相伝の槍
時折涼しげな風が駆け抜けていくものの、春にはなかったじりじりとした熱が太陽から感じられる。暑くてヘトヘトになるという程ではないものの、少し身体にけだるさを覚えさせるような熱気。どうやら、ユースアイにも夏が顔を見せたらしいと、レオンは大通りを歩きながら感じていた。ほんのわずかな変化でしかないものの、もっと高地に住んでいたレオンにしてみれば、十分過ぎる夏の証である。
隣を歩くステラとの世間話も、自然と夏に関する話になった。
「じゃあ、海が見えるようなところはもっと暑いんだ」
「はい。私でも、たまに熱気で倒れる事がありましたから」
「え・・・」
当然といった口調で答えたが、魔法の力で周囲の気温を調整しているはずのステラでもダウンする暑さなのだろうか。
そこでステラは慌てて両手を振る。
「あ、いえ・・・倒れたって言っても、ちょっと横になって休んだ程度の話ですよ。そんな、みんながバタバタ倒れていくような暑さではないんです」
「ああ・・・そうなんだ」
頷くレオン。ちょっとした自然災害的な光景を想像していただけに、少し安堵する。
そんなレオンを見ながら、ステラは微笑んだ。
「ですけど、あまり仕事が捗らない時期ですから、大きな休みを作って旅行される方も多いんです。海とか山とかが定番なんですよ。ユースアイも避暑地として人気の場所なんです。私の故郷の場合は、ちょっと遠いので、あまり候補にはならないんですけど」
「へえ・・・」
レオンの村では、わざわざ避ける程暑い事なんて滅多にない。そして、観光に来る人もほとんどいない。避暑地という言葉とはほぼ無縁と言ってもいい。
「聞いた話ですけど、ユースアイの夏祭りは、そういう観光客を集める目的で始まったんだそうです」
「そうなの?」
それは少し意外だった。お祭りといえば、レオンの村では自然に感謝を捧げるためのものである。
ステラは軽く頷く。
「比較的歴史の浅い町ですから、収穫祭のような風習はないみたいですね。むしろ、知名度を上げる為に始まったみたいです。お祭りの歴史自体は、まだ100年程みたいですよ。デイジーに聞いたんですけど、フレデリックさんのお祖父様が、お祭りの発案者の1人なんだそうです」
「す、凄いね・・・」
今更かもしれないが、本当にフレデリック一家はこの町の中軸なのだ。お祭りの発案者として名を残すなんて事は、レオンには考えられない。レオンの村の場合、大抵の行事の名付け親はサイレントコールドだから、彼女と同じ事をするなんて、まさに恐れ多い事である。
ステラはまた微笑んだ。
「今ではユースアイの夏祭りはすっかり有名ですから、きっと大勢の人が来ますよ。催し物もたくさんあるみたいで・・・」
「へえ・・・」
「楽しみですね」
「あ、うん。そうだね」
かなり機嫌の良さそうなステラに、レオンも表情が綻ぶ。実のところ、お祭りにはいろいろ不安材料もあるはずなのだが、いざ差し迫ってくると楽しみで仕方ないようだった。
ユースアイの町にも、ちらほらと祭りの設営用らしき物が散見されるようになっている。かく言うレオンが宿泊しているガレットの店でも、先日大量のイスを倉庫から出したばかりだった。どうやら屋外でも営業するつもりらしい。それは別にいいのだが、接客はどうするのだろうか。ガレットとベティだけでは絶対に人手が足りないだろう。自分もかり出されるのだろうかと思っていたが、今のところ何も言ってこない。
そんな事を考えながら、レオン達は大通りを離れ、小道へと入る。
行き交う人がたまに声をかけてくる。一時期縁起物として大人気だったソフィの周囲も、今では平穏が戻っている。噂というのは広まるのも速いが、同じように過ぎるのも速いらしい。それでも、去り際に撫でていく人はそこそこいる。それくらいは礼儀だと思っているのか、ソフィも特に嫌がったりはしない。
もう少しで目的地というところで、レオンはステラに聞いた。
「結局、訓練所に何の用事なの?」
実を言うと、同じ質問を既に何度かしている。だから、ステラの答えもおおよそ見当が付いていた。
彼女は首を傾げる。
「さあ・・・私にもよく分からないので」
「ステラがルーンの再調整をしたのと、何か関係があるんだよね?」
またすぐにファースト・アイに行こうと思っていたレオンだったが、そうはならなかった。その最大の理由は、ステラがルーンの効果を変更したいと申し出たからである。ルーンの再調整には、数日程時間が必要なのだと言う。
自信なさげにステラは答える。
「多分あるはずなんですけど、でも・・・どう繋がるのかがさっぱり」
結局、新たな事実は何も見えてこない。
分からない事をいつまでも考えていても仕方がないので、レオンはそこで諦める事にした。
「まあ、ハワード先生が言った事だから、多分考えがあるんだと思うけど」
小さく頷くステラ。何も言わなかったが、きっと同じ事を考えているのだろう。
そうこうしているうちに、目的地に着いてしまった。
レオンにとっては馴染み深い、主に剣を学ぶ為の訓練所である。実際には、低い塀に囲われた広場と言ってもいい。レオンは毎回アレンに教わっているが、他にも教師は数人いて、アレンはその中で最年少という事だった。所有しているのはギルドだが、管理者はフレデリック。すぐ隣には、その一家が住む立派なお屋敷が見える。
ステラがここに来るのは初めてである。ただ、隣のお屋敷にはデイジーもいるから、その関係で何度か訪問している。外から眺めた経験ならそれなりにあるだろう。
敷地内に足を踏み入れた2人はほどなくして、広場の中央辺りに集まっている少女達の姿を見つける。
「あ、来た来た!こっちー」
最初に元気よく手を振ったのは、やはりブラウンのポニーテールの少女だった。
黒いシャツにブラウンのズボン姿なのがベティ。白いブラウスに黒いズボン姿なのが、明るい髪と瞳のリディア。しっとりとした黒髪を紺のワンピースに下ろしているのがデイジー。
しかし、レオンはなんとなく嫌な予感がした。
何故か皆が皆、木製の槍を持って佇んでいる。
何事もなく3人組のすぐ近くに到着したはいいが、特にベティの槍の間合いはどうしても入れないレオンだった。
「えっと、まだよく分からないんですけど・・・とにかく、皆さん、私の為に集まって貰ったみたいですみません」
ステラが頭を下げると、ベティがいつもの笑顔で言う。
「いいのいいの。私は楽しいくらいだし」
「あの・・・結局、今日は何の集まりなんですか?」
そのレオンの質問に、ベティがこちらを向いた。
一歩たじろぐ。
そして思った。
本当に、あの水の少女にそっくりだと。
そんなレオンの心情を知ってか知らずか、ベティはいつも通りの口調で言った。
「次のダンジョンまで間が空くみたいだから、いい機会だと思ってねー」
「だから、何がですか?」
「簡単に言うと、ハワード先生に、ステラを鍛えてあげなさいって言われてるんだよ」
「それは聞いたんですけど・・・具体的に何を鍛えるんですか?」
控えめに質問したステラを見て、ベティは少し意外そうな表情をしたが、すぐに答えた。
「私達が鍛えるって言ったら、要するに護身術」
ステラは二度瞬く。
「・・・護身術?」
「そうだよー。まあ、今日はすぐに出来る簡単なやつだけど。いきなり私の奥義を授けようって言っても、多分まだ無理だと思うし」
その予測は妥当だろうとレオンは思った。ベティに奥義と言わせるような技は、恐らく常人が考えつくような技ではない。
少し当惑気味のステラだったが、やや間があってからなんとか答える。
「えっと、まあ・・・教えていただけるのはありがたいんですけど、でも、どうして急に?」
それに答えたのは、やはりいつものように淑やかに微笑むデイジーだった。
「強い心は、強い身体に宿ると言います」
「え?」
予想外の言葉に声を上げるステラ。
その後を継いだのはリディアだった。彼女もいつものクールな表情だ。
「自分の身を守る術を知っていれば、それが心を強く持つ手助けをしてくれる」
「え?あ、はい・・・」
そこで少しだけ、リディアの表情が柔らかくなる。
「昔は私もステラみたいに男の人が苦手だった。そんな時、ハワード先生に言われて、ベティやデイジーが私に護身術を教えてくれた」
ステラはベティとデイジーを見る。
リディアはゆっくりと言葉を続ける。
「私はベティやデイジーほど強いわけじゃない。2人みたいに、男の人と正面から戦って勝てるわけじゃない。護身術を教わったといっても、ほんの少し戦う技術を覚えただけだから」
普通はそうだろうとレオンは思った。むしろ、彼女の友人達の方が規格外なのだ。リディアは普通の事のように言ったが、よくよく考えてみると、ベティとデイジーはやはり凄い。
ただ、ステラは特にリアクションせずに、黙って聞いている。
「それでも、以前よりは男の人が怖くなくなった。それがどうしてなのかは、まだよく分からないけど、多分、何も出来ないわけじゃないからだと思う。実際に怖い目に遭ったら、その相手に勝てはしないけど、それでも、怯ませて逃げるくらいの事は出来る。ううん・・・実際には、それも怖くて出来ないかもしれない」
「せっかく教えたのに、それだと困るなー」
笑いながらベティが言うと、リディアも少し微笑む。
「実際には何も出来ないかもしれないけど、でも、今は怖くない。デイジーの言う通り、身体がほんの少し強くなったから、心も少しだけ強くなれたんだと思う。心を強くする方法はいろいろあるはずだけど、身を護る方法を覚えたら、きっとステラの怖さを和らげてくれる」
レオンもステラからおおよその話は聞いていた。
彼女のルーンが誤作動したのは、彼女の恐怖心が引き起こした現象らしい。そして、ルーンの再調整をしているのは、それに対処する為だった。原因がはっきりしていても、恐怖心というものはすぐにどうにかなるものではない。ダンジョン内で万全を期す為には、再調整も仕方のないところだ。
正直なところ、自分の恐怖が原因だったとしっかりと言葉にしていた彼女に、レオンは感服したくらいだった。惨めな部分を言葉にするのは、きっと簡単な事ではない。それでも、仲間だから伝えておかなければならないと思ってくれたのだろう。それも嬉しかったし、謎の疲労の原因がはっきりしたのも安堵出来た。
しかし、いつかは乗り越えなければならない。
その為の手段として、護身術を覚えたらどうかと、ハワードは言ってくれていたのだろう。
そこでベティが明るく言った。
「モンスターもだけど、変な男が寄ってくる可能性も十分にあるんだし。せめてブレットを倒せるくらいになって貰わないと」
可笑しそうにデイジーが言った。
「それはちょっと、ブレットが可哀想な気もしますけれど」
「そう?」
「ステラに倒されたら・・・いろいろな意味で恥ずかしいでしょうね、きっと」
「でも、私にはもう倒されてるしなー」
デイジーがベティに上品な微笑みを返す。そのままリディアにも目配せすると、3人でクスクス笑いだした。
状況がよく分からなかったレオンだが、いつの間にかステラもつられて笑っている。
やがて、ベティがステラを見て言った。
「せっかく仲良くなれたんだから、何かしてあげたいって思ってたんだ。私達からの贈り物だと思ってくれればいいよ。ダンジョンの中でステラの心の支えになってくれれば、それが一番嬉しいし」
さっきまで笑っていたのに、急にステラの青い瞳が潤んだ。
「いえ・・・私こそ、その、何も出来ませんけど」
言葉も少し揺れている。
そんなステラの肩を、ベティはしっかりと掴んだ。彼女はいつもの屈託ない笑顔だった。
「うんうん。ステラは可愛いなー。でも、練習はビシビシいくからね」
なんとかステラは微笑む。
「はい。お願いします」
向かい合うベティもステラも、それを見守るリディアとデイジーも、本当に嬉しそうな表情をしていた。
友達という言葉が、レオンの頭に浮かぶ。
当たり前のようにこの4人が友達に見えるレオンだが、ステラにとってはどうなのだろうか。故郷にいた頃の彼女にとって、友人とはもっと違う関係のものだったのかもしれない。なんとなくそう連想したレオンだった。慣れていなくて動揺している。こんな友達は初めてだと、ステラの表情が暗に語っている気がする。
不意に思い付いて、レオンは自分の肩に乗るソフィを見た。
純白のカーバンクルの紅い双眸は、じっとステラを見つめている。
嬉しいような、寂しいような、そんな眼差し。
ただなんとなく、ステラとは違って、初めてではない気がした。
このカーバンクルは友達を知っている。
どこかそんな気がする。
「レオン!」
突然の声に、レオンはそちらを見た。
声の主がベティという事は分かっていたが、その姿勢が問題だった。
何故か、槍の穂先をこちらに向けている。
「・・・何ですか?」
それだけ言いながら、レオンは一歩後退した。ほとんど本能的な行動である。
ベティは間合いを詰めてこなかったものの、怖いくらい楽しそうな笑みだった。
「じゃあ、ちょっと相手をして貰おうかな」
当然みたいな口調である。
「いや・・・なんでですか?」
悪魔的に微笑むベティ。
「どうして、わざわざステラにまで今日の事を秘密にしてたか、分かる?」
その質問を聞くまでは、全く分からなかったレオンだった。
しかし、聞いてしまった途端、驚くくらい鮮やかに、頭の中に仮説が導かれる。
「・・・まさか、本当に秘密にしたかったのは、僕の方ですか?」
何も言わなかったベティだが、その表情がすべてを物語っていた。
今日ここに来たのは、もちろんベティにそう言われたからだが、単純にステラの付き添いだと思っていた。彼女のルーンに関係ある事らしいので、その仲間である自分も聞いておいた方がいい話なのだろうと、それくらいしか推測出来なかった。
こちらの警戒心を解く為に、敢えてステラにも真実を伏せていたのか。
罠だ。
ふと気付くと、少し離れた場所で、他の3人の少女は訓練を始めたようだった。ステラは魔導衣姿だから問題ないものの、デイジーはスカート姿だから、槍を持っている今の姿は少なからず違和感がある。リディアの方はというと、持っていた槍をステラに渡しているから、どうやら彼女は補佐的な役割のようだ。
そこで、冷たい感覚がレオンの身体を駆け抜ける。
咄嗟に後方に跳んだ。
ほんの一瞬遅れて、ベティの槍がレオンのいた空間を撫でるのが見える。
「へえ・・・女の子に余所見してても、ちゃんと避けられるんだ」
攻撃を避けられた後とは思えない、楽しくて堪らないというベティの表情だった。
それを見たレオンは悟る。
本気だ。
咄嗟に自分の右肩を見たが、いつの間にかソフィはいなかった。なんというか、本当に状況がよく分かっている。
両手を軽く挙げながら、レオンは控えめに言った。
「えっと・・・あ、ほら、ステラの訓練はいいんですか?」
笑顔のままベティは答える。
「大丈夫大丈夫。デイジーとリディアがいるから」
じゃあベティは何の為にここにいるのだろう。そう思ったものの、回答を聞くのが怖いので、口にはしなかったレオンだった。
その間を狙ったかのように、再びベティが槍を突き出してくる。
しかも狙いが容赦なかった。
顔の真ん中。
先程狙わなかったのは、顔のすぐ近くにソフィがいたからだろうかと、レオンは一瞬だけ思った。
レオンはそれを半身になってかわしながら、槍を掴もうと右手を出す。
だが、その手は空を切る。
槍が急に短くなったようだった。
それでも、なんとか瞬時に、ベティが槍の持ち方を変えただけだと気付いた。今はむしろ穂先に近い部分を持っている。どうやって一瞬で持ち替えているのかは分からない。
信じられない事だが、ベティはそのまま手首を捻るようにして、槍を回転させて薙ぎ払ってくる。
それを咄嗟に屈んで避けたレオンだが、その時には既に、彼女はまた本来の槍の持ち方に戻っていた。
再び長くなった穂先の方を、こちらに突き刺してくる。本当に容赦なかった。
それを後ろに跳んで避けたところに、再び刺突による追撃がくるが、それを大袈裟に転がって避けた事で、ようやくベティから距離がとれた。
全部避けられた事が、自分でも不思議だった。
息を整えながらも、ついついレオンは尋ねる。
「なんていうか・・・今更かもしれませんけど、誰かに習ったんですか?」
素人の扱い方ではない。だが、普通の槍術とも思えなかった。
すると、ベティは少し瞳を大きくする。
「あれ、言ってなかった?」
「はい?」
ベティは槍を地面に突いて戦闘態勢を解く。それを見て、レオンも少しほっとした。
「私ね、前世がそうなんだよ」
「・・・前世?」
そういえば、ベティの前世は聞いた事がなかった。
「祈祷師っていうか、巫女っていうか・・・どちらかというと、踊り子だったんだけど」
正直に言うと、全部バラバラの職業に聞こえるレオンである。
「えっと・・・すみません。全然分からないんですけど」
右手に槍を持ったまま、ベティは腕を組む。
「うーん・・・要するに、部族の為に儀式で踊りを捧げる職業なんだけど、普段は酒場で踊り子兼給仕をしてたんだ。だから、巫女さん兼踊り子」
「巫女で踊り子・・・」
「変な取り合わせだけどねー」
「あ、いえ。そんな事ないと思いますけど」
それはレオンの本心だった。恐らく、レオンの村のような小さな共同体だったのだろう。そういう場所では兼業が普通なのである。
どこか懐かしそうに、ベティは言った。
「ここみたいに涼しくはないけど、緑がいっぱいで、部族のみんなも活気があって、小さな村だけど、なかなか楽しいところなんだ。そうそう、たまに冒険者が来るから、その人達の話を聞くのが楽しみだったんだよねー。あと、たまに狩りに出たりして・・・要するに、今とほとんど同じ生活してたんだけどね」
「え?あ、なるほど・・・」
今のベティは巫女でも踊り子でもないものの、緑に囲まれた場所に住んでいるし、冒険者の話も聞けるし、たまにホレスの狩りを手伝っている。確かによく似ている生活だと言える。
そのままの口調で、ベティは言った。
「だから、槍の扱いもお手の物なんだよ」
一瞬の沈黙。
「・・・いえ、あの、なんでですか?」
今の話のどこに槍が出てきたのだろうか。
一度瞬いてから、ベティは当たり前のように言った。
「部族の踊りって、普通槍を持って踊るんだよ」
少なくとも、レオンの村にはそんな風習はない。
リアクションに困っているレオンを見て、ベティの方も意外そうだった。
「あれ、違う?私の部族の族長は、いつもそう言ってたんだけど。レオンの村とは違うのかな」
「・・・ちなみに、他にはどんな事言ってました」
少し上を向くベティ。
「うーん・・・どこの部族でも踊りで槍を使うから、槍は覚えておきなさいとか、踊りの基本が覚えられるから、まず格闘技を覚えなさいとか、あ、そうそう、巫女の格付けは剣の腕で決まるから、嗜みとして剣は覚えてきなさいとか、だいたいそんな感じかな」
全部根拠のなさそうな話である。
「あと・・・あ、ハンマーこそ最強の武器だから、ハンマーを装備してる冒険者がいたら、絶対捕まえておきなさいって。うん、これは名言だねー」
楽しそうなベティには悪いが、レオンにはだいたい本質が見えてきた。
「その族長さんというか・・・もしかして、部族の人みんなが強くなかったですか?」
「そうそう!むしろ、私が一番弱かった気がする」
少し前なら信じられなかったような言葉だが、今なら信じられる気がする。そもそも、部族という表現がどこか物々しい。ただの憶測でしかないものの、その族長という人も、もしかしたらガレットみたいな人だったのかもしれない。
いずれにしても、いろいろな事の裏付けがとれたような気がしたレオンだった。彼女の性格、そして身体能力。きっと、無意識のうちに、前世の影響を受けているのだろう。現世と前世の環境が近いだけに、抵抗も少なかったに違いない。
独りレオンが納得していると、ベティが槍を構える。
「そういうわけだから、槍はなんとなく手に馴染むんだよね。足捌きとかは無意識に出来るくらいだし」
「・・・そうですか」
よくよく考えてみると、結局彼女の底知れない実力を確認しただけだった。状況を改善出来そうにもない。
そこでベティは微笑む。
「じゃあもう一度行くけど・・・さっきのはダメだから」
「ダメ?」
「だって、地面に触れたら負けなんだし」
何の話だろうかと思っていたが、すぐに気付いた。
「あ、武術大会の話ですか?」
槍を構えたまま、ベティは大きく頷く。
「当たり前でしょー?あと3週間もないんだし」
それはそうかもしれないが、いきなり女の子が槍を持って襲いかかってきたら、普通は何事かと思うだろう。レオンの場合は既に十分過ぎるほど慣れていたので、あまり驚かなかったが。
そんな自分が少し怖いと思っていると、ベティの言葉が続く。
「ちょっとくらい練習しておかないと、本当にブレットに遅れをとるかもしれないし、それでもしステラが泣いたら、次は私の剣の腕を見せるしかなくなるけどー?」
今度は刃物か。
間違いなく、何か大事なものを失いそうである。
しかしながら、一応レオンは聞いておく事にした。
「あの・・・僕だけ丸腰なんですけど」
向こうは練習用とはいえ、立派な槍を持っているのだ。
すると、ベティは邪な笑みを見せる。
「厳しい訓練をした方が身になるって、族長も言ってたから」
こういう時だけ、もっともらしい事を言っている。
「それはそうかもしれませんけど・・・」
「でも、丸腰はちょっと厳し過ぎるかな。だったら、何か武器を取りに行ってもいいよ」
そう言いながらも、ゆっくりと近付いてくるのは何故だろう。
背中を見せたら襲ってくるのは確実だった。
本能的に装備を確認するレオン。だが、こういう時に限って、武器は鍛冶屋に預けていた。ステラの準備に時間がかかると分かった日に、じゃあこの機会に自分もという事で、リディアに手入れを頼んでおいたのだ。
結局、丸腰でやるしかない。
そう覚悟したのが伝わったのか、ベティの口元が一瞬綻んだように見えた。
その瞬間。
彼女の姿が一瞬で大きくなる。
足音も、それどころが足の動きすらも確認出来なかった。こちらに近付いているのだから、動いたのは間違いないはずだが、まるでとらえどころのない足捌き。リズムも呼吸も、何も掴めなかった。
まさに熟練の足捌き。前世で研鑽された巫女の舞踏術。
驚くと同時に、レオンはつい見とれてしまった。
もちろん、それは不覚である。
許したのは心だけでなく、間合い。
気付いた時には、槍を振るう少女のブラウンの瞳が大きく映る。
咄嗟に槍の軌跡を予測する。
避けきれるかどうか、まさに際どい。
というより、絶望的だった。
その一瞬後。
聞いていて気が重くなるような鈍い音が、訓練所の片隅で響き渡った。