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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第5章 ファースト・アイ前編
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同じ人同じ心



 ステラも子供の頃は学校に通っていた。

 この町の学校のように、広場を走り回ったり、動物や植物と触れ合ったり、血が繋がっているわけでもないお兄さんやお姉さんに面倒をみて貰うという事は全くなかった。完全に知識や作法を学ぶ為だけの場所だったからだ。単に通う事自体がステータスになるという学校もあって、その場合、在籍はしていても授業には出ないで、家庭教師をつけて勉強させるというパターンもある。特に高貴な家ほど女の子を外に出したがらないので、そちらの方がより箔が付くと考える家も多い。

 しかし、幸いというべきか、ステラの両親は、例え女の子であってもちゃんとした学校に通わせておくべきだという教育方針だった。幼いうちから、最低限の社交性は身につけさせておいた方がいい。商家との繋がりが深い家だったから、完全に飾りの花のまま大人になったら、将来商家に嫁いだ後に困ると考えたのかもしれない。

 昔ならその考えにも反発したような気がする。それでも、今は少しだけ両親の気持ちも分かるような気がした。分かるというよりも、もしかしたら自分には見えないような事まで気を遣ってくれていたのではないかと思える。両親を好意的に見られるようになっただけかもしれない。

 自分の心に余裕が出来たからなのか、それとも、距離をとってみて親の有り難みが分かったのか。

 それは自分が精神的に成長したからなのか、それとも、この町の人がくれる優しさが後押ししてくれているだけなのか。

 どちらもまだ分からない。

 でも、いつかは分かるようにならないといけない。

 何でもしっかりと受け止められるような強い女性に。

 あの伝説の冒険者のように。

 ステラは壁に掛かる草原の絵を眺めながら、静かにそう思っていた。

「都会の学校ってどんな感じなの?」

 唐突な質問に、ステラは隣を見る。

 ブラウンのソファに自分と並んで座っているのは、緩やかな栗色の髪を伸ばした、優しそうな雰囲気の女性。その目蓋は閉じられたままだが、こちらの顔を正確に捉えている。

 フィオナの質問に、ステラは少し時間をかけて思い出してから答えた。

「えっと・・・私の通った学校は、私と同じくらいの家柄の子が集まるところだったので、普通の学校とは多分少し違うと思うんですけど」

 いつものように首を傾けるフィオナ。

「そうなの?」

「はい。勉強はするんですけど、多分内容が偏っていたんだと思います。国の歴史とか、地域による礼儀や風習とか、あと文字ですね。そういう分野ばかりで・・・計算とか、ここみたいに動物や植物の世話をしたりとかは、全然なくて」

「でも、ステラはちゃんと計算出来るでしょう?」

「あ、それは、家庭教師から教わったんです。学校で足りない分野の事は、家がそれぞれ個別に教師を雇って、必要な知識だけ補わせるんです」

「凄いのね」

 言葉ではそう言ったものの、優しい笑みを見せているフィオナだった。あまり凄いと思っているようには見えない。その方がステラも気が楽ではある。

 ステラも笑顔を見せて聞く。

「私よりもフィオナさんの方が凄いですよ。目が見えないのに、計算も、あと、服のデザインも出来るんですから」

 すると、少しだけフィオナは首を傾げた。

「そんな事ないと思うけど。私だって、普通に勉強しただけだから。どちらかというと、ケイトやハワード先生の方が凄いと思う。根気よく私の勉強に付き合ってくれたもの。子供の頃は、本が読めない私の代わりに教科書を音読してくれたの。2人が私の為だけに時間を割いてくれたから、私も気の済むまで勉強出来たんだから」

 すぐに言葉が出なかったステラだった。本当に、言葉に尽くせないような努力があったに違いない。

 そんな過去を露ほども感じさせない笑顔で、フィオナが言う。

「2人だけじゃなくて、いろんな人がいろんな事を私の為にしてくれたの。だから、気付かないうちに迷惑ばかりかけてたと思う。子供の頃の私は、自分の事だけで精一杯だったから。でも、それはみんなそう。ステラもそれだけは忘れないで」

「それって・・・」

「誰にも迷惑をかけない人なんていない。だから、かけた迷惑に応えられる人になってね」

 何かを見透かしたような言葉だった。

 どう答えたらいいのか、ステラはすぐに決められなかった。何かその言葉に相応しい返事をしたい。でも、気の利いた言葉を思い付かなかった。やっぱりまだ、自分は大人になりきれていない。

 結局、子供らしく返すしかない。

 精一杯の笑顔でステラは答えた。

「はい。頑張ります」

 フィオナはずっと微笑んだままだった。自分にはまだ出来ない事。相手を安心させられる微笑は、ステラにはまだ難しい。

 そこで、応接間のドアがノックされる。

 ステラとフィオナは一瞬顔を見合わせたが、すぐにフィオナが答えた。

「はい」

 ドアが開かれて入ってきたのは、ここの主だった。

 それを確認したのか、フィオナはすぐに可笑しそうに言った。

「ノックなんてするから、誰かお客さんかと思った」

 部屋に入りながらハワードも笑う。彼はティーカップ3つを載せたお盆を持っていた。

「最低限、礼儀としてね」

「変な感じ。あ・・・先生、紅茶?そんなのいいのに」

「いや、私もちょうど飲もうと思っていた。どうせなら大勢で飲む方がいいだろう」

 そう言いながら対面のソファに座るハワード。質実そうなグレイの服装に精悍な顔立ち。控えめに言っても、恐らく印象のいい容姿をしている。ただ、先程の言葉にブレットの面影を見てしまって、多少複雑な気分になったステラだった。

 彼はステラの膝の上をしばらく見る。そこには、すっかり丸くなって眠りこけているソフィがいた。

「しばらく見ないうちに、随分懐かれたようだな」

「あ、はい。まあ・・・」

 どういう意味だろうと考えていると、ハワードは可笑しそうに言う。

「私とサイの付き合いはそれなりに長いが、私の膝で眠った事はおろか、私に関心があるようにすら思えない。同じカーバンクルでも違うものだな。そういえば、セラは留守番か?」

 セラというのはフィオナの家にいるカーバンクルの事だ。

 フィオナは微笑む。

「いいえ。玄関まで着いてきたんですけど、そこのお花の方が興味あるみたいで・・・多分、お庭で日向ぼっこしてるんだと思います」

「そうか・・・それなら、サイと一緒かもしれないな。子供達に捕まってなければだが」

 カーバンクルは容姿が愛らしいのと、病みつきになる程手触りがいいので、子供には人気がある。

「でも、セラは私の膝の上で寝た事がありますよ。ベティとかシャーロットもあるし・・・単純に、女の人の膝がいいのかも」

 ハワードは笑う。

「現金な奴というか・・・私が嫌われているのかと思ったが、単に寝心地のいい場所を選んでいるだけなのかもしれないな」

 どうやら、ただの世間話だったらしい。ステラがそう思ったところで、フィオナが話を切り出した。

「それで、先生。ちょっと、ステラの相談に来たんですけど」

 やや表情を引き締めるハワード。

「だいたい話は聞いたが・・・要するに、魔法の使い過ぎで倒れそうになったという事だな?」

 簡単に言うとそういう事だった。

 しかし、ちゃんと自分の口から説明しておくべきだと思ったので、その問いにはステラが答える。

「魔法をそんなに何度も使ったわけではないんです。それに、特別強力な魔法を使ったわけでもないと思うんです。それなのに、この前のダンジョンで魔法を使った後、急に疲れが出てしまって・・・」

「その時の状況を説明して貰えるか?」

 ステラは先日のダンジョンでの出来事を話した。ただ、それほどダンジョン内に長くいたわけではなかった。説明の大部分は、最後の粘体モンスターとゴーレムの話。その時にしても、ステラは全てを自分の目で確認出来たわけではない。自分が見聞き出来なかった事はレオンから聞いて情報を補っているものの、彼の説明には要領を得ない部分も多かったので、つい自信なさげな説明になってしまった。

 それを聞き終えた後、ハワードはまず質問した。

「今の体調は?」

「え?あ、はい。今はなんとも・・・」

 心配してくれているにしては、まだ真剣な雰囲気である。

 すると案の定、彼はすぐにフィオナに聞いた。

「フィオナから見て、ステラの体調はどうだ?」

 要するに、ジーニアスの感覚から見てどうなのかという事らしい。それは、相手の身体に触れて判断する事で、実はステラがフィオナのところに相談しに行った時、彼女が最初に調べたのがステラの体調だった。

 だから既に確認済みだったフィオナは、すぐに軽く首を振る。

「どこも悪いところはないと思うんだけど。だから、逆にちょっと心配になっちゃって」

 疲労した原因に見当が付かないから、それが少し不気味だった。特に、レオンが話していた水の少女が、何か知っている様子だったのが気になるところでもある。

 しばらくハワードは腕を組んで目を瞑っていた。何か考えているように見える。なんとなく邪魔をしてはいけないような気がして、ステラとフィオナはずっと黙っている。

 そこで不意にソフィが目を覚ました。その身動ぎで気付いたステラが膝に視線を落とすと、何をするでもなくこちらを見つめる紅い瞳があった。眠さとは無縁のパッチリと開かれた眼。心配しているように見えたので、その頭を軽く撫でてやって、視線を少し和らげる。

 そうしていると、唐突にハワードが尋ねてきた。

「ルーンを新調したそうだな?」

 一度瞬いて、すぐにステラは頷く。

「はい。えっと、魔導具に」

「ひとつは魔法補助に使っている。もうひとつはどうしている?」

「確か・・・魔法障壁です。防御用に」

 その言葉を聞いた途端、ハワードが顎を少し引く。彼の視線が少し鋭くなった。

「それだな」

「はい?」

 すぐに聞き返したステラ。

 だが、フィオナはすぐに発言していた。

「シャーロットにも聞いたんですけど、ルーンは特に問題ないはずだって・・・」

 その言葉にもハワードは頷く。

「そうだろうな。ルーン自体には問題ないし、普段は正常に機能している。ただ、ダンジョン内になると話が変わる場合がある」

 そこでハワードはステラを見る。

「ジーニアスとルーンには密接な結びつきがある。それは、ルーンの作用に、ある程度自分の意志を反映させる事が出来るからだ。ステラが使っている魔法障壁も、自分の意志で作用する時としない時を決めている。身につければ原則常時作用するアスリートとは、そこがまず違う」

 一旦そこで話を止めるハワード。理解出来ているのかどうか気を遣っている様子だったので、ステラは頷いてみせる。

「ルーンの力というのは便利なようだが、実は使用者の身体に負担がかかっている。アスリートのルーンアイテムがジーニアスのものよりも効果が低いのはそれが要因だ。効果が高い程負担が大きくなるから、ルーンの力を全て発揮させてしまうと、アスリートはすぐに疲労してしまう。だから、ルーンの能力のある程度を、使用者の負担減に割り当てるのが普通だ。反面、ジーニアスは必要な時だけルーンを働かせる事が出来るから、効果が強力でも問題ない」

 頷くステラ。新しいルーンを受け取った時、シャーロットから同様の説明をして貰っていた。

 ハワードはそこでまた少し考えたようだった。だが、それもすぐにまとまったらしく、こう断言した。

「要するに、ステラが疲労したのは、魔法障壁のルーンを使い過ぎたのだろう。ジーニアス用のルーンだけに、効果も大きいが疲労も大きい」

「え・・・」

 言葉の意味は分かったものの、実感としては全くない。

 フィオナもすぐに言った。

「さっきの話の中で、ステラが魔法障壁のルーンを使った事はなかったような・・・」

 その通りだとステラも思った。障壁が必要な場面は一度も訪れていない。

 あっさりとハワードは答える。

「使う気がないのに発動させていた。本人の意志とは関係なく、無意識のうちに」

「そんな事・・・」

 あるんですかと続けようとして、ステラはふと気付いた。

 複数のルーンを扱うのには慣れが必要。

 他ならぬフィオナの言葉だった。

 珍しく言いにくそうにしながらも、ハワードが言う。

「ステラがまだルーンの扱いに慣れていないというのもあるだろうが・・・本人が気付かなくても、ダンジョン内では精神に大きな負担がかかっている事が多い。そういったプレッシャーが原因で、ルーンを誤作動させるのはない事ではない。そして、誤作動が起きるのは、魔法障壁のような防御系統のルーンが多い。知らず知らずのうちに、自分の身を案じてその種のルーンを作用させてしまう。無意識故に強引な使い方になるから負担も増す。まして、攻撃魔法と同時に作用させたとなると、数分で疲労したとしても不思議ではない」

 つい俯いてしまうステラ。

 その視線の先にはこちらを見るカーバンクルの姿があったけれど、この時は気付かなかった。

 結局のところ、恐怖に負けた自分が、怯えるあまり勝手にルーンを作用させて疲労しただけ。

 なんとも情けない話だったけれど、どこか納得出来る自分がいた。

 最初にダンジョンに入った時、とても緊張した。それは紛れもなく、怖かったからだった。その時の自分と比べて、今の自分はどれくらい成長出来ただろうか。魔法の扱いにも少しずつ慣れてきて、装備も少しずつ充実してきたけれど、精神面ではどうなのか。

 レオンがいるから戦える。それは疑いようのない事だった。彼は全然怯えたりしないから、凄く頼りにしている。それでも、ある程度は自分も精神的に成長しているはずだと思っていた。それは自分の思い込みだったのだろうか。

 その答えを今突きつけられたような気がした。

 そこでステラの耳に届いたのは、とても優しい声だった。

「ダンジョンで恐怖するのは当たり前の事だ」

 ステラは顔を上げる。

 視界に入ってきたのは、先程の精悍さが嘘のような、穏やかなハワードの表情だった。

「恐怖しない者などいない。うちの馬鹿息子は当然だが、ガレットの奴も恐怖したに決まっている。そして、こういう時こそ言わせて貰うが、アナライザーもそうだった」

「え?」

 すると、隣から聞き慣れた声が聞こえてくる。

「イブさんはどう?」

 そちらを見ると、フィオナもいつもの微笑みでこちらを見ている。

 その時、ステラはふと悟った。

 今まで分からなかったサイレントコールドの気持ち。

 ダンジョンに入る時、或いはモンスターと対峙する時、彼女になった自分の胸の奥を、何かが重く叩くような感覚。

 あれはもしかして、恐怖だったのだろうか。

 伝説の冒険者が恐怖するわけがないと、ずっと思っていた。でも、それは先入観というか、思い込みだったのだろうか。

 自分の恐怖と比べてみる。

 見つめ合う。

 彼女の心と、自分の心。

 全く一緒ではない。

 でも、もしかしたら同じだろうか。

 分からなかった。

 まだ分からない。

 ただそれでも。

 もし一緒だとしたら、今まで分からなかった彼女の気持ちに、どこか辻褄が合うような気がした。

「私が若い頃に話を聞いたジーニアスも、皆恐怖していた」

 もう一度ハワードを見るステラだが、その時ようやく理解した。

 シャーロットも気付かなかったルーンの誤作動に彼が気付いたのは、そういう前例を知っているからだったのだ。

「結局、誰もが恐怖している。恐怖というのは、それだけ人間にとって必要なものなのではないかと、私は思う。だから、上手く付き合っていく事が大事ではないかな」

「恐怖と、付き合う・・・」

「怖い怖いと思っていても、モンスターに立ち向かう事が出来るだろう?どういうわけか、人間はそういう事が出来る生き物だ。うちの子供達も、嫌だ嫌だと言いながら掃除をするし、美味しくないと言いながらも苦手な野菜を食べる。そういった事は誰だって出来る。結局、本人に選べるのは、立ち向かうか否かだけだろう。何かが嫌いだと思う事や不味いと思う事は、人として当然なのと同じように、怖いと思う事自体は全く恥ずべき事ではない。だが、嫌いだから掃除をしない者や不味いから野菜を食べない者は、恥ずべき者だろうな。逆に、怖いと分かっていても立ち向かおうとするなら、それは立派な事に違いないと私は思う」

 先生の言葉を、ステラはしっかりと噛みしめる。

 もう一度自分の膝を見る。

 純白のカーバンクルの紅い瞳が、じっとこちらを見ていた。

 恐怖するのは、人として当たり前の事。

 先輩の冒険者も、例え伝説の冒険者でも。

 そして、いつも自分を守ってくれる彼だって。

 皆本当は怖い。

 だから、まずそれを認めなくてはいけない。受け入れなくてはならない。

 強い人というのは、つまりそういう事だとステラは思った。恐怖が誰にでもある事を分かっていなければ、他人の気持ちを分かってあげる事なんて出来ないのだから。

 いや、恐怖だけじゃない。

 フィオナが言ったように、皆が迷惑をかけて生きている。

 皆恐怖して、嫌なものがあって、人の助けなしには生きられない。

 それはきっと、あまり格好いい事じゃない。でも、それを真っ正面から受け止めて、そしてそれでも真っ直ぐに生きていける人。

 なんとなく、自分が目指す強い女性というのが分かってきた気がした。

 ソフィの頭を撫でてから、ステラはハワードを真っ直ぐに見る。

「・・・ありがとうございます。私、頑張ります」

 せめてそれだけは、真っ直ぐに伝えたステラだった。

 すると、少し照れたようにハワードは言った。

「そうか・・・まあ、何よりだな」

 どうやら褒められるのに弱いらしい。そんな先生を見て、堪えきれずに少し微笑んでしまったステラだった。どこかリディアに似ている。もしかしたら、彼に育てられた子供はみんなそうなのかもしれない。

「やっぱり先生の方が凄いでしょう?」

 不意にフィオナが耳打ちしてくる。ステラがそちらを見ると、本当に子供のように悪戯っぽく微笑む彼女がいた。

 何か返事をしようとしたけれど、どうやら向こうにも聞こえていたらしく、ハワードが苦笑いしながら言う。

「いったいどんな話か知らないが・・・それは過大評価だろうな」

 答えたのはフィオナだった。

「そんな事はないです。ただ、私が子供の頃、先生がどれだけ親身になって勉強をみてくれたのかを、ステラに説明しただけですから」

 すると、ハワードは懐かしそうな表情になる。

「結局のところ、本人にやる気があればこそだな。それだと教える方も楽なんだが、逆にベティのような子供の方が、人一倍苦労を・・・」

 そこで本当にタイミングよく、玄関の方から本人の声が聞こえた。

「先生!入るねー」

 突然のベティの訪問だったが、ハワードは何故か口元を上げて言った。

「ちょうどいい」

 何がちょうどいいのだろうとステラが思っている間には、応接間のドアが開く。

 そこにいたのは予想通りベティ。ところが、その両腕の中には水色のカーバンクルが捕まっていた。フィオナのカーバンクルであるセラはベティに抱っこされている状態で、桃色の瞳がパートナーの方をじっと見ている。

 それに気付いたフィオナが、ドアの方に身体を向けながら言った。

「あら。セラまでどうしたの?」

 その言葉が合図だったかのように、セラはベティの腕の中から抜け出して、フィオナの方に身軽に跳んだ。まったく無音の跳躍で、やはり無音で彼女の肩に下り、そのまま膝の上に直行して丸くなる。一瞬ソフィと視線を交わした様子だったけれど、他は特にリアクションしなかった。

 それを確認してから、ベティが笑顔で答える。

「玄関先で子供達に囲まれてたから、ちょっと息抜きさせてあげようと思って。代わりにリディアとデイジーを置いてきたけど」

 要するに、カーバンクルの代わりに子供の相手をしているらしい。

 そこで不意にハワードが言った。

「リディアとデイジーもいるのか。ちょうどいいな」

「ちょうどって、私達に何か用事?」

 ハワードは即答した。

「ステラを鍛えてくれ」

「・・・はい?」

 耳を疑ったステラ。

 それには構わず、ベティが楽しそうに身体を弾ませる。

「いいねー、それ。変な男が寄ってきた時の為に、ステラも少しくらい護身が出来た方がいいと思ってたんだー。私が教えていいの?」

 ベティの護身は果たして護身と呼んでいいものなのか。ステラはこの町に来た最初の夜に、彼女の人間業とは思えない格闘術を見ているので、そこがまず疑問だった。

 しかし、ハワードは淡々と話を進める。

「リディアとデイジーにも手伝って貰え。あの2人なら適役だろう」

 何がどう適役なのか、ステラには謎でしかない。

「あの・・・」

 声をあげたものの、何から聞いていいのか混乱してしまったステラ。そのうちにベティが思い出したように言う。

「あ、そうだ。ちょっとねー。ステラに相談というか、用事があって来たんだよ」

 初耳というか、話があるなら宿場ですればいいのにとステラは思った。なんと言っても、同じ部屋で寝泊まりしているのだから。

 そこで発言したのは、意外にもフィオナだった。彼女も楽しそうに両手を合わせる。

「あ、お祭りの話?」

「お祭りですか?」

 ステラが聞き返したが、ベティには聞こえなかったらしい。

「そうそう。今日、ここならフィオナさんもいるし、ちょうどいいかなーって」

「あ、リディアとデイジーもいるのよね。だったら、私、ちょっとお茶を淹れ直してくる」

 そう言って立ち上がったフィオナ。セラは事前に察知したのか、その寸前で膝から右肩に避難していた。

 そのフィオナに少し遅れて、ハワードも席を立つ。

「いや、教え子にそんな事をさせるわけには・・・」

「いいんです。それよりも、リディアとデイジーを解放してあげた方が・・・」

「そうか。それなら一緒に妻を呼び戻してくるから、お茶は彼女に頼みなさい」

「リディア達なら私が呼んでこようか?それとも、お茶を手伝う方がいい?」

「だから・・・」

 急に騒がしくなった応接間だったけれど、結局3人とも出て行ってしまった。キッチンかどこかに向かったのだろうか。

 1人取り残された気がしたステラ。それでも、自分まで着いていったら、話が余計ややこしくなるような気がする。

 それよりももっと気になるのは、ハワードがベティに言った鍛えてくれという言葉と、ベティが自分に言った相談があるという言葉。

 どちらもどこか意味ありげな言葉だった。

 いったい何だろう。

 ふと自分の膝を見る。

 ソフィはまた眠くなったのか、それとも、こちらの心が落ち着いた事を感じ取って安心したのか、再び丸くなっている。

 その柔らかい手触りの背中を、ステラはそっと撫でた。

 このカーバンクルはとても優しい。それを自分は知っている。

 だからなのか、こうしていると自然と穏やかな気持ちになり、顔が綻んでいくステラだった。



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