜は長い。
冒険者は4人以上でダンジョンに入るのが理想とされる。その一因として、見張りをする上での睡眠効率というのが挙げられる。例えば、1人が6時間寝たいとする。4人いる場合、1人が2時間見張りをすればいい。そうすれば、他の3人が見張りをする間に6時間寝られるからだ。全体としてかかる時間は8時間。3人の場合は1人3時間の見張りとなり、全体で9時間の休憩となる。もちろん、短ければ短いほどいい。
これが2人になると、6時間ずつ寝ようと思ったら、全部で12時間必要になる。さすがにそんなに寝るわけにはいかないので、レオンが4時間。ステラが5時間という予定になっていた。ステラの方が長いのは、精神疲労の大きいジーニアスには睡眠が必要不可欠だからである。
だが、もしかしたら5時間では足りないかもしれないとガレットは話していた。その場合、全体を10時間にするか、或いはレオンの睡眠をもっと削るか。正直なところ、普段はそれほど寝なくても問題ないレオンだったが、こればかりは実際にダンジョンで寝てみないと分からない。ダンジョン内でどれくらい疲労するのか、そしてどれだけ効率よく睡眠出来るのか。
こう考えてみると、ステラの提案はかなり有益なものだったかもしれない。
だんだん眠くなってくる。
その時だった。
「レオンさん」
全くの静寂だったので、その声は尚更はっきり聞こえた。
すぐにステラの方を見るレオン。
だが、彼女はこちらを見ない。
「何?」
やや間があったが、ステラは答えた。
「言いたい事、今言ってもいいですか?」
意表を突かれる。
昼間あれほど拒んでいたのに。
「いいけど・・・」
ステラの言葉は早かった。
「いつも守ってくれて、ありがとうございます」
静かな時だけがあった。
いるのはレオンとステラ、そしてソフィだけ。
だが、それだけで十分だと思えるくらい大きなものが、レオンの胸を充たした。
「・・・僕も、いつも守ってくれて、一緒に戦ってくれてありがとう」
それだけ答える。
彼女の胸を充たしてくれただろうか。
レオンは無意識に微笑む。
そして、その舌には彼女が作ってくれたスープの味が、また少し違った味わいとともに、ほんの少しだけ蘇っていた。